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最終話 「さぁ、シア、行こう。 僕たちの婚約式だ」
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見知らぬ男に睡眠薬を嗅がされ、床へ倒れ込んだリィシャ。 リィシャを抱き上げようとしてい男の背後へそっと近づいた。 男は背中に只ならぬ魔力をぶつけられて、リィシャから手を離した。
恐る恐る男が背後を振り返る。 男の汚れた瞳に、レイピアを首元に突きつけたユージーン自身が映し出されていた。 男の瞳に映ったユージーンの顔は、怒りで歪んでいる様に見えた。
「僕の番に汚い手で触るなっ」
低くて身体の奥まで響く声がユージーンから吐き出された。 レイピアが男の首に突きつけられて、男は身体を大きく跳ねさせ、恐怖で竦みあがっている。 しゃがみ込んでしまった男は、身動きが出来なくなり、震える両手で自身の身体を抱きしめていた。
男が小刻みに震え、歯が嚙合わせる音を鳴らして、控室で響いている。
「ふふっ、やっと来たね。 エミリーが捕まってから、ずっとシアを狙ってたんでしょ? あの力を利用する為に」
男が恐怖している様子を楽しそうに眺めると、紫の瞳が妖しい光を放ち、獣目に変わる。
「……っ」
「フィスィ殿、幻影魔法を解いて、大人しく投降してもらおう」
男はユージーンが睨みつけると、諦めていないのか、まだ何かしようとしている。 逃げ出そうと、震える身体に力を入れようとしていたが、足が動かないのか、立ち上がろうとしては床に頽れていた。
「無駄な足搔きだよ」
ユージーンの人差し指と親指で軽い音を弾いて鳴らされる。 廊下から複数の人間が走って来る足音が2人耳に届いた後、背後の扉が開かれ、サイモンと王国騎士団の騎士達が雪崩の様に入って来た。
クロウ家の私兵に囲まれ、フィスィは舌打ちをして口元を引き結んだ。 フィスィの足元の床に魔法陣が拡がり、煙が控室中に立ち込めた。
フィスィの様子にユージーンから重い溜め息が吐き出される。
「全く、貴殿の所業の所為で、ハイエナ族がどんな目に遭ったか考えもしないで……」
視界からフィスィの姿が消え、ユージーンの左横を一陣の風が通り抜けた。
一瞬の出来事だった。 フィスィが左横を通り過ぎたらしいが、白カラスの翼を一瞬で拡げ、フィスィの退路を断った。 翼を羽ばたかせてフィスィをはたき飛ばし、強風を起こして立ち込めた煙を吹き飛ばす。
人が壁に激突する大きな音が鳴り、フィスィが呻き声を上げる。
晴れた視界の先で拡がっていた光景は、幻影魔法が解けて壁に激突したフィスィが床に崩れ折れ、気絶した姿だった。 再びユージーンから自然と呆れた様な溜め息が漏れる。
「あっけないものだね。 サイモン、この者を縛ってくれ。 僕はシアの様子を見て来る」
「承知しいたしました」
フィスィの情けない様子に、駆けつけた王国騎士たちが何もする事が無くて、苦笑を零している。
窓際で床に倒れているリィシャに駆け寄り、上半身を助け起こす。 リィシャに声を掛けると、小さい呻き声を上げたが、まだ目が覚めるには時間が掛かる様だ。 リィシャをソファへそっと寝かせた。
「シア、少しだけ待っていてね。 僕はまだ彼に用があるから」
ユージーンの声は聞こえておらず、健やかな眠りを貪っているリィシャを愛し気に見つめると、眉尻を下げる。 そっと額に口づけを落とし、起こさないように、静かにリィシャの元を離れた。
フィスィに近づき、にこやかな笑みを浮かべたユージーンは、低い声でフィスィを呼んだ。
「お前には、今までの事を洗いざらい吐いてもらうよ」
黒い笑みを浮かべるユージーンの瞳には、危険な光が宿っている。 肩を大きく跳ねさせたフィスィは、瞳に恐怖の色を滲ませた。 王国騎士団の騎士達も、眉間に皺を寄せ、頬を引き攣らせた。
ユージーンの恐怖の尋問が始まった。
◇
ユージーンの尋問が終わり、フィスィが白目を剥き、口から魂魄を出した頃、リィシャは目が覚めた。 数回瞬きし、我に返って半身を起こす。
(ここはっ! ど、私が居た控室だわ。 えっ、そうすると私は何処にも連れされてない?!)
部屋を見渡し、見覚えのある家具や花瓶、ソファにホッと胸を撫で下ろす。
(良かったっ、今回は連れ攫われてないっ! ジーンにも、サイモンとか、誰にも迷惑かけてないわっ……。 あ、でもあの男は何処に? それに……メイドは、どうなったのっ?)
慌てて身体を起こし、向かい側のソファにメイドが寝かされていてホッとした。 男はどうしたかと、部屋を見渡していたリィシャの視界に違和感があった。 違和感があった場所で視線が停まる。
視界に入って来た光景に、リィシャは驚きで恐怖を覚えた。
見知らぬ男が椅子に縛られ、サイモンが厳しい目で見つめ、ユージーンは黒い笑みを浮かべて男を見下ろしている。 王国騎士団の騎士達もユージーンの尋問に、顔を青ざめさせて表情を曇らせている。
2人が何をしているのか分からないが、絶対に視てはいけないモノを見てしまった様だ。
(……っ、私なら確実に、逃げ出してるっ! もうちょっと寝てれば良かったっ)
後悔、先に立たず。 気づかなかった振りをして、もう一度寝ようとソファで横になった所、静まり返った部屋でリィシャの物音が思っているよりもソファを軋ませ、大きな音を鳴らした。
リィシャが起きた事に気づいていたユージーンが振り返り、満面の笑みを向けて来た。 ガッチリとユージーンと視線が合ったリィシャは、身体がピシリと固まった。
「ああ、シア。 気がついたんだね。 思ったよりも早く気が付いて良かった」
「……っ」
(気づかれてたっ! 流石、ジーンっ)
満面の笑みを崩さずに近づいて来たユージーンは、リィシャの肩に優しく手を置くと、眉尻を下げて宣った。
「シア、起きたばかりで申し訳ないんだけど、やってほしい事があるんだ」
「えっ……私に?」
「うん、そうだよ」
眉尻を下げていたのに、もう満面の笑みを浮かべているユージーンから、言い知れぬ恐怖心が沸き起こった。 後ずさろうとしたが、肩を強く掴まれていないのにも関わらず、後ろへ下がれなかった。
(……っ諦めてジーンの言う通りにするしかないわっ)
「わ、私は何をすればいいの?」
ホッと息を吐いたユージーンから優しい笑みが浮かんだ。
「簡単だよ。 シアは忘却の呪文を聞いたよね? 忘れているだろうから、今、思い出して欲しいんだ」
「えっ……っでも、その呪文は思い出すこと事体を王家から禁止されてるんだけど……」
「大丈夫、誰も言わなければ分からないし、バレないから」
黒い笑みを浮かべたままのユージーンには何を言っても無駄なようだ。
「……っ」
(……ジーン……大分、切れてるっ。 何を言っても無駄ね)
小さく息を吐いたリィシャは、疑問に思った事を口に出した。
「でも、ジーン。 忘却の呪文って言うけれど、掛け方も分からないんだけど……それに何を忘れさせるの? どっちかって言うと、自白剤とかの方が良いんじゃない?」
リィシャは、白目を剥いて口から魂魄を出しているフィスィをチラリと見てから、視線をユージーンに戻す。 リィシャには、ユージーンが何を考えているのか、全く分からなかった。
「うん、それはね。 フィスィに、自身の悪だくみ以外の事を忘れさせて欲しいんだ。 中々、口を割らなくてね」
『ジーン様の尋問が恐怖過ぎて、何も言えなくなったんですよ』とサイモンの呟きが2人の耳に届いた。 リィシャは先程、少しだけ視界に入った尋問するユージーンの姿を思い出した。
リィシャの様子に笑顔を向けて来ると、ジーンが恐ろしい事を宣った。
「そうすれば、何を訊いても悪だくみの事しか思い出さないし、話せないでしょ?」
「「……っこわっ」」
『お願いだ』と紫の瞳を潤ませて懇願してくるユージーンに負け、無言で頷いた。 ユージーンの表情が華やぎ、黒い笑みが消える。 ユージーンの笑みに小さく心臓が跳ねる。
(ジーン……ずっと、そんな風に笑ってくれてたらいいのにっ)
小さく息を吐き出すと、リィシャは忘却の呪文を聴いた時の事を脳裏に浮かべた。 徐々に謁見の間で、忘却の呪文を掛けられた時の事が鮮明になっていく。
脳内で、文官の高速で唱えられた古代語の呪文が思い出され、エメラルドの瞳が獣目に変わり、魔力が宿る。 リィシャの脳に忘却の呪文が刻まれた。
完全に思い出した呪文を掛ける為、フィスィに近づく。 リィシャが近づいて影が差したのか、呆けた表情でフィスィが顔を上げた。
「シア、何を忘れさせたいのか、明確に脳裏に思い浮かべるんだよ。 今回の場合は、フィスィが今までして来た悪だくみ以外の事を忘れるように思い描き、呪文を行使するんだ」
大きく頷いたリィシャはユージーンを振り返った。 いつの間にか直ぐ後ろにユージーンが立っていた。
「任せて」
リィシャは白目を剥いたフィスィと視線を合せ、ユージーンに言われた事を脳裏に思い浮かべ、古代語の呪文を高速で唱える。 呪文を唱えている間中、フィスィの身体は大きく跳ねさせていた。
リィシャとエミリーには効果がなかった忘却の呪文は、フィスィにはとても良く効いた様だ。 恍惚の表情を浮かべたフィスィは、脳の改変に耐えらなかったのか、程なくして気絶した。
小さく息を吐いたリィシャは、ユージーンに背後から抱きしめられた。
「自信ないけど……っ上手く行ったと思う」
「ありがとう、シア」
耳元で優しい声が囁かれる。 ユージーンが感謝を述べると、サイモンが連れて来ていた王国騎士団に合図を送る。 遠巻きにして見守っていた王国騎士団達が無言で頷くと、フィスィを連行しようと近づいて来る。 団長が前で進み出て、ユージーンに頭を下げた。
「ご協力、感謝申し上げます、クロウ辺境伯子息、コモン子爵令嬢。 つきましては、事情もお聞きしたいので、城までご同行お願いできますでしょうか?」
「却下します。 本日は私たちの婚約式ですので野暮な事は無しですよ」
ユージーンが近づいて来て、肩を抱き寄せる。 鋭い眼光に王国騎士団の騎士達もたじろいだ。
「「「「「「「「「「……っ」」」」」」」」」」
「ジーンっ……」
リィシャがユージーンを咎めるように見つめると、サイモンに視線をやる。 サイモンは『やっぱりか』と、息を吐き出した後、ユージーンへ頷いた。
「私が事情説明に同行を致します」
「助かります。 では、お願いします」
やって来た王国騎士団は礼をした後、魂が抜けた様なフィスィにサイモンを同行させて、連行して行った。 王国騎士団に連行されていくフィスィを見送り、リィシャはホッとして息を吐いた。
「さぁ、シア、行こう。 僕たちの婚約式だ」
「……っ」
小さい溜め息を吐いたリィシャは、ユージーンのエスコートで控室を出る。 中庭には、既に大勢の招待客が詰めかけていた。 いつの間にか準備も終わり、皆がリィシャとユージーンを待っていた。
使用人が作ってくれていた花道の入り口に辿り着くと、使用人がユージーンに白薔薇のブーケを渡す。 受け取ったユージーンは、リィシャに白い薔薇のブーケを差し出した。
「シア、これからもずっと一緒だよ」
「うん、ずっとね」
白い薔薇のブーケは、光を反射して虹色に光りを放ち、煌めいていた。
「綺麗っ……」
「気に入ってくれた?」
「ええ」
リィシャは頬を染めて頷いた。 ユージーンから受け取った白薔薇のブーケの匂いを嗅ぐと、とてもいい香りが拡がった。 隣に並んだユージーンが腕を差し出し、腕を取る様に促して来た。
そっと腕を取ったリィシャは微笑む。 2人は微笑み合った後、使用人が作ってくれた花道を歩いて行く。 花道を歩く2人に招待客から歓声と感嘆の声が沸き起こり、白薔薇のブーケの様に光り輝いていた。
恐る恐る男が背後を振り返る。 男の汚れた瞳に、レイピアを首元に突きつけたユージーン自身が映し出されていた。 男の瞳に映ったユージーンの顔は、怒りで歪んでいる様に見えた。
「僕の番に汚い手で触るなっ」
低くて身体の奥まで響く声がユージーンから吐き出された。 レイピアが男の首に突きつけられて、男は身体を大きく跳ねさせ、恐怖で竦みあがっている。 しゃがみ込んでしまった男は、身動きが出来なくなり、震える両手で自身の身体を抱きしめていた。
男が小刻みに震え、歯が嚙合わせる音を鳴らして、控室で響いている。
「ふふっ、やっと来たね。 エミリーが捕まってから、ずっとシアを狙ってたんでしょ? あの力を利用する為に」
男が恐怖している様子を楽しそうに眺めると、紫の瞳が妖しい光を放ち、獣目に変わる。
「……っ」
「フィスィ殿、幻影魔法を解いて、大人しく投降してもらおう」
男はユージーンが睨みつけると、諦めていないのか、まだ何かしようとしている。 逃げ出そうと、震える身体に力を入れようとしていたが、足が動かないのか、立ち上がろうとしては床に頽れていた。
「無駄な足搔きだよ」
ユージーンの人差し指と親指で軽い音を弾いて鳴らされる。 廊下から複数の人間が走って来る足音が2人耳に届いた後、背後の扉が開かれ、サイモンと王国騎士団の騎士達が雪崩の様に入って来た。
クロウ家の私兵に囲まれ、フィスィは舌打ちをして口元を引き結んだ。 フィスィの足元の床に魔法陣が拡がり、煙が控室中に立ち込めた。
フィスィの様子にユージーンから重い溜め息が吐き出される。
「全く、貴殿の所業の所為で、ハイエナ族がどんな目に遭ったか考えもしないで……」
視界からフィスィの姿が消え、ユージーンの左横を一陣の風が通り抜けた。
一瞬の出来事だった。 フィスィが左横を通り過ぎたらしいが、白カラスの翼を一瞬で拡げ、フィスィの退路を断った。 翼を羽ばたかせてフィスィをはたき飛ばし、強風を起こして立ち込めた煙を吹き飛ばす。
人が壁に激突する大きな音が鳴り、フィスィが呻き声を上げる。
晴れた視界の先で拡がっていた光景は、幻影魔法が解けて壁に激突したフィスィが床に崩れ折れ、気絶した姿だった。 再びユージーンから自然と呆れた様な溜め息が漏れる。
「あっけないものだね。 サイモン、この者を縛ってくれ。 僕はシアの様子を見て来る」
「承知しいたしました」
フィスィの情けない様子に、駆けつけた王国騎士たちが何もする事が無くて、苦笑を零している。
窓際で床に倒れているリィシャに駆け寄り、上半身を助け起こす。 リィシャに声を掛けると、小さい呻き声を上げたが、まだ目が覚めるには時間が掛かる様だ。 リィシャをソファへそっと寝かせた。
「シア、少しだけ待っていてね。 僕はまだ彼に用があるから」
ユージーンの声は聞こえておらず、健やかな眠りを貪っているリィシャを愛し気に見つめると、眉尻を下げる。 そっと額に口づけを落とし、起こさないように、静かにリィシャの元を離れた。
フィスィに近づき、にこやかな笑みを浮かべたユージーンは、低い声でフィスィを呼んだ。
「お前には、今までの事を洗いざらい吐いてもらうよ」
黒い笑みを浮かべるユージーンの瞳には、危険な光が宿っている。 肩を大きく跳ねさせたフィスィは、瞳に恐怖の色を滲ませた。 王国騎士団の騎士達も、眉間に皺を寄せ、頬を引き攣らせた。
ユージーンの恐怖の尋問が始まった。
◇
ユージーンの尋問が終わり、フィスィが白目を剥き、口から魂魄を出した頃、リィシャは目が覚めた。 数回瞬きし、我に返って半身を起こす。
(ここはっ! ど、私が居た控室だわ。 えっ、そうすると私は何処にも連れされてない?!)
部屋を見渡し、見覚えのある家具や花瓶、ソファにホッと胸を撫で下ろす。
(良かったっ、今回は連れ攫われてないっ! ジーンにも、サイモンとか、誰にも迷惑かけてないわっ……。 あ、でもあの男は何処に? それに……メイドは、どうなったのっ?)
慌てて身体を起こし、向かい側のソファにメイドが寝かされていてホッとした。 男はどうしたかと、部屋を見渡していたリィシャの視界に違和感があった。 違和感があった場所で視線が停まる。
視界に入って来た光景に、リィシャは驚きで恐怖を覚えた。
見知らぬ男が椅子に縛られ、サイモンが厳しい目で見つめ、ユージーンは黒い笑みを浮かべて男を見下ろしている。 王国騎士団の騎士達もユージーンの尋問に、顔を青ざめさせて表情を曇らせている。
2人が何をしているのか分からないが、絶対に視てはいけないモノを見てしまった様だ。
(……っ、私なら確実に、逃げ出してるっ! もうちょっと寝てれば良かったっ)
後悔、先に立たず。 気づかなかった振りをして、もう一度寝ようとソファで横になった所、静まり返った部屋でリィシャの物音が思っているよりもソファを軋ませ、大きな音を鳴らした。
リィシャが起きた事に気づいていたユージーンが振り返り、満面の笑みを向けて来た。 ガッチリとユージーンと視線が合ったリィシャは、身体がピシリと固まった。
「ああ、シア。 気がついたんだね。 思ったよりも早く気が付いて良かった」
「……っ」
(気づかれてたっ! 流石、ジーンっ)
満面の笑みを崩さずに近づいて来たユージーンは、リィシャの肩に優しく手を置くと、眉尻を下げて宣った。
「シア、起きたばかりで申し訳ないんだけど、やってほしい事があるんだ」
「えっ……私に?」
「うん、そうだよ」
眉尻を下げていたのに、もう満面の笑みを浮かべているユージーンから、言い知れぬ恐怖心が沸き起こった。 後ずさろうとしたが、肩を強く掴まれていないのにも関わらず、後ろへ下がれなかった。
(……っ諦めてジーンの言う通りにするしかないわっ)
「わ、私は何をすればいいの?」
ホッと息を吐いたユージーンから優しい笑みが浮かんだ。
「簡単だよ。 シアは忘却の呪文を聞いたよね? 忘れているだろうから、今、思い出して欲しいんだ」
「えっ……っでも、その呪文は思い出すこと事体を王家から禁止されてるんだけど……」
「大丈夫、誰も言わなければ分からないし、バレないから」
黒い笑みを浮かべたままのユージーンには何を言っても無駄なようだ。
「……っ」
(……ジーン……大分、切れてるっ。 何を言っても無駄ね)
小さく息を吐いたリィシャは、疑問に思った事を口に出した。
「でも、ジーン。 忘却の呪文って言うけれど、掛け方も分からないんだけど……それに何を忘れさせるの? どっちかって言うと、自白剤とかの方が良いんじゃない?」
リィシャは、白目を剥いて口から魂魄を出しているフィスィをチラリと見てから、視線をユージーンに戻す。 リィシャには、ユージーンが何を考えているのか、全く分からなかった。
「うん、それはね。 フィスィに、自身の悪だくみ以外の事を忘れさせて欲しいんだ。 中々、口を割らなくてね」
『ジーン様の尋問が恐怖過ぎて、何も言えなくなったんですよ』とサイモンの呟きが2人の耳に届いた。 リィシャは先程、少しだけ視界に入った尋問するユージーンの姿を思い出した。
リィシャの様子に笑顔を向けて来ると、ジーンが恐ろしい事を宣った。
「そうすれば、何を訊いても悪だくみの事しか思い出さないし、話せないでしょ?」
「「……っこわっ」」
『お願いだ』と紫の瞳を潤ませて懇願してくるユージーンに負け、無言で頷いた。 ユージーンの表情が華やぎ、黒い笑みが消える。 ユージーンの笑みに小さく心臓が跳ねる。
(ジーン……ずっと、そんな風に笑ってくれてたらいいのにっ)
小さく息を吐き出すと、リィシャは忘却の呪文を聴いた時の事を脳裏に浮かべた。 徐々に謁見の間で、忘却の呪文を掛けられた時の事が鮮明になっていく。
脳内で、文官の高速で唱えられた古代語の呪文が思い出され、エメラルドの瞳が獣目に変わり、魔力が宿る。 リィシャの脳に忘却の呪文が刻まれた。
完全に思い出した呪文を掛ける為、フィスィに近づく。 リィシャが近づいて影が差したのか、呆けた表情でフィスィが顔を上げた。
「シア、何を忘れさせたいのか、明確に脳裏に思い浮かべるんだよ。 今回の場合は、フィスィが今までして来た悪だくみ以外の事を忘れるように思い描き、呪文を行使するんだ」
大きく頷いたリィシャはユージーンを振り返った。 いつの間にか直ぐ後ろにユージーンが立っていた。
「任せて」
リィシャは白目を剥いたフィスィと視線を合せ、ユージーンに言われた事を脳裏に思い浮かべ、古代語の呪文を高速で唱える。 呪文を唱えている間中、フィスィの身体は大きく跳ねさせていた。
リィシャとエミリーには効果がなかった忘却の呪文は、フィスィにはとても良く効いた様だ。 恍惚の表情を浮かべたフィスィは、脳の改変に耐えらなかったのか、程なくして気絶した。
小さく息を吐いたリィシャは、ユージーンに背後から抱きしめられた。
「自信ないけど……っ上手く行ったと思う」
「ありがとう、シア」
耳元で優しい声が囁かれる。 ユージーンが感謝を述べると、サイモンが連れて来ていた王国騎士団に合図を送る。 遠巻きにして見守っていた王国騎士団達が無言で頷くと、フィスィを連行しようと近づいて来る。 団長が前で進み出て、ユージーンに頭を下げた。
「ご協力、感謝申し上げます、クロウ辺境伯子息、コモン子爵令嬢。 つきましては、事情もお聞きしたいので、城までご同行お願いできますでしょうか?」
「却下します。 本日は私たちの婚約式ですので野暮な事は無しですよ」
ユージーンが近づいて来て、肩を抱き寄せる。 鋭い眼光に王国騎士団の騎士達もたじろいだ。
「「「「「「「「「「……っ」」」」」」」」」」
「ジーンっ……」
リィシャがユージーンを咎めるように見つめると、サイモンに視線をやる。 サイモンは『やっぱりか』と、息を吐き出した後、ユージーンへ頷いた。
「私が事情説明に同行を致します」
「助かります。 では、お願いします」
やって来た王国騎士団は礼をした後、魂が抜けた様なフィスィにサイモンを同行させて、連行して行った。 王国騎士団に連行されていくフィスィを見送り、リィシャはホッとして息を吐いた。
「さぁ、シア、行こう。 僕たちの婚約式だ」
「……っ」
小さい溜め息を吐いたリィシャは、ユージーンのエスコートで控室を出る。 中庭には、既に大勢の招待客が詰めかけていた。 いつの間にか準備も終わり、皆がリィシャとユージーンを待っていた。
使用人が作ってくれていた花道の入り口に辿り着くと、使用人がユージーンに白薔薇のブーケを渡す。 受け取ったユージーンは、リィシャに白い薔薇のブーケを差し出した。
「シア、これからもずっと一緒だよ」
「うん、ずっとね」
白い薔薇のブーケは、光を反射して虹色に光りを放ち、煌めいていた。
「綺麗っ……」
「気に入ってくれた?」
「ええ」
リィシャは頬を染めて頷いた。 ユージーンから受け取った白薔薇のブーケの匂いを嗅ぐと、とてもいい香りが拡がった。 隣に並んだユージーンが腕を差し出し、腕を取る様に促して来た。
そっと腕を取ったリィシャは微笑む。 2人は微笑み合った後、使用人が作ってくれた花道を歩いて行く。 花道を歩く2人に招待客から歓声と感嘆の声が沸き起こり、白薔薇のブーケの様に光り輝いていた。
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