ひごめの赤い石

紙川也

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第3章 障療院、そして二冊あった本

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 ミチは女の子にみおぼえがあった。さっき聖と一緒にいた子だ。みれ。
 砂森が窓のそばまで進んだ。

 ミチは、窓の外をそっとのぞいた。低い山が見えた。下を向くと池だ。ミチは頭のなかで昨日と今日に出会った人たちから教わったひごめのことを整理しようとした。
 進一郎が住む古くて広いお屋敷、色無閣という洋館、それにこの赤い御殿。
 二つの池がつながっためがね池。
 一ツ目山と二ツ目山。
(池の向こうに見えるから、あれは二ツ目山)
 ミチがそう考える間に、砂森が本棚から一冊の本を取りだした。
「これだね、新しい版のほう」
 ミチは本をのぞきこんだ。『ひごめのむかしばなし』と書いてあるが、たしかに、ミチが持ってきた本とはべつのものだ。
 砂森のほうは着物姿の女の絵だ。
 両手でなにかをささげるようにして持っている。なにか赤くて小さなもの。
 ミチは進一郎から書庫で手渡されたほうの本をバッグからとりだした。
 こちらの表紙は緑色の布張りの本で、絵がない。
「見た目、ちがいますね」
「中身はおなじだよ。このあたりで古くから伝わる民話や伝承の本です。古いほうはぼくらが生まれる前の本。新しいほうは南小が創立百周年、北小が七五周年を迎えたときに在校生に配布されたんだよ」
 砂森がミチに手をのばしたので、ミチは手にした古い本をさしだした。砂森が本をぱらぱらとめくって言った。
「新しいほうが読みやすいかもしれない。よかったらどうぞ」
 砂森は古い本と新しい本、両方を重ねてミチに手渡した。
「読みおわったらここへもどしてください」
「はい、ありがとうございます」

 砂森が本棚のそばからはなれて、ふたたび歩きはじめた。
 ミチもあとを追った。
 本棚の向かい側にまたまた横開きの扉。
 一面すべて柱をはさんで端っこから端っこまで扉だ。壁がない。
 ミチはつぶやいた。
「ここの部屋はぜんぶ扉でつながっていますね」
「うん。旅館のときにはふすまだったけど、子どもが使うと破れてぼろぼろになっちゃうから木の扉と取りかえたんだ。もとは宴会をやるような広間です。ほら、欄間らんまの細工なんか旅館っぽいでしょう」
 砂森が扉の上を指さした。
 ミチはたずねた。
「らんまってなんですか」
「襖の上の彫刻のことだよ。ここの欄間は凝っていて、色が塗ってあるんだ」
「ほんとだ」
 扉の上の鴨居と天井にはさまれた、横に細長い空間をミチはながめた。
 そして(あっ)と思った。
 緑に塗った木の葉、茶色の木枝、そういう彫刻の中央に朱塗りの部分があった。

 朱色の牛の彫りもの。

「赤い牛だ」
 あの壁画とおなじだ、書庫の奥で見つけた壁画、ミチはそう思った。
 砂森がほほえんだ。
「ミチくん、その本を読んでからこの建物を見てまわると、おもしろいよ。ひごめのむかしばなしの場面を彫ったものがあちこちにあるんだ」
 言いながら砂森は扉をからからと開けた。
「こっちが遊戯室です。ボールで遊ぶのはこっちにしてください」
「そうしてるじゃん」
 部屋の奥から声がして、砂森に向かってドッジボールが飛んできた。
 さっきのボールだ。砂森はボールをキャッチしてぽんっと投げかえした。
「君に言ったんじゃないよ、快斗くん。いまミチくんを案内しているんだよ」
「あ、そ」
 さっきの男の子だ。
 ミチが砂森のうしろから部屋のなかをのぞきこむと、快斗ともう一人の子がいた。快斗がミチにむかってニカッと顔中でわらってみせた。ミチも口の端をあげて返しながら、さっと部屋に目を走らせた。
 こっちの部屋には畳がしいてある。
 となりの図書室とおなじで広い窓があり、その下に低いロッカーがあってボールやレゴブロックやそのほかこまごまとしたおもちゃが置かれていた。
 遊戯室は広い空間だった。
 ミチはあることに気づいた。
 遊戯室のまんなかにも上の部分に欄間があるのだ。ミチは砂森にたずねた。
「ここ、もしかして二部屋ぶんですか」
 砂森がうなずいた。
「正解です。田んぼの田の字を思いうかべてみてください」
 ミチは頭のなかで砂森の言ったとおりにした。砂森がつづけた。
「この障療院、というか二番御殿の二階は広い空間を田の字に仕切っています。昔の日本家屋でよくある間取りだね。襖を閉めれば四つの部屋になるし、すべてを外してしまえば一つの大きな部屋になる」
「じゃあ、ここの奥と最初の学習室が扉でつながっているんですか」
「今度も正解だね」
 砂森がほほえんだ。

 ミチは二部屋ぶんだという空間の、いちばん奥へ目をこらした。
 窓からいちばん遠い場所で、いまは電気もついていない。
 うっすらと暗い。
 横になっている人間がいた。
 ミチの心臓がドキンと一つ大きくはねた。

 聖だ。

 まるで猫みたいに畳の上で丸くなっている。
 ミチが目をこらすと、聖が目を閉じているのが見えた。
 砂森もおなじように聖に気づいたようで、首をかしげた。
「聖くんは眠っているのかな」
「うん」
 返事をしたのは快斗といっしょに遊んでいるもう一人の男子だ。
「なんか眠いって、入ってきてすぐにすーすー寝てる」
「めちゃくちゃ寝てる。ぜんぜん起きないよ」
 快斗もうなずいた。
 ミチはホッとしている自分に気づいた。
 聖とおなじ場所にいる、五時半までそれがつづくのだと思うと、急に足元がおぼつかないような感覚をおぼえた。そしてこの場にいる全員があたりまえのように、聖の存在を受け入れていることを、どう考えればいいのか、とも思った。

「快斗くん、空来そらくん、ちょっと通るね」
 砂森が男子二人に声をかけて遊戯室へ入った。ミチもついていった。砂森が部屋の奥へ進んでいく。ミチは少しのあいだ足を止めて遊戯室をながめた。
 二間つづきの広間。区切りのように残された欄間。色のあせた畳。
 天井に描かれたどっしりした絵。木と古い畳のにおい、それから子どものにおい。
 そして部屋のすみっこで眠る聖。
 ミチはあらためて、
(障療院ってなんだろう)
 と考えた。

「ミチくん、こっちへ」
 砂森が振りむいてミチをうながした。
 ミチはいそいで歩を進めた。
 砂森が部屋の奥にある、おなじみのたくさん並ぶ扉の一枚を開けた。
 扉の向こうには長机とロッカーが見えた。
 長机には中学生の紗がいた。最初の学習室だ。
 砂森が言った。
「はい、もとの部屋です。こんな感じ。さて、もう少しで北小の子たちも来るから、そしたらみんな学校の宿題をやります。ああ、でも、ミチ君は勉強道具を持ってきていないね」
「はい。砂森さん、ぼくこれを読んでいいですか」
 ミチは二冊の『ひごめのむかしばなし』を掲げてみせた。
 砂森がうなずいた。
「そうだね、今日はそうしてください。今から読みますか」
「すぐに読みたいです。」
「だったらこのへんの席を使ってください。あ、図書室でもいいよ」
「はい」
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