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第二十話

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 いつもの王室専用の食堂でマリーは、困惑の表情を浮かべていた。 階下の一般の食堂からは、令嬢たちの冷たい視線と、子息たちの呆れた様な視線がマリーへ注がれている。

 無数の針がマリーの全身に四方八方から突き刺さる。

 マリーは頬を引き攣らせ、向かいで優雅に紅茶を啜るデーヴィッドを見つめる。 デーヴィッドは悪びれる事もなく、マリーに優しい笑みを浮かべて、『愛しい我が姫』と甘い声を出している。

 (やめてっ! やめてやめてっ! 本当に勘弁して下さいっ、殿下っ!)

 デーヴィッドはマリーの抵抗を他所に、マリーの手に自身の手を重ねて来た。 何とか笑みを浮かべているが、マリーの心の中は大騒ぎの上、手を握られた時は目が死んでいた。

 何とか声を振り絞り、マリーは掠れた声を出した。

 「で、殿下っ、お戯れはお止めくださいっ、人前ですっ」
 「では、二人っきりの時はいいんだね」

 前かがみになり、マリーの耳元に顔を近づけて甘い声で囁いて来る。 一瞬で固まったマリーは、もう思考がままならない。 考える事を放棄した。

 階下で目撃した令嬢たちと子息がざわついて沸いた。 令嬢たちの悲鳴と黄色い声が階下から沸き上がる。 『どうして、あの子ばかりっ』という声も聞こえてくる。

 (本当にねっ……私が一番そう思ってるわっ)

 何故、デーヴィッドが学院の食堂に居るのかというと、先日のお茶会の話で出た『恋人ごっこ』をマリーとする為に、わざわざ学院へやって来たのだ。 まさか、本当にするとは思わなかったマリーは、デーヴィッドの登場にただただ困惑したのだった。

 (これも全部っ、クレイグ様の所為だからねっ!!)

 海の向こうに居るクレイグへ、マリーは心の中で思いっきり叫んだ。

 ◇

 デーヴィッドとの不本意なお出かけを数回、観劇や美術館に植物園、デートモドキを重ねた数日後、どうやって知ったのか、デーヴィッドとのお出かけの件でクレイグから手紙が届いた。

 『どういう理由で兄上とデートをしているんだ?! 俺よりも兄上を選んだのかっ?!』

 婚約者の近況や健康を慮る事もなく、行き成り抗議の文面から書き出しが始まった。 マリーの瞳が猜疑心の混じった色で細められる。 文面から、マリーの浮気を疑っている事が分かった。

 (私って、そんなに信用がなかったかしら? 普通は元気かとかから始まるんじゃないの? )

 いつものクレイグの手紙は、いつもは元気かどうかから始まっていた。

 『これ以上、兄上とは出かけないで欲しい。 次の試験休みには帰るから、ちゃんと話し合おう。 早くマリーに会いたい。 抱きしめたい』

 と綴られ、挙句、自分の事は棚に上げて帰ったらお仕置きだと、書かれていた。 後は、クレイグらしくない砂糖を吐く様な甘い言葉が続いている。

 『可愛いマリー、もし、これ以上兄上と仲良くするつもりなら、分かっているだろうな』

 最後の念押しの一文に、手紙と実際のクレイグのギャップに頬を引き攣らせた。

 (手紙では全くの別人だわっ……お仕置きって何?……怖いんですけどっ)

 手紙を何度も読み返し、クレイグはマリーからアデラに乗り換えたのではないかという噂は本当ではない事が分かった。 しかし、クレイグの手紙にはアデラの事は一切書かれていない。 『そっちこそ、アデラ様とどうなっているのっ?!』と叫び出したい気持ちをどうにか抑えた。

 大きく息を吐き出して、手紙を封筒にしまい、鍵付きの引き出しに仕舞い込んだ。

 「取り敢えず、試験休みには帰ってくるわけだし、話はその時ね」
 「マリーお嬢様、もうそろそろ出ませんと、遅刻してしまいます」

 ベスに『今、行くわ』と頷くと、螺旋階段を降りて玄関へ向かった。

 学院へ着くと、マリーは真っ直ぐに生徒会室へ向かった。 螺旋階段を上がるマリーの背中に、令嬢や子息の冷たい視線が刺し、心が痛い。

 (本当に、恨むわっ! 殿下方っ! 特にデーヴィッド殿下っ!)

 拳を握りしめ、小刻みに震えている間に、螺旋階段を上がり切り、生徒会室に辿り着いた。

 校舎の最上階にある生徒会室は、明るい朝日が差して、マリーを迎えてくれた。 窓の近くにある生徒会長の机に鞄を置いて、本棚から書類とファイルを牽き出し、本日の生徒会の業務を開始した。

 ◇

 秋の枯れ葉が舞い散る庭に、楽し気な笑い声がこだまする。 はらはらと枯れ葉が舞い落ち、落ち葉の絨毯はとても綺麗だ。

 淹れたての紅茶の香りは、ささくれ立った気持ちを少しだけ軽くしてくれた。

 マリーの目の前には、笑顔を浮かべるキャロラインが優雅に紅茶を愉しんでいる。 サロンに設置されているテラスの丸テーブルに、色とりどりの甘いスイーツが並べられている。

 今の季節は、栗とサツマイモのスイーツが人気らしい。

 今日、マリーはキャロラインに招待され、二人だけのお茶会に来ていた。 爵位が降格し、結婚をしてランディーニ家が再出発したとしても、まだ、カラムのスキャンダルを払拭するには時間が掛かる。

 キャロラインは目の前で、優雅に紅茶カップをソーサーを置いた。

 ランディーニ家のお茶会に参加するのは、今はマリーぐらいしかいない。 小さく楽しそうに、クスクスと笑うキャロラインをマリーは恨みがましく見つめた。

 「そんなお顔をなさらないで、マリー様。 とてもデーヴィッド殿下らしくて、つい笑ってしまいましたわ」
 「キャロライン様……笑いごとではないですっ」
 
 本当に楽し気に笑った後、キャロラインが扇子を軽く音を鳴らして閉じる。

 「マリー様、貴方がレグだけでは飽き足らず、デーヴィッド殿下にまで手を出したと、社交界でも噂されてますわ。 デーヴィッド殿下は、レグが留学中でお寂しいだろうと、代わりにお慰めしているのだと、この間の舞踏会で皆におしゃっていましたわね」

 マリーは口を開けて、瞳も大きく見開いた。 マリーの唖然とした表情に益々、楽しそうに笑った。 マリーは紅茶カップを持つ手が震え、音を鳴らしてしまい、慌ててソーサーに置いた。

 (そんな言い方したら、クレイグ様の居ぬ間に遊んでいるみたいじゃないのっ! いや、噂好きの貴族だったら……面白おかしく無い事ある事、噂するに決まってるわっ!)

 「もう、本当にっ、あの兄弟、嫌だわっ!!」
 「本当に仕方のない方々ですわ。 でも、デーヴィッド殿下はレグの事をマリー様と同じくらい怒っていらっしゃると思うわ。 アデラ様の事もね。 留学先で、王家が婚約者を蔑ろにしていると、広めてしまっているのですから」
 「……そうなんですか?」
 「ええ、きっとそうですわ」

 モンブランに乗っているマロングラッセを口に頬張り、キャロラインは小さく笑みを浮かべた。 思いの外、美味しかったのだろう。 マリーにも満面の笑みで『どうぞ』と仕草だけで勧めてくる。
 
 「ありがとうございます、頂きます。 でも、これだけの醜聞をどうやって治めたらいいのか……」
 「もうすぐ、試験休み。 レグも帰って来られるのでしょう?」
 「ええ、手紙には帰ってくると」
 「わたくしの情報では、アデラ様も一緒に帰って来られるそうよ」

 マリーの眉間に深く皺が刻まれ、キャロラインの言葉に淑女らしからぬ声を出した。

 「アデラ様も一緒にっ?! なんでっ」

 大きな声の後、はらりと枯れ葉がマリーの背後で数枚、落ち葉の絨毯に落ちた。
 
 「面白い事になりそうですわよね。 心配しなくても、きっとデーヴィッド殿下が何とかして下さるわ」

 『いや、そこはクレイグ様がどうにかして欲しい』という言葉を飲み込んだ。 キャロラインの自信は何処から来るのか、彼女はとてもデーヴィッドを信頼している事が分かる。

 勧められたモンブランは、キャロラインの言う通り、とても美味しかった。

 ◇

 『やぁ、レグ。 留学を楽しんでいるかい? こちらは、『愛しい義妹』のお陰でとても楽しく過ごしているよ。 時折、お茶を一緒にして、観劇に出掛けて、美術館巡りをして。 この間は、サンドイッチを持って国立公園へピクニックに行ったよ。 今度の舞踏会では、マリーをエスコートしようと思う。 何故って? レグ、お前がいない上に、こちらではお前の不名誉な噂が流れている。 王家がマリーを蔑ろしにしている様に噂されるのは、とても不本意だが、お前も留学先で楽しんでいる様だしな。 楽しそうで何よりだ。 では、また連絡しよう』

 デーヴィッドの厭味たっぷりな手紙には、クレイグの心を抉る様な内容が書かれていた。 クレイグは眉間に皺を寄せ、何度も読み返して手紙を凝視した。 直ぐにマリーに手紙を送って、デーヴィッドともう会わないでくれと懇願した。

 食欲をそそる匂いが鼻腔を擽り、背後で生徒たちが楽しそうに話している声が耳に届く。

 デーヴィッドの手紙の最後の一文は、思い当たる事がある。 マリーの手紙には書かなかったが、黙っている事がある。 何故か同じ時期に、アデラも同じ学園の大学院に留学して来たのだ。

 祖国で噂されている通り、アデラとずっと一緒にいる。 しかし、クレイグにとって不本意な事だった。 アデラの父親に頼まれていなかったら、一緒にはいないし、噂されている様な仲でもない。

 長テーブルに座り、テーブルには『本日の定食』がトレイに乗せられ、手を付けられずに置かれていた。

 (くそっ、なんで俺だけこんな役回りなんだっ!)

 はっきりと断れば良かったのだが、女1人だけで留学する事に、とても不安そうにしていたアデラを放っておけなかったのも確かだ。 昔は、アデラの事を好きだった事もある。

 (婚約式の時に騒いでしまったからな、アデラも国には居ずらいだろうし……もう、アデラには気持ちは無いけど、無下には出来ないし……)

 大きく息を吐き出して、デーヴィッドからの手紙を見つめる。

 もう一度、デーヴィッドからの手紙を読み込み、手紙の内容からデーヴィッドがとても怒っている事が分かった。 クレイグがはっきりとアデラを拒絶しないからだと思われる。

 (うん、兄上、もの凄く怒ってるな……マリーもきっと怒ってるっ……マリーと婚約出来て、浮かれすぎてたっ)

 深くて長い溜め息が再び『本日の定食』に落ちる。 長テーブルに影が差し、顔を上げた。

 クレイグの視界に、悩みの種の元凶が映し出された。 アデラは首を少し傾げ、サラリと艶やかな茶色の髪を流す。 クレイグの瞳が陰り、細められる。

 (前までは、この仕草がとても可愛いと思っていた事もあったな)

 婚約式でのアデラの騒ぎの後、今では、アデラの一つ一つの仕草があざとく見えた。 昔の自身は全くと言うほど、アデラという人間が正しく見えていなかったのだと、思い知らされた。

 クレイグの背後で生徒たちが、小声で会話しながら二人を見ている気配を感じる。

 「レグ、ここに居たのね。 お昼を一緒にしても、よろしくて?」
 「いや、申し訳ない。 もう、済ませたから教室に戻る。 それに、もう留学して数か月が経った。 そろそろ友人も出来ただろう? 俺の事は気にせず、友人と一緒にするといい」

 全く手を付けていないトレイを持ち上げると、クレイグはさっと立ち上がった。

 「あ、でもっ……」

 アデラが何かを言いつのろうしているのを無視して、食堂を後にした。 背中にアデラが少し、寂し気な表情で見つめてくる事に気づいていたが、視なかった振りをした。 デーヴィッドから手紙が来てから、マリーが祖国でクレイグから蔑ろにされているという噂が立っていると知った。

 自身の愚かさに気づいても、今更もう遅い。

 (何とかっ、噂を払拭しないと……)

 教室に戻る廊下で、落ち込んで項垂れる事しか出来なかった。 『本日の定食』は、もったいないので捨てる事はしない。 テイクアウト用にしてもらい、寮へ持ち帰った。

 ◇

 本日は、王家が主催する舞踏会。 本来なら、クレイグにエスコートしてもらうのだが、留学中でいない為、デーヴィッドが自ら志願して来てくれた。 噂の二人が伴って舞踏会に参加するのは躊躇われたが、王家主催の舞踏会に出ないわけにも行かず、マリーは参加する事にした。
 
 「私、殿下でなくても……。 兄にお願い出来ましたのですけど」
 「いや、愚弟の事もあるからね。 王家がマリーを蔑ろにしていると、これ以上噂になるのも困る」
 「巷では、私が殿下方を天秤にかけていると、噂されていますけどね」

 恨みがましく隣に立つデーヴィッドを見つめる。 悪びれる事もなく、感情の籠らない笑い声をデーヴィッドは上げた。 今は、ファーストダンスも終わり、何曲か別のパートナーを変えてダンスを踊った後、マリーは休憩の為に壁の花になっていた。

 デーヴィッドが壁の花になっているマリーに気づいて、飲み物を持ってきてくれた。 デーヴィッドの気遣いにお礼を言って受け取る。

 「殿下こそ、ご令嬢方のお相手をなさらなくてもよろしいのですか?」
 「うん、いいんだ。 沢山のご令嬢とダンスをしたしね。 それに、この国の令嬢に僕が求める者はいないからね。 最近は、外国で探すしかないかなって思い始めているよ」
 「そうなんですね」

 デーヴィッドがワイングラスを傾け、喉に流し込む様子をじっと眺める。

 マリーの視線を受けて、デーヴィッドがニヤリと目元を緩める。

 「で、レグから連絡はあった?」
 「ええ、ありましたよ……試験休みに帰って来るので……。 その……これ以上は、殿下とは会わないで欲しいと……」
 「そう……、随分、焦ってるな。 他には何か?」

 マリーは頬を引き攣らせながら、手紙の内容をデーヴィッドに教えた。 内容を訊いたデーヴィッドは面白そうに口元に笑みを浮かべて、声を殺して笑っていた。

 「……っくっ、ふっ……そうかっ」

 (何がそんなに楽しいのかしら?……私はちっとも楽しめないんですけどっ)

 楽団の奏でるダンス曲がスローテンポの曲に変わった。 ダンスを踊る男女が若干、年齢が上がる。 若い男女は隅に置かれているソファーで会話を楽しんでいる様だ。

 「淑女がそんな怖い顔をしない。 僕の所にもレグから手紙が来たよ。 確かに、試験休みに帰ってくるから、マリーに手を出すなって書いてあったな」
 「ええぇぇ、殿下にもそんな事をっ?!」
 「うん、文面からして慌てて書いたんだろうな」

 再び手紙の内容を思い出したのか、可笑しそうに笑うデーヴィッド。 マリーは横目でデーヴィッドを見つめ、呆れた様な表情をした。

 マリーの苦笑とデーヴィッドの押し殺した笑い声が小さく漏れる。

 二人の様子は周囲からは楽しそうに会話をしている様に見え、周囲にいる令嬢たちから、冷たい視線がマリーに突き刺さっていた。 周囲を気にしていない振りをしながら、マリーもワイングラスを傾けた。 皆、デーヴィッドと話をしたくて、マリーが羨ましくて仕方がない様だ。

 (痛いっ、周りの視線が痛いっ……。 どうして、デーヴィッド殿下は平気でいられるのっ)

 「そうだ、生徒会の事だけど」

 デーヴィッドの言葉でマリーの身体が大きく跳ねた。 青ざめたマリーの背中に冷や汗が流れ出る。 今、一番、触れられたくない話題である。 すぐさまマリーは、頭を下げた。

 「卒業したにも関わらず、デーヴィッド殿下の手を煩わせてしまい、申し訳ありませんっ」
 「いや、いいんだ。 僕もちゃんと引継ぎをしていなくて、生徒会長の指名が卒業した後になってしまったからね。 根回しが後回しになってしまった」
 
 デーヴィッドが申し訳なさそうに眉を下げて微笑んだ。

 「その後、どう?」
 「……っ、殿下との事もあって……余計にその……生徒会の雰囲気が悪くなってしまって……」

 (これも貴方の所為ですよっ!)

 鋭く瞳を細めてデーヴィッドを睨みつける。
 
 「そうか……それは悪い事をしたね。 でも、これも王子妃教育だと思って、頑張って。 アウェイなんてのは、妃になった後のお茶会でも起こる事だしね」
 「うっ……はい」

 (ドSめっ! そんなお茶会、絶対に行きたくないですからっ)

 ラストダンスの曲が流れ、会話に興じていた若い男女もダンスホールへと進み出ていく。

 舞踏会も、もうそろそろお開きの時間の様で、楽しそうにラストダンスを踊る男女をデーヴィッドが優しい眼差しで眺めている。

 『誰の所為だと思っているのだ』とは、絶対にデーヴィッドには言えない。 翌日には、学院で二人の仲睦まじい様子が噂され、クレイグの所にも二人の様子が届くのだろうと思うと、マリーの胃がしくしくと痛み出した。 クレイグが試験休みで帰ってくるまで、後数日だ。
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