天流衆国の物語

紙川也

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6章 閉じこめられた解

72 とても長い時間(後)

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ときどき叫びだしたくなる衝動におそわれたが必死でそれをがまんした。
またあの男に剣の柄でなぐられるのはイヤだったし、それ以上にひどい目にあうのはもっとイヤだ。解は指や目を失くすつもりはこれっぽっちもなかった。そんなのゴメンだと思った。
朝食を終えてまた窓のそばへ立った。
解は外をながめた。
鐘が鳴る。
回数を数える。
(次に鳴ったらそのあと昼食だ。)
解はそう考えた。
鐘の音は規則的に鳴り、食事が運ばれるのも規則的だ。
解は昼食が運ばれてくるときにフード付きの上衣を着た男に話しかけようと決めた。
なんでもいい、「こんにちは。」だけでもいい。
剣の柄でなぐられてから解は食事を運ぶ男に話しかけなかった。
でも二日目以降、解に食事を運んでくるのは柄でなぐったのとはべつの男だし、何度も顔を合わせて慣れてきたから、挨拶くらいはしたっていいだろうと解は考えた。
返事がなくてもいい。なんでもいい。
やがてまた鐘が鳴り、窓からフード付きの上衣を着た男が入ってきた。
その顔を見て解は開きかけた口をさっと閉じた。
あの男だ。
解を長剣の柄でなぐりつけた男。
そいつは解の顔をジロジロと見た。
探しているんだ、と解は思った。
なんでもいいから解が悪いことをしていないか目で調べているのだ。
もし解がなにかをしでかせば、前に言ったことを喜んで実行するつもりなのだろう。解は身体を固くして沈黙した。
男はしばらくの間だまって解を見つめたあと、昼食のトレイを卓上に置いた。
そしてペッと唾をはいた。唾が食器のなかに入った。スープ皿だ。
男は一瞬、顔をゆがめるようにしてわらった。
そしてそのままなにも言わずに出ていった。
解はそのスープを口にしなかった。

解は、人間を傷つけるのにはケガを負わせる以外にも方法があるのを知った。
わざわざ腕力にうったえなくても、もっとかんたんな方法もあるのだ。
多分いくらでも。
夜の間ずっと、男のゆがんだわらいが解の頭のなかで何度もくり返された。


五日目。
朝食を運んできたのが昨日とはべつの男だったので、解は思いきって口を開いた。
「ぼくの裁決はいつ開かれるんですか?」
たずねてすぐに解は、なぐられる、またはもっとひどい目にあうことを覚悟した。
だが男が解に向かって手を上げることはなかった。
そのかわり解の質問に対して返事をすることもなかった。
それどころか解の顔を見ることもなかった。
解は鐘の音を数えた。
衣服の洗濯をした。
やることが、いや、できることがそれくらいしかなかった。
できることがどんどん減っていくと思った。


六日目。
四日目の朝食を運んだのとおなじ男が食事を運んできた。
朝食のときと昼食のとき、解は男に向かって前の日とおなじ質問をした。
返事はなかった。
夕食が運ばれたとき、解はやけくそでレシャバールの名前を口にした。
男は解を見た。そして言った。
「いまのは聞かなかったことにしてやる。二度と口にするな。」
解は口を閉じた。
それから気づいた。
解は男が自分の話をまともに聞いてまともに応対するだろうと信じて、あるいは本気で願って、話しかけたわけではなかった。ちゃんと努力していると自分に言いわけするために話しかけただけだ。
そう思ったらますますみじめな気分になった。
解は鐘の音を数えた。
途中で涙が出た。

夜になって急に寒くなり、やがて雨が降った。
大峡谷一帯が雨の音とにおいで満ちた。


七日目。
前の晩から降る雨がつづいた。
解を剣の柄でなぐった男が朝食を運んできた。
解は身がまえたが、その男が解を見ることはなかった。ただ食事を置いて去った。前の晩に解へ忠告をした男は本当に解の言葉を聞かなかったことにしたようだった。
ホッとしたあと、解は卓にゴンッと額をぶつけた。
なぐられた箇所はまだ痛かった。でもそんなことはどうでもいいと解は思った。
もうなにもかもどうでもいい、解は身体に力が入らなかった。
そう思った。
(ぼくはここにいないようなものだ。どこにもいないんだ。)
食事をとる気にもならなかった。
解は朝食を食べなかった。昼食も夕食も食べなかった。
寝台に寝ころんで毛布をひっ被った。
解はウトウトとまどろみ、目をさました。
夢のなかにだれかが出てきたが、目をさましたときにはそれがだれだったのか思いだせなかった。
ひとりぼっちの気分だった。
解はその日、鐘の音を数えなかった。


八日目。
明け方にようやく雨が上がった。日が昇ると前の日よりも暑くなった。
朝食が運ばれたとき解は寝台の上だった。
窓が開かれても食事が卓上に置かれても動かなかった。
がやがやと人の気配がした。会堂にたくさんの人達が入っていった。
やがてその人達に語りかけるだれかの声が聞こえ、音楽が聞こえた。
窓から飛びおりたらどうなるんだろう、と解は考えた。
この部屋へ来て以来もっとも暑い日だったが、解の手足の指先は冷たかった。
鐘の音も数えないままだ。
そんなことになんの意味があるのか、解にはわからなくなってしまった。
服を洗うこともしなかった。
体がかゆくなってきたが、それもどうでもよかった。
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