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第十七話

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 アストロメリア王国の王宮は王族が住まう城と、日々の執務を行う城、騎士団が詰めている武道場がある城、教会の大聖堂がある。 中庭の中心に聖なる泉が静かに佇んでいる。

 自身の執務室があるクレイグは、執務机で自身が管轄している領の報告書に目を通していた。

 報告書を机の上へ落として、補佐官にいくつかの指示を出して下がらせる。 小さく息を吐いたクレイグは、マリーを脳裏に浮かべた。

 (色々とあって失念していたが、もう約束の期間を過ぎてるな……。 3か月って早いな……)

 クレイグは侍従を呼びつけると、マリーの所へ今後の話をする為、日程の調整をする様に指示をした。

 執務室の扉が3回、ノックされた音が部屋で響く。

 クレイグの『入れ』という返事の後、国王の侍従が入室した。 僅かに瞳を見開いたクレイグは、国王の呼び出しに素直に腰を上げた。

 ◇

 冬に降り積もった雪もすっかり融けて、春の芽吹きがフランネル家の中庭に訪れている。

 フランネル家のタウンハウスは、本日何度目かの大忙しだ。 しかし、今回のメイドたちの気合いの入り方が違う。 クレイグの恋人と皆に周知されて、初めての舞踏会だ。

 「さぁ、今日はどの令嬢よりも美しくしますわよっ! 覚悟なさってください、お嬢様方」

 マリーとドロシーは、ベスの張り切りように、呆れた様に苦笑を零した。

 本日のパーティーは、ランディーニ伯爵位の爵位を継ぎ、前当主の甥である養子に入ったランディーニ伯爵のお披露目だ。 パーティーには主だった貴族たちが招待されていた。

 モスフロックス家も招待され、ドロシーもダレルのパートナーとして参加する為、マリーとドロシーの二人分の支度でメイドたちは大露わだった。

 「マリーお嬢様は特に、クレイグの恋人として初めてのお披露目ですからっ!」

 ベスはドレスを仕立てる時からとても張り切っていて、もの凄く気合いが入っている。 そして、気合いが入ったベスの一言で思い出した。 お試し期間の3か月がもう過ぎている事に。

 (あれ、色々あり過ぎて……もう、3か月……過ぎてるっ。 私、何もしてないわっ!)

 マリーの顔色から血の気がさぁっと引いていった。 色々とあり、あれよあれよと休養で領地へ追いやられ、休暇に入って会えずじまい、新学期が始まってもクレイグとも全然会えなかった。 言い訳になるが、マリーは何もクレイグにアプローチ出来なかった。

 青くなっているマリーを他所に、ベスが着々とドレスの支度を施していく。

 マリーの隣では、モスフロックス家から来たメイドたちがドロシーの支度を嬉々として施していた。 ドロシーもモスフロックス家のメイドを呆れた様子で眺めていた。

 マリーの周囲でてんやわんやしているメイドたちを視界の端に入れ、クレイグが迎えに来た時、クレイグにどんな態度を取られるか、胸に不安が拡がっていた。

 会えないからと胡坐をかいて、何もしなかったマリーに、クレイグの心が離れて行っても仕方ないと、後ろ向きな考えが脳内を占めていく。 クレイグが迎えに来るまでマリーは放心状態だった。

 ◇

 ランディーニ家の嫡男お披露目のパーティーは、ブリリアントハウスで行われると思っていたが、貴族街にある南区画へ屋敷を引っ越していた。 ブリリアントハウスの屋敷は没収され、領地も削られて伯爵領まで縮小された。

 迎えに来たクレイグと王家の豪奢な馬車に乗り込み、マリーは身構えた。 豪奢の馬車で違うだろうと思っていたが、今までの経緯で無意識に警戒心が露わになったのだ。 身構えたマリーに、クレイグは不思議そうに首を傾げた。 マリーは疑わし気に目を細めると、口を開いた。

 「過去2回の殿下との舞踏会の誘いで学びました」
 「えっ……」

 マリーがそっとクレイグに手を差し出した。 マリーの様子にハッとした表情を浮かべたクレイグが慌てて目の前で手を左右に振った。 クレイグが慌てた様子は、中々、見物だった。

 「ち、違うっ! 今日は、本当に仕事じゃない純粋な舞踏会だ。 仮面舞踏会ではないぞっ!」

 どうやら本当に舞踏会へ行くらしい。 クレイグの慌てぶりに可笑しくなって笑みを零した。

 「今回は仕事抜きなようで安心しました」
 「ああ、今回は何もない。 今夜は純粋に舞踏会を楽しもう。 マリーとはファーストダンスも、ラストダンスもしたいしな」

 クレイグの柔らかくて、慈愛に溢れた笑みは、マリーの心を一撃で貫いた。

 真っ赤に染まった頬を上げてにっこりと微笑んだが、マリーの内心では嵐が吹き荒れていた。 もう、約束の3か月は過ぎている。 クレイグも忘れているのか、それとももう答えが出ていて、言い出せないかのどちらかだろう。 真っ直ぐに見つめて来るクレイグの視線に堪らず視線を落とした。

 俯いたマリーの視界の端に、クレイグの膝の上に置かれた拳が強く握り締められる。

 自然とマリーの身体が小さく震えた。 真剣な表情でクレイグが何かを伝えようとしている気配に、マリーの心が震える。 上目づかいで見つめ、クレイグと視線を恐る恐る合せた。

 「マリー、舞踏会の後に話がある」
 「……っはい」
 「俺の答えは出た。 君もその時に答えを出して欲しい」
 「はい……」

 マリーはクレイグの真摯な眼差しを受け止められず、再び自身の膝に視線を落とした。

 マリーの気持ちは固まっているが、クレイグの気持ちがどちらに傾いたかは想像できなかった。 マリー自身、何もした感じが無かったからだ。 あれこれと嫌な考えが脳裏を過ぎり、マリーの顔色は悪くなっている。 自身の事で精一杯で、クレイグが不安気にマリーを見つめている事に全く気付いていなかった。

 馬車の車輪が石畳を蹴って進み、ランディーニ家の屋敷がある南区画を目指した。

 ◇

 馬車の進む音と、御者が操る鞭の音が静まり返った馬車の中で小さく聞こえていた。

 クレイグの向かいで不安気な表情を浮かべて座るマリーは、儚げでとても抱きしめたい衝動に駆られた。 自身の瞳や髪の色をモチーフにデザインしたドレスは、クレイグの柔らかい場所を擽り、早く自身の物にしたい衝動でどうにかなりそうになっていた。

 (いや、我慢だ。 行き成り物理的に距離を詰めたら、マリーは逃げるだろう。 先ず、自分の気持ちを伝えからだ。 マリーはどうな答えを返してくれるだろうか……)

 再び、向かいのマリーを見つめる。 クレイグは自分と同じ気持ちを返してくれたら嬉しいと、舞踏会での挨拶や社交の事を忘れ、プロポーズの流れを頭の中で、シミュレーションし出した。

 いつもクレイグの中では、マリーが嬉しそうにプロポーズを受けて入れてくれる妄想が拡がっていた。 今後の学院でのマリーとのあれこれを妄想していると、国王からの話を思い出した。

 (あ、あの事もマリーに言わないとな。 本当は行きたくないけど……慣例だし、今後の勉強に必要だと言われたら仕方ない)

 国王から呼び出された日、父親の口から飛び出した言葉に、すっかり忘れていた事を己自身に嫌気が注した。 国王の返答に狼狽えたのは、後にも、先にもあの時が最後だ。

 『クレイグ、慣例で知っていると思うが、学院の2年時は隣国へ留学してもらう。 デーヴィッドも別の隣国へ留学をしていたしな。 もう、手続きも済んでいるから、準備をしておけ』
 『あ、あの……留学ですか……』
 『うむ、知っているだろう、見分を拡げる為に1年間、国外に留学する事は。 嫌なのか? クレイグは1年と言わず、何年も国を離れるんじゃないかと思っていたが?……』
 『……っ』

 国王やそばで侍っている側近などが、『まさか、断るつもりか』と厳し眼差しでクレイグをさした。 国王の執務室に張りつめた空気が漂った。

 マリーを好きなる前ならば、国王が言う通りの事を考えた事もあったが、今はマリーと離れて暮らすなど、考えられない。 しかし、留学しない事は許されないし、今後の王子としての事を思えば、留学はクレイグの選択肢の1つでもあった。

 拳を握りしめると、一瞬で王子の顔を作ったクレイグは答えを出した。

 『陛下、1年間の隣国での留学、謹んでお受け致します』

 クレイグの返答にホッと安堵した空気が拡がり、国王も満足そうに頷いた。
 
 『うむ、しっかりと励んでくるように』
 『はい』

 脳内で国王との会話を思い出し、つい、留学の事を考えると深い溜め息を吐いてしまう。 向かいでクレイグの溜め息にマリーの不安が大きくなった事に、クレイグは気づかなかった。

 舞踏会で起きる騒動の中、すっかり留学の事をマリーに言い忘れ、後で大変な事になるなんて、クレイグは想像もつかなかった。

 ◇

 ランディーニ家の屋敷の門をくぐり、馬車止めで馬車が止まった。 クレイグが先に馬車を下りて、マリーへ手を差し出す。 二人で並んで目の前の屋敷を見上げた。

 ブリリアントハウスで屋敷を構えていた時よりも、少し豪奢さが控えめになっていた。 と言っても、マリーはブリリアントハウスに訪れた事はない。 クレイグが言うには、屋敷の家格がおちているそうだ。

 しかし、自身と同じ伯爵位まで落とされたようだが、マリーの本宅の屋敷よりも豪奢な建物だった。 マリーはクレイグにエスコートされて、ランディーニ家の玄関に足を進めた。

 「クレイグ第二王子殿下、マリー・フランネル伯爵令嬢、ご入場です」

 侍従の声が広間で響く。

 クレイグにエスコートされ広間の入り口から入場すると、マリーへ視線が集中した。 クレイグと交際中の令嬢という事で、マリーは社交界で噂になっており、集まっていた多くの人が噂の二人を見てざわついていた。 純粋に舞踏会に参加したのは、デビュタント以来だ。

 広間では多くの紳士淑女が煌めき、場違いではないかと、マリーの口から堪らず溜め息が零れた。

 降下させられたといっても、流石、ランディーニ家の舞踏会だ。 あちらこちらに高級そうな装飾品が飾られ、絵画や芸術品。 楽団も王都でも有名な楽団が来ていた。 紳士淑女の服飾も最新のデザインで、仕立ての良いものばかりだった。

 四方八方から令嬢たちの嫉妬の視線と、老若男女の好奇な視線が注がれて身体が委縮する。

 不安気に周囲を見つめていると、クレイグの腕に捕まっている手にそっとクレイグの手が添えられた。 隣を見上げて、マリーの紫紺の瞳が見開かれた。 クレイグの優し気な眼差しとぶつかる。

 「大丈夫、マリーが一番、綺麗だ。 胸を張って前を向け」
 「……一番っていうのは言い過ぎです。 でも、ありがとうございます」

 マリーはクレイグに励まされ、胸を張って前を向いた。

 二人は窓際の奥へ移動し、舞踏会が始まるのを待っていた。 途中で給仕からワイングラスを受け取り、二人だけで乾杯をした。

 ホストが到着したと、広間に集まった人々へ知らせる楽団の音が弾かれた。

 広間の入り口に視線を向ける。 丁度、ランディーニ家の面々が入場して来た所だった。 舞踏会の後に引退が決まっているランディーニ家の当主と夫人が入場し、後からキャロラインが養子に入って来た従兄にエスコートされて入場して来た。 招待客と向き合って一家が礼をする。

 最初に現当主の挨拶があり、養子に迎えた甥を皆に紹介した。 紹介の言葉にマリーは目を見開いて驚いた。

 「本日は、娘のキャロラインと婿養子に迎えた甥が婚姻した事もお知らせします。 どうか、若い二人を暖かい目で見守ってやって下さい」

 キャロラインが夫と共に深く頭を下げた。 すっきりとした表情のキャロラインを凝視する。

 「皆さま、本日は楽しんで行ってくださいませ」

 楽団がダンス曲を奏でる。 当主と夫人、キャロラインと婿養子がダンスフロアの中央へ進み、ダンスを披露する。 マリーはキャロラインが既に結婚をしていた事に、信じられない気持ちで夫とダンスを踊るキャロラインを口を開けて眺めた。

 隣で全く驚いていないクレイグを見やる。 マリーの視線を感じたクレイグが『おや?』という表情を浮かべた。

 「もしかして、キャロから聞いてないのか?」

 マリーは高速で顔を上下に振った。

 「そうか。 キャロは、俺たちの婚約者候補から外れたから、家を継ぐために養子を迎える従兄を婿に取ったんだ。 まぁ、当然の流れだな。 キャロは1人娘だからな」
 「そうなんですね……」

 少なからずショックだった。 少しだけ、キャロラインとは仲良くなっていた気でいたからだ。 結婚した事を教えもらえる程は、仲良くなかったって事なんだと、胸に寂しさが拡がった。

 「カラムの事件の後だから、結婚式と披露宴も行われない」
 「えっ」
 「屋敷に呼んだ司祭の前で身内が参列するだけ。 神に誓いを立てるだけの婚姻書にサインをするだけの式を行っただけらしい」
 「そうなんですか……それは寂しいですね」
 「……まぁ、仕方ないだろうな」

 ホストのダンスが終わった様で、招待客からホストへ拍手が送られた。

 グラスを通りかかった給仕に渡すと、クレイグがマリーの前へ立った。 真剣な眼差しを向けられて、手を差し出される。 マリーの胸が大きく鳴った。

 「レディ・マリー。 私とファーストダンスを踊ってくれますか?」
 「……っ、はいっ」

 差し出されたクレイグの手を取った。 クレイグにエスコートされて、ダンスフロアの中央へ進み出る。 次はクレイグが踊るという事で、周囲の参加者たちも中央を譲る様に道が開けた。

 (ひぇっ、忖度されたらもの凄く緊張するんですけれどっ!)

 ホールドを組むと、クレイグのリードで優雅にダンスが始まった。 クレイグはリードが上手く、体幹がしっかりしているので、ターンやマリーが体重をかける技も安心感がある。

 ふわりとマリーのドレスのスカートが広がると、周囲から感嘆の声が漏れた。

 最初は緊張していたマリーだが、徐々に緊張も取れ、ステップも綺麗に踏めた。 曲の終わりが近づくと、クレイグ耳元で囁いた。

 「マリー、もう一曲、踊ろう」
 「えっ」

 ファーストダンスの後のセカンドダンスは、別の人と踊るものだ。 続けて踊るという事は、家族か婚約者としか踊らない、という事。 マリーはクレイグの真剣な瞳に囚われた。

 クレイグの答えなのだろう。 答えは出たと言っていた。 続けて踊りたいという事は、そうい事だ。 泣きそうになる程、嬉しさが胸に拡がって、馬車の中で感じた不安が消し飛んで行った。

 「踊っても良いですけど、言葉でも言ってくれませんと嫌ですからね」

 満面の笑みをクレイグが浮かべた後、次の曲が奏でられた。 クレイグと踊ろうと、待ち構えていた令嬢たちが驚きの声を上げる。 クレイグは何食わぬ顔で2曲目のダンスのリードを始めた。

 続けてマリーと踊るクレイグに、令嬢たちは残念そうに口を尖らせたり、嘆きの悲鳴を上げていた。

 2曲目のダンスが終わり、令嬢たちに捕まる前にと、バルコニーへ出た。 バルコニーに出ると、綺麗に整えられてライトアップされた庭園が視界に入った。 マリーの口から感嘆の声が漏れる。

 「綺麗……」
 「ああ、見事だな。 流石に爵位が落ちても財力は衰えないな」

 マリーは無言で頷いた。

 「昼間は、また違って見えるのでしょうね。 今度、キャロライン様に見せて欲しいと頼んでみようかしら」
 「そうだな。 その時は、俺も来よう」
 「あら、クレイグ様はお忙しいのでは?」
 「それくらいの時間は作るよ」

 クレイグが不意に真剣な眼差しをマリーに向けた。 マリーの心臓は今までの人生の中で一番というほど、激しく鼓動し、胸が高鳴っている。 マリーの喉が上下に動く。

 クレイグが膝まづいて、マリーの両手を取り、愛し気な瞳で見上げる。

 「レディ・マリー。 俺はマリーが好きだ、俺と結婚してくれたら、嬉しい」
 
 初めて、マリーを見つめるクレイグの瞳に愛し気な熱が滲んでいるのを見た。 瞳を細めたマリーは嬉しくて、優しく微笑むと、大きく頷いた。 ずっと向けて欲しかった眼差しだ。

 「わたくしも、クレイグ様が好きです。 謹んでお受けいたします」

 立ち上がったクレイグは、マリーを痛いくらい強く抱きしめて来た。 耳元で囁いたクレイグの言葉に、思わず吹き出してしまった。 とてもクレイグらしい。

 「まぁ、答えは分かっていたがな」

 バルコニーの扉は閉じられており、完全に二人っきりだったマリーとクレイグは、広間の様子に気づいていなかった。 広間がカラムと破落戸の起こした騒ぎで騒然となっている事に。
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