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第十話
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静かなクラシックが流れる中、誰も居ない店内でお茶を飲む二人の空気は重くなりつつあった。
(待ってっ! 冷静に考えるのよマリーっ! だって側室でしょ? それってほぼ愛人と変わらないからっ! それに、キスしてからって……殿下、そんなに初心には見えないんだけどっ。 私とは違って、慣れていらっしゃるでしょうっ)
マリーの困惑を他所に、クレイグの話は続いた。
「兄上に王太子が授かれば、俺はアストレーマー王室領を引き継ぎ、一代限りのアストレーマー公爵となる。 俺にできた子供は、アストレーマー王室領の代理官になるか、他国へ嫁ぐかになるがな。 で、マリーは正妻にはなれないから、内縁の妻という位置になる。 だが、公爵となるまでには、絶対に周りを認めさせるっ!」
「いえ、わたくしには勿体ないお話ですが、お断りさせて頂きます」
にっこりと紫紺の瞳の奥が笑っていない笑みを浮かべる。
マリーはクレイグのプロポーズと言える言葉と、もう、クレイグの中では結婚が決まった様な言い方に、丁重に即答でお断りした。 マリーの返事にポカンと口を開けて、間抜け顔を晒しているクレイグを、マリーは紫紺の瞳を細めてジトっと見た。
(当たり前でしょうがっ! 誰が愛人決定な結婚するのよっ! 殿下っ、頭の中がお花畑になってるの?!)
気持ちが急激に変化したと言うが、マリーから見れば全くと言っていい程、クレイグの生活態度は変わっていない。 相変わらず、学院の魅惑的な美女を侍らしているし、女性関係がお盛んなクレイグの何処を信じられると言うのか。
しかし、クレイグはまたもや、信じられない事を宣った。
「……しかし、もうフランネル家には結婚の打診をしているのだがな」
「……はいっ?」
(こ、これは不味いわっ! 何でそんなに手際がいいのよっ! 気持ちを確かめたいって、もし恋じゃなかったら、捨てられるじゃないっ! 捨てられたら絶対に立ち直れないっ! いやいや気にする所、そこじゃないわっ! 何で付き合う前に結婚って事になるのよっ!)
貴族の婚姻とは、そういう物である。 マリーはすっかりパニック状態になり、自分でも思考がおかしくなっていた。
「で、でも、我が家は父母と祖父も恋愛結婚でしたので……。 子供たちにも好きな人と結婚を、と常々言っておりますから、良い返事はないかと……」
「ああ、マリーが良ければ貰ってくれって、祖父殿から言われたぞ」
(おじい様っ!!)
実のところ、フランネル家は新興貴族ではあるのだが、王の覚えもめでたく、婚約者候補のリストにも連ねていた。 しかし、祖父が政略結婚はお断り、と王族からの話を蹴っていた経緯がある。
今回のクレイグの打診は、マリーを気に入ったので、もっと知り合いたいという事だった。 クレイグの打診をフランネル家も受け入れた様だ。 王族も認めているのだから、正妻になれるだろうと思うのだが、一部の高位貴族が反対に回る事が分かっている。
高位貴族の中には、ランディーニ家も入っていた。 クレイグがマリーと結婚するには、高位貴族を黙らせる必要があるのだ。
「お、おじい様がそうおっしゃたのですか?」
「ああ、マリーのご両親とご嫡男もだ。 次兄……は、反対の様だったな」
「あぁ、お兄様は過保護なので、誰が相手でも反対しますからっ」
いつの間に、家族に話を取り付けたのか、覚悟を決めるしかいないと、マリーは眉を下げて大きく息を吐き出した。
「……っ分かりました」
返事を聞いたクレイグの表情が明るく輝き、嬉しそうに微笑む姿が眩しい。 強く拳を握りしめ、マリーは口を開いた。
「でもっ! 婚姻ではなくて、了承したのは交際です。 しかも、お試し交際ですっ! これ以上は譲歩致しませんっ! この期間に殿下の気持ちを確かめて、答えを出してください」
「そうか、分かった。 約束しよう。 だから、マリーも約束してくれ。 お試し交際期間が終わったら、マリーの気持ちも聞かせてくれる事」
「……っ分かりました」
「では、お試し期間は……そうだな、3か月もあればいいか?」
「は、はいっ」
「ありがとう、マリー。 3か月間、よろしくな。 アフタヌーンティーの続きをしよう」
マリーの心臓を撃ち抜くような、柔らかい表情でクレイグが微笑んだ。
「……っはい、頂きます」
カフェを貸し切ったアフタヌーンティーは、令嬢からの突き刺すような視線もない。 今日のアフタヌーンティーはとても美味しく頂き、フォンダンショコラを口に頬張ったマリーは、幸せで顔が緩んだのだった。
次の日、マリーとクレイグが交際しているという噂が学院中に広まり、婚約者候補の令嬢たちから睨まれる事になるとは、全く考えていなかったマリーだった。
◇
学院中の生徒たちがざわつき、すれ違う生徒たちの好奇の視線が背中に突き刺さり、居たたまれない気持ちで螺旋階段を上がっていく。
次の日の学院はちょっとした騒ぎだった。 何故、予想できなかったのか、騒ぎになって余計な面倒になるのなら、クレイグの話を受けなければ良かったと。 後悔しても後の祭りである。
(うそっ、昨日の今日でもう、噂が広まっているのっ?!)
上がっていく螺旋階段の先に、複数の人影が落ちてマリーは顔を上げた。 視線の先にいたのは、王子たちの婚約者候補の令嬢たちだった。 瞳の奥が笑っていない笑みで微笑まれ、マリーの背中に悪寒が走った。 マリーを婚約者候補たちが集うお茶会に誘って来た令嬢も、中にいた。
(うわっ、ご令嬢の皆さま、淑女の顔ではありませんわよっ!)
マリーをお茶会に誘った令嬢が一歩前へ出た。 腕をお腹の前で組み、立ち姿も背筋を伸ばしてにっこり微笑む姿は、とても威圧的だった。
「マリー様、ちょっとよろしいかしら? お話がありますの」
「……っえぇ、よろしいわよ」
(こうなっては仕方ないわね。 戦いますか)
マリーも黒い笑みを浮かべ、扇子で口元を隠した。
螺旋階段の真ん中で、令嬢たちが火花を散らす様子を周囲の生徒たちは固唾を飲んで、或いは、巻き込まれまいと遠巻きにして眺めていた。
場所を移動して、中庭に設置されている東屋で、婚約者候補の令嬢たちと話し合いという名の吊し上げが始まった。 本当に、高位貴族の令嬢方は恐ろしいと、マリーは心の底から呆れていた。
「で、わたくしがクレイグ殿下と交際をしていて何が悪いのでしょうか? わたくしが知っている限りでは、皆様は王太子妃狙いではなかったかしら? 第二王子妃を狙っている訳ではないと、お見受けしましたわ。 なので、皆様から抗議を受ける謂れはありませんわ」
マリーはわざとらしく首を傾げ、何故、抗議を受けているのか分からない、という風に不思議そうに厭味を言い放った。
「「「なっんですってっ!!」」」
令嬢たちから、殺気が溢れんばかりに放たれ、更に顔が淑女にあるまじき表情へと変わっていく。
(大体、王太子妃を逃しても、何としても側室に収まろうとするに違いないのに。 クレイグ殿下と交際する事を何故、この人達から抗議を受けなければならないのっ! あ、そう考えると、クレイグ殿下が婚約者候補の令嬢たちを相手にしないのは当たり前ね。 だって、令嬢方からしたら、クレイグ殿下なんてお呼びじゃないだろうし……)
未だに怒りを隠しもせずに露わにしている令嬢たちを、マリーは紫紺の瞳を細めて軽蔑の眼差しを送った。
令嬢たちがまだ、何か言いつのろうとした時、被せ気味にマリーの背後から、レンガにヒールを打ち付ける音がして皆が振り返った。
レンガを打つヒールの音はマリーの直ぐそばまで近づき、小さく音を鳴らして止まった。
マリーの喉が上下する中、視界に入って来た令嬢はキャロラインだった。 感情の視えない瞳と、口元だけに笑みを浮かべ、凛とした雰囲気で立っていた。
そして、いつものトレードマークのツインテールではなくて、お気に入りの毛先を遊ばせたハーフアップにして、少し大人の雰囲気を纏わせていた。 マリーは状況も忘れて似合っているな、と呑気に思っていた。
「キャロライン様っ! 貴方からも何とか言ってくださいまし、こちらの身分も弁えない失礼な令嬢にっ!」
「わたくしもマリー様と同じ意見ですわ」
キャロラインから発せられた言葉に、令嬢たちは信じられないのか、口を開けて間抜けな顔を晒していた。 令嬢たちに構わず、キャロラインが口を開く。
「だって貴方達、本当にデッド様狙いでしょう? デッド様とレグから同時に望まれたら、それが王妃でも側室だったとしても、貴方達は迷わずデッド様を選ぶでしょう?」
「そ、それは、だって……ねぇ?」
1人の令嬢が周りの令嬢に同意を求める様な眼差しを向けた。
(本当に心の底から、軽蔑するわ。 婚約者候補だからといって、王子二人共が自分たちの物だとでも思っているのかしら。 最終的には、クレイグ殿下は選ばないくせにっ)
「わたくし達は、あくまでも婚約者候補で、婚約者ではありませんわ。 王子方も、貴方達の物ではありませんし、誰の物でもありませんのよ。 マリー様に鬱憤を当たり散らす前に、もっと他にやるべき事があるんじゃありません事? デッド様に好かれるように努力なさった方がよろしいわよ」
キャロラインの言葉に、令嬢たちが狼狽えて動揺し出した。
「でないと、アデラ様に先をこされてしまいますわよ」
にっこりと笑みを浮かべて言った一言が効いたのか、令嬢たちは慌てて東屋を去っていった。 振り返ったキャロラインの決然とした眼差しがマリーに向けられる。
「勘違いしないでね。 わたくしは貴方を助けに来たわけではありませんわ」
「……キャロライン様、あの……」
マリーの言葉を遮り、キャロラインは言った。
「わたくしは貴方に宣戦布告をしにまいりましたの。 わたくしは最初からレグ狙いですから、抗議する権利はありますわよね。 でも、抗議は致しませんわ。 貴方達、二人が決めた事ですから。 でも、わたくしはまだ、レグの事を諦めていませんから、必ずレグを振り向かせますわ。 絶対に貴方よりも好きにさせてみせますわ」
宣戦布告をすると、踵を返してキャロラインも東屋を出て行った。 1人残されたマリーは、ポツンと東屋の中でぼうっと立っていた。
(……キャロライン様、すっごいかっこいいとか思ってしまったわ。 でも、そんな事を思っている場合じゃないっ!。 婚姻とか、側室とか、愛人とか、今は考えないでいいじゃない。 私も殿下に好かれる努力をしよう。 殿下の気持ちがこっちに向いているんだからっ。 お試し期間が終わったら……私もっ)
お試し期間まで、自身もクレイグに好かれる努力をしょうと覚悟を決めて、マリーは東屋を出た。
◇
クレイグは胡散臭い笑みを浮かべて、八角形の豪奢なサロンのソファーで紅茶カップを傾けていた。 何処からかクラッシックが流れて来る。
(ランディーニ家のサロンは初めて入ったが、雰囲気が前にマリーと行ったカフェに似ているな……)
カフェで話したマリーの事を思い出し、クレイグは少し柔らかい表情を浮かべる。
キラリと瞳を光らせ、覚悟を決めたキャロラインの行動は早かった。 次の日には、クレイグをブリリアントハウスの邸宅に招き、サロンでクレイグと2人っきりでお茶会をしていた。 いつもの子供っぽいツインテールの髪型ではなく、髪を下ろした大人っぽい装いで、今までクレイグが見て来たキャロラインでは無い姿だった。 少し大人っぽくなったキャロラインに目を瞠る。
(……いつもと雰囲気が違うな。 まぁ、少し探りでも入れるか……)
キャロラインの意図が分からなかったクレイグは、鋭い眼差しを周囲に向けた。 何処かにカラムの痕跡がないか探す為に。 サロンは上品な家具が使用され、シャンデリアや絵画の額縁は豪奢だったが、厭味もなくお客様にも嫌悪感を抱かせない様に飾られている。
じっとキャロラインを見つめたクレイグが切り出した。
「キャロ、元気そうだね。 叔父上は元気なのか? 最近は会っていないけど、学院長は忙しそうだ、特にカラムの件で」
「……ええ、祖父は元気でお仕事に励んでおりますわ。 確か、叔父は全く仕事をしないから、王太子殿下から呼び出されてましたわね。 父がぼやいておりましたわ。 父と叔父は、直ぐに言い合いになりますから、最近はこちらにも叔父は来ていないですわね」
「そうか……」
『まぁ、怪しいパーティーの招待状は届きますけど……』と呟いたキャロラインの声は、小さすぎてクレイグには届いていなかった。
呟きが聞こえなかったクレイグは、キャロラインが家の事をスラスラと話すので、クレイグには珍しく、キョトンとした表情をした。
「どうかしまして?」
小さく笑みを口元に浮かべたクレイグは、少しだけ悪い顔をした。
「……いや、いやに色々と話してくれるんだなっと思ってな。 貴族はあまり身内の恥を話したりしないだろう」
「だって、レグとデッド様は、叔父の事で何か調べているのでしょ? わたくしなりに協力をしていますのよ」
(……何企んでるんだ? 兄上の事でも聞きたいのだろうか?)
キャロラインは脈絡もなく、クレイグが思ってもいなかった事を口にした。
「わたくし、レグが好きですわ。 男性として」
「えっ……」
「是非とも、交際したいと思っていますの。 勿論、将来を見越した交際ですわ」
にっこり笑ったキャロラインの笑顔は、とても晴れやかだった。 呆気に取られたクレイグは、言葉に詰まって何も言えなかった。
(待ってっ! 冷静に考えるのよマリーっ! だって側室でしょ? それってほぼ愛人と変わらないからっ! それに、キスしてからって……殿下、そんなに初心には見えないんだけどっ。 私とは違って、慣れていらっしゃるでしょうっ)
マリーの困惑を他所に、クレイグの話は続いた。
「兄上に王太子が授かれば、俺はアストレーマー王室領を引き継ぎ、一代限りのアストレーマー公爵となる。 俺にできた子供は、アストレーマー王室領の代理官になるか、他国へ嫁ぐかになるがな。 で、マリーは正妻にはなれないから、内縁の妻という位置になる。 だが、公爵となるまでには、絶対に周りを認めさせるっ!」
「いえ、わたくしには勿体ないお話ですが、お断りさせて頂きます」
にっこりと紫紺の瞳の奥が笑っていない笑みを浮かべる。
マリーはクレイグのプロポーズと言える言葉と、もう、クレイグの中では結婚が決まった様な言い方に、丁重に即答でお断りした。 マリーの返事にポカンと口を開けて、間抜け顔を晒しているクレイグを、マリーは紫紺の瞳を細めてジトっと見た。
(当たり前でしょうがっ! 誰が愛人決定な結婚するのよっ! 殿下っ、頭の中がお花畑になってるの?!)
気持ちが急激に変化したと言うが、マリーから見れば全くと言っていい程、クレイグの生活態度は変わっていない。 相変わらず、学院の魅惑的な美女を侍らしているし、女性関係がお盛んなクレイグの何処を信じられると言うのか。
しかし、クレイグはまたもや、信じられない事を宣った。
「……しかし、もうフランネル家には結婚の打診をしているのだがな」
「……はいっ?」
(こ、これは不味いわっ! 何でそんなに手際がいいのよっ! 気持ちを確かめたいって、もし恋じゃなかったら、捨てられるじゃないっ! 捨てられたら絶対に立ち直れないっ! いやいや気にする所、そこじゃないわっ! 何で付き合う前に結婚って事になるのよっ!)
貴族の婚姻とは、そういう物である。 マリーはすっかりパニック状態になり、自分でも思考がおかしくなっていた。
「で、でも、我が家は父母と祖父も恋愛結婚でしたので……。 子供たちにも好きな人と結婚を、と常々言っておりますから、良い返事はないかと……」
「ああ、マリーが良ければ貰ってくれって、祖父殿から言われたぞ」
(おじい様っ!!)
実のところ、フランネル家は新興貴族ではあるのだが、王の覚えもめでたく、婚約者候補のリストにも連ねていた。 しかし、祖父が政略結婚はお断り、と王族からの話を蹴っていた経緯がある。
今回のクレイグの打診は、マリーを気に入ったので、もっと知り合いたいという事だった。 クレイグの打診をフランネル家も受け入れた様だ。 王族も認めているのだから、正妻になれるだろうと思うのだが、一部の高位貴族が反対に回る事が分かっている。
高位貴族の中には、ランディーニ家も入っていた。 クレイグがマリーと結婚するには、高位貴族を黙らせる必要があるのだ。
「お、おじい様がそうおっしゃたのですか?」
「ああ、マリーのご両親とご嫡男もだ。 次兄……は、反対の様だったな」
「あぁ、お兄様は過保護なので、誰が相手でも反対しますからっ」
いつの間に、家族に話を取り付けたのか、覚悟を決めるしかいないと、マリーは眉を下げて大きく息を吐き出した。
「……っ分かりました」
返事を聞いたクレイグの表情が明るく輝き、嬉しそうに微笑む姿が眩しい。 強く拳を握りしめ、マリーは口を開いた。
「でもっ! 婚姻ではなくて、了承したのは交際です。 しかも、お試し交際ですっ! これ以上は譲歩致しませんっ! この期間に殿下の気持ちを確かめて、答えを出してください」
「そうか、分かった。 約束しよう。 だから、マリーも約束してくれ。 お試し交際期間が終わったら、マリーの気持ちも聞かせてくれる事」
「……っ分かりました」
「では、お試し期間は……そうだな、3か月もあればいいか?」
「は、はいっ」
「ありがとう、マリー。 3か月間、よろしくな。 アフタヌーンティーの続きをしよう」
マリーの心臓を撃ち抜くような、柔らかい表情でクレイグが微笑んだ。
「……っはい、頂きます」
カフェを貸し切ったアフタヌーンティーは、令嬢からの突き刺すような視線もない。 今日のアフタヌーンティーはとても美味しく頂き、フォンダンショコラを口に頬張ったマリーは、幸せで顔が緩んだのだった。
次の日、マリーとクレイグが交際しているという噂が学院中に広まり、婚約者候補の令嬢たちから睨まれる事になるとは、全く考えていなかったマリーだった。
◇
学院中の生徒たちがざわつき、すれ違う生徒たちの好奇の視線が背中に突き刺さり、居たたまれない気持ちで螺旋階段を上がっていく。
次の日の学院はちょっとした騒ぎだった。 何故、予想できなかったのか、騒ぎになって余計な面倒になるのなら、クレイグの話を受けなければ良かったと。 後悔しても後の祭りである。
(うそっ、昨日の今日でもう、噂が広まっているのっ?!)
上がっていく螺旋階段の先に、複数の人影が落ちてマリーは顔を上げた。 視線の先にいたのは、王子たちの婚約者候補の令嬢たちだった。 瞳の奥が笑っていない笑みで微笑まれ、マリーの背中に悪寒が走った。 マリーを婚約者候補たちが集うお茶会に誘って来た令嬢も、中にいた。
(うわっ、ご令嬢の皆さま、淑女の顔ではありませんわよっ!)
マリーをお茶会に誘った令嬢が一歩前へ出た。 腕をお腹の前で組み、立ち姿も背筋を伸ばしてにっこり微笑む姿は、とても威圧的だった。
「マリー様、ちょっとよろしいかしら? お話がありますの」
「……っえぇ、よろしいわよ」
(こうなっては仕方ないわね。 戦いますか)
マリーも黒い笑みを浮かべ、扇子で口元を隠した。
螺旋階段の真ん中で、令嬢たちが火花を散らす様子を周囲の生徒たちは固唾を飲んで、或いは、巻き込まれまいと遠巻きにして眺めていた。
場所を移動して、中庭に設置されている東屋で、婚約者候補の令嬢たちと話し合いという名の吊し上げが始まった。 本当に、高位貴族の令嬢方は恐ろしいと、マリーは心の底から呆れていた。
「で、わたくしがクレイグ殿下と交際をしていて何が悪いのでしょうか? わたくしが知っている限りでは、皆様は王太子妃狙いではなかったかしら? 第二王子妃を狙っている訳ではないと、お見受けしましたわ。 なので、皆様から抗議を受ける謂れはありませんわ」
マリーはわざとらしく首を傾げ、何故、抗議を受けているのか分からない、という風に不思議そうに厭味を言い放った。
「「「なっんですってっ!!」」」
令嬢たちから、殺気が溢れんばかりに放たれ、更に顔が淑女にあるまじき表情へと変わっていく。
(大体、王太子妃を逃しても、何としても側室に収まろうとするに違いないのに。 クレイグ殿下と交際する事を何故、この人達から抗議を受けなければならないのっ! あ、そう考えると、クレイグ殿下が婚約者候補の令嬢たちを相手にしないのは当たり前ね。 だって、令嬢方からしたら、クレイグ殿下なんてお呼びじゃないだろうし……)
未だに怒りを隠しもせずに露わにしている令嬢たちを、マリーは紫紺の瞳を細めて軽蔑の眼差しを送った。
令嬢たちがまだ、何か言いつのろうとした時、被せ気味にマリーの背後から、レンガにヒールを打ち付ける音がして皆が振り返った。
レンガを打つヒールの音はマリーの直ぐそばまで近づき、小さく音を鳴らして止まった。
マリーの喉が上下する中、視界に入って来た令嬢はキャロラインだった。 感情の視えない瞳と、口元だけに笑みを浮かべ、凛とした雰囲気で立っていた。
そして、いつものトレードマークのツインテールではなくて、お気に入りの毛先を遊ばせたハーフアップにして、少し大人の雰囲気を纏わせていた。 マリーは状況も忘れて似合っているな、と呑気に思っていた。
「キャロライン様っ! 貴方からも何とか言ってくださいまし、こちらの身分も弁えない失礼な令嬢にっ!」
「わたくしもマリー様と同じ意見ですわ」
キャロラインから発せられた言葉に、令嬢たちは信じられないのか、口を開けて間抜けな顔を晒していた。 令嬢たちに構わず、キャロラインが口を開く。
「だって貴方達、本当にデッド様狙いでしょう? デッド様とレグから同時に望まれたら、それが王妃でも側室だったとしても、貴方達は迷わずデッド様を選ぶでしょう?」
「そ、それは、だって……ねぇ?」
1人の令嬢が周りの令嬢に同意を求める様な眼差しを向けた。
(本当に心の底から、軽蔑するわ。 婚約者候補だからといって、王子二人共が自分たちの物だとでも思っているのかしら。 最終的には、クレイグ殿下は選ばないくせにっ)
「わたくし達は、あくまでも婚約者候補で、婚約者ではありませんわ。 王子方も、貴方達の物ではありませんし、誰の物でもありませんのよ。 マリー様に鬱憤を当たり散らす前に、もっと他にやるべき事があるんじゃありません事? デッド様に好かれるように努力なさった方がよろしいわよ」
キャロラインの言葉に、令嬢たちが狼狽えて動揺し出した。
「でないと、アデラ様に先をこされてしまいますわよ」
にっこりと笑みを浮かべて言った一言が効いたのか、令嬢たちは慌てて東屋を去っていった。 振り返ったキャロラインの決然とした眼差しがマリーに向けられる。
「勘違いしないでね。 わたくしは貴方を助けに来たわけではありませんわ」
「……キャロライン様、あの……」
マリーの言葉を遮り、キャロラインは言った。
「わたくしは貴方に宣戦布告をしにまいりましたの。 わたくしは最初からレグ狙いですから、抗議する権利はありますわよね。 でも、抗議は致しませんわ。 貴方達、二人が決めた事ですから。 でも、わたくしはまだ、レグの事を諦めていませんから、必ずレグを振り向かせますわ。 絶対に貴方よりも好きにさせてみせますわ」
宣戦布告をすると、踵を返してキャロラインも東屋を出て行った。 1人残されたマリーは、ポツンと東屋の中でぼうっと立っていた。
(……キャロライン様、すっごいかっこいいとか思ってしまったわ。 でも、そんな事を思っている場合じゃないっ!。 婚姻とか、側室とか、愛人とか、今は考えないでいいじゃない。 私も殿下に好かれる努力をしよう。 殿下の気持ちがこっちに向いているんだからっ。 お試し期間が終わったら……私もっ)
お試し期間まで、自身もクレイグに好かれる努力をしょうと覚悟を決めて、マリーは東屋を出た。
◇
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(ランディーニ家のサロンは初めて入ったが、雰囲気が前にマリーと行ったカフェに似ているな……)
カフェで話したマリーの事を思い出し、クレイグは少し柔らかい表情を浮かべる。
キラリと瞳を光らせ、覚悟を決めたキャロラインの行動は早かった。 次の日には、クレイグをブリリアントハウスの邸宅に招き、サロンでクレイグと2人っきりでお茶会をしていた。 いつもの子供っぽいツインテールの髪型ではなく、髪を下ろした大人っぽい装いで、今までクレイグが見て来たキャロラインでは無い姿だった。 少し大人っぽくなったキャロラインに目を瞠る。
(……いつもと雰囲気が違うな。 まぁ、少し探りでも入れるか……)
キャロラインの意図が分からなかったクレイグは、鋭い眼差しを周囲に向けた。 何処かにカラムの痕跡がないか探す為に。 サロンは上品な家具が使用され、シャンデリアや絵画の額縁は豪奢だったが、厭味もなくお客様にも嫌悪感を抱かせない様に飾られている。
じっとキャロラインを見つめたクレイグが切り出した。
「キャロ、元気そうだね。 叔父上は元気なのか? 最近は会っていないけど、学院長は忙しそうだ、特にカラムの件で」
「……ええ、祖父は元気でお仕事に励んでおりますわ。 確か、叔父は全く仕事をしないから、王太子殿下から呼び出されてましたわね。 父がぼやいておりましたわ。 父と叔父は、直ぐに言い合いになりますから、最近はこちらにも叔父は来ていないですわね」
「そうか……」
『まぁ、怪しいパーティーの招待状は届きますけど……』と呟いたキャロラインの声は、小さすぎてクレイグには届いていなかった。
呟きが聞こえなかったクレイグは、キャロラインが家の事をスラスラと話すので、クレイグには珍しく、キョトンとした表情をした。
「どうかしまして?」
小さく笑みを口元に浮かべたクレイグは、少しだけ悪い顔をした。
「……いや、いやに色々と話してくれるんだなっと思ってな。 貴族はあまり身内の恥を話したりしないだろう」
「だって、レグとデッド様は、叔父の事で何か調べているのでしょ? わたくしなりに協力をしていますのよ」
(……何企んでるんだ? 兄上の事でも聞きたいのだろうか?)
キャロラインは脈絡もなく、クレイグが思ってもいなかった事を口にした。
「わたくし、レグが好きですわ。 男性として」
「えっ……」
「是非とも、交際したいと思っていますの。 勿論、将来を見越した交際ですわ」
にっこり笑ったキャロラインの笑顔は、とても晴れやかだった。 呆気に取られたクレイグは、言葉に詰まって何も言えなかった。
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