ひごめの赤い石

紙川也

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第2章 ひごめ館の人たちと、人でない者たち

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 ミチはなんとなしに写真をながめた。ぜんぶモノクローム、古い写真だ。
 えらそうなひげを生やした男の人が一人立つ写真、きれいなドレス姿の女の人の写真、着物姿の人が数人でうつっている写真。なかには日本人じゃなさそうな人の写真もあった。

 ミチは一つの写真立てに目をとめた。
(あれ?)

 おばあさん一人、胸から上を撮影した写真だった。
 他の写真とおなじでモノクロームだ。
 おばあさんは縞模様の和服を着ていた。
(このおばあさん、津江さんによく似ている。そっくりだ。まるで本人みたい)
 ミチはその写真をもっとよく見ようと近づいた。
 が、そのとき、
「ほら、見るといい」
 会長の声がした。
 見ると、奥の部屋から会長が白っぽい小箱を手にして出てきたところだった。
 木の箱だった。会長はその箱の蓋を開けた。
 ミチは箱のなかをのぞきこんだ。
 なかには、あざやかな赤い色をした石が入っていた。
 消しゴムくらいの大きさの石だ。ルビーみたいな宝石とちがって不透明で、でも、きれいな赤だとミチは思った。
 紅葉のような赤色。

 ミチは気づいた。
(あれ、この石って、もしかして昨日ぼくのおでこに津江さんがまじないを書いたのとおなじ石かな)
 大きさはけっこうちがう。
 津江さんが使ったやつはもっとずっと小さくて、木箱に入ったこの石に比べたら、ほんの欠片みたいなものだった。
(だけどおなじ色だ)

「ひごめ石だ。きれいなものだろう」
 会長が胸をそらして言った。
「いいかね、ひごめ石は考古学の世界では……なんだったかな、ええと」
 言いよどんだ会長は箱と一緒に持ってきた紙に目を落とした。
 パンフレットだ、とミチは気づいた。
 表紙に「ひごめ館」の文字が書いてあり、いくつかの写真が配置されていた。この洋館の写真もある。
 会長の目がパンフレットに書かれた文章を追うのを、ミチは見た。

 会長がおもむろに、ふたたび口を開いた。
「そう、『まぼろしの赤』。ひごめ石は考古学の世界では『まぼろしの赤』『第三の赤色顔料』とよばれておる。ええー、『古代、日本では赤色は特別な色』だった。『魏志倭人伝では、倭人は“朱丹を以って其の身体に塗ること、中国の粉を用いるが如し”という下りがあり』、つまり昔の人は体に赤を塗ってまじないに使ったんだな」
「あの、会長さん」
「古墳の壁や埴輪を赤く塗ったものも日本中で出土しておる。えー、『古代日本で使われたおもな赤色顔料はベンガラと辰砂』だ、わかるかね、君」
「会長さん、お話の途中ですけど、ぼくは津江さんに――」
「そしてここからが肝心だぞ、『ところがこの二つよりもあざやかな赤色がありました。それがひごめ石です。』いいかね、ひごめ石は古代の日本では、宝石のように貴重で高価な石だったのだ」
「宝石」
 ミチはつい応じてしまった。
 会長が勢いこんだ声をあげた。
「そう、そうだよ、君」
「これを飾ったんですか」
「話を聞いておったのかね。顔料だ、ひごめ石は赤く塗るのに使ったんだ」

 ミチは首をかしげた。
「顔料って絵の具とかペンキみたいに色を塗るやつですよね。それが宝石みたいに高価だったんですか」

「その説明もここに書いてある。
なになに、えー、『たとえば中世ヨーロッパではラピスラズリという鉱物はたいへん貴重で、ときには黄金よりも高い値段で取引されました。これはウルトラマリンという美しい青色を作る鉱物です。ラピスラズリがあまりに高価だったためにウルトラマリンは聖母マリアのまとうマントを塗るときにだけ使われました。
このように、美しく希少な顔料はいまでは考えられないほどの、特別な扱いを受けました。ひごめ石もヨーロッパにおけるラピスラズリに匹敵する、高価な顔料だったのです。』
どうだ、わかるかね、この石の価値が」

「会長さん、そろそろお話を終わりにしてほしいです」
 ミチの正直な言葉は、会長に見事に無視された。聞いていて無視したのか、ひごめ石の話に夢中で聞こえなかったのか、ミチにはわからなかった。
 とにかく会長はえらそうな態度で話をつづけた。

「奈良のどこかの神社のご神体の、国宝に指定された古い剣にも、ひごめ石を使った顔料が塗られておるはずだ。それからこのひごめ市の日籠ひごめ神社のご神体の盾もひごめ石の赤で彩色されておる。
――が、そのひごめ石も古代に採りつくされてしまったと考えられておった。
ところが江戸時代の一時期、ほんの五十年ほどの間だけ、もう一度採れた時期があったんだ。再び、ひごめという地域は潤った。そのときに建てられたのが、このひごめ館の御殿だ」
「会長さん、本当にそろそろ――」
「そうそう、御殿に君の探しておる津江さんもいるはずだ」
 ミチは今度は聞き流されないようにと声を高めた。
「そうです、ぼく津江さんにだいじな用事があります。津江さんはどこでしょうか」
「今日は二番にばん御殿ごてんのあたりだろう」
 ようやく会長がミチの知りたいことを口にした。
 ミチは首をかしげた。
「二番御殿」
「ふん、しょうがない、案内してやろう」
「ありがとうございます」
 ミチは頭をさげた。
 ずいぶん時間をとられてあせったが、とにかく助かることにちがいはない。

 会長は色無閣の玄関の前からまっすぐに進み、建物の角を曲がった。
 ミチもついていった。
 古い洋館の裏は小さな林になっていた。昨日ミチが迷いこんだ池のまわりとおなじように、木々の葉が色づきはじめたところだった。
 ミチはふと思いついて会長にたずねた。
「二ツ目山ってどのあたりですか」
「いま来たのと反対側だよ。よそから来た子はひとりで山に入っちゃいかんよ、迷子になったら面倒だからな」
 会長が言った。ミチはふりかえった。
 たしかに洋館をはさんだ向こう側が低い山になっていた。
(あそこが昨日の場所なんだ)とミチは思った。
 会長が林のなかの小道へ入った。
 ミチも遅れないようにいそいで後をついていった。

 ほどなくして二人は林を抜けて池に出た。会長が池を指さした。
「このあたりの者はみんな『めがね池』と呼んでおる。もっとも、大昔はべつの呼びかたをしたようだが。いいかね君、まちがって池に落ちたりしないようにな。池のまんなかあたりは君の背より深いからな」
 ミチは池を見わたした。ミチと会長の立つ位置から見て池のちょうど反対側に細い水路が見えた。
「会長さん、あの水路の奥も池ですよね」
「そうだ。あっち側にはお堂がある。お堂まで屋根つきの橋がのびているんだぞ」
 なぜか会長がふんぞり返った。
「狭間家の、四代目当主の母親が毎日毎日お堂へお参りしたそうだ。ご母堂は隠居屋で暮らした。その隠居屋に四代目当主が屋根つき橋をかけたんだ。そう、その四代目当主のころが、ひごめ石が最後にたくさん採れた五十年間だよ」
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