脳内お花畑から帰還したダメ王子の不器用な愛し方

伊織愁

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5話

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 翌日、ヴァレリアが半信半疑で執務室へ向かうと、本当にファブリツィオは学園寮の執務室にいた。 空だった執務机に色々な書類が置かれ、壁際には本や書類、大量の資料が次々と運ばれて並べられていく。

 そして、執務室の扉の前には、近衛騎士団の騎士が警備に立つ様だ。 近衛の騎士たちは貴族出身の騎士で構成されている。

 王族を守る任務についている為、粗相がないように高位貴族の家を継がない子女が多い。 警備についている近衛騎士も高位貴族の三男か四男だとおもわれる。

 あら? 近衛騎士の方……初めて見る方だわ。 学園で警備の方をつけるなんて……。

 朝食を食べ終えたヴァレリアは、ファブリツィオの公務をサポートする為、学園寮にある王族専用の執務室へやって来た。
 
 一緒にやって来た侍女のオルガも執務室の騒がしさに、ヴァレリアの後ろで目を白黒させていた。 後ろからオルガの戸惑うような声が聞こえる。

 「お嬢様、これは一体何の騒ぎでしょう?」
 「オルガには言っていなかったけど、ファブリツィオ様が、今日からこちらで執務をなさるそうよ」
 「まぁ、やっと本来の使い方をご理解頂けたようですね」
 「オルガ……」

 少し遠目で見ていたヴァレリアとオルガに気づき、警備についている近衛騎士が臣下の礼をして頭を下げる。

 「ストラーネオ侯爵令嬢、お騒がせして申し訳ございません。 荷物の搬入は直ぐに終わりますので、暫しお待ち下さい」
 「はい、私は大丈夫ですので、気にせず作業を続けて下さい」

 ヴァレリアの声が聞こえたのか、開け放たれた入り口からファブリツィオが顔を出した。

 「ヴァレリア、来たか。 騒がしくしてすまない」
 「いえ、あの……」

 どうしょう……聞いてもいいのかしら? 近衛の警備がつくなんて、何かあったかもしれないし……。

 ヴァレリアが近衛の方へ訝し気な視線を向けた事に気づき、ファブリツィオが捕捉する。

 「あぁ、大丈夫だ。 別に何かがあった訳じゃない。 彼らは念の為に置くだけだから」
 「そうなんですね。 何もなくて良かったです」
 「‥‥早速で悪いが、仕事の話をしてもいいか」
 「はい、承知いたしました」

 執務室の準備は直ぐに終わり、王宮で詰めている侍従たちが手伝ってくれていたのか、彼らは作業を終えると王宮へ戻って行った。 

 執務室にはファブリツィオとヴァレリア、ピエトロとオルガが残された。

 執務室の中には、重要な書類がある為、ファブリツィオに許された者しか入室が出来ない。 黙々と仕事をこなし、執務室の中は私語もなく、静寂に包まれていた。

 暫くして、近衛騎士が立っている事の意味をヴァレリアは理解した。

 『殿下の許可がない者を通す事は出来ません』と入室を制止する近衛騎士の声が扉の向こう側から聞こえてきた。 

 執務室の前には使用人の控え室があり、ピエトロとオルガの他に、取り次ぎと雑用を頼む為、侍従が一人控えている。

 「殿下は本日、公務に就かれています。 生徒会の事でしたら新学期が始まってからにして下さい」
 「なっ! 俺は公爵家の人間だぞっ!」

 扉の向こう側で揉めている声が執務室まで聞こえる。 しかも、公務はヴァレリアの仕事で、ファブリツィオは生徒会の運営を最優先にしないといけないと進言している。

 公爵家で生徒会のメンバーと言えば、宰相の次男で、アドルフォ・ダッラ・ガリツィアだ。 ファブリツィオの従弟でもあるので、ヴァレリアも幼い頃から知っている。

 ガリツィア様があんな風に言うなんてっ! 私は補佐であって、何も決定権もない。 ファブリツィオ様もちゃんと公務はしていたのに……私が全部していると思われていたのっ?!

 まさかの誤解に、ヴァレリアは愕然とした。 しかも、公爵家の人間が言っているのだ。 執務室に大きな溜め息が落ちる。

 ファブリツィオが執務机に肘をつき、両手で顔を覆う様子から哀愁が漂っていた。

 ピエトロは『心中お察しします』とファブリツィオに同情する様な眼差しを向けている。 ヴァレリアは、ファブリツィオの変化に気づいた。 生徒会で何があったのか分からないが、ファブリツィオの心境が変化する何かがあったのだ。

 そうでないと、ガリツィア様に対する態度が変わったことの説明がつかないわ。

 「俺は公務をヴァレリアに押し付けた事は一度もないぞっ」

 ファブリツィオ様の言う通りです。 クローチェ伯爵令嬢に夢中になられていても、公務も生徒会もしっかりとなさっていましたし、ファブリツィオ様のそういう所は、素晴らしいと思っています。 私とは顔を合わせてくれなかっただけですけど……。

 暫く揉めていたようだが、今日は諦めたようで、アドルフォは帰って行った。

 去り際に『お前なんかクビにしてやるからな』と近衛騎士に怒鳴りつけ去って行ったらしい。 勿論、近衛騎士がクビになる事はない。 彼は職務を全うしただけだ。 

 公爵家の人間だとしても、一介の学園の生徒に近衛騎士をクビにする権限はない。

 『アドルフォはそんな事も分からないのかっ! 以前はあんな愚かな奴じゃなかったっ』、とファブリツィオが悔しそうに嘆いている様子をヴァレリアは黙って見ていた。

 また、暫く黙々と仕事をこなす時間が続いた時、新たな客人が訪れた。

 「ファブリツィオ殿下、ジェンマ子爵子息がお見えです」

 侍従の知らせに顔を上げ、ヴァレリアの顔が強張り、ペンを走らせていた手も止まった。 ヴァレリアの様子に気づいたファブリツィオが、気遣わし気な眼差しを送って来たので、ヴァレリアは思わず顔を俯かせた。

 「入れてくれ」

 ファブリツィオが返事を返すと、ヴァレリオが執務室に入って来た。 彼もヴァレリアが居るとは思っていなかったのか、僅かに瞳を見開いた。 気不味い雰囲気か漂い、ヴァレリアは益々顔を上げられなくなった。

 「突然、呼び出してすまない。 そこに掛けてくれ」
 「はい、御前、失礼致します」

 彼らは執務室の中央に置かれたソファーで向かい合って腰掛け、話し合いが行われた。

 「呼び出しの理由は、ヴァレリオ、君に生徒会へ入ってもらいたいんだ。 今日からだ」
 「生徒会への返事は、入学式までにという話ではなかったですか?」

 ヴァレリオは横目でヴァレリアに視線を向ける。 二人から気遣わし気に見られる事にとても居た堪れない。 ヴァレリアの視線にファブリツィオも気づいたのか、彼の表情が曇り、悔いる様に顔が歪む。

 ファブリツィオ様のあの表情を私は知っている。

 ◇

 「じゃ、覚悟を決めたんだね、ファブリツィオ」
 「はい、マウリツィオ兄上。 私は誓います、必ずヴァレリアを守ると、ずっと側にいると」
 「うん、分かったよ。 じゃ、私も君たちを祝福する。 父上には、私からも口添えをしよう」
 「ありがとうございます、マウリツィオ兄上!」

 マウリツィオの口添えと、ファブリツィオとヴァレリアの二人がお互いを望んでいる事もあり、婚約は直ぐに叶った。

 ファブリツィオとの交流会は、ヴァレリアにとってはとても心休まる時間だった。

 日常的に祖父から恫喝や暴力を振るわれていたヴァレリアは、ファブリツィオとの時間は幸せで失いたく無い時間だった。

 しかし、祖父は納得していなかった。

 王太子妃にあげる思惑が、第三王子でしかないファブリツィオの我儘で頓挫したのだ。 祖父が王族であるファブリツィオにも、暴力を振るわないにしても厳しい態度を崩さなかった。 ファブリツィオが何度目かの忠言を祖父にした時だった。

 「ヴァレリアに暴力を振るうのはやめて下さいっ!」
 「ふん、何度もうるさい奴だっ! お前の様な第三王子如きに言われる筋合いはないっ!」

 ファブリツィオに怒鳴りつけ、祖父は一緒にいたヴァレリアを殴りつけた。
 
 『お前が男を誑かすから、わしが謂われのない事を言われるのだっ!』と怒鳴りつけ、ヴァレリアを床へ押し倒し、馬乗りになって殴り出した。

 「やめろぉぉっ!」

 直ぐにファブリツィオは止めに入ったが、子供故に止めることが出来なかった。

 騒ぎを聞きつけたファブリツィオの護衛で、ついて来た近衛騎士の二人、ヴァレリアの両親も加わり、四人がかりで祖父を止めて、何とかヴァレリアから引き離した。

 意識が遠のく中、ファブリツィオの後悔する様な表情を視界に捉えた。 とても後悔している事がわかる。

 あぁ、悲しそうな顔しないで下さい。 私は暴力を振るわれるのは慣れっこですから……。

 ストラーネオ家での騒ぎは、王家にも知られる事になり、流石に看過できないと処罰を下した。 ファブリツィオと近衛騎士の二人、ヴァレリアの両親からも話を聞き取り、祖父は領地で蟄居を命じられ、爵位もヴァレリアの父へ譲る事になった。

 領地に引き篭もった祖父は、二年もしない内に亡くなった。 ヴァレリアが12歳の時だった。

 ヴァレリアは二週間ほど寝込んだが、命に別状はなく、祖父から逃れられた事に心の底から安堵していた。 祖父がいなくなったストラーネオ家の屋敷の中も、明るくなっていった。 ヴァレリアの中で、ファブリツィオを恨む気持ちはなかった。

 しかし、ファブリツィオは、自身の所為でヴァレリアが酷い怪我を負った事を後悔していた。 もっと上手くやれたはずだと。 後悔と己への苛立ち、ヴァレリアは祖父のトラウマで、前以上に性格が内向きになり、人との付き合い方が下手になっていた。 心の距離と心の傷、次第に二人の関係が上手くいかなくなっていった。

 「ヴァレリア」

 ファブリツィオの声で回想から戻ってきたヴァレリアは、ハッとして顔を上げた。 

 二人は心配そうな表情を浮かべてヴァレリアを見つめている。

 話を聞いていなかったわっ、どうしましょうっ……。

 小さく息を吐いたファブリツィオは、眉尻を下げて説明してくれた。

 「ヴァレリオも、執務室で生徒会業務をやってもらうが、ヴァレリアは大丈夫かと思ってな」
 「あ……」

 昔を思い出している間に、ヴァレリオを説得できたんですね。 二人共、私を気遣ってくれている。 ファブリツィオ様がヴァレリオを補佐に、と望んでいるのだから、私の意思など無意味だわ。 二人に迷惑を掛ける訳にはいかない。

 「私は大丈夫です。 この執務室はファブリツィオ様の物ですし、お好きになさって下さい」
 「そうか、分かった、助かるよ。 ヴァレリオ、明日から執務室へ来てくれ」
 「はい、承知いたしました」

 ヴァレリオが執務室から出て行き、再び、黙々と書類仕事に精を出すヴァレリアとファブリツィオの姿があった。

 ◇

 ヴァレリアを部屋に帰した後の執務室、ファブリツィオとピエトロの二人の間に気不味い空気が流れている。 気不味いと言っても、ファブリツィオが一方的に感じているだけだ。 何か言いたげに見つめて来るピエトロに視線を向ける。

 「……なんだ?」
 「また、観劇デートに誘えませんでしたね」
 「……っ」
 「そんな顔しても駄目ですよ。 私はミッションだと言いましたよね?」
 「……?」

 どういう事だ? ピエトロが勝手に言ってることじゃないのか?……まさかっ!

 ファブリツィオの脳内で、ある事が閃き、ある人物が脳裏を過った。 ブラコンで有名な王太子、マウリツィオ・デ・ロ・アルカンジェリだ。 もし、マウリツィオからのミッションだとすれば。

 「……絶対に遂行しないと駄目なやつかっ!」
 「はい、ご名答です」

 ……っピエトロ! お前は、兄上と俺っ、どっちの味方なんだっ! 物凄い、いい笑顔でこちらを見るなっ!

 ピエトロは正しくファブリツィオの心を読んだ。

 「私は、ファブリツィオ殿下の味方ですよ。 たまに、マウリツィオ殿下にスパイを頼まれますが」
 「……っ立派に兄上の味方じゃないかっ」

 ピエトロに笑って誤魔化され、近日中にもミッションを遂行しないと兄上に報告される事を理解せざるを得なかった。

 ◇

 ファブリツィオに門前払いを受けたアドルフォは、カフェテリアの二階、サロンでカーティアとサヴェリオ、フラヴィオの三人と一緒にソファーで話をしていた。

 ファブリツィオは生徒会の仕事で早めに学園へ戻って来たものと思っていた。

 昨日の様子もおかしかったし、殿下の身に何があった?

 アドルフォの脳裏に、ファブリツィオの責める様な眼差しが思い浮かび、『何故、殿下はあんな目で見て来たんだ?』、と心の中で呟いた事が、つい口に出ていた。

 アドルフォの呟きを聞いたカーティアが表情を曇らせる。

 「えっ? それってアドルフォが知らない内にファブリツィオ様の不興を買っていたって事ですか?」
 「えっ、今、口に出てたか?」
 「出てましたわ」
 「出てたね」
 「出てたぞ」

 「そうか……昨日も様子がおかしかったし、執務室へ入れてくれない事は以前からあったが、会ってもくれない事はなかったと思ってな。 何があったんだ、殿下」

 アドルフォ以外の三人は顔を見合わせた後、苦笑を零した。 しかし、一人だけ何かを察した様な表情を浮かべたが、アドルフォたちは気づかない。 カーティアがアドルフォの腕にそっと手を置いた。

 「気のせいではない? 学園寮の執務室は王族専用ですし、私も入れてくれた事はなかったわ。 婚約者であるストラーネオ侯爵令嬢は別みたいですけどっ」

 最後の一言を言った後、カーティアは口を尖らせて頬を膨らませる。 完璧な淑女のカーティアは、たまに子供っぽい所を見せる。 自分たちにしか見せないカーティアに、自分たちは特別なのだと思わせてくれる。

 アドルフォとサヴェリオ、カーティアの三人の間に甘い空気が流れる。 今、サロンには四人しかいない。 アドルフォが立ち入り禁止の立て札を入り口に立てていたので、サロンには誰も入って来られない。

 『この関係が殿下にバレたんじゃないの?』、と三人に気づかれない様にフラヴィオが小さく笑う。 『一抜けた』、と内心で呟き、フラヴィオはサロンを出て行った。 サロンを出て行くフラヴィオに気づかず、三人は甘い時間を楽しんでいた。
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