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13話

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 慣れない夕食作りは補佐官の言う通り、アンガスたちには大変な作業だった。 グレンダは侍女に教わりながら、肉を切り分けるのに奮闘し、リーバイは皆が切った野菜と肉を鉄製の串に何とか刺していた。 竈に火を点けるのは魔法で簡単に出来たが、アンガスは野菜を切る時、包丁で指を何度か切る羽目になってしまった。

 一人ローラだけは、『刃物の扱いには慣れてますので』、とキラリと包丁の刃を光らせていた。 言うだけの事はあり、ローラの包丁さばきはアンガスたちよりは慣れていた。

 皮膚が小さく裂ける感覚と、小さな痛みが人差し指に走り、アンガスは眉を歪めた。

 「……痛っ、また切ってしまった……」

 慣れないジャガイモの皮むきにアンガスは奮闘していた。 溜息を吐くと、隣で肉と一緒に刺す野菜、カボチャを切っていたローラが心配そうな顔を覗かせた。

 「アンガス様、大丈夫ですか?」
 「大丈夫ですよ、これくらい舐めていれば自然と治りますから」
 「でも……沢山、指が切れていますけど……」
 「……」

 ローラの視線が指へ向き、頬を引き攣らせた。 指摘に自身の指を見てみれば、10本の指に沢山の切り傷の痕が付いていた。 『大丈夫です』とローラに念押しし、実際にアンガスが指の傷を舐めると、たちまちに切り傷が塞がっていき、沢山あった傷痕も綺麗に消えていく。

 アンガスの舌が指を這うと、周囲にいる皆の視線が釘付けになり、頬を染める。

 「私の唾液には治癒効果があるので……ほら、もう治りました。 って、ローラどうしたのですか? 顔が真っ赤ですよ?」
 「な、な、何でもないですっ! ご、ご自分で治せるのならっ……もう……そのっ」

 何故かローラは真っ赤になって俯き、答えに窮して、もごもごと口の中で何かを言っている。 アンガスの後ろから、皆の作業を補佐していた補佐官が呆れた声を出した。

 「若様、無駄に色気を振りまかないで下さい。 色気が駄々洩れで、皆の作業が滞ります」
 「何を言ってるんです? 色気なんて振りまいてませんよ」

 色気を駄々洩れさせた自覚がないアンガスは、補佐官の言葉に首を傾げた。 小さく息を吐いた補佐官は、『若様は、まだまだスパダリには、ほど遠いですね』と火にかけていた鍋をかき混ぜていた。

 補佐官の小さい呟きが耳に届き、アンガスは眉をしかめる。

 「スパダリって何です?」

 アンガスの声が聞こえているのか、いないのか、補佐官はアンガスを無視して、鍋の火を確かめていた。 少しだけ笑っている様に見えるので、補佐官が面白がっているのは手を取るように分かった。

 「ふふっ。 スパダリとはスーパーダーリンの略称ですわ。 何でも全て完璧に出来る恋人の事です」

 向かい側でアンガスと同じように苦戦しながら、バーベキュー用の肉を切り分けていたグレンダが可笑しそうに笑った。
 
 「なるほど……。 しかし、完璧な人間なんて何処にもいませんよ。 必ず、何処かに欠点があります」
 
 手を止めていたジャガイモの皮むきを再開しようと、ジャガイモを手に取る。 しかし、アンガスの手を阻むものがあった。 眉間に皺を寄せたアンガスは、阻んで来た手の主に視線を向けた。

 目を合わせたアンガスとリーバイが無言でお互いを睨みつける。 二人の背後で、白へびと黒へびが威嚇し合い、火花を散らせる幻が視えていた。

 「何です?」
 「ジャガイモはローラに切ってもらうので、貴方は補佐官さんの補佐でもしていて下さい」
 「何故、貴方にそんな指示をされなくてはならないのです?」
 「いいからっ、あっちで肉を焼いていて下さいっ」

 無理矢理、串を刺し終えた串焼きを入れたバットを押し付けられた。 リーバイの横柄な態度に怒りが湧きだし、暴れそうになった。 つかさず補佐官がアンガスをバーベキューの場所まで誘導する。

 憤慨しながらも、補佐官に宥められ、アンガスは大人しく肉を焼きだした。 しかし、怒りが収まらず、普段は使わない口調が飛び出した。

 「あいつぅ、どうしてくれようかっ」
 「そこまで怒らなくても……」

 補佐官を鋭く睨みつけ、無言で肉を転がすアンガス。 補佐官は慣れた様子で宥めてくる。

 「あれ以上、若様が指を切って色気を駄々洩れされると、皆の作業が進みませんからね」
 「だから、色気など振りまいてないと言っているでしょう」

 補佐官は恨めしそうにアンガスを見つめて来た。

 「若様はもっと自覚しないと駄目ですよ。 皆を虜にしてしまうくらい、美人なんですから」
 「……男に美人だと言われても、全く嬉しくないですね」

 アンガスが抜けたバーベキュー準備部隊のローラたちは、とても楽しそうに準備をしている。 アンガスの胸に疎外感が募る。 不機嫌な表情を浮かべて皆の様子を眺めた。

 アンガスたちは奮闘しながら、何とか夕食を作り上げた。 バーベキューのメニューは、野菜たっぷりのシチューと、串焼きにサラダだ。 串焼きは不揃いの野菜が刺さり、所々焦がしてしまった。

 サラダは、野菜を洗った時にアンガスがボロボロにしてしまったが、他の野菜と混ぜれば気にならなかった。 野菜シチューだけは補佐官が作ったお陰で難を逃れ、美味しく煮込まれていた。

 補佐官と侍女は各々、自身の分を持って天幕で食事をすると言い、下がって行った。

 (さて、どうしましょうか……。 話題が思いつきませんね)

 4人だけが残され、静かに夕食が始まった。 4人で何の話をしようかと、アンガスは悩んだが、グレンダが9月から始まる学園の話を出して来た事で、会話は何とかなった。

 リーバイとグレンダは自国であるカウントリムの学園へ通う為、お国柄もあり、ブリティニアとは違う授業があったりと、思いの外、話が弾んだ。

 「交流行事とかあったら、楽しそうですね。 入学したら生徒会へ要望しようかしら」
 
 グレンダの楽しそうな声が響く、アンガスの隣でローラも笑っていて、先程まで険悪だったリーバイとアンガスは、表面上はにこやかな笑顔を浮かべていた。

 「明日は釣りでもしましょうか。 川魚を釣ってその場で焼いて食べるのも美味しいですよ」
 「わぁ、楽しみです。 小さい頃、アンガス様たちと行ったのを覚えています。 是非、行きましょう」

 瞳を煌めかせて期待に胸を膨らませているローラを見て、アンガスも楽しい気分が上昇して来た。

 明日は川へ釣りに行く事を決め、1日目を終了した。

 ◇

 翌朝、アンガスたちは魔物の出る森の奥を避け、川下へ釣りに出掛けた。 釣りには護衛の私兵が付く。 グイベル家が独自に雇っている私兵たちだ。 主にグイベル領で生まれた者たちなので、皆、白へび族だ。 四・五人に付いて来てもらい、残りは天幕を盗賊などから守ってもらう。

 補佐官と侍女も後ろからついて来る。 今朝もリーバイはローラの天幕へ行ったようだが、1日目の事を考えたアンガスが先回りして、リーバイよりも早くローラを迎えに行っていた。

 「ローラ、おはようございます」
 「アンガス様、おはようございます」
 「準備は出来ていますか?」
 「はい、大丈夫です」

 ローラは川辺という事で、汚れても気にならない様に、馬術用の服装を選んで着ていた。 あまり見ないパンツスタイルを眺めると、アンガスは顎に手を添えた。 女性用のパンツは乗馬用しかなく、動きやすくて水にぬれたり、汚れたりしても気にならない服装は、乗馬服しかないのだ。

 「中々、似合いますね。 今度、ブーツをプレゼントしましようか?」

 ローラは乗馬靴を持って来ていない様で、足元はショートブーツだった。 少しだけ安全性が心配で心もとない。 アンガスの視線に、ローラが心配そうな声を出した。

 「えっ、滑りそうですか? でも、今はこれしかなくて……」
 「いえ、大丈夫でしょう。 川では私のそばに居て下さいね。 ちゃんと守りますから」
 「……っ、はい、ありがとうございます」

 アンガスが浮かべた笑顔にローラは頬を染めて言葉を詰まらせていた。

 ローラの天幕前で仲睦まじそうにいているアンガスとローラの姿を多くの人が目撃し、生暖かい視線を送って来る者が大半だったが、中には面白くなさそうにしている者もいた。

 ◇

 川はキャンプ場の近くにあり、上流から綺麗な水が流れていた。 思っていたよりも澄んだ色をした川の中で川魚が泳ぎ、日差しで鱗が反射して輝いていた。

 「結構、川魚が居ますね。 綺麗です」
 「あぁ、本当だ。 塩焼きにしたら美味しそうだね」
 「釣れたら直ぐに焼きましょう」

 リーバイの塩焼きに反応し、ローラは瞳を光らせて俄然、やる気になっていた。 上品で大人しい雰囲気のあるローラの見た目に忘れがちになるが、結構な量を食す。 昨夜のバーベキューでも結構な量を人知れず食べていた。

 皆は釣り針に餌となるミミズを付ける工程で、騒ぎながらやり遂げ、釣り糸を川へ投げ入れた。

 ショートブーツでは岩場は滑る為、ローラは岩場には行かず、川辺で釣りを始めた。 最初は皆、魚を釣り上げる事を想像して心を躍らせていたが、時間が経つと、徐々に表情から笑みが消えて行った。

 釣りは釣れないと、面白くない。 ただひたすらに、魚が餌に食いつくのを待つのだ。
 
 全く自身の釣り糸に魚が食いつかず、ローラは溜息を吐いた。 少しだけ離れた場所にアンガスが姿勢正しく立ち、釣り糸を落としている。 じっと川面を見つめる横顔はとても凛々しい。

 アンガスから『そばに居て下さい』と言われたが、一定の距離を置かないと、お互いの釣り糸が絡み合ってしまう。 リーバイは岩場へグレンダと行った様で、岩場で釣り糸を投げている様子は、仲が良さそうに見えた。

 (もしかして、二人の仲が縮まっている?)

 グレンダの楽しそうな声がローラの場所まで届き、自然と笑みが広がっていく。 グレンダの気持ちがリーバイに届けばいいのに、と心から思った。 しかし、グレンダの想いを知っているのか、気づかない振りをしているのか。

 リーバイはローラと視線が合うと、嬉しそうに笑みを向けて手を振って来た。

 「……リーバイ」

 『なに、あれ』『目と目で語りあちゃって』という言葉がローラの耳へ飛び込んで来た。 驚いて振り返ったが、グレンダの侍女が休憩所へ歩いて行く後ろ姿が見えただけだった。

 (……今、何か言われたような気がしたんだけど……気のせいかしら)

 気のせいではないのだが、声は聞こえたものの、実際に言っている所を見た訳でもないので、ローラは何も言い返せなかった。 リーバイとローラの仲を誤解している様な言葉だったので、直ぐに誤解を解きたかったが、もう、行ってしまった侍女を追いかけてまで話しかけようとは思わなかった。

 (まぁ、過ごすうちに話す機会も出来るわよね)

 一向に釣れる気配もなく、飽きられかけた時、ローラの釣り糸が強く引いた。

 魚が食いついた事で、ローラの脳内は塩焼きに乗っ取られてしまった。 魚を釣り上げる事に集中して、先程の事をすっかり忘れてしまい、侍女たちの誤解を解く事を失念してしまっていた。
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