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第十六話

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 空に拡がる雪雲から、深々と雪が降り落ちる。 降り積もった雪の絨毯へ、新しい雪が降り積もっていく。 アルストロメリア王国全土を降り積もった雪が氷の世界へと変えていく。

 フランネル家のタウンハウスにも雪が降り積もっていた。 離れの居間の窓から、降り積もる雪を感情がない表情で眺めていたマリーから切ない溜め息が零れた。

 クレイグから連絡が1ヵ月以上来ていなかった。

 (本当に、殿下から何の連絡もないっ……。 こちらから連絡すればいいだけの話なんだけど……)

 クレイグからキャロラインの方がいいと言われるかもしれないと思うと、マリーの胸がざわつき、傷つきたくなくて、手紙を書く手も躊躇ってしまうのだ。

 居間にベスの淹れた紅茶の香りが漂い、ささくれ立った気持ちが晴れていく。

 「お嬢様、どうぞ。 紅茶でも飲んで心を落ち着かせてくださいませ。 それに、本日は14時ごろに王宮から仮縫いのドレスが届きますよ。 とても楽しみですね」

 ベスは相変わらず自分の事の様に喜んでいる。 ベスの楽しみしている姿を眺めるのはマリーも嬉しい。 ドレスはどれも素敵だったが、最終的にはシンプルなデザインで、と要望を出していた。

 お茶とベスの特性クッキーを楽しんでいると、ベスの言った通りの時間に仮縫いのドレスが届けられた。 思ってもいなかった客人を連れて。

 ◇

 マリーの紫紺の瞳には、訝し気な色が混じり、目の前で優雅にお茶を啜る人物を凝視していた。

 目の前の人物は、今までの音信不通がなかったかのように話し出した。

 「マリー、とても似合っているよ。 やっぱりその色にして正解だったな」

 マリーは、今、クレイグの前で王宮から届いた仮縫いのドレスを試着していた。 確か、マリーはシンプルなエーラインのドレスを選んだはずなのに、試着しているのはマーメイドラインの少し大人っぽいドレスだ。 あまり凹凸の無い身体のラインには、マーメイドラインは合わないのではと思い、止めたというのに。 クレイグが勝手に手を出した様だ。

 「殿下、私には大人過ぎて似合ってないと思いますけど……」
 「そうか? スレンダーなマリーでも似合うと思うぞ。 マリーがそう言うなら、他のデザインにするか? でも、新しくドレスを作るのは難しいしな……」
 「……っ」

 (ドレスの事よりも、今まで連絡を1つも寄越さなかった事への言い訳は無いのかしらっ?!)

 マリーは諦めたように溜め息を吐いた。

 「分かりました。 ベス」
 「はい、お嬢様」

 居間に衝立を設置し、クレイグからの視界を遮ってから着替えを済ませた。 マリーが着替えを済ませている間に、クレイグは王宮御用達の仕立て屋とドレスのデザインについて話し込んでいる。

 (……また何か思いついたのね)

 クレイグは仕立て屋と一緒に帰るのかと思っていたが、まだ話がある様で、仕立て屋を先に帰してクレイグは残った。 真剣な表情を向けて来たので身構えたら、クレイグの口から発せられた言葉が。

 「マリー、俺の事はレグと呼ぶようにと言っただろう? いつになったら愛称で呼んでくれるんだ?」

 マリーの表情から感情が抜け、瞳を細めて目の前の人物を眺めた。 クレイグは紅茶カップを静かにソーサーに置いた。 マリーの目の前のローテーブルに紅茶が置かれ、淹れたての紅茶の香りが香って来る。 紅茶カップに手を伸ばし、クレイグから視線を逸らした。

 「殿下を愛称で呼ぶなんて、恐れ多いですわ」
 「恋人なのだから、身分なんて関係なく、愛称で呼んでも良いだろう? 誰も何とも思わないと思うぞ。 口調も2人だけなんだから、砕けても良いと思うんだが……」

 (……それは無いと思うわ……特に婚約者候補のご令嬢たちはっ)

 「……そんな事よりも、殿下はお忙しいのによろしんですか? こちらに居て」
 「ああ、カラムの取り巻きをしていた貴族の取り調べも終えたしな。 少しだけ時間が出来たから、マリーに会いたかったんだ」
 「……っ」

 クレイグの柔らかい眼差しに、マリーの胸は撃ち抜かれた。 駄目だと思っていても、高鳴る胸は抑えられない。 眉間に皺を寄せて、嬉しくて崩れてしまう表情を何とか耐える。

 マリーの連れない態度に、クレイグの表情に陰りが滲んだ。 クレイグから沈んだ声が零れる。

 「マリー、やっぱり怒っているのか? 俺が何の連絡をしなかった事……」

 (分かっているんじゃないのっ?!)

 「……別に、何とも思ってもいませんわっ。 私たちはお試しのお付き合いですし」

 (こんな事を言いたいんじゃないのにっ)
 
 視線を逸らしたマリーを見てクレイグは『嘘だな』と言った後、マリーが座っているソファーへ移動して来た。 腰に手を回して抱きよせられ、耳元で囁かれる。

 「忙しさにかまけて、何も連絡しなくて悪かった。 会いにも来なくて悪かった」

 切なそうなクレイグの声にマリーは負けた。

 「そうですよ。 私も連絡しなかったのは悪かったですけど、いくら何でも1ヵ月以上何もないなんてっ、あり得ません。 しかも、学院ではずっとキャロライン様といらっしゃるしっ」
 「キャロの父親に頼まれて、学院にいる間、ランディーニ家のお披露目パーティーまで、キャロを護衛しているんだ」
 「……っ」

 マリーの表情が驚愕に歪む。 そして、飽きられたのかと思っていた1ヵ月以上の事を思った。

 (それならそうと言って欲しかったわっ?! 私の悶々としていたこの1ヵ月以上の期間、どうしてくれるのよっ!)

 鋭い瞳で振り返ると、思ったよりもクレイグの顔が近くにあり、マリーの心臓が飛び跳ねた。

 クレイグの碧眼に熱が混じり、慈愛の籠った眼差しがマリーに注がれていた。 視線が絡み合い、自然と瞳を閉じたマリーの唇に、そっと柔らかい唇が重ねられる。

 いつかの突然のキスとは違う。 互いに気持ちの籠ったキスだった。

 クレイグの帰る時間が迫り、マリーが呆けている間にクレイグは、王宮へと帰って行った。

 居間で先程のキスを反芻していたマリーは、ベスの声で我に返った。 いつの間にかベスはいなくなっていたが、マリーが呆けている間に居間へ戻って来ていた。

 「お嬢様、紅茶のお代わりをお入れしましょうか?」
 「……っえぇ、お願い」

 ベスがキッチンへ移動すると、マリーは自身の唇をなぞり、頬を染めた。

 (さっきまでもの凄く怒ってたのにな、キスだけで機嫌が直ってしまった。 私って簡単すぎないっ? こんなに簡単に許しても良いのだろうか?)

 『いや、良くないだろう』と心の奥底で、何かが訴える。 このままいけば、クレイグに何度も振り回される人生が約束されている。 そして、振り回されるたびに、優しい一言や甘い言葉で誤魔化されるのだ。

 (このままではいけないわっ。 また、何も言われないで振り回されるのは嫌だわ。 私も殿下を振り回してみたいっ! そしたら少しは私の気持ちも分かるでしょ)

 怪しい笑い声を零すマリーに、紅茶の用意をして持って来たベスがビビったのは言うまでもない。

 「お、お嬢様、どうされましたっ~?!」

 ◇

 マリーを振り回してくれると言ったら、今、目の前の人物も、振り回す仲間の部類に入るであろう。 クレイグがマリーのタウンハウスへ突撃して来た1週間後の放課後、美化委員の仕事があるので、断ろと思っていたのだが、笑顔の圧力に負けてしまい、マリーは王室専用の食堂でお茶をしていた。

 目の前には、キャロラインと何故か、アデラの姿があった。 放課後にマリーのクラスへ来たアデラは、『3人でお茶をしましょ』と、強引に引っ張って来られたのだ。

 マリーとキャロライン、アデラの3人は無言で紅茶カップを啜っている。

 アデラがどういうつもりでマリーをお茶に誘って来たのか分からないが、下手な事は言えないなと内心で呟いた。 キャロラインはマリーよりもアデラの事を知っているのか、マリーと視線を合し苦笑を零した。 アデラがお茶に誘うのは、いつも突然の事の様だ。

 静かに紅茶カップをソーサーへ置くと、3人の視線が合い、淑女教育の賜物か、条件反射で同時に淑女の微笑みを浮かべる。

 (アデラ様、何の目的があるのかしら?)

 「マリー様、最近はレグとお会いになっているの?」

 一瞬だけマリーの表情が固まったが、直ぐに笑みを張り付けた。 アデラの雰囲気が以前と違う様に感じた。 動揺を悟られない様に、マリーは落ち着いた声を出した。

 「いえ、クレイグ殿下は大切な任務に就いておられるので、とてもお忙しいですし……」
 「あら? そうですの? わたくしも会えていなくて」

 少し寂し気な表情を浮かべ、横目でキャロラインの方へ視線を移した。 アデラの視線に吊られ、マリーもキャロラインの方へ視線を向ける。 2人の視線が突き刺さっているであろうキャロラインは、平然とマカロンを頬張っていた。

 「マリー様も寂しいのではなくて? 中々、会えないのでは」
 「ええ、でも先日にランディーニ家のお披露目パーティーで着ていくドレスを作って頂いてるのですけど、仮縫いのドレスをクレイグ殿下が届けて頂きまして、少し話せました」

 マリーの脳内でクレイグとのキスが蘇り、頬を染めて自然と表情が緩んでいく。

 マリーの表情だけで2人が上手く行っている事が分かった。 アデラは拍子抜けした様な表情を浮かべ、キャロラインは吹き出しそうなのを我慢している。 アデラはクレイグとマリー、キャロラインのスキャンダラスな三角関係を想像していた様だ。

 食堂の階下で俄かに騒がしくなり、マリーたちは視線を下へ向ける。

 食堂の入り口、螺旋階段の入り口でデーヴィッドと婚約者候補の令嬢たちが楽し気に話しながら降りて来ていた。 デーヴィッドの姿を見ると、アデラは席を立ちあがり、張り付けた笑みをマリーとキャロラインへ向けた。

 「わたくし、用を思い出しましたわ。 申し訳ございませんけれど、失礼致しますわ」

 アデラはマリーとキャロラインの返事も聞かずに、そそくさと立ち去って行ってしまった。 きっとデーヴィッドの後を追うのだろう。 デーヴィッドと婚約者候補の令嬢たちは、図書館の方へ向かっている様だ。 思った通り、アデラはデーヴィッドたちの後を追って行った。

 キャロラインが小さく息を吐き出す声が耳に届いた。

 アデラを追っていた視線をキャロラインへ向ける。 キャロラインは眉を下げて、仕方ない人よね、と表情にありありと出ていた。 マリーは訳が分からず、キャロラインを見つめた。

 (説明を求めたいけど……。 訊いてみたら、話してくれるのかしら?)

 マリーの言いたい事が表情に出ていたのか、キャロラインは笑みを浮かべて説明をしてくれた。

 「アデラ様は、ご自分を良く見せる事がお上手だから、アデラ様を知らない人は騙されるわよね。 アデラ様も他の婚約者候補のご令嬢方と同じって事よ。 最近は殿下方も、お忙しくてご令嬢方は勿論の事、アデラ様も相手にされてなかったですからね」
 「……えっ」

 (それは……あれね。 私とクレイグ殿下の交際が広まった時に、抗議して来たご令嬢と同じで、クレイグ殿下は次点だけど、自分の物みたいな……)
 
 「レグは昔からアデラ様の事がお好きでしょう? まぁ、アデラ様がレグには良い所しか見せていなかったからなんですけど、レグはすっかりアデラ様の事を分別もあって、素晴らしい令嬢だと思っていて。 最近、アデラ様を見つめるレグの瞳に熱を感じなくなったから、焦ったのじゃないかしら」
 「えっ、でも、アデラ様はずっとデーヴィッド殿下の事をお慕いしているのでは?」
 「ええ、そうよ。 昔からアデラ様が好きなのはデーヴィッド殿下ですもの」
 「……」
 「愛情はあると思うけれど、デーヴィッド殿下というよりかは、家ぐるみで王妃狙いって言った方はよろしいわね。 でも、それとは別で、自分に好意があったはずのレグが突然、マリー様と交際を始めて。 最近では、婚約者候補を外れたわたくしと、ずっと一緒に居るんですもの。 しかも、もう自分に好意を寄せてなさそうなのが面白くないのですわ。 自分勝手ですわよね。 レグの気持ちに答えるつもりなんて、微塵もなかったくせに」

 キャロラインの口から出て来るアデラの真実にマリーは、口を開けて唖然としてしまった。

 「えと、その事を殿下方は?」
 「デーヴィッド殿下は気づいておられるけれど、レグは……気づいていらっしゃらないわね。 先程も言いましたけど、アデラ様の事は、慎ましやかで清くて正しくて、美しい令嬢だと思ってるでしょうから。 アデラ様がそう思わせていたのですけど」

 マリーは何とも言えない表情で辛辣に語るキャロラインを見つめた。

 「でも、アデラ様の呪縛が解けてよかったですわ。 このままでは、アデラ様にずっと気を持たされ続けて、不毛な恋を抱えていたでしょうから」

 キャロラインはマリーに笑みを向ける。 キャロラインの様子に、もうクレイグの事は吹っ切れたのだと理解した。 タウンハウスでの諦めない宣言は、キャロライン流の叱咤激励だった様だ。

 取り敢えずは最大の恋の強敵はいなくなり、戦わないで済んだ事に、情けない話だがホッと安堵したマリーだった。

 「それよりも、レグがわたくしの護衛をしている事、お聞きになったのね」
 「あ、はい。 仮縫いのドレスを届けて頂いた時に」
 「そう。 叔父様がまだ見つかっていないから、何かを仕掛けてくるかもしれないと、父が王宮に掛け合ったのですわ。 殿下方も叔父様を捕えたいという思惑もありますし、利害が一致しただけなんですけど」
 「そうなんですね」
 「レグはわたくしが進言しなければ、マリー様には話す気が無かったみたいですわよ」
 「……っ」

 (殿下っ?!)

 マリーが持っていた紅茶カップが音を鳴らして、力いっぱい握った手の中で揺れた。

 「先が思いやられますわね、 マリー様」

 後に、キャロラインに当時の事を聞き、返って来た返事は『だって、長年片思いをしてたんだから。 簡単に諦めるわなんて言える訳ないじゃない』という言葉が返って来た。

 ◇

 2月も終わり、もう直ぐ春だと言う時期に、クレイグが手を加えたドレスがフランネル家のタウンハウスに届けられた。 離れの居間に豪華なドレスがトルソーに着せられ、煌めいている。

 ついでに言うと、またまた一緒にクレイグも着いて来ていた。 にこやかに微笑むクレイグを見て、マリーは思う。

 (これって……私、ドレスに着られるんじゃないかしらっ……。 本当に大丈夫?! 着こなせる自信が無いのですけどっ)

 分不相応なドレスを着て、お披露目パーティーへ出かける自身を思い浮かべ、マリーは青ざめるのだった。 3月の初めの休日はランディーニ家の跡取りのお披露目パーティーが開かれる。
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