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8話 「エミリーに、ハニートラップを仕掛けるのはどうでしょう?」
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「レディ・エミリー、何があったのですか? 今日はとても、ご機嫌斜めですね」
偽の番のカップルを漁って古城の中庭を歩いていたエミリーは、背後から話しかけて来た人物を横目で見ると、小さく鼻を鳴らして背を向けた。 背を向かれた人物は、眉を下げて悲し気に微笑んだ。 色々と助言をしてくれるのだが、何故か声を掛けられる度に少し鬱陶しく感じていた。
彼からは、エミリーに陶酔している様子は見られない。 瞳を細めてエミリーに近づいてくる。
彼は狐獣人、エミリーと同じ平民階級だ。 艶やかな赤茶の長い髪、茶色の細い目は意地が悪そうな印象を受けた。 赤茶と深緑を使ったフロックコートの制服は意外にも紳士に見える。
そして、彼の家業がホイットニー家の商売敵でもある商会、ルナァ商会を営んでいる。 エミリーの素気無い態度にもめげずに、エミリーの後を付いて回って来るのだ。
いつの間にか小間使いに使っていた猫獣人のカップルが居なくなり、当然だが、自身で授業に出なくてはならなくなった。 授業に出ても教師の話は聞いていないが、面倒だと、エミリーはとても不機嫌になっていた。
「別に何もないわよ。 放っておいて」
「次の授業は、魔術です。 教室はそちらではないですよ」
「な、なんで貴方が私の次の授業を知ってるのよっ!」
「おや、好ましく思っている女性の行動範囲に興味が沸くのは、ごく普通の事だと思いますが」
「はぁ?! 貴方が私に好意?! そんな訳ないでしょっ。 どうせ貴方も家の関係で私に寄って来てるんでしょっ!」
にじり寄って来る狐獣人の胸を押し返す。 狐獣人の瞳の奥で危険な光りが宿るが、エミリーは気づかなかった。 小さく息を吐いた事も。 少し、声が冷やかな物に変わった事も。
「レディ・エミリー、授業が始まりますよ」
「うるさいわね、私の事は放っておいてったらっ! 付いて来ないでっ!」
子供の様に年上の狐獣人に向かって、赤いを舌を出してエミリーは駆け出した。
(ふん、魔術の授業なんて受けても私には必要ないわ。 魔術はもう既に上級魔法までマスターしてるんだからっ)
エミリーは子供の頃から、魔術に興味があった。 自身の能力が禁忌の呪文である他人の精神を操る魔法だった為、必死に隠し続け、裏で勉強して来た。 エミリーに今更、勉強など必要ないのだ。
淑女教育を受けている令嬢とは、到底思えず。 エミリーの幼い子供の様な対応に、狐獣人は思わず吹き出した。 走り去るエミリーの背中を見送る狐獣人の細く吊り上がった瞳が、キラリと妖しく光りを放った。
◇
全方面のガラス張りから生徒会室に夕日が射し、丸テーブルの上座で座るジェレミーに注がれ、制服の赤が反射して、神々しいエフェクトが掛かる。
新入生歓迎パーティーまで残り数日に迫り、生徒会ではパーティーに向けて、警備の確認や何か忘れている事がないか、ミーティングをしていた。
生徒会メンバーの顔を見回し、生徒副会長である王太子のジェレミーが重々しく口を開いた。
「で、あの猫獣人のカップルから情報は得られたのか?」
ジェレミーの詰問に、生徒会のメンバーは無言で顔を左右へ振った。
「そうか、パーティーで何かしてくるかも知れぬから、皆、警戒を怠らない様に。 何としても証拠が欲しいのだがな」
「そうですよね。 囮を使いますか?」
しかし、アンガスの提案は却下された。 政略結婚の為の偽印だとしても、消される事は獣人にとって心を抉られるように辛いのだ。 快く受けてくれる獣人はいない。
紅一点のルビーが『すごい、いいアイデア閃いた』とドヤ顔をして宣った。
「それでは、ホイットニー嬢にハニートラップを仕掛けるのはどうでしょう? まだ、本物の番も見つけていない方、偽印も無い方に頼んでみましょうよ」
「ルビーっ」
自身満々なルビーに反して、双子のクロムは眉根を寄せて弱り顔だ。 生徒会の他のメンバーはルビーの様子に白けた表情をしている。 番カップルを潰して回っているエミリーに効くわけない、と全員からルビーの提案も却下された。
「だが、パーティーでホイットニー嬢とダンスを踊ってみるのもいいかもな。 丁度、俺は本物の番も仮初の番もいないしな。 何か分かるかも知れない」
ジェレミーの提案にアダムが眉根を寄せて苦言を呈した。
「しかし、殿下。 よろしいので? ホイットニー嬢と踊れば、確実に婚約者候補と目されているご令嬢方の反感を買うのは必至ですが」
「……それは、面倒だな」
ジェレミーの返答に、生徒会の面々が苦笑を零した。
「執行委員の誰かにやらせましょう。 殿下でなくても、執行委員に接近させようと考えてはいましたから」
アンガスの意見に皆が納得し、生徒会でのミーティングを終えた。 しかし、ハニートラップは別の方面からエミリーに仕掛けられていた。 トラップは徐々にエミリーの心へ浸透していくのだった。
◇
学園の馬車止めは2つ目の塔、学舎の塔と隣接している開けた場所に設けている。 生徒会室を出て中庭を抜け、学舎の塔へと向かう。
ユージーンとサイモンが馬車止めを目指して歩いていると、エミリーが接触を図って来た。 先日の事件の後、エミリーの実家にユージーンとリィシャへの接触禁止命令が出ているのにも関わらずだ。
エミリーは全く気にした様子もなく、ユージーンを愛称で呼び、駆け寄って来た。
「ジーン様!」
ユージーンへ伸ばしてきた手を避け、エミリーに冷たい視線を向ける。 背後のサイモンが前へ出ようとしたが、目線だけで制した。 サイモンが目線だけは強くしたが、大人しく後ろへ下がった。
「ホイットニー嬢、君の実家に私とシアへの接近禁止命令を出したと思いますが。 お父上から、何も聞いていないのですか?」
「ええ、聞いておりますわ」
「君は……」
(ここで彼女の不興を買ったら、パーティーでは何もしないかもしれないな。 証拠が掴めない上に、行動が大人しくなっては。 こちらも頭打ちになる)
前触れもなく、エミリーの魔力が全身を包んで膨らんだ。 ユージーンとサイモンが目を瞠る。
2人は身構えたが、一瞬の出来事で直ぐに膨らんだ魔力は萎んだ。 エミリーは、ユージーンの首筋で輝く番の刻印に視線をやると、一瞬、憎々し気な光りが瞳に宿った。 先程、魔力が爆発しそうな勢いだったのにも関わらず、エミリーは優雅に微笑んだ。
「ジーン様、明日のパーティーのエスコートとファーストダンスは、無理な事は承知していますわ。 そちらは諦めます。 ですが、ダンスだけでも踊ってくださいませんか?」
「私を愛称で呼んでいいのは、シアと私の家族、私が許した者だけだ」
それだけ言うと、返事をせずにエミリーを置いて、馬車止めへ向かった。 背後でエミリーの小さく舌打ちした気配を感じたが、綺麗に無視した。
馬車止めに着くと、侍従にクロウ家の馬車を出してもらう。 馬車の座席に座ると、馬車はゆっくりと動き出した。 二頭の蹄と車輪の音が心地よい音を鳴らし、静かに馬車が揺れる。
「ホイットニー嬢、ジーン様の首筋の番の刻印を憎々し気に見ていましたね」
「憎まれる覚えはないが、何度も婚約打診を断っているからな。 それ系の恨みは買っているだろうな」
「そうですね。 それで、ホイットニー嬢の事を詳しく調べる為に彼女が3歳まで居た養護施設を調べたんです。 彼女を預けたのが、コローネー家の人間だったようです」
「コローネー家というと、黒カラス族の男爵家だな。 親戚筋はコラクス伯爵家か」
「はい、彼女の詳しい情報が何かあるかもしれません。 番の刻印を憎んでいる理由も」
「分かった。 引き続き調べてくれ」
「承知致しました」
馬車は学園の門を出て、クロウ家のタウンハウスを目指し貴族街へ入って行った。
◇
もう直ぐ秋も終わりだというのに、学園として使用されている古城に暖かな陽射しが差していた。 授業を受けているリィシャの耳に、教鞭をとる教師の声が子守歌となって眠りに誘う。
ポカポカな陽射しが教室に降り注ぎ、窓際の席を選んだリィシャは、心地よい眠りに誘われ、襲い来る睡魔と必死に戦っていた。 授業に集中しないといけないと思うほど、襲って来る睡魔が強敵となる。 隣で授業を聴いていたユージーンに揺り起こされ、教師から当てられている事を知り、ハッと夢現から覚醒した。
耳元で囁かれるユージーンの声に、リィシャの身体はピクリと動いた。
「シア、指されてるよ。 前へ行って問題を解いておいで」
「えっ!」
(……どうしようっ。 授業、ちゃんと聞いてなかったっ。 全然、全く分からないっ)
前へ出て、黒板に向かうリィシャの顔は青ざめている。 何とか自力で答えを出したが、見事に間違い、3問中全問不正解という不名誉を受けた。 リィシャは意気消沈して、昼休みへ突入した。
(次は絶対に窓際は選ばないっ)
次の週は木枯らし一号が吹き、廊下側を選んだしまったリィシャは、選択を誤ったと後悔していた。 底冷えする席で震えながら授業を受ける事となった。 震えながら受ける授業では集中出来ず、今週の授業も頭に入って行かなかった。
(今日も最悪だったっ、このままでは絶対に不味いっ! このまま授業について行けなかったら、次の中間テストで、私だけクラス替えされるっ!)
問答無用でユージーンからお仕置きが行われる。 ユージーンが黒い笑みを浮かべて、リィシャへ迫りくる妄想が脳裏で浮かび、1人身震いした。 お仕置きは絶対に嫌だと、残りの授業に集中するのだった。
リィシャが授業について行けず、頭を悩ませているうちに、中間テスト前にある新入生歓迎パーティーまで、前日となっていた。 タウンハウスへ届けられたパーティードレスは、部屋の灯りに反射してキラキラと光っていた。
◇
新入生歓迎パーティー当日、クロウ家のタウンハウスでは朝から忙しなく、メイドがリィシャの支度をしていた。 メイドに磨き上げられていた色白の肌は、光り輝いていた。 用意されたドレスは、白を基調として淡い紫の差し色を使い、プリンセスラインのスカートに小さい宝石が上品に散りばめられていて、陽射しと部屋の灯りの反射で煌めいていた。
メイドたちからドレスの美しさに感嘆の声が漏れる。
「これ、大丈夫かしら? 私、ドレス負けしていない?」
特定の人物の瞳の色を使うのは、特別な意味をさす。 光り輝くドレスに着られている自身の姿が映っている姿見を、頬を引き攣らせながら見つめた。
「とってもお美しいです」
「お綺麗ですわ」
(私じゃなくて、ドレスがって事よね)
メイドの瞳には煌びやかなドレスしか映し出されていない。 眉を顰めたリィシャは小さく息を吐きだした。 自身の支度を終えたユージーンが、部屋の外で扉をノックする音が響いた。
直ぐに扉の外からユージーンの声がかかった。
「シア? 仕度は終わった?」
「ええ、終わったわ。 どうぞ、入って来て」
リィシャが返事を返すと、ユージーンが扉を開けて入って来た。 ユージーンはリィシャと揃いの色を使った正装をしていた。 正装姿を見たリィシャは、見惚れてエメラルドの瞳を細めた。
今日のユージーンは、前髪も後ろへ流して肩まで伸びた白銀の髪を襟足で1つに結わいている。
白を基調としたタキシードに、差し色にはリィシャの瞳の色、エメラルドを使っていた。 白銀の髪を結んでいるのは、リィシャの瞳の色だ。 首筋で銀色に光る番の刻印が眩しい。
(ジーン、凄く綺麗。 私……ドレスにも負けて、ジーンの隣を歩くのも腰が引けるんですけど……)
ユージーンもリィシャのドレス姿に目を留めると、濃い紫の瞳を見開いて、徐々に熱が籠った慈愛の色が滲んでいく。 今日のリィシャは髪をアップにし、ユージーンの瞳の色のリボンを髪に編み込んでいた。
リィシャの首筋にある番の刻印をユージーンも眩しそうに見つめていた。 リィシャに近づくと、手を取って甲に挨拶の口づけを落とす。 今更ながら、じわっと頬が熱くなったのを感じた。
「……っ」
(ジーンからの挨拶のキスなんて、慣れてるはずなのにっ)
リィシャの鼓動が高速で脈打ち、ユージーンを凝視できなくなった。
「ああ、シア。 ドレス、凄く似合ってるよ」
「本当? ジーンは素敵だけど……私、ドレスに負けていない?」
「そんな事ないよ。 本当に、とても綺麗だ」
本気で思っている様で、ユージーンの紫の瞳には、嘘の色も混じっていない。 リィシャの事を眩しそうに見つめ、微笑んでいる。 リィシャは頬を染めて、ユージーンにお礼を言った。
「本当に綺麗だと思ってくれてるのね、ありがとう。 後、ドレスも送ってくれて嬉しかったわ。 ありがとう、大切に着るわね」
「いいんだよ。 僕がプレゼントしたかっただけだからね。 僕も褒めてくれてありがとう。 周囲なんて気にしないで、今日は思いっきり楽しもうね」
「うん」
リィシャが笑顔で答えると、『そろそろ行こう』と、ユージーンが手を引いて玄関ホールまで降りて行った。
(そうよね、気にしても、今更仕方ないわよね。 よしっ、今日は思いっきり美味しいものを食べつくすわよ)
リィシャは気づいていないが、コルセットできつく締められたドレスでは、美味しい料理も少ししか食べられないのだ。 会場で少ししか食べられない事に気づき、愕然とするのだった。
屋敷の玄関の前で止めた馬車に、リィシャとユージーンが乗り込む。 今日の馬車はいつも学園へ行く時の馬車とは違う。 舞踏会へ行く時に乗っていく家紋や豪華な装飾がされた馬車だ。
御者も本日は良い仕立ての御者服を着ている。 馬車はクロウ家の門を出て、ゆっくりと学園へ向かう為、出発した。
偽の番のカップルを漁って古城の中庭を歩いていたエミリーは、背後から話しかけて来た人物を横目で見ると、小さく鼻を鳴らして背を向けた。 背を向かれた人物は、眉を下げて悲し気に微笑んだ。 色々と助言をしてくれるのだが、何故か声を掛けられる度に少し鬱陶しく感じていた。
彼からは、エミリーに陶酔している様子は見られない。 瞳を細めてエミリーに近づいてくる。
彼は狐獣人、エミリーと同じ平民階級だ。 艶やかな赤茶の長い髪、茶色の細い目は意地が悪そうな印象を受けた。 赤茶と深緑を使ったフロックコートの制服は意外にも紳士に見える。
そして、彼の家業がホイットニー家の商売敵でもある商会、ルナァ商会を営んでいる。 エミリーの素気無い態度にもめげずに、エミリーの後を付いて回って来るのだ。
いつの間にか小間使いに使っていた猫獣人のカップルが居なくなり、当然だが、自身で授業に出なくてはならなくなった。 授業に出ても教師の話は聞いていないが、面倒だと、エミリーはとても不機嫌になっていた。
「別に何もないわよ。 放っておいて」
「次の授業は、魔術です。 教室はそちらではないですよ」
「な、なんで貴方が私の次の授業を知ってるのよっ!」
「おや、好ましく思っている女性の行動範囲に興味が沸くのは、ごく普通の事だと思いますが」
「はぁ?! 貴方が私に好意?! そんな訳ないでしょっ。 どうせ貴方も家の関係で私に寄って来てるんでしょっ!」
にじり寄って来る狐獣人の胸を押し返す。 狐獣人の瞳の奥で危険な光りが宿るが、エミリーは気づかなかった。 小さく息を吐いた事も。 少し、声が冷やかな物に変わった事も。
「レディ・エミリー、授業が始まりますよ」
「うるさいわね、私の事は放っておいてったらっ! 付いて来ないでっ!」
子供の様に年上の狐獣人に向かって、赤いを舌を出してエミリーは駆け出した。
(ふん、魔術の授業なんて受けても私には必要ないわ。 魔術はもう既に上級魔法までマスターしてるんだからっ)
エミリーは子供の頃から、魔術に興味があった。 自身の能力が禁忌の呪文である他人の精神を操る魔法だった為、必死に隠し続け、裏で勉強して来た。 エミリーに今更、勉強など必要ないのだ。
淑女教育を受けている令嬢とは、到底思えず。 エミリーの幼い子供の様な対応に、狐獣人は思わず吹き出した。 走り去るエミリーの背中を見送る狐獣人の細く吊り上がった瞳が、キラリと妖しく光りを放った。
◇
全方面のガラス張りから生徒会室に夕日が射し、丸テーブルの上座で座るジェレミーに注がれ、制服の赤が反射して、神々しいエフェクトが掛かる。
新入生歓迎パーティーまで残り数日に迫り、生徒会ではパーティーに向けて、警備の確認や何か忘れている事がないか、ミーティングをしていた。
生徒会メンバーの顔を見回し、生徒副会長である王太子のジェレミーが重々しく口を開いた。
「で、あの猫獣人のカップルから情報は得られたのか?」
ジェレミーの詰問に、生徒会のメンバーは無言で顔を左右へ振った。
「そうか、パーティーで何かしてくるかも知れぬから、皆、警戒を怠らない様に。 何としても証拠が欲しいのだがな」
「そうですよね。 囮を使いますか?」
しかし、アンガスの提案は却下された。 政略結婚の為の偽印だとしても、消される事は獣人にとって心を抉られるように辛いのだ。 快く受けてくれる獣人はいない。
紅一点のルビーが『すごい、いいアイデア閃いた』とドヤ顔をして宣った。
「それでは、ホイットニー嬢にハニートラップを仕掛けるのはどうでしょう? まだ、本物の番も見つけていない方、偽印も無い方に頼んでみましょうよ」
「ルビーっ」
自身満々なルビーに反して、双子のクロムは眉根を寄せて弱り顔だ。 生徒会の他のメンバーはルビーの様子に白けた表情をしている。 番カップルを潰して回っているエミリーに効くわけない、と全員からルビーの提案も却下された。
「だが、パーティーでホイットニー嬢とダンスを踊ってみるのもいいかもな。 丁度、俺は本物の番も仮初の番もいないしな。 何か分かるかも知れない」
ジェレミーの提案にアダムが眉根を寄せて苦言を呈した。
「しかし、殿下。 よろしいので? ホイットニー嬢と踊れば、確実に婚約者候補と目されているご令嬢方の反感を買うのは必至ですが」
「……それは、面倒だな」
ジェレミーの返答に、生徒会の面々が苦笑を零した。
「執行委員の誰かにやらせましょう。 殿下でなくても、執行委員に接近させようと考えてはいましたから」
アンガスの意見に皆が納得し、生徒会でのミーティングを終えた。 しかし、ハニートラップは別の方面からエミリーに仕掛けられていた。 トラップは徐々にエミリーの心へ浸透していくのだった。
◇
学園の馬車止めは2つ目の塔、学舎の塔と隣接している開けた場所に設けている。 生徒会室を出て中庭を抜け、学舎の塔へと向かう。
ユージーンとサイモンが馬車止めを目指して歩いていると、エミリーが接触を図って来た。 先日の事件の後、エミリーの実家にユージーンとリィシャへの接触禁止命令が出ているのにも関わらずだ。
エミリーは全く気にした様子もなく、ユージーンを愛称で呼び、駆け寄って来た。
「ジーン様!」
ユージーンへ伸ばしてきた手を避け、エミリーに冷たい視線を向ける。 背後のサイモンが前へ出ようとしたが、目線だけで制した。 サイモンが目線だけは強くしたが、大人しく後ろへ下がった。
「ホイットニー嬢、君の実家に私とシアへの接近禁止命令を出したと思いますが。 お父上から、何も聞いていないのですか?」
「ええ、聞いておりますわ」
「君は……」
(ここで彼女の不興を買ったら、パーティーでは何もしないかもしれないな。 証拠が掴めない上に、行動が大人しくなっては。 こちらも頭打ちになる)
前触れもなく、エミリーの魔力が全身を包んで膨らんだ。 ユージーンとサイモンが目を瞠る。
2人は身構えたが、一瞬の出来事で直ぐに膨らんだ魔力は萎んだ。 エミリーは、ユージーンの首筋で輝く番の刻印に視線をやると、一瞬、憎々し気な光りが瞳に宿った。 先程、魔力が爆発しそうな勢いだったのにも関わらず、エミリーは優雅に微笑んだ。
「ジーン様、明日のパーティーのエスコートとファーストダンスは、無理な事は承知していますわ。 そちらは諦めます。 ですが、ダンスだけでも踊ってくださいませんか?」
「私を愛称で呼んでいいのは、シアと私の家族、私が許した者だけだ」
それだけ言うと、返事をせずにエミリーを置いて、馬車止めへ向かった。 背後でエミリーの小さく舌打ちした気配を感じたが、綺麗に無視した。
馬車止めに着くと、侍従にクロウ家の馬車を出してもらう。 馬車の座席に座ると、馬車はゆっくりと動き出した。 二頭の蹄と車輪の音が心地よい音を鳴らし、静かに馬車が揺れる。
「ホイットニー嬢、ジーン様の首筋の番の刻印を憎々し気に見ていましたね」
「憎まれる覚えはないが、何度も婚約打診を断っているからな。 それ系の恨みは買っているだろうな」
「そうですね。 それで、ホイットニー嬢の事を詳しく調べる為に彼女が3歳まで居た養護施設を調べたんです。 彼女を預けたのが、コローネー家の人間だったようです」
「コローネー家というと、黒カラス族の男爵家だな。 親戚筋はコラクス伯爵家か」
「はい、彼女の詳しい情報が何かあるかもしれません。 番の刻印を憎んでいる理由も」
「分かった。 引き続き調べてくれ」
「承知致しました」
馬車は学園の門を出て、クロウ家のタウンハウスを目指し貴族街へ入って行った。
◇
もう直ぐ秋も終わりだというのに、学園として使用されている古城に暖かな陽射しが差していた。 授業を受けているリィシャの耳に、教鞭をとる教師の声が子守歌となって眠りに誘う。
ポカポカな陽射しが教室に降り注ぎ、窓際の席を選んだリィシャは、心地よい眠りに誘われ、襲い来る睡魔と必死に戦っていた。 授業に集中しないといけないと思うほど、襲って来る睡魔が強敵となる。 隣で授業を聴いていたユージーンに揺り起こされ、教師から当てられている事を知り、ハッと夢現から覚醒した。
耳元で囁かれるユージーンの声に、リィシャの身体はピクリと動いた。
「シア、指されてるよ。 前へ行って問題を解いておいで」
「えっ!」
(……どうしようっ。 授業、ちゃんと聞いてなかったっ。 全然、全く分からないっ)
前へ出て、黒板に向かうリィシャの顔は青ざめている。 何とか自力で答えを出したが、見事に間違い、3問中全問不正解という不名誉を受けた。 リィシャは意気消沈して、昼休みへ突入した。
(次は絶対に窓際は選ばないっ)
次の週は木枯らし一号が吹き、廊下側を選んだしまったリィシャは、選択を誤ったと後悔していた。 底冷えする席で震えながら授業を受ける事となった。 震えながら受ける授業では集中出来ず、今週の授業も頭に入って行かなかった。
(今日も最悪だったっ、このままでは絶対に不味いっ! このまま授業について行けなかったら、次の中間テストで、私だけクラス替えされるっ!)
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リィシャが授業について行けず、頭を悩ませているうちに、中間テスト前にある新入生歓迎パーティーまで、前日となっていた。 タウンハウスへ届けられたパーティードレスは、部屋の灯りに反射してキラキラと光っていた。
◇
新入生歓迎パーティー当日、クロウ家のタウンハウスでは朝から忙しなく、メイドがリィシャの支度をしていた。 メイドに磨き上げられていた色白の肌は、光り輝いていた。 用意されたドレスは、白を基調として淡い紫の差し色を使い、プリンセスラインのスカートに小さい宝石が上品に散りばめられていて、陽射しと部屋の灯りの反射で煌めいていた。
メイドたちからドレスの美しさに感嘆の声が漏れる。
「これ、大丈夫かしら? 私、ドレス負けしていない?」
特定の人物の瞳の色を使うのは、特別な意味をさす。 光り輝くドレスに着られている自身の姿が映っている姿見を、頬を引き攣らせながら見つめた。
「とってもお美しいです」
「お綺麗ですわ」
(私じゃなくて、ドレスがって事よね)
メイドの瞳には煌びやかなドレスしか映し出されていない。 眉を顰めたリィシャは小さく息を吐きだした。 自身の支度を終えたユージーンが、部屋の外で扉をノックする音が響いた。
直ぐに扉の外からユージーンの声がかかった。
「シア? 仕度は終わった?」
「ええ、終わったわ。 どうぞ、入って来て」
リィシャが返事を返すと、ユージーンが扉を開けて入って来た。 ユージーンはリィシャと揃いの色を使った正装をしていた。 正装姿を見たリィシャは、見惚れてエメラルドの瞳を細めた。
今日のユージーンは、前髪も後ろへ流して肩まで伸びた白銀の髪を襟足で1つに結わいている。
白を基調としたタキシードに、差し色にはリィシャの瞳の色、エメラルドを使っていた。 白銀の髪を結んでいるのは、リィシャの瞳の色だ。 首筋で銀色に光る番の刻印が眩しい。
(ジーン、凄く綺麗。 私……ドレスにも負けて、ジーンの隣を歩くのも腰が引けるんですけど……)
ユージーンもリィシャのドレス姿に目を留めると、濃い紫の瞳を見開いて、徐々に熱が籠った慈愛の色が滲んでいく。 今日のリィシャは髪をアップにし、ユージーンの瞳の色のリボンを髪に編み込んでいた。
リィシャの首筋にある番の刻印をユージーンも眩しそうに見つめていた。 リィシャに近づくと、手を取って甲に挨拶の口づけを落とす。 今更ながら、じわっと頬が熱くなったのを感じた。
「……っ」
(ジーンからの挨拶のキスなんて、慣れてるはずなのにっ)
リィシャの鼓動が高速で脈打ち、ユージーンを凝視できなくなった。
「ああ、シア。 ドレス、凄く似合ってるよ」
「本当? ジーンは素敵だけど……私、ドレスに負けていない?」
「そんな事ないよ。 本当に、とても綺麗だ」
本気で思っている様で、ユージーンの紫の瞳には、嘘の色も混じっていない。 リィシャの事を眩しそうに見つめ、微笑んでいる。 リィシャは頬を染めて、ユージーンにお礼を言った。
「本当に綺麗だと思ってくれてるのね、ありがとう。 後、ドレスも送ってくれて嬉しかったわ。 ありがとう、大切に着るわね」
「いいんだよ。 僕がプレゼントしたかっただけだからね。 僕も褒めてくれてありがとう。 周囲なんて気にしないで、今日は思いっきり楽しもうね」
「うん」
リィシャが笑顔で答えると、『そろそろ行こう』と、ユージーンが手を引いて玄関ホールまで降りて行った。
(そうよね、気にしても、今更仕方ないわよね。 よしっ、今日は思いっきり美味しいものを食べつくすわよ)
リィシャは気づいていないが、コルセットできつく締められたドレスでは、美味しい料理も少ししか食べられないのだ。 会場で少ししか食べられない事に気づき、愕然とするのだった。
屋敷の玄関の前で止めた馬車に、リィシャとユージーンが乗り込む。 今日の馬車はいつも学園へ行く時の馬車とは違う。 舞踏会へ行く時に乗っていく家紋や豪華な装飾がされた馬車だ。
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