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1話

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 ある日、王子は言った『私が君の事を嫌いになったら考えてあげるよ。 婚約解消したいなら、私に嫌われて見せてよ。 期限は学園を卒業するまでだ』 エディの婚約者、ルブラルン王国の王太子でもあるリュシアンは、優雅にとても美しく微笑んだ。

 「エディット・ドゥ・ドゥクレ侯爵令嬢、私と踊って頂けますか?」
 
 ルブラルン王国の宮廷楽団を背に、婚約者のリュシアンがマナーに乗っ取り、手を差し伸べて来る。

 皆が憧れる優しい王子様の笑みを浮かべるリュシアンは、背景に青い薔薇を背負っていた。 彼は王国中が待ち望んでいた虹色の魔力を保持して生まれ、王妃が産んだ唯一の王子だ。

 煌びやかな装飾品で飾られた大広間、跪くリュシアンに輝くエフェクトが降り注いだ。

 (ぐっ……ま、眩しいっ!)

 リュシアンが差し出した手を、エディが取るのを指揮者が肩越しに見つめて来る。 二人が手に手を取り、大広間の中央へ移動すれば、楽団の演奏が始まるのだ。

 見つめ合う二人を囲む紳士淑女の皆が、固唾を呑んで見守っている。 背景に青い薔薇を背負うリュシアンにうっとりと見惚れている令嬢たちに、少しだけ尻込みしてしまう。

 エディは淑女の笑みを浮かべながら、淡いモスグリーンのドレスの中で震える足に力を入れ、内心では頬を引き攣らせていた。 リュシアンが差し出した手に自身の手を乗せ、お決まりの口上を述べる。

 「勿論、喜んでお相手致しますわ、王太子殿下」

 (頑張れっ、私っ! 今、足がぐねってなって、無様に転んだりしたらっ、かっこ悪いんだからねっ!)

 エディとリュシアンは衆人観衆の中、優雅に中央へ躍り出た。 お互いにお辞儀をした後、ホールドを組む。 楽団の演奏が始まって密着した後、エディはものすごく後悔した。

 何故なら、嫌がらせでわざと高いピンヒールを履いて来た。 高いヒールでリュシアンの身長に合わせようとしたのだ。 女性の方が高く見えれば、嫌だろうと思っての事だったが。

 身長を合わせようとした為、ホールドを組むと、リュシアンの顔がいつもよりも近い場所にある。

 (それにっ、バランスが悪くて踊りづらいっ!)

 リュシアンも同じように感じているはずなのに、彼は近い身長差にすぐさま対応し、巧みにリードする。 しかも、気を緩めば転んでしまいそうになるエディをさり気無くフォローする余裕まであった。

 顔の距離が近い、リュシアンの熱い熱を滲ませた眼差しがエディの視線を追ってくる。 リュシアンの眼差しを受け、エディの胸が思わずときめいてしまう。

 (すごいっ、緑がより深い色になっていく。 とても綺麗……)

 楽団の演奏が終わり、舞踏会で最初にお披露目する王家のダンスを終えた。 皆にお辞儀した後、二人が離れると、リュシアンは直ぐに令嬢たちに囲まれ、同じ色で揃えた淡いモスグリーンの正装が視えなくなった。 彼は自身に集まって来る令嬢へ優しい笑みを向けていた。

 リュシアンの優しい笑みに少しだけ胸がモヤっとしたが、高いヒールでふらつく足を踏ん張り、エディは大広間から中庭へ向かった。

 呼び止めて来る紳士淑女にエディは申し訳なさそうに謝罪し、中庭の奥へ進んで行く。

 大広間と武道場の間は広く開けられていて、幾つもの庭園が造られていた。 奥にはガゼボもあり、更に奥へ行くと、国王の側室が住まう離宮の門が見える。

 荒い息を整えてガゼボへ入ると、庭園に誰もいない事を確認してベンチに座り込んだ。 そして、直ぐにヒールを脱いで足を投げ出した。 ヒールがガゼボの床に落ちる音が庭園で小さく響く。

 「もう、無理っ、限界っ! こんな高いヒール、これ以上履いていられないっ!」
 「わっ、お嬢様っ! はしたないですよっ! 淑女が足を投げ出さないで下さいっ! 膝が出てますよっ」
 「大丈夫よ、これくらいっ。 誰もいないし」

 ガゼボに入って来たお付きの少年に、エディは口を尖らせて呟いた。
 
 「そういう問題じゃありませんっ! もう少し恥じらいを持って下さいっ!」

 エディの行動を読んで追いかけて来たのか、少年が情けない声を出している。 慌てふためく少年は、サージェントのロジェだ。 彼は小人獣人で、見た目はとても可愛らしい狐の少年である。

 しかし、見た目とは違い、主人であるエディにもハッキリと意見を言う。 人間の少年にしか見えないが、立派に成人していて、身長は150センチぐらいしかない。

 「替えの靴をお持ちしました」

 ロジェは、いつもエディが好んで履いているヒールを足元へ置いた。 ロジェの狐耳がピクリと動き、尻尾が小さく左右に揺れる。 サージェントは召使いという意味で、貴族ならば、誰でも彼らと契約を交わして召し抱えている。 彼らサージェントは、契約を主とする種族だ。

 主人に仕える事を至上の喜びだと思っている。

 「ありがとう、コーン。 助かったわ。 靴無くして、どうやって帰ろうかと思っていた所よ」
 「いいえ。 こうなるだろう事は予測していましたから」

 ロジェから呆れた様な溜息が落ちる。 呆れているロジェを気に留めず、エディは軽い調子で笑う。

 「流石、コーンね。 やっぱり失敗だったわ、慣れないピンヒールで転びそうになるし、王子の顔は近すぎるし……身長差なんて少しもハンデにならなかった。 流石、王子」
 「見ているこちらがハラハラしましたよ。 いつ転ぶかと、ものすごく心配しました」
 「ごめんなさい、次は違う手を考えるわ」
 「そうして下さい。 それと、僕の名前はロジェです。 『コーン』ではありませんっ!!」

 ものすごい形相で怒れる笑顔を浮かべ、ロジェの顔が迫って来た。 少しだけ身体を後ろへ引いて、頬を引き攣らせたエディが苦笑いを零す。

 (笑顔なのに、怒りを表現できるとは……器用ね、コーン)

 「ごめん、ごめん。 狐の耳と尻尾を見ると、ついね。 口をついて出たわ」
 「ちゃんと、ロジェとお呼び下さい」

 腰に両手を当てて憤慨するロジェは、とても可愛らしい。

 (私より年上なんて、信じられないわよね。 まぁ、この世界自体が信じられないんだけど)

 エディは生まれた時から前世の記憶がある。 前世では女子高校生だった。 歌手を目指していて、道半ばで不慮の事故で亡くなった。

 (車に轢かれて死んだと思って目が覚めたら、赤ちゃんだったのよね)

 前世で読んでいた小説の中へ転生したらしいが、小説の内容が全く思い出せない。 生まれてから得た知識によると、転生して来た世界は全ての事が契約という魔法契約で成り立っている世界だという。

 (何の小説だったか、思い出せないのよね。 でも、この世界観は覚えがある様な……)

 しかも、ルブラルン王国の国王さえも、創造主と契約を交わして王冠を被る事を許されている。

 誰でもなれる訳ではない。 虹色の魔力を保持している者だけが、創造主へ願い出る事が出来るのだ。 虹色の魔力とは七つの属性魔法を意味する。 所謂、火・水・風・土・光・闇・無の七属性だ。

 人は色を持った魔力を保持して生まれて来る。 個人で保持している魔力の数には違いがあり、最高が七つで、最低がゼロとかもあるらしい。 ゼロの人は見た事がないが、エディは虹色の魔力を保持して生まれて来た。

 (私が契約していないのは光の妖精だけなのよね。 また、大聖堂に行ってみようかな)
 
 魔法を使用する時、人は自身が持っている色の妖精と契約している事が条件となる。 そして、使用時は妖精にお願いしないと、魔法を使う事が出来ないのだ。 エディは幼い頃から妖精と契約をし、自身の色の妖精を集めて来た。 虹色の魔力を保持している者は創造主に願いを叶えてもらえる。

 エディは創造主に、あるお願いをしようと思っていた。

 (何の小説なのか覚えてないけど、このキツイ見た目にボンキュッボンな身体。 母は幼い頃に亡くなって居ないし、父との関係はあまり良くないっ。 ここまで来たら、『アレ』しかないでしょう。 私、絶対に悪役令嬢ポジションだっ! 侯爵令嬢で王子の婚約者だし……。 悪役令嬢の末路は最悪だと決まってるっ……。 死ぬ未来しか見えないわっ)

 若干、悪役令嬢だと思われるエディが虹色の魔力を保持している事に引っ掛かりを覚えるが、他はライトノベルに置ける悪役令嬢の設定だ。

 顔を青ざめさせ、項垂れているエディを見つめていたロジェが瞳を細めた。

 「もう、状況説明は終わりましたか? まだ言い足りない事もあるかと思いますが、帰りますよ」
 「コーン、貴方、何を言っているの? 大丈夫?」
 
 一つ溜息を吐くとエディは立ち上がった。

 「分かったわ、帰りましょう。 殿下とはダンスも躍ったから義理は果たしたし。 あ、そうだ。 明日は大聖堂へ光の妖精を探しに行くわよ」
 「また、ですか?」
 「そうよ、見つかるまで探すわよ。 私は殿下と婚約を解消して、劇場で歌手になるんだからっ!」
 「えぇぇっ! 何ですかそれっ?! 歌手は初耳ですっ!」

 空へ力強く拳を振り上げるエディ、歌手になるというエディに驚き、ロジェの狐耳と尻尾がピンと飛び上がった。 エディがロジェを連れてガゼボを後にすると、徐々に二人の騒ぐ声は小さくなっていった。

 二人の姿が消えた後、庭園の植木に身を隠していたリュシアンが顔を出す。 ロジェと同じように彼女の行動を読んでいたリュシアンは、二人に気づかれない様、後を着けていた。

 エディの様子を見ていたリュシアンは、口に手を当て堪らず吹き出した。

 「見た? エディの百面相! 淑女の仮面を脱いだら喜怒哀楽が激しくて、面白いよね」
 「殿下……」

 リュシアンの他にもう一人、エディの様子を見ていた者がいた。 リュシアンのサージェントで、白虎のアンリだ。 彼は代々、王家のルブラン家に仕えるサージェントの生まれである。

 白髪の長い髪を一つに結び、左サイドへ流していて、アンリの身長も150センチ程、黒と白の縞模様の丸い耳と尻尾がある。 勿論、少年の見た目だが、既に成人している。

 「今日は役得だったな。 あんなに距離が近かったのは初めてだったから、もの凄くドキドキしたよ。 可愛い顔も近くにあって、私と視線を合わせた時の表情は少しだけ素が出ていたね。 やっぱり、提案して良かった。 もっと、エディの素を出してくれればいいんだけど」
 「やはり、それが目的でしたか」

 アンリは自身の主を責める様な眼差しで瞳を細めている。
 
 「うん、そうだよ。 だって何度も婚約解消したいって言われれば、こちらとしても考えないといけないし。 可愛い婚約者に何時までも淑女の仮面を被って居られても、嫌だろう? 二人の時は素を出して欲しいじゃないか。 私は婚約解消するつもりないしね」
 「エディット様が可哀そうです」
 「……可愛い婚約者に何度も『婚約を解消してほしい』って、言われている私は可哀そうじゃないの?」
 「その事は少しだけ同情しますが……殿下に振り回されるエディット様が可哀そうだと言っているのです。 もう少しご自重なさいませ」
 「アンリは優しいね。 分かったよ、少しだけ自重するよ」
 
 自重すると言って笑みを浮かべるが、リュシアンに自重する気はない様だ。 何かを企んでいる瞳には、自重の文字はない。

 「アンリ、大聖堂へ行くよ」
 「今からですか?」
 「うん、直ぐには光の妖精は見つからないだろう。 光の妖精は数が少ない上に、人見知りだから中々、出会えないんだよね。 エディには悪いけれど先手を打たないとね。 創造主と会う。 光の妖精も居るか見て回ろう」
 「承知致しました」
 
 大聖堂は王宮の隣にあり、大広間とは反対側だ。 リュシアンは今後、エディがどんな事をして自身を楽しませくれるのか、心を躍らせていた。
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