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20話 『前世の記憶』

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 ヴィーは夢を見ていた。 見た事もない建物や、乗り物を見て前世の記憶だろうと思い至った。 今、ヴィーの目の前で、男性がしきりに頭を下げている。 申し訳なさそうな顔をして、イケメンが台無しになっていた。

 楽し気な音楽が鳴り響き、子供も大人も楽しそうに会話をしていて、賑やかな声が聞こえ、何かが滑る轟音が鳴り響いている。 人が乗っている乗り物がカーブを曲がり、一回転しているのを目の当たりにして『これかっ!』とヴィーは思い至った。

 いつも主さまに呼び出される時に体験している事は、これを模範しているのだと。 ヴィーは真っ青になりながら、絶叫マシーンを眺めた。 はっきり言ってヴィーが体験しているものよりも、実物の方が恐ろしく見えた。

 目の前の男性から名前を呼ばれ、我に返ったヴィーは男性と向き直った。 男性は申し訳なさそうにヴィーに懺悔した。 男性は何処かで見た事があった。

 「本当にごめん! 他に好きな人が出来た。 別れて欲しい!」

 目の前の男性は、ヴィーの前世の恋人らしい。 ヴィーというか前世の『私』は憤っていた。 『久しぶりに遊園地でも行こう』と誘われ、別れ話されるとも知らずに、のこのこと来てしまった。 今日までそんな気配、一つもなかったというのに。 他に好きな人が出来たのは仕方がないと。 電話とかメッセージで別れを言わず、顔を会わせて別れを伝えるのは好感が持てる。 しかし、何故、別れ話の場が遊園地内で、少し離れた場所に彼が好きになった彼女が居るのか。

 (この後、2人で遊園地を満喫する気満々じゃないの! 2年付き合った彼女を捨てたその後で?! 私はどうすればいいのよっ! 1人で楽しめと?! 別れる気なら、遊園地内で待ち合わせなんかするなよ!! 入場料高いんだから、チケット代が損でしょうよ!)

 
 お金の問題だけではなく。 久しぶりの遊園地デートに浮かれ、当日まで楽しみにしていた気持ちまでも、打ち砕かれたのだ。 恋人が本気なのを感じ取り、こんな仕打ちするような人を繋ぎ止めても意味がないと思い、色々な思いを飲み込み、上手く笑えず返事を返した。 きっと、泣きそうな顔をしていたんだろうと思う。

 心の奥底で『またか』という思いが沸き上がって来る。 『またか』とはどういう事なのか、別れたいと言った彼は、初めて出来た彼氏のはずだ。 ただ『私は』もう恋はしないと心の底から思った。

 「分かりました。 今までありがとうございました」
彼が傷ついた様な表情を浮かべた。
 (なんで、先輩がそんな顔をするのよっ! 泣きたいのはこっちなんだからっ!)

 新しい彼女が当たり前のように、元恋人の腕を取り、引っ張って行く。 新しい彼女と視線が合うと、彼女は『してやったり』という表情を浮かべて、バカにしたように嗤った。

 (嫌だ、先輩! 私は別れたくない! その人と行かないでっ)



――『嫌だ、行かないでっ!』
 ヴィーは元恋人の背中に手を伸ばしたはずだった。 誰かに手を取られて意識が浮上する。 優しい声がヴィーの耳に届いた。

 「大丈夫、私はここに居る。 何処にも行かないよ」

 重い瞼を開けると、優しいネロの瞳が覗いていた。 自分の手を見ると、ネロの服の裾を握っており、ヴィーの手をネロが優しく握り返していた。

 「ごめんね。 桶の水が温くなったから、入れ替えに行こうと思っただけなんだ。 直ぐに戻って来るから」
 「あ、私、夢を見ていて」
 「そう。 嫌な夢だったの?」
ヴィーは眉を下げて困った顔をした。
 「もう、忘れてしまいました」

ネロはヴィーを追求する事なく、温くなった水を入れ替える為に桶を手に取った。

 「そう、ちょっとだけ離れるね。 桶の水を入れ替えるついでに、医者を呼んでくるよ」
 「はい、申し訳ございません。 ご迷惑をおかけして」
 「ファラ、気にしなくていいよ。 全然、迷惑じゃないからね。 じゃ、ちょっとだけ離れるよ」

 ヴィーは慌てて、握っていたネロの服の裾を離した。 ネロはヴィーの頭を優しく撫でると部屋を出て行った。 両手で顔を覆い、息を吐いて布団に顔を埋める。

 (つぅ、子供か! 恥ずかしい! あ、私、火事に遭って、ネロ様が助けてくれたんだわ)

 ずっと心配してついていてくれたのか、ネロの目の下には、少し隈が出来ていた。 折角の美人が台無しだと、ヴィーは苦笑を零した。 少しだけ思い出した前世で分かった事がある。 ネロは元恋人に似ている事。

 (でも、中身は全然違うけど。 もしかして、ネロ様にドキドキするのは、前世の元恋人に似てるから? 顔が好みだと思ったのは、無意識に前世の『私』が反応したから?)



――ネロが廊下に出ると、王専属の侍従が待ち受けていた。
 ネロは王に呼ばれ、執務室で向き合っていた。 2人とも眉間に皺を寄せており、表情がとても似ている。 王が一つ息を吐くと手に持っている報告書を睨みつける。

 「それで、旧魔力研究所も『わらびの実』の生る木も燃えてしまったのか。 で、ヴィオレッタ嬢は大丈夫なのか?」
ネロは真っ直ぐに王を見据えて答えた。
 「はい、申し訳ございません。 私の考えが至らなく、貴重な『わらびの実』の生る木を失ってしまいました」
 「済んだ事だ。 もう、よい。 持ち出された『わらびの実』の行方を調べろ。 民たちは勿論の事、王侯貴族のほとんどが『魅惑の実』の耐性を持っていない。 わらびの木もほとんどが自然に生えている物ばかりで、数も少ない。 『魅惑の実』をばら撒かれたら厄介だ」
 「はい、必ず見つけ出します」
王がネロをじっと見つめるが、フッと表情を緩めた。
 「お前は随分、ヴィオレッタ嬢を気に入ったようだな。 燃え盛る火の中に飛び込んで助けたそうだな。 もの凄い形相で」
 「なっ! 助けるのは当たり前です。 妃候補ですし、お預かりしているご令嬢に何かあったら、ビオネータ侯爵に申し訳ありません」
王が息を詰まらせた様な表情を浮かべた。
 「その名を言うなっ! 奴が来るだろう!」
本気で怯えている父親を見て、ネロは呆れた表情で王を見据えた。 咳払いをした王が話を変えた。
 「マッティア、お前の第二夫人候補だが」
ネロは食い気味に王の言葉を遮った。
 「いりません。 私の妃はファラだけです」

 王の執務室に静寂が訪れると、ネロと王が無言で見つめ合う。 静寂を破ったのは、王だった。 ネロが拳を強く握り込み、厳しい表情を落とす。

 「お前の為に言っているんだが」
ネロは決然として言い返した。
 「必要ありません。 私は運命に打ち勝ってみせます」
深い溜め息を吐くと、片手を振って下がれと示した。
 「分かった。 第二夫人候補の事は、保留にする。 ジュリアーノ嬢の新しい婚約者は、こちらで見つけておく」
 「父上、エレノア嬢の新しい婚約者の件ですが、もう少し保留でお願いします」
王は訝し気にネロを見つめた。
 「何を言っているんだと思われるかもしれませんが、想い合っている2人にチャンスを与えて欲しいのです」
思い当たったのか王はニヤリと笑った。
 「全く、お前はまだまだ青いな。 分かった。 そちらも暫く保留にしよう。 それと、後は成人の儀式に集中しろ」
 「はい、ありがとうございます。 必ず、成功させます」

 ネロは今度こそ王の執務室を出て行った。 王は自身の息子の後ろ姿を眺め、苦笑を零し、小さく息を吐いた。 閉まった扉をじっと眺めると独り言を呟いた。

 「自覚もないのに、既にヴィオレッタ嬢に執着してるのか。 黒薔薇の王子は、代々、一つの物に執着し過ぎて、自滅する王子が多い。 もう、他の者をあてがっても遅いだろうな」



――暫くして、医者がヴィーの部屋を訪れ診察を受けていた。
 火事から1日経っていた。 エレノアを操っていた物は『わらびの実』を加工して作った『魅惑の実』だった。 解術薬を飲んだエレノアは、もう元気になっていて、マスゲームの次の練習日に完璧な舞をお披露目する為、日夜頑張っているらしい。 そして、どうしてそうなったのか、タイミングが悪かったのか、ヴィーがエレノアの為に『わらびの実』を採りに行き、火事に巻き込まれたと思い込んでいるらしい。

 (どうしてそうなった?! エレノア様、意外とお茶目というか、思い込みが激しいのかなっ?)

 医師からは、疲労しているが、気管も火傷していないので、1日休めば大丈夫だろうという診断だった。 医師が部屋を辞すると、ネロが神妙な顔をしてヴィーの手を取る。 ネロの濃紺の瞳が不安に揺れている。

 「ファラ、すまない。 私のミスだ。 エレノア嬢が狙われた後は、ファラの番だと分かっていたんだ。 分かっていて、ファラを囮にして、首謀者を捕まえようとしたんだ。 まさか、火を放つとは思わなかった」
 「えっ! どういう事ですか?」
『実はね』と、ネロは本当に申し訳なさそうに話し出した。

 ヴィーが攫われたと知らせを受けたネロは、直ぐにヴィーを救出する為に動いた。 報告のあった旧魔力研究所に急いで向かった。 王城からは近くて馬を走らせれば直ぐに着く。 着いてすぐにネロたちは、犯人とおぼしき者たちに攻撃を受けた。

 『殿下! 危ないです! 離れて下さい!』
 『何言ってるんだ! あの中にファラが居るんだ。 早く、助けないとっ』

 雇われた者たちは、ならず者なのか、騎士団の相手にはならず、やられそうになった相手が、火の魔法弾を建物の中に投げ込んだのだ。 古い建物は直ぐに火の手が上がり、瞬く間に燃え上がった。 何人かは捕まえたが、下っ端の為に、何も情報も掴めなかった。 ネロの黒蝶が鱗粉を振りまくと、熱風や火の粉がネロを避けていく。

 ネロは燃え盛る火の中へ、飛び込んでいった。 ヴィーは直ぐに見つかった。 床を這って出ようとしていたのか、扉近くで倒れていた。 ドレスも泥だけになっており、あちこち擦り傷だらけだった。 ヴィーの黒蝶が鱗粉を振りまく。

 『ああ、ファラの黒蝶か。 ありがとう、息が楽になったよ。 ファラ! 大丈夫か?!』
ヴィーは弱々しく微笑んだ後、とても安堵した表情を浮かべた。
 『った。 戻って来てくれたんだ、先輩』
 『ファラ?』
ネロは眉間に皺を寄せ、内心でヴィーの言葉を反芻した。
 (先輩って誰の事だ? それにこの残り香は『眠りの魔法』だね)

 少し胸にモヤッとする物が過ぎったが、今はここから脱出する事が先決だと思い直す。 ヴィーの黒蝶は、ネロの黒蝶と協力して、燃え盛る炎の中に道が開き、出口まで導く。 ネロは2匹の黒蝶が作り出す炎のトンネルを、ヴィーを抱き上げて進んだ。

 そうして、何とか脱出すると、城からの知らせで、後宮の森の奥に生っていた『わらびの実』の木が燃えたと知らせが届いた。 ネロの影が確認に行ったが、『わらびの実』は全ての実が無くなり、大木だけが半焼していたそうだ。

 「えっ?! 燃えたんですか?! 私、籐の籠、いっぱいに詰めたんです。 行き成り、気を失ってしまって、籠を落としたのは分かったんですが、それもなかったんですか?」
 「うん。 報告では、何も落ちてなかったよ」
ネロは顎に手を当てて、何かを考え込んでいた。
 「ファラが気絶したのは『眠りの魔法』をかけられたからだよ。 魔法がかけられた残り香がしたからね。 この手の魔法は掛けられていても気づかないんだ」
 「なるほど、勉強になります」
何故かヴィーは、力強く頷く。 ネロは苦笑を漏らして話の続きをした。
 「『わらびの実』が燃えた後が無かったから、大木だけだが燃えたんだ。 『わらびの実』が持ち去られた事は、間違いない。 『魅惑の実』の事は、一部の人間しか知らないから、犯人は自ずと見つかると思うんだけど。 ファラの事は、守れると思ってたんだ。 本当にすまない。 ファラを守って欲しいと、主さまにも予め言われていたのにっ」
 「そうですか、主さまが。 でもネロ様は、私を助けに来てくれたじゃないですか。 あの時、ネロ様の顔を見て凄く安心したんですよ。 何でそう思ったのか分からないですけど、もう大丈夫だって思ったんですから」
 「ファラ」
 「知り合って間もないのに、大分おめでたいですよね」
ヴィーが困ったように微笑むと、ネロも苦笑を漏らした。
 「うん、分かった。 反省は終わりにするよ。 それで、この件の調査は、取り敢えずここまでなんだ。 成人の儀式まで、もう時間があまりない。 成人の儀式で作る結界石の練習に集中しろとの事だよ。 それと、ファラが先日に作り出した結界石の効果も、ファラが寝てる間に証明された。 後、エレノア嬢は、第二夫人候補から外れたよ」
 「そうなんですか?!」
 (私が寝てる間に、もの凄く話が進んだのね)
 「うん。 だから、明日は1日、休むとして。 明後日からは、本格的に結界石の練習の大詰めになる。 一緒に頑張ろう」
 「はい、頑張ります」

 ネロはまだ、執務が残っているからと、王城に戻って行った。 ヴィーは、小さく息を吐くと、布団に潜り込んだ。 ネロを思うと、前世の恋人が思い浮かぶ。 ヴィーの胸にズキリと痛みがさして、じくじくと膿が出来る。

 (もしかして、ネロ様は、先輩の生まれ変わりとかじゃないよね?)


 ネロは、後ろ手でヴィーの部屋の扉を閉めると、顔を歪めた。 思い出されるのは、先程のヴィーの寝言だ。 内容的に良い事ではないだろうと、ネロの胸がズキリと痛んだ。 扉に持たれて、廊下の天井のランプの光を見つめる瞳が、不安に揺れている。 ネロの胸に、黒い感情が拡がっていくのが分かった。

 (もしかして、ファラには想い人がいるのか? ファラが寝ぼけて引き留めたのは、確実に私ではないよね)

 ネロが沈んでいる事に気づいた黒蝶が、慰めるように頬にキスを落とす。 黒蝶を見て少し微笑むと、ネロは王城に戻る為に、重い足を動かした。
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