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5話

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 アヴリルの言っていた事が本当なのだと、リジィは身をもって知る事になった。

 ラトの屋敷で暮らし始めて一週間、ラトは仕事の合間に屋敷へ戻って来てリジィに構い倒して来た。

 医師団長のイアンと、副団長のダレンのアドバイス通り、ラトは無暗にリジィには触れて来ない。

 食事の時も適切な距離を保ち、リジィを膝に乗せる事はして来なかった。 灰色狼の耳や尻尾も引っ込めていて、見た目は人族に見える。 アンティークグレーの髪に、金色の瞳。 スッキリとした双眸と、高い鼻筋に薄い唇。 食事する所作も洗練されていてとても綺麗だ。

 本日は騎士団の仕事がなく、ラトの兄であるヴォールク侯爵の仕事の手伝いで書類処理をする為、ラトは屋敷の執務室で仕事をしているのだとか。 ラトの家は祖父が第二王子だったらしく、ヴォールク家へ婿に入った為、臣籍降下した王族の末端だと執事が教えてくれた。

 王族関係など、雲の上の存在だ。

 (流石、お貴族様……綺麗な所作……。 改めて見ると、とても綺麗な人よね)

 リジィの視線に気づいたラトが柔らかい微笑みを向けて来る。 瞳には愛しさが滲み出ている。 一見冷たそうな印象を受けるラトが、慈しむような笑みを浮かべると、別人のように見えた。

 真っ赤になったリジィが直ぐに視線を逸らした。 カトラリーを握る自身の手元を見て、リジィは愕然とした。 今更、落ち込んでも仕方ない。 育ちが違うのだ。

 (やっぱり、平民の私とじゃ釣り合わないわよねっ)

 自身の手元を見ていると、自然と手首に刻まれた番の刻印に視線がいく。 

 もう少し、優雅に手が動かせないのかと思う。 突然、胸に焼ける様痛みが走り、首を傾げた。 ラトと初めて会った日の様な衝撃はもう胸に残っていない。 

 リジィには番を嗅ぎ分ける臭覚も、感じる事が出来なくなっていた。

 (少しは私にも獣人の血が流れているみたいだけど……純血の獣人みたいにはいかないか……)

 「ごちそうさまでした。 あの、私、部屋へ戻ります」
 「部屋まで送ろう」

 食事を終えて立ち上がると、ラトも同じように立ち上がる。

 「あ、いえ、大丈夫です」
 「俺が大丈夫じゃない……。 もっとリジィと一緒に居たいんだ」
 「……っあ」

 ストレートなラトに、後の言葉が続けられず、言葉にならない声がリジィの口から飛び出した。

 小さく頷くと、リジィが先に食堂を出て先を歩く。 ラトが続いて距離を取って着いて来た。

 広い豪奢な屋敷が珍しく、リジィは廊下に飾られている装飾品や絵画を眺めるだけでも楽しい。 背中に視線を感じて足を止める。 そっと後ろから着いて来るラトを視線だけで振り返る。

 リジィの視界にラトの切なげな眼差しが胸に突き刺さった。

 (うそっ……ずっとあんな顔で着いて来てたのっ?!)

 リジィの全身が震え、手首の刻印が発熱した様に熱くなった。 刻印を押さえると、ラトが近づいて来た。 リジィの様子に何処か悪いのかと思ったらしい。

 「どうしたっ?! 手に怪我をしたのか?!」

 ラトの必死な形相に、リジィはぎょっとして弁解をした。

 「ち、違うのっ?! 何処も怪我はしてなくて……ちょっと、刻印が行き成り熱くなったからっ」
 「刻印が?……そうかっ」

 柔らかく微笑んだラトを見て、リジィの瞳が見開かれる。 手をそっと取られ、リジィの刻印が刻まれている手首をラトの口元へ持って行かれた。 ラトは無意識にやっているみたいだが、とても嬉しそうな表情を浮かべていた。

 刻印に口づけを落とされる前に、ラトの手を振り払い、リジィは脱兎のごとく駆け出した。

 自身の部屋へ駆け込んだリジィは居間のソファへ倒れ込んだ。 先程の光景が脳裏に焼き付き、何度も再生される。 

 全身が真っ赤になった状態で俯きで倒れて微動だにしない。

 (なにっあれ?! めっちゃ色気が駄々洩れじゃないっ?!)

 リジィがソファで見悶えている所を護衛騎士である白へび族である団員に見られている事に全く気付いていない。 護衛騎士に声を掛けられ、リジィの身体、頭と足が飛び跳ねた。

 「番様、どうされました? 顔、というか、全身が真っ赤ですが……。 もしかして、団長に何かされました?」
 「シ、シアーラっ! な、何もされてないわよっ! だ、大丈夫っだからっ!」

 ソファから起き上がったリジィは、刻印が刻まれている手首を咄嗟に抑えた。 

 慌てふためき、刻印を押さえる様子は何かあったと言っている様なもの。 リジィは全く気付いていない。

 シアーラはリジィに配慮して、何も気づかなかった振りをしたが、シアーラの気遣いにも気づいていないだろう。

 「そうですか。 では、本日はどうされますか? 街へ出掛けられますか?」

 シアーラの冷静な声にリジィの高ぶった気持ちも大分落ち着いた。 小さく息を吐いたリジィは、暫し考え込んだ。 

 アヴリルの言う通り、リジィは何をするにも一人では何もさせてもらえなかった。

 「このままじゃ、両親と暮らしてた国へ行けないわ……。 どうすれば……」
 「この国で、ご両親の情報が得られればよろしいのでは?」
 「う~ん、それは無理かもしれないわ。 だって、人族の大陸とは国交があまりないんでしょ?」
 「ええ、そうですね。 でも、番様はお知りになりたいのでしょう?」

 力強く頷くと、シアーラの敬語と『番様』呼びに少しだけ寂しく思う。 

 リジィの護衛だと紹介された時に敬語も止めて、リジィと愛称で呼んでほしいと言ったが、けじめだと聞き入れてくれなかった。

 「そうです。 宿場村のオアシスでしたら、何か情報が得られるかもしれません。 本当は港町の方が情報も多いと思いますが、団長の許可が下りないでしょう。 オアシスならまだ、許可が下りるかもしれません。 オアシスにもたまに人族の商人が訪れますから」
 「オアシス? あそこのオアシスはラト様が消滅させたんじゃないんですか?」
 「はい、跡形もなく。 しかし、もう、元通りに復旧しています」
 「えぇぇ、もう、復旧したのっ?! まだ、一週間くらいだよね?」
 「はい、騎士団には優秀な魔術使いが居ますからね。 彼らの手を使えばあっという間です。 団長に許可を取りましょう。 団長も付いて来ると仰るかもしれませんが」
 「……っ、いや、分かったわ。 言ってみるわ。 ここに居ても私の目的が果たせないものっ」
 「ふふっ、私は番様のそういう所、結構好きですよ」
 「えっ……」

 シアーラは笑顔を浮かべているのだが、表情筋が乏しく、笑えていない。 

 しかし、声は弾んでいるので、楽しそうな事は伝わって来た。 リジィとシアーラは反対されるだろうなと思いながら、ラトが居るであろう執務室へ向かった。

 ◇

 『こほん』とリジィが咳払いすると、シアーラは真面目な表情を浮かべた。 

 リジィは今、念のため、鼻から下を覆う布を付けていた。 処方されている薬で発作は抑えられているが、全員がラトの様に、耳と尻尾を引っ込める事が出来るわけではない。

 (執務室には、執事さんも居るだろうし、もしも、発作が出たら困らせるものね)

 数分、執務室の扉の前でリジィは立ち尽くしていた。 ラトの執務室は奥の平屋にあり、もの凄い広い居間と寝室が一緒になった部屋があるらしい。 お風呂も衣装部屋なども広いらしい。

 シアーラがラトに用事を言いつけられて入った時に見た様だ。 声はとても好奇心旺盛なのに、表情は無表情だった。

 ある意味でとても怖かった。 お客様用の建物とラト個人の部屋がある平屋は、渡り廊下で繋がっている。 渡り廊下から庭へ出られるのだが、リジィはまだ出た事がない。

 大きく息を吐き出し、意を決して木製の両扉を数回、ノックした。

 『リジィです』とノックの後に声を掛けると、中から慌てて物を落とした物音が鳴らされた。 そして、何かに躓いた様な音が鳴り、勢いよく木製の両扉が部屋の内側へ開けられた。

 「リジィっ!! どうしたんだ、何かあったのか? 執務室まで来るなんて……は、初めてだなっ」

 ラトはとても嬉しそうにしているが、先程の刻印への口づけを思い出したのか、真っ赤になって慌てた。 開かれた扉の奥に執務室の中が見える。 奥の正面に大きな掃き出し窓があり、前には執務机が置いてあった。 両サイドの壁は上から下まで本棚が備え付けてあり、難しそうな本が並んでいた。

 執務机の上には書類の山が沢山置かれていた。

 「す、すみませんっ、お仕事中にお邪魔してしまって」
 「いや、入ってくれ。 少しだけ休憩しようと思っていた所だ」

 (分かりやすい嘘、さっき、一緒にお昼を食べたばっかりなのにっ)

 嬉しそうに笑うラトに苦笑を零す。

 リジィはラトに促されて執務室へ入った。 手前にソファーセットが置かれていて、ソファへ腰掛ける。 二つの窓から明るく午後の日差しが差していた。

 ラトはもぞもぞとしながら、向かいのソファへ腰掛けた。 執事にお茶の指示を出し、リジィと向き合う。

 「で、ここまで来たという事は、俺に何かしてほしい事があるのか?」

 察しの良いラトは直ぐにリジィの考えている事を言い当てた。

 「……はい」
 「なんだ? 何でも言ってくれ、俺が出来る事なら、何でもしてやる」
 
 もの凄く真面目な表情で宣ったラトには言いづらいが、膝の上へ置いた拳を握りしめ、口を開いた。

 「ありがとうございます。 あの、私、オアシスへ行ってみたいのですが」
 「オアシス? あそこに行って何をするんだ? そう言えば、オアシスでリジィと出会ったんだったな」
 「……えと、両親の情報を得たくて……」

 執事が紅茶を運んできて、ローテーブルへ置く。 執事の淹れた紅茶はいい香りがして、心が落ち着いた。 一口飲むと、紅茶の香りが口一杯に広がり、何故か勇気が湧いた。

 「私、どうしても人族の国へ行きたいんですっ! お願いします」
 「リジィの両親の事は俺たちも探している。 だから、もう少し待ってくれ。 勿論、リジィが行く時は俺も一緒に行くから」
 「自分の両親の事だから、私も一緒に探したいわっ。 本当は港町で探したいけどっ」
 「駄目だ、港町は荒くれ者も多いし、人攫いも多いんだ。 若い女性だけだと危険すぎる」
 
 暫くリジィとラトの真剣な眼差しがぶつかり合ったが、折れたのはラトだった。

 大きく息を吐き出し、ラトが諦めた様な声を出した。

 「分かったっ、オアシスまでだからな。 港町は駄目だぞ、港町に行くなら俺が一緒に行く」
 「ありがとう、ラト様っ」

 リジィの表情が明るく輝き、ラトも柔らかい表情を浮かべた。 午後の日差しを受けて微笑むラトはとても綺麗で、リジィの瞳を捉えて離さない。 暫く見惚れてしまい、慌てて視線を外した。
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