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第二十五話

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 マリーが隣国に旅行へ行く日、フランネル家のタウンハウスは大変な騒ぎだった。 騒ぎの元凶は、過保護なマリーの次兄だ。 涙目になりながら、マリーの足に縋り付いてきた。

 玄関ホールでマリーと次兄が何やら揉めている。 周囲のメイドや使用人たちも困惑の表情で見守っていた。 縋り付く次兄を押し返して引き離すと、次兄は尻餅をついて玄関ホールの床に倒れた。

 「お兄様っ! 旅行へ行くのはもう、決定事項なんですからっ。 当日になって駄々を捏ねないで下さいっ!」
 「だってぇ~! 俺が知ったのは今朝だぞっ! 心の準備が全く出来ないじゃないかっ!」
 「何の心の準備ですかっ! お兄様が行くのではないんですからっ!」
 「し、しかも……あの、女好きな王子となんてっ! それにマリーを泣かせてばかりいる王子じゃないかっ! おじい様が許しても、お兄ちゃんは許しませんからねっ!」
 「お兄様に許されなくてもいいですっ、旅行は王家も認めた非公式行事になったんですからっ」
 「……っく、くそ王子めっ」

 悔しそうに次兄は顔を歪めるが、普通に不敬罪で捕えられる案件である。

 マリーと次兄が騒いでいる場所は玄関ホールで、扉は閉じられてはいるが、次兄が大きな声で叫ぶものだから、隣近所に次兄の叫び声は丸聞こえだ。 屋敷の前には隣国からマリーを迎えに来た王室専用の馬車が停まっていて、マリーが乗り込むの待っている。

 玄関ホールでの騒ぎが聞こえ、使者が困惑の表情で馬車の前で待っていた。

 (全く……これだから、お兄様には知られない様にしていたのにっ……何処から漏れたの)

 マリーの考えている事が顔に出ていたのか、メイドのベスが教えてくれた。 ベスと内緒話の様に話している背後で、次兄はまだ騒いでいた。 いや、『行くなっ!』と懇願に近い。

 「ブライアン様は王宮勤めですから、そこから情報を得た様です」
 「……っお兄様、職権乱用ですわっ」

 騒いでマリーの行く手を阻んでいたブライアンが突然、静かになった。 続いて、何かを殴りつける音が玄関ホールで響く。 そして、ブライアンだろう人が床に倒れる物音が続いた。

 マリーとベスはブライアンに背を向けて小声で話していた為、玄関ホールにマリーを見送りに来たブライアンの夫人が降りて来ていた事に気づかなかった。

 恐る恐る物音がした方へ振り返ると、夫人が黒い笑みを浮かべ、殴られて気絶している次兄の首根っこを掴んでいた。

 「あ、あの……お義姉様、お兄様は大丈夫ですか?」

 マリーは黒い笑みを浮かべる夫人に驚愕の表情で訊ねる。

 「ええ、大丈夫ですよ。 それよりも使者の方をお待たせしては申し訳ありませんわ。 マリー様、ブライアン様の事はわたくしに任せて、いってらっしゃいませ」
 「ありがとうございます、皆さんの分のお土産買ってきますね。 では、行ってきます」
 「ええ、楽しみにしてますわ。 旅行、楽しんでらしてね」

 マリーは少しだけ後ろ髪を引かれながら、ベスと共にフランネル邸を後にした。

 ◇

 クレイグが留学している隣国、レファウ=ファカオシレアは同じ大陸にあり、アルストロメリア王国の隣に位置している。 馬車を何日も走らせ、野営も含めて漸く辿り着く。

 流石、王家専用の馬車、とても乗り心地が良くて長時間乗っていても、お尻の負担が低い。

 王妃が付けてくれると言っていたレファウ=ファカオシレア国に詳しい従者は、クレイグが勝手に王妃に断りを入れていて、従者は付いて来なかった。 マリーは無意識のうちに、溜め息を吐いていた。

 向かいに座るベスが眉尻を下げて苦笑を零す。

 「もうすぐ着きますよ。 あと少しで、クレイグ殿下に会えますね」
 「……そうね。 でも、試験休みで会っているから、久しぶりではないわね」
 「またまた、強がりを仰って。 手紙に『会いたい』と書くだけで、あんなに悩んでらっしゃっていたのにっ。 会えるのが嬉しいと、素直に仰ればいいじゃないですか」

 マリーは不機嫌な表情で口を尖らせる。 先日に後悔したのだから分かっているのだが、何故か素直になれない。 クレイグの行き成りの旅行の誘いに、予定が狂った事も納得いっていないのだ。

 (もし、結婚した後も突然、予定を変更させられる事が頻繁に遭ったら……やっていけるかしら)

 程なくして馬車は隣国、レファウ=ファカオシレア国との国境に辿り着いた。 国境の間所には、迎えが来ており、マリーを待っていたクレイグが出迎えてくれた。

 クレイグはマリーを乗せて馬車を見止めると、嬉しそうな笑みを浮かべて駆け寄って来た。

 「マリー!」
 「クレイグ様」

 マリーは窓から顔を出し、元気そうなクレイグに自然と笑みが広がった。 先程までクレイグに対して憤りも感じていたが、やはり顔を見ると胸が高鳴り、嬉しい感情の方が勝ってしまう。 馬車の扉を開けたクレイグは馬車へ乗り込み、隣に座ってすぐにマリーを抱きしめてきた。

 耳元で囁かれる甘い声にマリーの頬も赤く染まる。

 「会いたかった、マリー」
 「……っ私もです」

 強く抱きしめ合ったまま馬車の扉が閉まり、ゆっくりと動き出した。 向かい側で座るベスは、何も見ていませんよというように瞳を閉じて、あらぬ方向に顔を向けていた。 ずっと抱きしめ合っていたいが、クレイグには言わなければならない事がある。 マリーはそっと身体を離した。

 上目遣いで、真剣な眼差しでクレイグを見つめるマリーに、クレイグの頬が少し引き攣った。

 「クレイグ様、お話があります」
 「……っ説教なら、この間、母上からもの凄い長文の手紙が届いた……」
 「「……」」

 説教しようとしたら、クレイグが先手を打って来た。 もう既に王妃から説教をされているのなら、マリーが更にクレイグに説教する事は出来ない。 視線を逸らすクレイグを目を細めて見つめる。

 深くて長い溜め息を吐いた後、マリーは一言だけクレイグに提言した。

 「クレイグ様、今後からは絶対に、先に話して下さい。 急な予定変更は揉める元です。 それと、お互いの予定も把握して頂けたら、とても嬉しいですわ。 今後の事もありますし」

 存外にクレイグの予定も公開しろと、笑顔で言ってみる。 クレイグはバツの悪そうな表情をしたので、少しくらいは本人も悪いと思っている事は顔に出ていた。
 
 「うん、分かっている。 すまない、少し焦ってしまってな。 マリーが冬休みにこちらへ来れば、不仲説が払拭されると思ってだな……」

 にっこり笑みを浮かべたが、マリーの瞳は全く笑っていなかった。 再開した時の甘い雰囲気は既に無く、クレイグの表情は引き攣っていた。

 (そんな引き攣った顔するなんて……そんなに怖い顔してるかしら)

 マリーは釈然としないと、瞳を眇めて見つめたら、クレイグのこめかみから冷や汗が流れだした。

 「もう、怒っていません。 今後、気を付けて下さればいいですわっ」
 「本当にすまない、ただ俺は、マリーと一緒に旅行がしたかっただけなんだ」

 はにかむような笑みを見せたクレイグに、マリーの心は鷲掴みにされてしまった。 マリーの選択肢には、許すしか残されていなかった。 頬を染めて見つめ合う2人の間に甘い空気が流れる。

 向かい側で座るベスに視線をやると、必死に何も見えてませんと言う顔をして視線を逸らしていた。

 クレイグの瞳に熱が籠っている。 そっと瞼を閉じると、2人は口づけを交わした。 ベスがそばにいるにも関わらず、クレイグと口づけを交わした事に、とても羞恥心が沸き上がって来た。

 真っ赤になって下を向いてしまったマリーをクレイグは優しく肩を抱き寄せた。

 真っ赤になって俯くマリーと、何食わぬ顔でマリーの肩を抱くクレイグ、引き攣った表情で何も見ていませんと必死に視線を逸らすベス。 微妙な空気が流れる3人を乗せた馬車は、レファウ=ファカオシレア国の王家が所有する保養所へ向かった。

 馬車の中で3人は、保養所に着くまで何も話さなかった。 特にマリーは、目の前に座るベスの顔を見られず、顔も挙げられなかった。

 ◇

 王家の所有する保養所は、静かな湖畔の側に建てられていた。 馬車がゆっくりと馬車止めに停まる。 保養所は王家が所有しているには、思っていたよりも小さな屋敷だった。

 フランネル家のタウンハウスよりもは確実に大きくて豪奢だが、マリーは保養所だと言っても、宮殿の様な建物だと思っていた。 少し呆気に取られて3階建ての屋敷を見上げるマリーとベスに気づいたクレイグが苦笑を零した。

 「ここはニック殿下が個人で持っている隠れ家みたいなものなんだ。 殿下たちはもう来ているはずだ。 入ろう」

 クレイグが玄関の扉を開ける。 ホールへ入ると、シンプルな装飾品が多く、無駄に飾り付けられていない。 玄関ホールの天井は吹き抜けになっていて、天井には天窓が嵌め込まれ、青空が見える。
 
 柔らかい陽射しが差し、ガラスに反射して窓ガラスが煌めいていた。
 
 見上げたマリーは感嘆の声を上げた。 吹き抜けは2階までの様で、玄関ホールは全面がカラス張りになっていた。 所有しているニックも、玄関ホールは気に入っているらしい。

 クレイグに手を引かれながら、玄関ホールを進み、マリーたちの後ろからベスが着いて来ていた。

 目の前には大階段があり、左右には扉がいつかあった。 大階段の踊り場には件の王太子、クレイグとマリーを招待してくれたニックが腕を組んで、不敵な笑みを浮かべながら仁王立ちしていた。

 「ニック」
 「いらっしゃい、クレイグ。 それと、初めまして婚約者殿。 ようこそ、我が隠れ家へ」

 胸に手をあて、優雅に礼をしたニックは、茶目っ気たっぷりに片目を瞑って笑ってみせた。

 (うわっ、髪がピンクゴールドっ……あの髪色は珍しいわっ)

 ニックは緩く波打った髪質に、少し釣り目の碧眼だ。 身長はクレイグと同じだろうか。 マリーがじっと不躾に王太子を観察していると、クレイグがニックの元へ大階段を上がっていく。

 「出迎えありがとう、ニック。 今回は世話になる」
 「いや、いいんだよ。 私も大勢の方が楽しいしね。 それよりも婚約者殿を紹介してくれ。 今回の招待は、クレイグの婚約者に会う事が目的だからな」
 
 ニックの目的に、クレイグは溜め息を吐いている。 ニックの話を聞いて、マリーは唖然として隣国の王太子を見つめた。

 「そうだったな……」

 (えっ?! 私に会う事が目的で、行き成りの旅行になったの?! 2人共、自由過ぎるでしょうっ……)

 大階段の踊り場でクレイグとニックが2人並んで立っていると、2人の髪色も相まって、とても幻想的だ。 2人の背後にも大きな窓ガラスがあり、光の反射というエフェクトが2人に注がれている。

 ニックも美男子だが、クレイグも見劣りしないくらい美男子なのだ。

 (背中に白い翼なんて無いわよね……。 自由人の性格の所為で忘れがちになるけど……クレイグ様も美男子だったわっ)

 クレイグの真っ直ぐな青銀色の髪と切れ長の碧眼が、ピンクゴールドの柔らかい髪のニックと似合っていると思うのはマリーだけだろうか、と内心で呟いていた。 直ぐそばで息を呑む音が耳に届き、隣に視線を向ける。 ベスが乙女の顔をして王子2人をうっとりと眺めていた。

 (うん、私だけじゃなかったわ……良かった)

 何が良かったのか分からないが、2人に見惚れた同士がいて良かったと内心で思っていると、クレイグの呼ぶ声が聴こえた。

 「マリー、おいで。 ニックに紹介しょう」
 「ええ、今、行くわ」
 「おい、不作法者だな。 ここは男から令嬢を迎えに行くのが正しいだろう」

 にっこり笑ったニックはマリーと向き合い、大階段を降り、目の前で手を差し出して来た。

 「私がクレイグの下までエスコートしよう。 お手をどうぞ、ご令嬢」

 爽やかな笑みを浮かべて手を差し出して来るニックの背後で、ニックの後に着いて降りて来たクレイグの表情が悪魔の様になっている。 マリーはどうすればいいのか分からず、眉尻を下げて固まった。

 「ニック、俺の婚約者に気安く触るなっ」

 マリーを抱き寄せてニックを睨みつけるクレイグを見て、ニックは肩を竦めた。

 「君が降りて来たら、私が婚約者殿をエスコート出来ないではないか、つまらないな」
 「うるさい」

 同じ王子同士で家格が同等という事で、クレイグはニックに気安い態度を取る。 マリーは不敬罪にならないかと、背中に悪寒が走った。 たとえ仲が良く、同じ立場だとしても、王族なのだから敬意を表して欲しい。

 玄関の扉が開けられ、扉が小さく軋む音を鳴らし、数人の男女の声が響き、足音が鳴らされる。

 玄関ホールへと入って来た男女は、ニックの生徒会の面々だ。 今、保養所に着いた様だ。 大階段の前で、クレイグとニックの2人がいつもの様にじゃれている姿を見つけると、銀髪の青年が呆れた声を出して傍へ寄って来た。

 「ニックとクレイグ殿下はまたやっているのですか? 飽きないですね」
 「本当に仲がよろしいですわよね」
 「ニックは兄弟がいないからなぁ、弟みたいに思っているんじゃない?」
 「本当に、兄弟みたいですわね」

 側で見知らぬ男女の複数の声が聴こえてきて、マリーは肩を跳ねさせて驚いた。

 ゆっくりと背後を振り返る。 銀髪の青年が直ぐ後ろにいたのか、青い瞳と視線が合った。 とても綺麗な人で、男性だと分かるが、美人である。

 (男の人に向かって美人とか失礼だけど……もの凄い美人だわっ)

 美人な彼は肩までの銀髪を後ろで1つに結んでいて、にこやかな笑みをマリーへ向かって浮かべている。 そして美人な彼は、やはり美女を連れていた。 彼の腕にそっと手を掛けている美女は、肩口まで伸ばした綺麗な髪を切り揃え、水色の瞳を緩ませている。

 キリッとした顔立ちは、少しキツイ印象を与える令嬢だが、美人な彼ととてもお似合いだった。

 彼等の後ろには、また別の男女のカップルが立っている。 彼らは面白そうにクレイグとニックが言い合っている様子を眺めていた。 男性の方はまだあどけなく、明るいブラウンの髪に琥珀の瞳は可愛らしいと言った表現が合う。 女性も大きな緑の瞳に、柔らかな赤毛だ。

 こちらも女性が男性の腕に手を添えている。 2人はとても可愛らしいカップルだった。

 ベスの声なき声が耳に届いた様な気がして、ベスに視線を向けた。 ベスの瞳がハートになっている姿がマリーの瞳に映った。 改めて爽やかな笑みを浮かべる2組の男女に視線を向ける。

 背後では、クレイグとニックのじゃれ合いが続いていた。 王太子と仲良くやっている様で喜ばしい事だなのだが、マリーは眉尻を下げた。
 
 (えっと……この人達はどなた? ニック殿下だけではなかったのっ? ちゃんと言っておいて欲しかったわっ……アルストロメリアのお土産とかあるのにっ)

 クレイグはまたまた説明不足で、マリーを困惑させていた。 ニックの他にも招待されている人がいるとは、マリーは聞いていなかった。 いつまでもニックと楽しそうに言い合っているクレイグを恨めしそうに見つめるのだった。
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