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13話
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お披露目会の翌日は、騎士団に再び人攫いの情報が入り、ラトは早朝から忙しなく王城へ出掛けて行った。 リジィと話す間もなく、行かなくてはならなかったらしく、ラトとは会えなかった。
シアーラも小隊長だという事で、討伐へ参加しないといけない様で、ラトと一緒に出発したのだと聞かされた。 暫くは一人で居たい気持ちもあったので、寂しいが任務なら仕方がないと納得した。
静かな晩餐室で、カトラリーが小さく鳴らされる。 リジィは晩餐室で、一人で朝食を摂った。 いつもは美味しく食べられる朝食も、今日は全く味が何もしない。
「番様、旦那様の帰りは数日後になるそうです。 簡単な討伐なのですが、少し場所が遠いのです。 転送魔法陣も設置されていない田舎の様で、移動に時間がかかるそうです。 旦那様の居ない間、我々が番様をしっかりとサポート致します。 ご安心を」
「……ありがとう」
ラトと顔を合わせづらかったリジィは、ホッとした半面、凄くラトと会いたくなっていた。
自分の気持ちが今はぐちゃぐちゃになっていて、ラトの顔を見たらきっと詰ってしまう。 言いたくない事を言ってしまうだろう。 会いたいのに会いたくないと、リジィの心は揺らいでいた。
◇
自身の名前を呼ばれている様な気がするが、遠くで聞こえている為、本当に呼ばれているのか分からない。 脳裏にオフィーリアの声が駆け巡り、つい考え込んでしまう。
「番様っ! 手を離して下さいっ! 患者の首が閉まってしまいますっ!」
イアンの悲痛の叫び声を聞いて、我に返る。 知らぬ内に、首に巻いている包帯をきつく締めていた様で、患者の冒険者が白目を剥いて、口から魂魄を出していた。
ぎょっとした表情を浮かべ、リジィは慌てて手を離し、急いで包帯を緩めた。
「す、すみませんっ! 大丈夫ですかっ!」
「あ、あぁ、死ぬか……と、ごほっ……思ったぜぇ」
冒険者は咳き込みながら、自身の喉を摩っている。 イアンと一緒に平謝りし、冒険者は何とか許してくれた。 迷惑を掛けたイアンにもリジィは平謝りした。
「申し訳ございませんでしたっ、イアン先生っ」
「……番様、医療はちょっとした油断で死に繋がります。 気を緩めず、真摯な姿勢で臨んで下さい」
「はいっ、以後、気を付けます」
「患者さんもさっきの方が最後でしたし、午後には少し早いですが、休憩しましょうか」
リジィの様子が朝からおかしい事に気づいていたイアンは、リジィに診察室の丸椅子を勧めた。
普段は患者が座る椅子だ。 おずおずと丸椅子へ腰かけたリジィに、イアンが優しい眼差しを向ける。 イアンの眼差しに、リジィの瞳に涙が潤む。
「何かありましたか?」
「あっ、いえ……何もっ」
咄嗟に俯いてしまったリジィの後頭部に、イアンの溜息が落ちる。
「番様はそのままで、お茶を淹れてきます」
「あっ……すみませんっ」
静かに席を立ったイアンは、隣の処置室へ移動した。 処置室には薬を作る為の暖炉が設置されている。 処置室からお湯が湧き上がる沸々とした音が聞こえて来る。
何故かとても心が落ち着く。
イアンが戻って来た時には、紅茶の湯気が上がったカップを二つ持っていた。
イアンから差し出されたカップを受け取り、リジィは口を開いた。 ラトとオフィーリアの事を聞きたいが、もしかしたら内緒の仲だったかもしれない。 誰からもオフィーリアとラトの事を聞いた事がないのだ。 なので、リジィは別の事を聞いた。
「番は……相手の周囲を不幸にするって本当ですか?」
イアンの顔を見ずに話したので、イアンがどんな顔をしているのか、リジィは見られなかった。
もしかしたら、誰かを不幸にしたのかもしれないと思うと、恥ずかしくて誰の事もまとも見られなかった。 息を吐いたイアンは静かに話し始めた。
「嘘や誤魔化しを言っても、番様には通らないと思いますので、はっきりと言いますね。 番が相手の周囲を不幸にするのは真実です。 番の刻印が刻まれてしまえば、恋人や好きな人に気持ちがあったにもかかわらず、お互いに番の方へ気持ちが向けられ、瞬時に相手を求めます。 ですから、恋人を持つ獣人や亜人は番に憧れを持ちながら、番が現れる事にとても怯えています」
イアンの言葉に色んな感情が含まれている事を感じる。
「遥か昔から、番に妻や恋人、夫を取られたという話は聞きます。 番が見つかれば、その人しか見えませんからね、獣人や亜人は」
カップを机の上へ置いたイアンが話を続ける。
「偽印は、本物の番が現れた時の為の対抗処置です。 過去には、番によって殺人の事案もありましたしね。 偽印を刻むと、本物の番と出会っても分からないのですよ。 稀に嗅ぎ付ける者も数例ありますけど、皆、いつか本物の番に自分の最愛の人を取られるんじゃないかって怯えているんです。 偽印でお互いを縛り、心の安定を保っているんです。 でも、心の深い所では、本当の番に出会える事を夢見ているんでしょうね」
イアンは窓の外を見て、何処か遠くを見つめている。 いやに最後の言葉には、存分に寂しさが込められている。 しかし、何故、悲しそうなのか、聞いてはいけない様な気がした。
「番様、貴方は本物の番に出会えた事は、嬉しいですか?」
「……っ、私は人族なので、番に獣人や亜人の人たちの様な憧れを抱いた事はありませんっ。 でも、ラト様と出会えた事は感謝しています。 命の恩人ですしっ、でも……」
「団長と出会った事で、誰かを不幸にしたんじゃないかと、思っているんですね」
イアンの言葉に、リジィは素直に頷いた。
「……はい、動物アレルギーの事もありますし……」
「もし、団長と結ばれる事で誰かを不幸にしているとして、それを知った後、番様はどうするつもりなのです? 団長の事は諦めるのですか? それとも諦められますか?」
ハッとして、リジィは顔を上げた。 視線の先には、優しい眼差しをしたイアンの顔があった。
「番様がどうしたいかです。 まぁ、逃げ出したとしても、団長は全力で追いかけて来るでしょうけどね」
「……追いかけてきますかっ……」
「ええ、番とはそうい生き物です」
話は終わりとばかりに、イアンが玄関へ向かった。 次の診察を待っている患者が集まって来ていた。 そう言えば、イアンは人攫いの討伐へは行かなくていいのかと、首を傾げた。
「あの、イアン先生。 今回の討伐には行かなくても良かったんですか?」
「ええ、私の部下にも優秀な者が居ますからね。 番様にもしもの事があったらと、団長に残ってくれって言われたんですよ。 本当に過保護ですよね。 団長も、過保護だと、王族の事を責められないでしょうね」
可笑しそうに笑うイアンから『王族』の言葉を聞いて、再び、オフィーリアの泣き叫ぶ声が脳裏で浮かんだ。 イアンに話を聞いてもらって少しはスッキリしたが、どうすればいいのか、まだ分からなかった。
夕方近くになって、イアンの手伝いを終え、帰宅する為に転送魔法陣へ向かっている時だった。
リジィは人族の商人に声を掛けられ、狼の寝床の前で足を止めた。 あまり見かけない人族で、リジィには見覚えのない人族だった。 戸惑いながら、リジィは警戒した。
「あ、違うんだ。 あんた、確か、カルタシア王国の事を聞きに来てただろう? 俺とは違う商人に」
「ええ、そうですけど……」
リジィは怪しさ満載の商人に眉をひそめた。
「俺もアーヴィング領の出身なんだ。 それで、領主様とは何回か話した事があるんだ」
「えっ、そんなんですかっ?」
(父と話した事があるのっ?)
「ああ、俺にはとてもじゃないが、領主様があんな悪事を働くような人には見えなかった。 とても優しい人だったんだ。 領主様を知っている人は皆、誰かに騙されたんじゃないかって言ってる」
「……どうして、それを私に?」
「それは、他の国の人にまで、領主様の事を悪く思ってほしくなかったからだ」
「そうですか……。 ありがとうございます。 教えて下さって」
「ああ、アンタもまた、カルタシア王国へ遊びに来てくれな」
「はい」
笑顔で商人とは別れ、リジィの頭の中は父親の事でいっぱいになった。 現実逃避だと分かっていても、処理できない気持ちを今は考えたくなかった。
商人が立ち去った後も、リジィは暫く思考に耽っていて動かなかった。 狼の寝床の店からじっとリジィを見つめる瞳がある事にも気づかない程、考え込んでいた。
父親の事を考えていると、脳裏で記憶にない何処かの屋敷が思い浮かんだ。 何故か、思い浮かんだ屋敷へ行かないと駄目だという気持ちが大きくなっていく。
故郷で住んでい居た屋敷など、リジィには覚えがない。 首を傾げながら、ラトの屋敷へ帰りついた。
◇
『リジィ、叔父様が調べてくれたわよ。 アーヴィング家が行った悪事は有名だったわ、真相は分からなかったけど。 でも、領主を知っている人達は、とても人が良くて、騙される事はあっても悪事を働くなんて思えなかったって。 リジィたちが暮らしていた屋敷は領地の小高い丘にあってね。 今は誰も住んでいないんだけど……。 鍵がかかっていて、入れなかったわ。 リジィは鍵とか持ってる?』
いつものアヴリルとの近況報告会だ。 リジィは寝室のベッドに腰かけ、アヴリルの妖精と向き合っていた。 服の下に隠してあるマジックバッグに手を当てる。
「いいえ、持ってないわっ。 私が貰ったのは……カルタシア王国のコインだけよ。 もう、アーヴィングの領地名が入ったコインは使えないんだって……」
『そっか~』
素早い仕事にリジィは開いた口が塞がらなかった。 一瞬だけまた、屋敷の様子がリジィの脳裏に浮かんだ。 顔のぼやけた父親がリジィに何かを伝えている。
(私、何か重要な事を忘れてる? でも、どうして今になって、こんなに父を思い出すのかしら?)
「でも、凄いね。 もう調べ終えたんだ……」
『まあね、商人は迅速に動く事が鉄則だから。 というか、カルタシア王国ではアーヴィング家の話は有名らしいから、直ぐに調べがついただけなんだけどね』
「そんなに有名なの?」
『うん、一家じゃなくて、親族が全員、カルタシア王国から居なくなってるから。 それに伴って悪事と、ある事無い事が貴族の間で囁かれてるみたい』
「そう……。 親族全員という事は、一族で居なくなってるって事?」
『うん、そうなの。 もしかしたら殺されてるか、何処かで隠れ住んでいるか、ね。 今、リジィの家がある地図を送るわ』
「……ありがとう」
『ううん、それは言いんだけど……。 何かあった? 顔が暗いけど』
アヴリルの妖精がひらりと一枚の羊皮紙を取り出した。 リジィの膝の上へ落ちて来た地図を見ると、リジィの脳裏にまた昔の記憶なのか、父親が何かを話している様子が思い浮かんだ。
今度はノイズが掛かっているが、何かを話している声が途切れ途切れに聞こえて来る。
(この記憶はなに? 全く覚えがないのに、屋敷へ行かなければって思いが強くなる?)
直ぐに父親の記憶は消えてしまい、地図を見ても何も思い出さなかった。 青くなっているリジィを見て、アヴリルの妖精が心配そうに見つめて来る。
『どうしたの? リジィ、大丈夫なの?』
「うん、大丈夫よ、アヴリル。 色々調べてくれてありがとう」
顔を上げた時のリジィは覚悟を決めた表情を浮かべていた。 今になって父の事を思い出すという事は、きっとリジィは大切な何かを忘れていて、しなくては行けない事があるのだろう。
ラトとの事は、一旦、置いておくことにした。 現実逃避なのは分かっている。 しかし、リジィが前へ進むためには、父親の事を解決しなければならないと、何故か思った。
ラトにオフィーリアの事を聞けばいいだけの話だ。 しかし、リジィは最悪な事を聞かされる事を恐れ、とても聞けなかった。 イアンが言っていたリジィ自身がどうしたいのか、答えも出せていなかった。
アヴリルの商会の船がシェラン国の港町に寄った後、人族の大陸へ行くと聞いた。 リジィはアヴリルの叔父に乗せてくれないかと、頼んでみた。
『分かったわ。 叔父様に聞いてみる。 でも、本当に団長さんに言わなくてもいいの?』
「……うん」
(正直、今はラト様の顔を見られないっ)
『……もしかしてだけど……団長さんに元恋人がいたりした?』
「えっ、何でそれをっ」
『ああ、勘違いしないでね。 本当にいるかは知らなかったわよ。 ただ、番が見つかった場合、その話は付き物だから』
「……そうなんだ」
『うん、揉める事が多いわね。 でも、お互いに恋人が居なかった例もあるのよっ。 リジィは人族で、番に興味はなかったもんね、こんな話、知らないわよね』
「うん」
『あ、叔父様から連絡が来た。 乗せてくれるって、三日後に港町へ来てって』
「分かったわ。 ありがとうって、叔父様に伝えておいて」
『うん、気を付けてね。 帰りも叔父様が送ってくれるから、絶対に帰って来てね、リジィ』
「うん、父の事が分かったら連絡するわっ」
『うん、いつでも、何でもいいから連絡して』
「うん、分かったわ」
『じゃ、気を付けて行ってらっしゃい』
「行ってきます」
アヴリルと連絡を終え、三日後、ラトの屋敷の皆には内緒にして、リジィはシェラン国を後にした。
シアーラも小隊長だという事で、討伐へ参加しないといけない様で、ラトと一緒に出発したのだと聞かされた。 暫くは一人で居たい気持ちもあったので、寂しいが任務なら仕方がないと納得した。
静かな晩餐室で、カトラリーが小さく鳴らされる。 リジィは晩餐室で、一人で朝食を摂った。 いつもは美味しく食べられる朝食も、今日は全く味が何もしない。
「番様、旦那様の帰りは数日後になるそうです。 簡単な討伐なのですが、少し場所が遠いのです。 転送魔法陣も設置されていない田舎の様で、移動に時間がかかるそうです。 旦那様の居ない間、我々が番様をしっかりとサポート致します。 ご安心を」
「……ありがとう」
ラトと顔を合わせづらかったリジィは、ホッとした半面、凄くラトと会いたくなっていた。
自分の気持ちが今はぐちゃぐちゃになっていて、ラトの顔を見たらきっと詰ってしまう。 言いたくない事を言ってしまうだろう。 会いたいのに会いたくないと、リジィの心は揺らいでいた。
◇
自身の名前を呼ばれている様な気がするが、遠くで聞こえている為、本当に呼ばれているのか分からない。 脳裏にオフィーリアの声が駆け巡り、つい考え込んでしまう。
「番様っ! 手を離して下さいっ! 患者の首が閉まってしまいますっ!」
イアンの悲痛の叫び声を聞いて、我に返る。 知らぬ内に、首に巻いている包帯をきつく締めていた様で、患者の冒険者が白目を剥いて、口から魂魄を出していた。
ぎょっとした表情を浮かべ、リジィは慌てて手を離し、急いで包帯を緩めた。
「す、すみませんっ! 大丈夫ですかっ!」
「あ、あぁ、死ぬか……と、ごほっ……思ったぜぇ」
冒険者は咳き込みながら、自身の喉を摩っている。 イアンと一緒に平謝りし、冒険者は何とか許してくれた。 迷惑を掛けたイアンにもリジィは平謝りした。
「申し訳ございませんでしたっ、イアン先生っ」
「……番様、医療はちょっとした油断で死に繋がります。 気を緩めず、真摯な姿勢で臨んで下さい」
「はいっ、以後、気を付けます」
「患者さんもさっきの方が最後でしたし、午後には少し早いですが、休憩しましょうか」
リジィの様子が朝からおかしい事に気づいていたイアンは、リジィに診察室の丸椅子を勧めた。
普段は患者が座る椅子だ。 おずおずと丸椅子へ腰かけたリジィに、イアンが優しい眼差しを向ける。 イアンの眼差しに、リジィの瞳に涙が潤む。
「何かありましたか?」
「あっ、いえ……何もっ」
咄嗟に俯いてしまったリジィの後頭部に、イアンの溜息が落ちる。
「番様はそのままで、お茶を淹れてきます」
「あっ……すみませんっ」
静かに席を立ったイアンは、隣の処置室へ移動した。 処置室には薬を作る為の暖炉が設置されている。 処置室からお湯が湧き上がる沸々とした音が聞こえて来る。
何故かとても心が落ち着く。
イアンが戻って来た時には、紅茶の湯気が上がったカップを二つ持っていた。
イアンから差し出されたカップを受け取り、リジィは口を開いた。 ラトとオフィーリアの事を聞きたいが、もしかしたら内緒の仲だったかもしれない。 誰からもオフィーリアとラトの事を聞いた事がないのだ。 なので、リジィは別の事を聞いた。
「番は……相手の周囲を不幸にするって本当ですか?」
イアンの顔を見ずに話したので、イアンがどんな顔をしているのか、リジィは見られなかった。
もしかしたら、誰かを不幸にしたのかもしれないと思うと、恥ずかしくて誰の事もまとも見られなかった。 息を吐いたイアンは静かに話し始めた。
「嘘や誤魔化しを言っても、番様には通らないと思いますので、はっきりと言いますね。 番が相手の周囲を不幸にするのは真実です。 番の刻印が刻まれてしまえば、恋人や好きな人に気持ちがあったにもかかわらず、お互いに番の方へ気持ちが向けられ、瞬時に相手を求めます。 ですから、恋人を持つ獣人や亜人は番に憧れを持ちながら、番が現れる事にとても怯えています」
イアンの言葉に色んな感情が含まれている事を感じる。
「遥か昔から、番に妻や恋人、夫を取られたという話は聞きます。 番が見つかれば、その人しか見えませんからね、獣人や亜人は」
カップを机の上へ置いたイアンが話を続ける。
「偽印は、本物の番が現れた時の為の対抗処置です。 過去には、番によって殺人の事案もありましたしね。 偽印を刻むと、本物の番と出会っても分からないのですよ。 稀に嗅ぎ付ける者も数例ありますけど、皆、いつか本物の番に自分の最愛の人を取られるんじゃないかって怯えているんです。 偽印でお互いを縛り、心の安定を保っているんです。 でも、心の深い所では、本当の番に出会える事を夢見ているんでしょうね」
イアンは窓の外を見て、何処か遠くを見つめている。 いやに最後の言葉には、存分に寂しさが込められている。 しかし、何故、悲しそうなのか、聞いてはいけない様な気がした。
「番様、貴方は本物の番に出会えた事は、嬉しいですか?」
「……っ、私は人族なので、番に獣人や亜人の人たちの様な憧れを抱いた事はありませんっ。 でも、ラト様と出会えた事は感謝しています。 命の恩人ですしっ、でも……」
「団長と出会った事で、誰かを不幸にしたんじゃないかと、思っているんですね」
イアンの言葉に、リジィは素直に頷いた。
「……はい、動物アレルギーの事もありますし……」
「もし、団長と結ばれる事で誰かを不幸にしているとして、それを知った後、番様はどうするつもりなのです? 団長の事は諦めるのですか? それとも諦められますか?」
ハッとして、リジィは顔を上げた。 視線の先には、優しい眼差しをしたイアンの顔があった。
「番様がどうしたいかです。 まぁ、逃げ出したとしても、団長は全力で追いかけて来るでしょうけどね」
「……追いかけてきますかっ……」
「ええ、番とはそうい生き物です」
話は終わりとばかりに、イアンが玄関へ向かった。 次の診察を待っている患者が集まって来ていた。 そう言えば、イアンは人攫いの討伐へは行かなくていいのかと、首を傾げた。
「あの、イアン先生。 今回の討伐には行かなくても良かったんですか?」
「ええ、私の部下にも優秀な者が居ますからね。 番様にもしもの事があったらと、団長に残ってくれって言われたんですよ。 本当に過保護ですよね。 団長も、過保護だと、王族の事を責められないでしょうね」
可笑しそうに笑うイアンから『王族』の言葉を聞いて、再び、オフィーリアの泣き叫ぶ声が脳裏で浮かんだ。 イアンに話を聞いてもらって少しはスッキリしたが、どうすればいいのか、まだ分からなかった。
夕方近くになって、イアンの手伝いを終え、帰宅する為に転送魔法陣へ向かっている時だった。
リジィは人族の商人に声を掛けられ、狼の寝床の前で足を止めた。 あまり見かけない人族で、リジィには見覚えのない人族だった。 戸惑いながら、リジィは警戒した。
「あ、違うんだ。 あんた、確か、カルタシア王国の事を聞きに来てただろう? 俺とは違う商人に」
「ええ、そうですけど……」
リジィは怪しさ満載の商人に眉をひそめた。
「俺もアーヴィング領の出身なんだ。 それで、領主様とは何回か話した事があるんだ」
「えっ、そんなんですかっ?」
(父と話した事があるのっ?)
「ああ、俺にはとてもじゃないが、領主様があんな悪事を働くような人には見えなかった。 とても優しい人だったんだ。 領主様を知っている人は皆、誰かに騙されたんじゃないかって言ってる」
「……どうして、それを私に?」
「それは、他の国の人にまで、領主様の事を悪く思ってほしくなかったからだ」
「そうですか……。 ありがとうございます。 教えて下さって」
「ああ、アンタもまた、カルタシア王国へ遊びに来てくれな」
「はい」
笑顔で商人とは別れ、リジィの頭の中は父親の事でいっぱいになった。 現実逃避だと分かっていても、処理できない気持ちを今は考えたくなかった。
商人が立ち去った後も、リジィは暫く思考に耽っていて動かなかった。 狼の寝床の店からじっとリジィを見つめる瞳がある事にも気づかない程、考え込んでいた。
父親の事を考えていると、脳裏で記憶にない何処かの屋敷が思い浮かんだ。 何故か、思い浮かんだ屋敷へ行かないと駄目だという気持ちが大きくなっていく。
故郷で住んでい居た屋敷など、リジィには覚えがない。 首を傾げながら、ラトの屋敷へ帰りついた。
◇
『リジィ、叔父様が調べてくれたわよ。 アーヴィング家が行った悪事は有名だったわ、真相は分からなかったけど。 でも、領主を知っている人達は、とても人が良くて、騙される事はあっても悪事を働くなんて思えなかったって。 リジィたちが暮らしていた屋敷は領地の小高い丘にあってね。 今は誰も住んでいないんだけど……。 鍵がかかっていて、入れなかったわ。 リジィは鍵とか持ってる?』
いつものアヴリルとの近況報告会だ。 リジィは寝室のベッドに腰かけ、アヴリルの妖精と向き合っていた。 服の下に隠してあるマジックバッグに手を当てる。
「いいえ、持ってないわっ。 私が貰ったのは……カルタシア王国のコインだけよ。 もう、アーヴィングの領地名が入ったコインは使えないんだって……」
『そっか~』
素早い仕事にリジィは開いた口が塞がらなかった。 一瞬だけまた、屋敷の様子がリジィの脳裏に浮かんだ。 顔のぼやけた父親がリジィに何かを伝えている。
(私、何か重要な事を忘れてる? でも、どうして今になって、こんなに父を思い出すのかしら?)
「でも、凄いね。 もう調べ終えたんだ……」
『まあね、商人は迅速に動く事が鉄則だから。 というか、カルタシア王国ではアーヴィング家の話は有名らしいから、直ぐに調べがついただけなんだけどね』
「そんなに有名なの?」
『うん、一家じゃなくて、親族が全員、カルタシア王国から居なくなってるから。 それに伴って悪事と、ある事無い事が貴族の間で囁かれてるみたい』
「そう……。 親族全員という事は、一族で居なくなってるって事?」
『うん、そうなの。 もしかしたら殺されてるか、何処かで隠れ住んでいるか、ね。 今、リジィの家がある地図を送るわ』
「……ありがとう」
『ううん、それは言いんだけど……。 何かあった? 顔が暗いけど』
アヴリルの妖精がひらりと一枚の羊皮紙を取り出した。 リジィの膝の上へ落ちて来た地図を見ると、リジィの脳裏にまた昔の記憶なのか、父親が何かを話している様子が思い浮かんだ。
今度はノイズが掛かっているが、何かを話している声が途切れ途切れに聞こえて来る。
(この記憶はなに? 全く覚えがないのに、屋敷へ行かなければって思いが強くなる?)
直ぐに父親の記憶は消えてしまい、地図を見ても何も思い出さなかった。 青くなっているリジィを見て、アヴリルの妖精が心配そうに見つめて来る。
『どうしたの? リジィ、大丈夫なの?』
「うん、大丈夫よ、アヴリル。 色々調べてくれてありがとう」
顔を上げた時のリジィは覚悟を決めた表情を浮かべていた。 今になって父の事を思い出すという事は、きっとリジィは大切な何かを忘れていて、しなくては行けない事があるのだろう。
ラトとの事は、一旦、置いておくことにした。 現実逃避なのは分かっている。 しかし、リジィが前へ進むためには、父親の事を解決しなければならないと、何故か思った。
ラトにオフィーリアの事を聞けばいいだけの話だ。 しかし、リジィは最悪な事を聞かされる事を恐れ、とても聞けなかった。 イアンが言っていたリジィ自身がどうしたいのか、答えも出せていなかった。
アヴリルの商会の船がシェラン国の港町に寄った後、人族の大陸へ行くと聞いた。 リジィはアヴリルの叔父に乗せてくれないかと、頼んでみた。
『分かったわ。 叔父様に聞いてみる。 でも、本当に団長さんに言わなくてもいいの?』
「……うん」
(正直、今はラト様の顔を見られないっ)
『……もしかしてだけど……団長さんに元恋人がいたりした?』
「えっ、何でそれをっ」
『ああ、勘違いしないでね。 本当にいるかは知らなかったわよ。 ただ、番が見つかった場合、その話は付き物だから』
「……そうなんだ」
『うん、揉める事が多いわね。 でも、お互いに恋人が居なかった例もあるのよっ。 リジィは人族で、番に興味はなかったもんね、こんな話、知らないわよね』
「うん」
『あ、叔父様から連絡が来た。 乗せてくれるって、三日後に港町へ来てって』
「分かったわ。 ありがとうって、叔父様に伝えておいて」
『うん、気を付けてね。 帰りも叔父様が送ってくれるから、絶対に帰って来てね、リジィ』
「うん、父の事が分かったら連絡するわっ」
『うん、いつでも、何でもいいから連絡して』
「うん、分かったわ」
『じゃ、気を付けて行ってらっしゃい』
「行ってきます」
アヴリルと連絡を終え、三日後、ラトの屋敷の皆には内緒にして、リジィはシェラン国を後にした。
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