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6章 閉じこめられた解
73 転機(前)
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九日目。
この日、会堂はしずかだった。解は食事をとらなかった。
解の指先は冷えたままだ。
十日目。
昨日とおなじ一日。
解にはだんだん一日が長いのか短いのかもわからなくなってきた。
十一日目
音楽がした。
三日前に聞こえた音楽だ。
黒い服を着た人が会堂に集まってきた。
ここは天流衆国なのになぜか解の両親が会堂にいた。二人とも黒い服を着ていた。
解は久しぶりにパパの姿を目にした。解は呼びかけた。
「パパ。」
返事はない。解のパパは会堂の正面を向いている。
「ぼく、パパのリュックサックを使っているよ、ほら緑色のやつ。それからパパの机の引きだしに入っていたナイフを持ちだしたよ。」
パパには聞こえないようだった。
解は今度はママに話しかけた。
「ママ、連絡できなくてごめんなさい。ぼくのぶんまで佐原のおばあちゃんにママが叱られなかった?」
ママも返事をしなかった。ママはうつむいている。
なぜならその場は解の葬式だったからだ。
結生の姿もあった。そしてなんとレシャバールまでいた。レシャバールだけが解に気づいた。
レシャバールが解を見つめた。きびしい目つきだ。
でも怒っているというよりも哀しそうだと解は思った。
レシャバールは灰色の長い髪と長いひげのままだった。手首には縄が幾重にも巻かれていた。
解が五徳ナイフで切った縄の残りだ。レシャバールが言った。
「地徒人の少年よ、あの言葉はどうしたのだ。おぼえているか? あの言葉を――。」
解は目をさました。
夢だ、と思った。
解の目から涙が流れた。
ただ夢を見ただけなのに、と思った。
実際に会ったわけじゃないのに。この先会えるかどうかわからない、もしかしたら二度と会えないかもしれないのに。いまの解はなにもできないのに。
それなのに、会えてうれしいと解は思った。
パパやママにも、レシャバールにも、そして結生にも。
解はつぶやいた。
「カ ヒ ク ス ト 。」
かすれた声が出た。
言葉はとぎれとぎれだった。
でもそれは解の声に力がないせいじゃない。レシャバールの遺言だからだ。
(ぼくはあの人の遺言をおぼえている、ちゃんとおぼえている。)
解は、
(ぼくはバカか。)
と思った。
(なんのためにここまで来たんだ。)
とも思った。
そして、それと同時にフード付きの上衣を着た男たちや、解の額をなぐりつけた剣や食事に吐きかけられた唾を思いだした。思いだした途端に身体の力が抜けていくような気がする。
なにをどうしたって、解よりもフード付きの上衣を着た男たちのほうが力があるのだ。腕力もあるし武器も持っている。空も飛べる。解をここに閉じこめる権限だってある。
でも、だからなんだっていうんだ、と解は思った。
あんな人たちのために気持ちが縮こまるなんてバカだ、と思った。
だけど無理だ、とも解は思った。
これ以上なにをどうすれば身動きがとれるというのか。
解のできることはなにもない。なに一つないのだ。
解のあたまに、
(ぜったい。)
という言葉が浮かんだ。
(ぜったい、ぜったい、ぜったいに――。)
無理だ、そう思うのに、解の口から出た小声はべつの言葉だった。
「ぜったい、ここを出るんだ。」
解は寝台のうえに起きあがった。
(お弔いのときにも天流衆の人たちはこの下の会堂に集まるのかな。そして鐘を鳴らすのだろうか。)
解は立ちあがった。
身体がよろめき卓の上に手をついた。
指先が皿にふれた。
食器の上に置いてあったパンごと、皿が卓の下へ落っこちた。
ガシャンッと派手な音がした。
陶器の皿が割れたのだ。
そのとき窓からフード付きの上衣を着た男が朝食を乗せたトレイを手に入ってきた。
解に忠告した男だった。解はぼんやりと男を見た。
なぐられるかもしれないと気づいたが、それでもぼんやりしたままだった。夢で見た懐かしい顔に気持ちをはげしくゆさぶられために、現実の身の安全のためには頭が回らなかった。
男は無言で身体をかがめると皿の破片を拾った。
そして解が食べなかった前の日の夕食をトレイに乗せて出ていった。
解は寝台にもどろうとして身体の向きを反転させたが、またよろめいた。
床に尻餅をついた。すぐに起きあがる気になれずに解は床に寝ころがった。
床はひんやりと冷たかった。
解の指先も冷たいままだが、皮膚の内側をめぐる血はあたたかく感じられた。
ふしぎな感覚だった。
解は首を動かして顔を横へ向けた。
そして次の瞬間、解は大きく目を見ひらいた。
ガバッと解は身体を起こした。
そのはずみでまた頭がクラクラした。
解は床に手をついて上半身を支え、しばらく身動きをしなかった。
気絶してたまるか、そう思った。必死で目まいがおさまるのを待った。
ちゃんと食事をとればよかったと後悔した。そしてこれからはそうしようと思った。
床に皿の破片が残っていた。
解の小指の先ほどの小さな破片だ。小さすぎて男が見すごしたのかもしれない。
そして皿の破片のすぐそばの床に傷がついていた。
おそらく皿が落下したときにできた傷だろう。
(皿が落ちて割れただけで、床に傷がつくんだ。)
青い床。
断崖をくりぬいて造った部屋。
陶器で傷がつくような、やわらかい床。やわらかいこそ、断崖にたくさんの家をくりぬいて造ることができるのだ。
この日、会堂はしずかだった。解は食事をとらなかった。
解の指先は冷えたままだ。
十日目。
昨日とおなじ一日。
解にはだんだん一日が長いのか短いのかもわからなくなってきた。
十一日目
音楽がした。
三日前に聞こえた音楽だ。
黒い服を着た人が会堂に集まってきた。
ここは天流衆国なのになぜか解の両親が会堂にいた。二人とも黒い服を着ていた。
解は久しぶりにパパの姿を目にした。解は呼びかけた。
「パパ。」
返事はない。解のパパは会堂の正面を向いている。
「ぼく、パパのリュックサックを使っているよ、ほら緑色のやつ。それからパパの机の引きだしに入っていたナイフを持ちだしたよ。」
パパには聞こえないようだった。
解は今度はママに話しかけた。
「ママ、連絡できなくてごめんなさい。ぼくのぶんまで佐原のおばあちゃんにママが叱られなかった?」
ママも返事をしなかった。ママはうつむいている。
なぜならその場は解の葬式だったからだ。
結生の姿もあった。そしてなんとレシャバールまでいた。レシャバールだけが解に気づいた。
レシャバールが解を見つめた。きびしい目つきだ。
でも怒っているというよりも哀しそうだと解は思った。
レシャバールは灰色の長い髪と長いひげのままだった。手首には縄が幾重にも巻かれていた。
解が五徳ナイフで切った縄の残りだ。レシャバールが言った。
「地徒人の少年よ、あの言葉はどうしたのだ。おぼえているか? あの言葉を――。」
解は目をさました。
夢だ、と思った。
解の目から涙が流れた。
ただ夢を見ただけなのに、と思った。
実際に会ったわけじゃないのに。この先会えるかどうかわからない、もしかしたら二度と会えないかもしれないのに。いまの解はなにもできないのに。
それなのに、会えてうれしいと解は思った。
パパやママにも、レシャバールにも、そして結生にも。
解はつぶやいた。
「カ ヒ ク ス ト 。」
かすれた声が出た。
言葉はとぎれとぎれだった。
でもそれは解の声に力がないせいじゃない。レシャバールの遺言だからだ。
(ぼくはあの人の遺言をおぼえている、ちゃんとおぼえている。)
解は、
(ぼくはバカか。)
と思った。
(なんのためにここまで来たんだ。)
とも思った。
そして、それと同時にフード付きの上衣を着た男たちや、解の額をなぐりつけた剣や食事に吐きかけられた唾を思いだした。思いだした途端に身体の力が抜けていくような気がする。
なにをどうしたって、解よりもフード付きの上衣を着た男たちのほうが力があるのだ。腕力もあるし武器も持っている。空も飛べる。解をここに閉じこめる権限だってある。
でも、だからなんだっていうんだ、と解は思った。
あんな人たちのために気持ちが縮こまるなんてバカだ、と思った。
だけど無理だ、とも解は思った。
これ以上なにをどうすれば身動きがとれるというのか。
解のできることはなにもない。なに一つないのだ。
解のあたまに、
(ぜったい。)
という言葉が浮かんだ。
(ぜったい、ぜったい、ぜったいに――。)
無理だ、そう思うのに、解の口から出た小声はべつの言葉だった。
「ぜったい、ここを出るんだ。」
解は寝台のうえに起きあがった。
(お弔いのときにも天流衆の人たちはこの下の会堂に集まるのかな。そして鐘を鳴らすのだろうか。)
解は立ちあがった。
身体がよろめき卓の上に手をついた。
指先が皿にふれた。
食器の上に置いてあったパンごと、皿が卓の下へ落っこちた。
ガシャンッと派手な音がした。
陶器の皿が割れたのだ。
そのとき窓からフード付きの上衣を着た男が朝食を乗せたトレイを手に入ってきた。
解に忠告した男だった。解はぼんやりと男を見た。
なぐられるかもしれないと気づいたが、それでもぼんやりしたままだった。夢で見た懐かしい顔に気持ちをはげしくゆさぶられために、現実の身の安全のためには頭が回らなかった。
男は無言で身体をかがめると皿の破片を拾った。
そして解が食べなかった前の日の夕食をトレイに乗せて出ていった。
解は寝台にもどろうとして身体の向きを反転させたが、またよろめいた。
床に尻餅をついた。すぐに起きあがる気になれずに解は床に寝ころがった。
床はひんやりと冷たかった。
解の指先も冷たいままだが、皮膚の内側をめぐる血はあたたかく感じられた。
ふしぎな感覚だった。
解は首を動かして顔を横へ向けた。
そして次の瞬間、解は大きく目を見ひらいた。
ガバッと解は身体を起こした。
そのはずみでまた頭がクラクラした。
解は床に手をついて上半身を支え、しばらく身動きをしなかった。
気絶してたまるか、そう思った。必死で目まいがおさまるのを待った。
ちゃんと食事をとればよかったと後悔した。そしてこれからはそうしようと思った。
床に皿の破片が残っていた。
解の小指の先ほどの小さな破片だ。小さすぎて男が見すごしたのかもしれない。
そして皿の破片のすぐそばの床に傷がついていた。
おそらく皿が落下したときにできた傷だろう。
(皿が落ちて割れただけで、床に傷がつくんだ。)
青い床。
断崖をくりぬいて造った部屋。
陶器で傷がつくような、やわらかい床。やわらかいこそ、断崖にたくさんの家をくりぬいて造ることができるのだ。
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