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26話 『主さま、降臨す』

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 王立バルディーア学園は、全寮制である。 学園の校舎裏にあり、男子寮と女子寮に分れている。 男子寮はヴォラーレ寮といい、女子寮はダンツァ寮という名だ。

 学生寮の裏には、深い森も拡がっている。 草叢を掻き分けて草地を踏みしめる足音が、静寂に満ちた森に響く。 草叢を掻き分けた先に、瘴気を出す結界石が鎮座していた。 大体、拳大くらいの大きさだ。

 瘴気を出す結界石は、濃い瘴気を漂わせていた。 石にしわがれた声が落ち、白い手が延びる。

 「瘴気が濃いね。 そろそろ、魔物が暴走する場所が出てくるだろうね。 急がないといけないね」

 濃い瘴気を出す石を握った白い手が眩い光りを放ち、濃い瘴気が見る見るうちに霧散し、ただの石に変わった。




――ヴィーは主さまに手を引っ張られ、医務室の中に入った。
 医務室は、診察室と事務室に分れており、ヴィーの胸に既視感を覚え、感傷が拡がる。 事務室の窓際には、デスクがあり、書類が大量に積み重なっていた。

 デスクの前には、応接セットが置いてあり、勧められるままソファーに主さまと向かい合って座った。 壁際には、本棚や薬棚が並んでいる。 ローテーブルに紅茶が置かれると、ヴィーの視界にちょこんと置かれたポプリの小袋が目に入った。 男性が持つにしては、淡いピンクの小花柄で可愛らしい物だった。

 ヴィーは、小袋を見ると、眉間に皺を寄せた。 煙幕は視えないが、不穏な物に感じたのだ。 黒蝶も鱗粉を小袋に振りまき、不安を露わにしている。

 「主さま、これはっ」
 「大丈夫だよ、ヴィー」

 有無を言わせない主さまに気圧されて、ヴィーは小さく息を吐いた。 主さまが大丈夫だと言うのだから、大丈夫だろうと、無理やり納得させた。

 「分かりました。 これ以上は何も言いません」

 にっこり微笑む主さまは、いつもは布を複雑に何重にも身体に巻き付けている。 しかし、今は布ではなく、きちんと衣服を身に着けている。 しかし、センスが問われる珍妙な格好をしており、民族衣装風で、頭には布を何重も巻いていた。 そして、何故か背中に白い羽根が付いている。 何と言っても、ヴィーを怖がらせた物は、腰に下げている縫いぐるみだ。 不穏な小袋よりも怖かった。

 縫いぐるみの顔は、三つの穴が歪な形で開いていて、頬には縫い痕がデザインされている。 三つの歪な穴から何か出てきそうで怖いと、ヴィーは身体を小さく震えさせた。 主さまは、お気に入りなのか、ご機嫌で説明してくれた。

 「私のお気に入りの娘が徹夜で作ってくれてね。 ああ、娘はこの世界の人間ではないのだけど、幸せになってくれて良かったよ。 私は、この縫いぐるみが一番気に入っているんだよ」

 (えええええ! その怖い縫いぐるみが、一番のお気に入りなんですか?! これはツッコンでいいのかしら? 取り敢えず、服の事はこれ以上触れないでおきましょう)

 「あの、何かあるんですか?」
主さまは、『ん?』とヴィーの言っている事が理解が出来ない様で、首を傾げた。
 「さっき、主さま『面白い事になりそう』とか言いませんでしたか?」
 「ああ、それはもう少し秘密かな」
にっこり不敵な笑みを浮かべて、指を口元に持っていき、内緒のポーズを取っている。
 「ええぇぇっ! 医務室の係医の振りまでして来てるのに、内緒なんですか?!」
 「ちょっと、見届けたい事があってね。 暫くここに居る事にした。 ヴィーは、私がボロを出さないように、明日から学園が終わったら、書類の整理とか係医の仕事を手伝って欲しいんだ。 怪我の手当てとかは出来るのだけど、書類整理は私には出来ないしね」
ヴィーは溜め息を吐いた後、納得いかないながらも頷いた。
 (それで、何で係医の振りなんてするんですか?!)
 「分かりました。 これも役目ですし。 でも、ネロ様にだけは許可を取りたいです。 医務室に連日通うなんて、きっと心配すると思いますので」
 (何となくだけど、黙ってたらきっともの凄く怒られるっ)
ネロの恐怖の大魔王が降臨した時の事を思い出し、ぶるりと身体を震わせた。
 「分かったよ。 大きくなった王子とは初対面だね」

 ネロと主さまの対面は、就寝してから、主さまの住処に2人が呼ばれ、滞りなく行われた。 無論、ネロが驚愕し、主さまのお願いを断れる訳もなく、頷くしかなかったのは言うまでもない。 以降、主さまの手伝いに駆り出され、ヴィーの意思とは関係なく、医務室に籠る事になり、不本意にも『医務室の主』と呼ばれるようになっていた。

 (主さまの見届けたい事って何だろう?)



――学年に慣れた頃、学力テストも終わり、月末には新入生歓迎パーティーが、生徒会主催で行われる。
 ある日の放課後、ネロとアルバは校舎の外れにある部活棟に向かっていた。 来月に行われる部活紹介で使用する冊子に、各々の部活動の部長のコメントを載せる為、事前に渡していた書類を受け取りに行くのだ。 

 入学試験でトップの2人は、問答無用で生徒会に入る事が決まり、早々にネロとアルバは、従兄である生徒会長に、連日こき使われていた。 今から回収に行くコメントの書類も、王子が回収に訪れば、慌てて出すだろうと思っての事だろう。 慌てふためく生徒たちの姿が、ネロの脳裏に浮かんだ。 クリスとバニーは、執行委員として、別の仕事を生徒会長から割り振られ、別行動していた。

 「くそっ! あいつ、鬼だろ。 遊ぶ暇が全然ないっ!」
アルバはブツブツと文句を言っていた。
 「アルバ、仕方ないよ。 決まり事だからね。 私もファラとお茶がしたいよ。 ファラが足りない」
ネロを胡乱な目で見ると、アルバは溜め息を吐いた。
 「ネロっ! お前、いつの間に、そんなにヴィオレッタ嬢にメロメロになったんだ?」
 「最初からだけど」
アルバはあからさまに、嘘だろうと疑いの目でネロを見ている。
 「アルバもそろそろ女遊びは止めて、ちゃんとエルヴェーラ嬢と向き合いなよ」
 「政略結婚に、愛とか恋とか要らないだろう」

 背後から近づく足音が2人の耳に届き、黒蝶と水鳥が足音の主をネロたちに伝えると、嫌な顔を隠さずに無視して、廊下を歩いた。

 「あ、待ってください! 殿下方っ!」
黒蝶と水鳥が知らせた通り、アレッシア・フォルナ―ラだ。
 「待ってください!!」
フォルナーラが2人の前に回り、行く手を阻んだ。 フォルナ―ラの瞳には怪しい光りが宿っている。
 「君の相手をしている暇はないんだ。 道を開けてくれるかな」
 「殿下方! 月末の新入生歓迎パーティーに、私をエスコートして下さいませんか?」

 行き成り、話の脈絡もなく放たれた言葉に、ネロとアルバの目が見開かれ、呆気に取られた2人は言葉を発する事が出来なかった。

 (何を言ってるんだ? この令嬢は。 私がエスコートするのは、ファラしかいないんだけど。 しかも、私とアルバの両方にエスコートしてくれって言っているのか? それこそないだろう)

 正にフォルナーラは、両手にネロとアルバを侍らせ、パーティーで注目を浴びたくて言っているのだ。

 「私のエスコートする相手は、ファラだけだ。 アルバもエルヴェーラ嬢をエスコートする事に決まっている。 悪いが他をあたってくれ」
アルバは溜め息を吐き、返事もしたくない様子だった。
 「俺、言ったよな? 俺の正妃を敬えない奴は、側妃にしないって。 公式の場でのエスコートは、全て正妃って決まっているんだ」
 「あの、側妃ではなくて、私を2人の正妃にして下さい!」

 フォルナ―ラは、堂々と二股宣言をした。 ネロとアルバは、驚愕の表情を浮かべ、話が通じないフォルナ―ラから1歩、無言で後ずさった。 この手の人間は相手にしないに限る。

 (どうして、そう思えるんだ? 無理があるだろう?! どういう思考回路してるんだ?! 私の正妃という事は、王妃になる。 二股かける王妃が何処にいる?!)

 「それに、ヴィオレッタ様は医務室に籠っていて、男性と2人っきりでいるじゃないですか! 不貞行為です!」

 今、二股宣言した口で何を言うと、ネロとアルバの顔から表情が抜けた。 それに医務室に籠っている理由も、ネロは知っている。 ヴィーが主さまと居るのも、本人から聞いて知っており、ネロは主さまと初めて対面もした。

 (ちょっと、嫉妬するけど。 いや、大分してるけど。 主さまに書類仕事なんてさせられない)

 「二股宣言しておいて、何言ってるの? ファラは執行委員として、書類整理の手伝いをしているだけだよ。 それに私にも、係医から直々にお願いされたしね」

 フォルナーラは、眉間に皺を寄せたが、ネロとアルバの手に小袋を押し付けると、フォルナ―ラの中では、エスコートを断った事が無かった事になっていた。

 「お近づきの印に、こちらをお二人に差し上げますわ。 わたくしのお店で売っているポプリです。 とてもいい香りがしますの。 それでは、殿下方、パーティーのエスコートの件、お願いしますね」

 手を大きく振り、令嬢らしかぬ所作で廊下を駆けて行った。 フォルナーラの後ろ姿をネロとアルバは、唖然として見送った。

 「うへぇ~。 あの令嬢、不思議ちゃん過ぎる! どっか切れてるんじゃないか?!」
 「うん」

 ネロが押し付けられた淡いピンクの小花柄の小袋を見つめると、黒蝶が小袋に鱗粉を振りまく。 黒蝶から『魅惑の実』が微量だが、混ぜられている事が伝えられた。

 「そうか、これに『魅惑の実』が入っているんだね。 だから、彼女は最後にエスコートの事を言って去って行ったのか」
 「ああ、なるほど。 『魅惑の実』で操った気になっているんだな」
ネロの言葉にアルバが納得した様に答える。
 「ノワール」
ネロから低い声が聞こえ、天井から静かな声が落ち、音を立てずに黒装束の女性が降りて来た。
 「はい、マッティア殿下」
 「お前は、クロウとファラの護衛を代われ。 クロウでは女子寮の中までは入れないからな」

 学園の寮では、自分の事は自身で行う事を謳っている為、王侯貴族でも専属メイドをつけられない。 生徒たちは、洗濯から部屋の掃除まで、身分関係なく自身でしないといけない。 王族も例外ではない。

 「これをクロウに渡して、どれだけばら撒かれてるか調べてくれ。 後、『わらびの実』を食べていない者を警護から外せ。 隔離して身体検査をして処置しろ」
 「御意」
ノワールは小袋を受け取ると、音もなく天井裏に消えた。
 「ビアンカ」
アルバの低い声が廊下に響く。
 「はい、ここに」
何もなかった廊下の壁から、音もなく白装束の女性が現れた。
 「お前もエラにつけ。 何かあれば報告しろ。 それと、フォルナ―ラ家を調べてくれ」
 「御意」
ビアンカも音を鳴らさずに消えた。
 「私たちは、用事を済ませたら、エドに報告しよう。 注意喚起しないと」
ネロの言葉にアルバは頷いた。

 エドとは、本名は、エドガルド・アルベルティ。 アルベルティ公爵家の嫡男で、ネロたちの従兄で、人使いの荒い生徒会長の事だ。

 「『魅惑の実』なんて、二番煎じみたいだけど、エレノア嬢の時の事は、公表してないからなぁ」
 「ああ、また面倒くさい事にならなければいいけどね。 あの令嬢とはもう、話なくないしね」

 ネロとアルバは、フォルナ―ラを思い出すとげんなりした。 部活棟に続く廊下を溜め息を吐いて、無言で歩き出した。



――思惑通りに『魅惑の実』をネロとアルバに渡せ、アレッシア・フォルナ―ラは、ご機嫌で女子寮に続く廊下を歩いていた。

 一応、エレノアの事件の時に、メイドに扮して紛れ込んでいたが、直ぐに食堂を出された為、詳しい事は何も知らないのだ。 『わらびの実』は実家が花屋な事もあり、偶然に知ったのだ。

 ご機嫌顔で歩いていたが、ネロとアルバの態度を思い出すと、顔が歪んだ。 ファルナーラは、女子寮の裏に来ていた。 人気もなく、手入れもされていないので、草が生え放題になっている。

 「確か、ゲームだとこの辺に落ちてたよね。 王子たちの様子だと、『バッドエンドスタート』に入っているのは間違いないし。 わざとめちゃめちゃな事言ったけど、あんな冷たい目でヒロインの私を見るなんて! 信じられない! ゲームではなかったのにっ!! 早くネロを浄化して、正しいゲームに戻さないとっ! 王妃になれないじゃない。 まぁ『魅惑の実』入りのポプリも渡せたし、落ちるのも時間の問題ね!」

 草叢を分け入り、制服が汚れるのも気にせずに、地面に膝をついて何かを探している。 フォルナ―ラは、誰もいないと思っているが、後ろにある建物は女子寮であり、窓があった。 そこは、医務室の窓で、丁度ヴィーが書類整理の手伝いの為に来ていた。 大きな声でしゃべりながら、草を掻き分け、ピンクゴールドの髪がぴょこぴょこと上下に動いている様子が、医務室の窓から良く見えていた。

 (えっ! 今、『魅惑の実』がどうのって聞こえたわ?! あの髪は、フォルナ―ラ様ね。 何をしてるのかしら?)

 ヴィーと主さまは、休憩のお茶をしようと、応接セットのソファーに座った所だった。 何をしているのか探る為、ピンクゴールドの髪をじっと見ると、黒い煙幕が現れ、フォルナ―ラのチビ煙幕が描き出されていく。

 何が楽しいのか分からないが、フォルナ―ラのチビ煙幕はご機嫌で小躍りしていて、詳しい事が分からなかった。 主さまは面白い物を見つけた顔をしていて、黒蝶も興味深々そうに窓から飛び出そうとしていた。
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