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第1章 とても古い屋敷のなかで
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「おじゃまします」
ミチは一言ことわってからスニーカーを脱いだ。進一郎が履きものをていねいにそろえて向きを外へ変えたのを見て、ミチもおなじようにした。
進一郎は縁を歩き、つきあたりで曲がった。そこからは廊下だ。
すぐ先に階段があった。一段一段が高い。進一郎がその階段をあがった。
ミチも後をついていった。
進一郎があがってもしずかなままなのに、ミチが段に足をかけると階段の床板がきしんでミシッと鳴った。ミシッ、ミシッと音を立ててミチは階段をあがった。
階段をあがった進一郎が体の向きをかえた。
「こっちだ」
進一郎の前には幅のせまい廊下があった。
両方の壁に窓があってそこから外の景色が見える。棟と棟をつなぐ廊下だ。
迷路みたいだとミチは思った。
行く手に白い壁の建物がある。
さっき外から見たときに、まるで山にめりこんでいるように見えたのがこの棟だ。
進一郎がみじかく説明した。
「この先が書庫だ」
あたりはひどくしずかだった。
いや「しずか」なんていうものじゃない、人の気配がまったくない。
なんだか変だぞ、とミチは思った。が、進一郎は廊下をどんどんすすんでいく。
ミチもいそいでついていった。
進一郎がつきあたりの引き戸を開けた。
木の引き戸はカラカラと音を立てて横に動いた。
パチン、と音がした。スイッチの音だ。
同時にあかりがともり、部屋のなかが見渡せるようになった。
四方の壁すべてが天井まである背の高い本棚だった。
部屋のまんなかに大きな木箱が積んである。木とほこりの混ざったにおいがした。
窓はなかった。
ミチは部屋のすみからすみまでじいっと視線を向けた。
すると進一郎がふりかえってミチにたずねた。
「津江さんはなんていったんだ。どんな本をさがしているんだ」
ミチは津江さんの言葉を思いうかべた。
「むかしばなし。『ひごめのむかしばなし』、たしかそう言ってました」
進一郎がけげんな顔つきになった。
「なんだ、そんなの図書館でも小学校でも、どこにでもあるのに」
「え」
「ああ、もしかして古いやつがほしいのかな。たしか上にある」
進一郎がミチに背を向けて建物の端っこへすすんだ。
建物の一角だけ、本棚がなくて白い壁がむきだしになっていた。白いといっても、よーく見るとうっすらと汚れて灰色がかっている。なにしろ古い建物なのだ。
そしてその壁のすぐ手前にひどく急な階段があった。
踏み板と踏み板のあいだが空間になっており、手すりもない。ほとんどはしごだ。
進一郎がその階段をさっさとのぼりはじめた。慣れた様子だった。
ミチはいそいで、
「ちょっと待ってください、進一郎さん。図書館って」
と声をあげた。
「ここが図書館じゃないんですか」
自分の声を自分の耳できいて、ミチはその瞬間に納得した。
ここは図書館じゃない。それはそうだろう、とミチは思った。
靴をぬいであがる、人ひとりいない、そんなの図書館じゃない。
ここは進一郎のうちの書庫、ということはつまり、よそのうちの書庫だ。
(あのおばあさんはどうしてここに行けと言ったんだろう)
しかし進一郎はミチの言葉を聞いていなかったのか、さっさと階段を上までのぼり切ってしまった。ミチもあわてて進一郎につづいた。
「進一郎さん、待ってください」
上にも部屋があった。
天井が低くせまり、下の階よりもいっそうほこりっぽくて雑然としていた。
四方の壁のうち、向かいあう二面に下の階とおなじように天井までの高さの本棚が並んでいたが、のこる一方の壁には木箱や段ボール箱がつみあげられていた。
そしてさらにもう一方の壁のまんなかに、扉があった。
黒ずんだ木の引き戸だ。
ミチは思わずごくんと唾をのんだ。
さっき聞いた津江さんの言葉がミチの頭のなかではねた。
ミチの口からひとりでに声がもれた。
「この扉」
隠し扉だ、とミチは思った。
ぜんぜん隠れていないけれど、この扉がきっとそうなのだ。
ミチの目の前にスッと一冊の本が差しだされた。
進一郎だった。
ミチはつい、そのまま本を受け取った。
進一郎が小さく肩をすくめてミチが見つめた扉にちらりと視線をなげた。そして言った。
「その戸が気になるなら開けてみるといい」
「え、でも」
津江さんの言葉がミチの頭のなかにひびいた。
『隠し扉から先は止めておくがええ』、あの変なおばあさんはたしかにそう言った。
とまどうミチの目の前で、進一郎がガラガラガラッと引き戸を引いた。
無造作な動きだった。
ミチは一瞬息をとめた。
そしてつぎの瞬間、ぽかんとした。
引き戸のすぐ先に白い壁があった。
いや、「すぐ先」なんてものじゃない。
戸と壁がほとんどくっついているかと思うほど近い。
進一郎がにぎりこぶしを作ると、その壁を指の関節でコンコンとこづいてみせた。そして言った。
「津江さんから隠し扉のことをきいたんだろう」
「はい。隠し扉から先は止めておけっていわれました」
「はじめて津江さんに会ったとき、おれも言われた。君よりずっと小さいとき、小学校にあがる前だったよ。あの人は出会う子どもひとり残らずにまったくおなじことを言うんだ。ぜんぜん飽きもせずに。おれの父親も言われたそうだ。津江さんがおれに隠し扉の話をしたとき父親もそばにいて大笑いした。で、ここへ上がらせてくれた。ドキドキしながら開けたのをおぼえている」
「ええと」
「さわってみるか」
進一郎が場所をあけてミチをうながした。
ミチは引き戸の先にあった壁の前に立った。
そうっと手でふれてみた。それから引き戸の横の壁にもふれてみた。
どちらもおなじ漆喰のざらざらした手ざわりだった。ふれるとひんやりと冷たい。
進一郎が言った。
「この書庫は山のきわに建っているんだ。壁のすぐむこうは二ツ目山だ。この戸がもしほんものの出入口でも、開けたら山に出るだけだ」
「どうしてこんなところに戸があるんですか」
「おれが知るわけないだろう。作ったのはおれじゃない」
進一郎がしかめつらになった。
「もしかして津江さんはこれのために君を書庫へ案内させたのか」
「ぼくは図書館の場所をききました」
進一郎がますますしぶい顔になった。
「図書館は君と津江さんが立っていた位置から、こことは正反対の方向だ」
「そうなんですか。」
「ひごめ館は二つの山のあいだにあるんだ。めがね池の向こうに一ツ目山、こっちが二ツ目山。めがね池は名前の通り大きな丸が二つくっついたかたちをしている。こっち側の屋敷や倉と、池のむこうにたくさんある建物ぜんぶをあわせて『ひごめ館』と呼ぶけど、図書館や児童館、それに地区の会議室とか、市の施設はぜんぶ池の反対側だよ」
ミチは口をあけてなにか言おうとしたが、なにを言えばいいのかわからず結局すぐに口を閉じた。
進一郎の眉間にしわが寄った。
「津江さんもしょうがないな。あの人はひごめ館のボランティアだよ」
「はい、そうききました」
「でもボランティアが案内をするのは池の反対側の建物だ。こっち側はうちの家族がいまでもふつうに母屋を使っている。こっち側を一般公開するのは学校の夏休みと春休みのあいだだけだ」
ミチは思わず、
「勝手におじゃましてすみません」
と、あやまった。
進一郎がためいきをついた。
「津江さんはもしかして君へのサービスのつもりで案内させたのかもしれない。だとしても、もうじゅうぶんだろう。そろそろ出よう」
ミチは一言ことわってからスニーカーを脱いだ。進一郎が履きものをていねいにそろえて向きを外へ変えたのを見て、ミチもおなじようにした。
進一郎は縁を歩き、つきあたりで曲がった。そこからは廊下だ。
すぐ先に階段があった。一段一段が高い。進一郎がその階段をあがった。
ミチも後をついていった。
進一郎があがってもしずかなままなのに、ミチが段に足をかけると階段の床板がきしんでミシッと鳴った。ミシッ、ミシッと音を立ててミチは階段をあがった。
階段をあがった進一郎が体の向きをかえた。
「こっちだ」
進一郎の前には幅のせまい廊下があった。
両方の壁に窓があってそこから外の景色が見える。棟と棟をつなぐ廊下だ。
迷路みたいだとミチは思った。
行く手に白い壁の建物がある。
さっき外から見たときに、まるで山にめりこんでいるように見えたのがこの棟だ。
進一郎がみじかく説明した。
「この先が書庫だ」
あたりはひどくしずかだった。
いや「しずか」なんていうものじゃない、人の気配がまったくない。
なんだか変だぞ、とミチは思った。が、進一郎は廊下をどんどんすすんでいく。
ミチもいそいでついていった。
進一郎がつきあたりの引き戸を開けた。
木の引き戸はカラカラと音を立てて横に動いた。
パチン、と音がした。スイッチの音だ。
同時にあかりがともり、部屋のなかが見渡せるようになった。
四方の壁すべてが天井まである背の高い本棚だった。
部屋のまんなかに大きな木箱が積んである。木とほこりの混ざったにおいがした。
窓はなかった。
ミチは部屋のすみからすみまでじいっと視線を向けた。
すると進一郎がふりかえってミチにたずねた。
「津江さんはなんていったんだ。どんな本をさがしているんだ」
ミチは津江さんの言葉を思いうかべた。
「むかしばなし。『ひごめのむかしばなし』、たしかそう言ってました」
進一郎がけげんな顔つきになった。
「なんだ、そんなの図書館でも小学校でも、どこにでもあるのに」
「え」
「ああ、もしかして古いやつがほしいのかな。たしか上にある」
進一郎がミチに背を向けて建物の端っこへすすんだ。
建物の一角だけ、本棚がなくて白い壁がむきだしになっていた。白いといっても、よーく見るとうっすらと汚れて灰色がかっている。なにしろ古い建物なのだ。
そしてその壁のすぐ手前にひどく急な階段があった。
踏み板と踏み板のあいだが空間になっており、手すりもない。ほとんどはしごだ。
進一郎がその階段をさっさとのぼりはじめた。慣れた様子だった。
ミチはいそいで、
「ちょっと待ってください、進一郎さん。図書館って」
と声をあげた。
「ここが図書館じゃないんですか」
自分の声を自分の耳できいて、ミチはその瞬間に納得した。
ここは図書館じゃない。それはそうだろう、とミチは思った。
靴をぬいであがる、人ひとりいない、そんなの図書館じゃない。
ここは進一郎のうちの書庫、ということはつまり、よそのうちの書庫だ。
(あのおばあさんはどうしてここに行けと言ったんだろう)
しかし進一郎はミチの言葉を聞いていなかったのか、さっさと階段を上までのぼり切ってしまった。ミチもあわてて進一郎につづいた。
「進一郎さん、待ってください」
上にも部屋があった。
天井が低くせまり、下の階よりもいっそうほこりっぽくて雑然としていた。
四方の壁のうち、向かいあう二面に下の階とおなじように天井までの高さの本棚が並んでいたが、のこる一方の壁には木箱や段ボール箱がつみあげられていた。
そしてさらにもう一方の壁のまんなかに、扉があった。
黒ずんだ木の引き戸だ。
ミチは思わずごくんと唾をのんだ。
さっき聞いた津江さんの言葉がミチの頭のなかではねた。
ミチの口からひとりでに声がもれた。
「この扉」
隠し扉だ、とミチは思った。
ぜんぜん隠れていないけれど、この扉がきっとそうなのだ。
ミチの目の前にスッと一冊の本が差しだされた。
進一郎だった。
ミチはつい、そのまま本を受け取った。
進一郎が小さく肩をすくめてミチが見つめた扉にちらりと視線をなげた。そして言った。
「その戸が気になるなら開けてみるといい」
「え、でも」
津江さんの言葉がミチの頭のなかにひびいた。
『隠し扉から先は止めておくがええ』、あの変なおばあさんはたしかにそう言った。
とまどうミチの目の前で、進一郎がガラガラガラッと引き戸を引いた。
無造作な動きだった。
ミチは一瞬息をとめた。
そしてつぎの瞬間、ぽかんとした。
引き戸のすぐ先に白い壁があった。
いや、「すぐ先」なんてものじゃない。
戸と壁がほとんどくっついているかと思うほど近い。
進一郎がにぎりこぶしを作ると、その壁を指の関節でコンコンとこづいてみせた。そして言った。
「津江さんから隠し扉のことをきいたんだろう」
「はい。隠し扉から先は止めておけっていわれました」
「はじめて津江さんに会ったとき、おれも言われた。君よりずっと小さいとき、小学校にあがる前だったよ。あの人は出会う子どもひとり残らずにまったくおなじことを言うんだ。ぜんぜん飽きもせずに。おれの父親も言われたそうだ。津江さんがおれに隠し扉の話をしたとき父親もそばにいて大笑いした。で、ここへ上がらせてくれた。ドキドキしながら開けたのをおぼえている」
「ええと」
「さわってみるか」
進一郎が場所をあけてミチをうながした。
ミチは引き戸の先にあった壁の前に立った。
そうっと手でふれてみた。それから引き戸の横の壁にもふれてみた。
どちらもおなじ漆喰のざらざらした手ざわりだった。ふれるとひんやりと冷たい。
進一郎が言った。
「この書庫は山のきわに建っているんだ。壁のすぐむこうは二ツ目山だ。この戸がもしほんものの出入口でも、開けたら山に出るだけだ」
「どうしてこんなところに戸があるんですか」
「おれが知るわけないだろう。作ったのはおれじゃない」
進一郎がしかめつらになった。
「もしかして津江さんはこれのために君を書庫へ案内させたのか」
「ぼくは図書館の場所をききました」
進一郎がますますしぶい顔になった。
「図書館は君と津江さんが立っていた位置から、こことは正反対の方向だ」
「そうなんですか。」
「ひごめ館は二つの山のあいだにあるんだ。めがね池の向こうに一ツ目山、こっちが二ツ目山。めがね池は名前の通り大きな丸が二つくっついたかたちをしている。こっち側の屋敷や倉と、池のむこうにたくさんある建物ぜんぶをあわせて『ひごめ館』と呼ぶけど、図書館や児童館、それに地区の会議室とか、市の施設はぜんぶ池の反対側だよ」
ミチは口をあけてなにか言おうとしたが、なにを言えばいいのかわからず結局すぐに口を閉じた。
進一郎の眉間にしわが寄った。
「津江さんもしょうがないな。あの人はひごめ館のボランティアだよ」
「はい、そうききました」
「でもボランティアが案内をするのは池の反対側の建物だ。こっち側はうちの家族がいまでもふつうに母屋を使っている。こっち側を一般公開するのは学校の夏休みと春休みのあいだだけだ」
ミチは思わず、
「勝手におじゃましてすみません」
と、あやまった。
進一郎がためいきをついた。
「津江さんはもしかして君へのサービスのつもりで案内させたのかもしれない。だとしても、もうじゅうぶんだろう。そろそろ出よう」
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