ひごめの赤い石

紙川也

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第2章 ひごめ館の人たちと、人でない者たち

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「それにしても親孝行でえらいものだろう、君も見習いなさい。ああ、いや、君がこんな立派な屋敷を建てるようなことは大人になってもないだろう、だれにでもできるわけじゃないしな。だがまあ心がけだけでもお手本にするといい」
 言いながら会長は水路のあるあたりと反対側の池の岸を指さした。
「ほら、あっちに日本建築がある。どうだ、立派なものだろう。あれも池のお堂や、屋根つき橋とおなじころに旅館として建てられたんだ。このあたりは温泉が沸くんだ。その昔はけっこうなにぎわいを見せたんだぞ。いいかね、右から順に一番御殿、二番御殿、三番御殿だ」

 池のそばに三階建ての木造の建物が並んでいた。
「うわ。」
 ミチは思わず声をあげた。
 建物は真っ赤だった。
 まるで神社の鳥居のような、あざやかな赤い色の壁だった。
 壁だけではない、柱も、それに瓦もだ。とにかくぜんぶが赤い。
 まるでほんの昨日塗ったかのような、くすみのない赤色だ。

 目を見開いたミチの横で、会長がふんぞり返った。
「まったく見事な色だろう」
「はい、すごいです」
「ひごめ石で塗ると長い年月を経てもこういう、きれいな色が保てるんだ。さっきの私の説明がわかったかね」

 昨日の屋敷とおなじように、いくつもの棟が連なっている。
 いちばんうえの三階の瓦屋根の両端には、まるでお城のように小さなしゃちほこがくっついていた。棟と棟が回廊でつながり、その回廊が池のほとりを通っている。
「御殿」という呼びかたにぴったりの建物だ。

 会長が言った。
「さっきの洋館の名前、色無閣というのは、こっちの御殿の美しい赤に比べたらどのように立派な建物でも色のない世界だ、そういう意味でつけられた、謙遜の命名だ。明治の人はしゃれたことを言うもんだね」
「色無閣はどういう場所だったんですか、やっぱり旅館ですか」
 ミチはたずねた。会長がうなずいた。
「そうだよ」
「あのなかに並んでいた写真は、旅館に泊まった人をうつしたものですか」
「宿泊客の写真もあるし、狭間家の人間の写真もあるし、従業員のもある。ああそうだ、いいことを考えついたぞ、あの写真に説明書きをつけるんだ。何枚か当時の有名人の写真もあったはずだ」
「この御殿はいまも旅館ですか」
「ちがう。色無閣とおなじで、いまは地域の振興のために使っている。一番御殿は、デイケアセンターと障療院しょうりょういんだ」
「しょうりょういん、ってなんですか」
 ミチはたずねたが、会長はミチの問いをささっと無視して会長自身のしたい話をつづけた。どうも会長の耳はミチの言葉がときどき聞こえなくなるようだった。特に、会長にとって都合の悪い言葉が。

「二番御殿は会議室や茶話さわ室、三番御殿は一般の客が中を見られるように、きれいにしているところだ。なにしろもうじき登録有形文化財だからな」
 会長はちらっとミチを横目で見た。
 ミチは、
「有形文化なんとかって、さっきも言ってましたね」
 と言った。そのとたんに会長がうれしそうにうなずいた。
 会長がふたたび語り出すよりも先にミチは言葉をつづけた。
「会長さん、ぼく今日はいそいでます。だいじな用事があります。会長さんのお話はまた今度きかせてください。そのときは時間をかけてしっかりききます」
 ミチが会長の目をまっすぐにのぞきこんで言ったためか、今度は会長もミチの言葉を聞き流すことはできなかった。
 会長はミチをじろりと見た。
 もしミチが大人だったら会長の目つきが(気の利かないやつ)と告げていることに気づいたかもしれない。
 が、ともかく会長は、もと旅館だった建物のうちまんなかの棟を指さした。
「津江さんは今日あそこにおるはずだ。二番御殿の片づけをしておるよ」
 会長が左腕にはめた腕時計をちらっと見た。
「ちょうどいま終わったくらいだろう」
「ありがとうございます」
 ミチは礼をのべた。そして三度目になるがぴょこんと頭を下げ、走り出した。
「建物のなかでは走っちゃいかんぞ!」
 背後から会長が声をかけた。

 ミチはハッとあることを思いだして会長へ振りかえった。
 そしてたずねた。
「あのランタンは会長が持ちこんだんですか」
「うん? ランタン?」
 会長がいぶかしげな顔になった。
 こいつはなにを言っておるのだ、とでもいうような顔だ。
「なんのことだね」
「いえ、なんでもないです」
 隠し扉の先に落ちていたランタンは、会長のものではないようだ。
 だったら会長はあの場所のことも知らないのだろう、とミチはあたりをつけた。

(あのランタンをあそこへ持っていったのは一体だれだろう)

 池の裏側へ出ると、三つの御殿のまんなかに張りでた玄関が見えた。
 左右に太い木の柱が建ち、そのあいだに三段の石段。ミチは石段をかけあがった。
 いちばんうえの石段はそのまま石畳となってなかの土間へつづいている。
 広い土間だ。
 左手に木の靴箱があってなかに靴がならんでいた。いくつかは子どものサイズの靴だった。ミチも自分の靴を靴箱にならべた。
 土間から一段あがると板張りの床の広間になっている。
 中央の台に「受付」と書いた札があったが、そこにはだれもいなかった。

 ミチは、
「ごめんください、だれかいませんか」
 と声をあげたが、応答がない。
 声は壁にも天井にも反響せず、まるでミチのすぐそばにぽとりと落ちたようにして消えた。
 建物の奥のほうで人の声が聞こえる。
 まるで、放課後の学校の、遠い教室からとどく物音のようにぼんやりとした声だ。何人かの女の声が聞こえるし、子どもの高い声も聞こえる。が、なんの話をしているのかまったくわからない。

 ミチは、
「おじゃまします」
 と言って広間へ上がった。
 ミシ、と床板がきしんだ。
 どうしてそのとき、横を向いたのか、ミチ自身にもよくわからない。
 とにかくミチはふと左側へ視線を向けた。
 そして(あっ。)と思った。

 長い廊下の向こうに、聖がいた。

 聖はミチを見ている。今日はまぶたを開いている。
(見えるんだ。)とミチは思い、ごくんと唾をのみこんだ。
 顔をあわせたのは昨日のほんの少しの間だけだったにもかかわらず、聖は、ミチがだれなのかわかったようだった。どうしてかわからないけどミチはそう感じた。
 聖の手がゆるりとあがり、ミチを手招きした。聖はほほえんでいる。
 ミチは思わず一歩下がった。
 するとそのとき、聖のそばにだれかが近づくのが見えた。
 背が低い。小さな子だ。
 その子の名前を呼ぶ聖の声が、ミチの耳にもかすかに聞こえた。

「みれちゃん」

 女の子だ。
 古い、ぼんやりした色の建物のなかで、その子のスカートの色、パステルブルーがやけにあざやかに見えた。
 ミチは走りだした。あの子があぶないと思った。
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