番シリーズ 番外編

伊織愁

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『白カラスにご慈悲を!!』〜番外編 結婚編 最終話〜

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 学園では、もう直ぐ行われる武術大会を控え、生徒達は浮き足立っていた。

 高位貴族たちの能力を見られる機会でもあり、貴族令嬢にとっては婚約者候補の有力物件を見つける機会でもある。

 騎士を目指す生徒達も自身の能力を見せるいい機会だ。

 そして、学園外の人も見に来るので、もしかしたら番に出会えるかもと、密かに期待が込められている。

 生徒達が浮き足立っていた頃、学園では一つの噂がまことしやかに囁かれていた。

 『ユージーン・クロウが番に逃げられた』

 リィシャが休学している事もあり、本物の番の刻印を刻まれた二人に何があったのか、生徒たちは知りたいと、色々な憶測が囁かれていた。

 「皆、色々と勝手な事を言っていますが、ジーン様、お気になさらず」

 小さく笑って息を吐き出すユージーン。

 「その他大勢の戯言なんて、元から全く気にしていないよ」
 「……そうですかっ」

 相変わらず、毒舌なユージーンに、サイモンの眉尻が下がる。 サイモンが呆れ顔も気に留めず、全く笑っていない笑みを浮かべるユージーン。

 「サイモン、次の授業は別だろう? もう行け。 授業に遅れるぞ」
 「ええ、ジーン様、お気をつけて」

 サイモンに片手を上げて別れた。

 突然、眩暈に襲われ、片手で頭を抱え、堪らず廊下の壁に手をついた。

 「っつ……」

 ユージーンの胸に番を請う感情が湧き上がる。

 いきなり、どうしてっ……。

 「シアっ……」

 いつも側に居たリィシャの姿を探す。

 そうか……次の授業はシアと一緒だったからっ。

 繋がりが切れてしまった今では、リィシャの居場所が感じ取れない。 情報ではアバディ領にいる事は分かっている。

 番との繋がりを感じたいと、本能が番を求めていた。 リィシャを感じ取れない事に、ユージーンの胸に焦燥感が染み出す。

 「……なんで、僕の側に居ないんだよっ、シアっ」

 ユージーンの胸の奥底に、番への渇望が湧き上がり、少しづつ溜まり始めていた。

 リィシャの側へ行きたい気持ちはあったが、ユージーンにも抱えている物が多くある。 ユージーンまでが放り出す訳にはいかなかった。

 それ以上に、リィシャと顔を合わせた時、ユージーン自身がどうなるかも分からなかった。

 リィシャに偉そうな手紙を書いてしまったが、ユージーン自身もリィシャに会うのが怖くなっていた。

 もしかしたら、もう、僕の事を嫌いになっているかも知れないっ。 怒ってるなんて書かなければ良かった。 ただ、無事で良かった。 帰ってくるのを待っているって書けば良かった。

 後悔しても後の祭りだ。 ユージーンは、焦燥感を覆い隠して教室へ向かった。

 ◇

 リィシャは、目の前で理解が出来ない会話を続けるジェレミーとアンガスをじっと見つめた。

 兆候って何? まって、もしかしてまだ、私が知らない何かがあるの? ジーンの事だもの、私に内緒にしている事があるかも知れないっ。

 ユージーンがリィシャに何も言わない時は、あまり良い話でない。 ユージーンは何時も黙って事を片付けようとしていた。

 リィシャは意を決して、二人に尋ねる事にした。

 「あの、兆候って何の事でしょう? 今、ジーンの名前を出されましたが、ジーンに何かあったんですかっ?」

 言葉にすると余計に不安が胸に広がっていく。 もしかしたら自分はとんでもない事をしでかしたかもしないという気持ちが拭えない。

 「ん~、だが、コモン子爵令嬢は戻りたくないのだろう?」
 「……っ」

 リィシャがしでかした事で、ジーンからのお仕置き理由が加算されるとしたら、出来るならば帰りたくない。

 強く拳を握り締める。

 今回のお仕置きに耐えられかどうか分からないわっ。

 何を想像しているのか、リィシャの顔が徐々に青ざめていく。

 「そんなに青ざめる程なら、無理して戻らなくていいぞ」

 ジェレミーの呆れたような、少し優しさを滲ませた声にリィシャが顔を上げた。

 「でも、ジーンに何かあったんですよね? 私が出て行ったからですか?」
 「コモン子爵令嬢は、ユージーン君に何があったと思いますか?」
 「えっ、それは……」

 アンガスの問いにリィシャは、頭を捻りながら考えた。 出た答えは。

 「……ジーンが怒りに任せて、周囲に当たり散らしているとか? あ、でも、ジーンは外面がいいから、そんな事はしないわね。 じゃ、何? サイモンを倒れるまでこき使ってる? いや、それは何時もの事だし……。 それか、周囲を氷の微笑みで凍らせているとかっ……」

 「ユージーンがどう思われているか、凄く良く分かるな」
 「ええ、ユージーン君が腹黒なのは分かっているんですね」

 ジェレミーとアンガスの感想は、リィシャには届いていなかった。

 「繋がりを切った事は絶対に怒ってるっ! 追いかけて来ないのはきっと、お仕置きを用意して、私が迎えに来てって言うのを待っているのよっ!! 手紙には怒っているって書いてあったものっ!!」

 「ユージーンの奴、そんな事を書いたのか。 そりゃ、お仕置きが怖くて逃げたいに決まってる」
 「ジェレミー殿下は、ユージーン君のお仕置きの内容を知っていますか?」
 「いや、内容を聞いた事があるけど、答えを貰えず、不敵な笑みだけでかわされた事はある。 あの笑みにはゾッとしたけどなっ……何をしているんだか、想像したくないっ」
 「ほう、でも、まぁ、分かった事はありますね」

 「私が考えられる理由は、この程度ですけが、違いますか?」

 リィシャが恐る恐る二人に視線を向けると、ジェレミーとアンガスの顔に満面の笑みが貼り付けてあった。

 「コモン子爵令嬢は、もう少し色々な事を学ばないといけませんね」

 「えっ」

 戸惑うリィシャに、番と繋がっていた番が繋がりを切るとどうなるか、アンガスが丁寧に説明してくれた。

 繋がりが切れた獣人が限界を超えると、我を忘れて番を求めて暴走を引き起こす。

 番の執着が重い獣人ほど、暴走は激しく周囲に影響を及ぼす。

 そして、リィシャへの執着が重いユージーンは、例に漏れず、暴走は激しいだろうという事だった。

 「何で、誰も私にその話をしてくれないのっ!」
 「ユージーン君はきっと、貴方が自分から離れて行かないと思っていたと思います。 ユージーン君も離れる事は無かったから、彼の中では想定していなかったと思います」

 そうだとしても、話すべきだし、私ももっとちゃんと番について勉強するべきだった。 日々の勉強と業務に追われていて……。 ううん、違うっ! 婚約式をして、ジーンからブーケを貰って浮かれてたんだっ。

 真剣な眼差しをエメラルドの瞳に滲ませ、顔を上げたリィシャは決然とした声で言い放った。

 「私、クロウ家へ戻りますっ! そして、ジーンに一言、言ってやりますっ」

 「「おぉ~」」と、ジェレミーとアンガスは大袈裟に拍手をリィシャへ送る。

 次いで、窓の淵に足を掛けたリィシャが身体を外へ出す。 同時に肩を掴まれ、強い力で部屋の中へ引き戻された。

 「えっ」

 振り返ると、瞳の奥に怪しい光を宿らせたアンガスがいた。 アンガスの後ろで呆れて目を細めているジェレミーも視界の端に映った。

 「コモン子爵令嬢、飛んで行ってはダメです。 上空を飛ぶには手続きが要ります。 時間が掛かりますので、大人しく馬車で帰りましょうね」
 「はい」

 アンガスの迫力に押され、リィシャは素直に頷いた。 そして、気づく、飛び出した日はどうしたのかを。

 「私っ、飛び出した日、何も手続きしてなかったですっ!」

 漸く気づいたかと、アンガスが眉尻を下げる。

 「大丈夫ですよ。 ユージーン君が直ぐに緊急措置で周囲の領主に書簡を送ってますから、ジェレミー殿下の押印付きで」
 「ふん、いい監察官を持ったな。 コモン子爵令嬢」
 
 良い笑顔を浮かべ、腕を組むジェレミーを見て、心の底からユージーンに謝った。

 「貸し一つだな」

 ご機嫌そうなジェレミーに、血の気が引く感覚を覚えた。

 あぁ、後が怖いっ。 この事だけは、本当にごめんなさい、ジーンっ。

 リィシャは、帰る殿下の馬車に一緒に乗って帰る事にした。

 もうそろそろ日が沈む頃、リィシャと殿下を乗せた馬車は、アバディ領の隣領の街に着いた。 本日は宿を取り、休む事になった。

 王都まで馬車で四日と聞いていたが、殿下は魔道具の馬車で来たらしく、普通の馬車より1日半ほど早く王都に着く。

 もしかして、私を連れ帰る事も考えて殿下は来られたの? ジーン、もの凄く深刻なんじゃっ。

 「大丈夫ですよ」

 膝の上へ乗せた手を強く握りしめると、リィシャの手にそっと温かい手が添えられた。 綺麗な手の甲には、番の刻印が刻まれている。

 顔を上げた涙目の視界に入ったのは、ローラの優しい笑みだった。

 「ローラ様っ」
 「きっと、間に合います」
 「はいっ」
 「ですが、着く頃は武術大会の前日か当日ですね」
 
 ジェレミーの横に座るアンガスが眉間に皺を寄せながら、嫌な予感を滲ませた声を出した。

 ローラとアンガスも一緒に着いて来ていた。 アンガスは嫌な予感がすると、自発的に同乗し、ローラはアンガスに着いて行く事は当然と、同じ様に同乗して来た。

 補佐官はアバディ領の業務があるので留守番だ。

 「……ちゃんと開催されるでしようかっ」
 「滞りなく準備は進んでいると報告が上がっている」
 「そうですかっ」

 王家も観覧にくる武術大会なので、進捗が報告されている。 ホッとしたが、少しだけ寂しい感情が湧き上がる。

 私が居なくても、ちゃんと準備されてるんだなっ。

 飛び出したのはリィシャだというのに、自分勝手な感情に、酷く罪悪感が広がった。

 暫くして街に辿り着き、一晩を明かすと、再び馬車で移動する。 アンガスの実家は通り過ぎ、一同は王都へ辿り着いた。

 アンガスの予想通り、武術大会の早朝にリィシャ達は王都へ入った。

 直ぐに屋敷へ向かうつもりだったが、既に武術大会の準備で学園へ向かっているだろうと、皆が結論を出した。

 「このまま、学園へ向かってくれ」

 御者に行き先を伝え、ジェレミーの表情が真面目なものに変わる。

 リィシャは緊張感漂う馬車の中で、静かに息を呑んだ。

 ◇

 武術大会の早朝に目を覚ましたユージーンは、部屋に飾ってある柱時計を見つめる。

 夜が明けた時間かっ……また、この時間に目が覚めたかっ。

 番への渇望が溜まって行くほどに、眠れなくなっていた。

 今日は武術大会が行われる日、体調が万全でないと大きな怪我をする。

 数日前に、番への焦燥感に襲われた日から、ユージーンの胸の奥に残っている番への消えない渇望。

 瞳を閉じて胸の中に番を求める。

 相変わらず繋がりは切れたままだった。

 「シアっ」

 明け方にも関わらず、ユージーンの部屋の扉が数回、ノックされる。

 「……誰だ?」

 メイドはまだ起きていないだろう?

 「ジーン様、サイモンです。 やっぱり起きておられましたかっ」
 「サイモンか、入っていいよ」
 「失礼します」

 サイモンは顔を洗う水を持って寝室へ入って来た。

 「おはようございます、ジーン様」
 「ああ、おはよう」
 「顔を洗って下さい」
 「ありがとう。 だけど、サイモン。 お前がメイドの真似事をする必要はないぞ」
 「ええ、分かっています。 ですから、今だけですよ」
 
 にっこりと笑うサイモン。 彼の様子から、自身の顔色がもの凄く悪い事は察せられた。

 そんなに心配される程、顔色が悪いのかっ。

 小さく息を吐き出したユージーンは、静かに微笑んだ。

 「サイモン、私は大丈夫だよ。 今日も完璧にクロウ辺境伯の嫡男を演じて見せるよ」

 サイモンがわざとらしく、恭しく頭を垂れる。

 しかし、去勢を張れるのは今だけだった。

 武術大会が始まる少し前に、生徒会の面々と学園関係者で客入りが始めた。

 学園にある武道場の観客席には、沢山の生徒や家族、一般の客人が詰めかけた。

 観客席では詰めかけた人々が武術大会の予想を話し合っていた。

 客人の誘導を終え、ユージーンは自身も参加者たちの控え室へ向かう事にした。

 足を向けた時、エドワードがユージーンの肩に手を置いた。

 「ジーン、いいか。 お前が優勝する事は目に見えている。 相手が大怪我しないように、上手く手加減するんだ。 だが、八百長はするな」
 「分かっているよ、エド」

 武道場には参加者たちが集まり、開催の合図を待っていた。 ユージーンが武道場に入ると、参加者たちが緊張感に包まれた。

 軋む音を鳴らして空気が張り詰める。

 皆、ユージーンには勝てないと分かっている。 誰もがユージーンと当たりませんようにと、心から願っていた。

 張り詰めた空気の中、開会式が始まった。

 ユージーンの心臓が大きく鼓動した。

 紫の瞳を見開いたユージーンは、胸に手をやり、軽く呻いた。

 唐突に胸の奥でリィシャの存在を感じた。 徐々に溜まっていた番への渇望が溢れ出した。

 シアっ!

 会いたくて堪らなかったリィシャが直ぐ近くにいると感じんた瞬間、ユージーンの意識が飛んだ。

 ◇

 武術大会が始まる少し前に、王家御用達の馬車は学園へ着いた。

 詰めかけた観客の馬車が、学園へ続く道で列をなしていた。 迅速な係員の対応で程なくして長い列は解消された。

 馬車わ降りたリィシャは、観客席に着く前に、開会式で宣誓するエドワードの声を聞いた。

 武術大会が始まったと思った瞬間、轟音と多くの叫び声が上げられた。

 「何だっ?! 何が起こったのだ!」

 ジェレミーが先導していた学園関係者に叫ぶ。

 「まさか、嫌な予感が当たりましたか?」

 サッと青ざめた一同は、武道場へ向かって走った。

 観客席の踊り場から見えた光景は、カオスだった。

 武道場の真ん中に、大きな白カラスが周囲の人間を吹き飛ばしていたのだ。

 皆が何が起こったのか分からず、固まったまま動けなかった。

 あれは、まさかジーンなのっ?!

 「……っ、嫌な予感が当たりましたねっ」
 「おい、ユージーンなのか、あの白カラスっ」
 「恐らくはそうでしょう」
 「ユージーンって、変身できたのかっ」
 「……いえ、出来なかったはずですっ」

 だって、ジーンが変身した所なんて、一度も見た事がないものっ。

 話している間に、武術大会に参加する為に集められた生徒たちが次々と吹き飛ばされていく。

 本当にジーンなのっ?!

 大きな白カラスは、尚も暴れ、武道場を破壊していく。 観客席にいた人々は阿鼻叫喚で逃げ惑っている。

 「ジーンっ!!」

 武道場を破壊するユージーンに、無意識に叫んでいた。

 リィシャの声が聞こえたのか、白カラスが振り返る。 紫の瞳が怪しく光る。

 大きな白い翼を広げ、一歩だけで跳躍すると、リィシャの立っている側まで来た。

 白カラスの紫の瞳がリィシャの周囲にいる人間に視線を移す。

 「不味いっ!」

 アンガスが叫んだ瞬間、見えない刃が襲いかかって来た。 衝撃と強風に尻餅を付いたリィシャを庇ったのはジェレミーだ。
 
 アンガスは自身の番であるローラを抱えて横跳びで離れていた。

 ローラ様っ!

 白カラスの怒りはリィシャを抱え込んだジェレミーへ向かった。

 何千という白カラスの羽根が襲い、素早く交わしたジェレミー。 リィシャとジェレミーがいた場所に白カラスの羽根が突き刺さる。

 狼狽えるリィシャとジェレミー。 リィシャの口から情けない悲鳴が上がった。

 「おいっ! ユージーン、正気に戻れっ! お前の番が戻って来たんだぞ」
 「ジェレミー殿下、今のユージーン君には何を言っても届きません。 強制的に元に戻さなければっ」
 「強制的にかっ、しかし、あれは禁呪だ」

 チラリとリィシャの方へ視線を向けて来た。 ジェレミーとアンガスからの視線の意味が理解出来ず、リィシャは首を傾げた。

 ジェレミーが小さく息を吐く。

 「あまり、コモン子爵令嬢には禁術を教えたくないんだがなっ」
 「ですが、禁術を許されている役人を呼ぶのでしたら、最終的には彼女の耳にも入ります」
 「……っ、またもや、知られる事になるのかっ! これで何個目だっ!」
 「……ええ。 それに、ユージーン君は自力で戻れないでしょうし、今後、制御しないといけません。 後、役人を呼ぶ時間がありません」
 「そうだなっ」
  
 じっとジェレミーに見つめられ、リィシャは喉を上下に揺らした。

 「コモン子爵令嬢、其方に頼みがある」

 真剣な表情をしたジェレミーを前に、リィシャは覚悟を決めた。

 「いいですか、コモン子爵令嬢。 私が変身してユージーン君を止めます。 その間に、貴方が禁術を唱えてユージーン君を元の姿に戻して下さい」

 頷きかけたリィシャは、アンガスの言葉に慌てて聞き返した。

 「ええっ、アンガス先輩も変身出来るんですかっ?!」
 「ええ、おや? 私の結婚式でジェレミー殿下からローラとの馴れ初めを聞いたのでしょう? 変身の事も話したはず」

 「ん?」と首を傾げ、聞いた事があるような無いようなと、考える。

 リィシャとアンガスが作戦を話し合っている間、ジェレミーは白カラスに変身したユージーンに攻撃を受けていた。

 「くそっ、ユージーンっ! お前は不敬罪で討伐ものたぞっ!」

 いつの間にか、ユージーンが討伐対象になっている。

 「不味いですっ! 早く、ジーンを元に戻さないとっ」
 「大丈夫ですよ。 ジェレミー殿下は頑丈ですし、慈悲深い人ですから」

 リィシャを慰めた後、ローラへ視線を移したアンガスが上着を預ける。

 「すみません、ローラ。 少しだけ側を離れます」
 「はい、お戻りを待っています」

 頷くと、アンガスの金色の瞳に魔力が宿り赤目に変わると、獣目に変わった。

 瞬きの間にアンガスは巨大な白ヘビに姿を変えた。

 巨大な白ヘビが跳躍をすると、大きな白カラスに飛び掛かる。

 目の前で繰り広げられる巨大な生き物の戦いに、皆が目を奪われた。

 「おぉ、巨大な怪物の大戦争みたいだな」

 面白そうな声を出したのは、避難して来たジェレミーだ。

 「殿下、ご無事で。 申し訳ありませんっ! 全部、私の所為ですっ」
 「まぁ、今回は不問にする。 が、今回事は其方の所為では無いぞ。 何も教えなかったユージーンが悪い」
 
 恐縮していると、ローラが服を差し出して来た。

 「これは?」
 「クロウ様が変身した時、服は破れてボロボロになっているはずですので、元に戻った時には……」

 察したのか、ジェレミーが含み笑いをこぼす。

 「男の裸体が二体だなっ!」

 ハッとしたリィシャは頬を染めて差し出された服を受け取った。

 白カラスと白ヘビの戦いは終盤になり、白カラスを白ヘビが締め付ける事に成功していた。

 「シア様っ、今ですっ」
 「はいっ」

 エメラルドの瞳に魔力が宿り、リィシャの口から高速で古代語の呪文が紡がれる。

 破壊された武道場の床に魔法陣が描き出され、光を放ち、白カラスと白ヘビが包まれる。

 白カラスと白ヘビが徐々に人間の姿を取り戻していく。

 愛しい番の姿に。

 気絶する直前、ユージーンの紫の瞳に、リィシャを移しているのが見えた。

 「ジーンっ!」

 ◇

 武道場で意識が遠のいていった後、何をしたのか、自身がどうなったのか、全く覚えていなかった。

 はっきりと覚えているのは、リィシャが近くにいると感じた瞬間、体の奥底から獣人の血が騒いだ事。

 番に名を呼ばれ、姿を視界に移した時の高揚感。 そして、直ぐそばに多くの雄がいた事が言い知れない怒りが湧いた事だ。

 目を覚ましたユージーンは、大きく瞳を見開いた。 見知らぬ天井に、今、自身が置かれている状況を考える。

 確か、開会式が始まったばかりのはず。

 何故、自身が医務室のベッドで寝ているのか考えて、手を額に当てようとして、気づく。

 胸の奥にリィシャを感じる。 そして、気絶する直前にリィシャの姿を見た事に。

 「そうだ、シアが戻って来たんだった」

 ユージーンの手を握っているリィシャの手に気づき、ベッドに倒れ込んで寝ているリィシャがいた。

 「シア? 本当にシアなのかっ?」

 規則正しく寝息をかいているリィシャに、ユージーンの頬が緩む。

 そっと頭を撫でると、リィシャは眉を歪めて小さく呻いた。

 「帰って来てくれたの? ありがとう、シア」
 
 「ユージーン、起きたのか」
 「ジェレミー殿下」

 挨拶をしようとしたが、「いい」と免除された。

 「お前、何があったか覚えているか?」
 「……いえ、ですが、私は醜態を晒したみたいですねっ」
 「まぁな、面白かったからいいぞ」

 成人した男の裸体が二体、破壊された武道場の床に、無様に投げ出された姿は、ジェレミーによって緘口令が出された。

 しかし、話さない訳にもいかず、ジェレミーから話を聞いた後、ユージーンは暫く固まっていた。

 「まぁ、そういう訳だから、お前は今後、白カラスの変身の制御と王宮に登録される事を覚えておけ」
 「はい、しっかりと変身能力を自身の物にします」
 「ああ、期待しておく。 後、学園行事だった事と、初めての変身だったから、私への攻撃の処分は減刑とする。 だが、一ヶ月の停学だからな」
 「はい、ありがとうございます」
 「うん、後は、コモン子爵令嬢とちゃんと話せよ。 あまり、過保護過ぎるのもよくない」
 「はい」

 全く起きる気配がないリィシャの頭を再び撫で、現実なのだと、実感した。

 ◇

 「大体、ジーンは私に内緒にし過ぎなのっ!」
 「うん、ごめんね」
 「花びらが散って本当に焦ったんだからっ」
 「うん、悲しかったよね」
 「繋がりを切ったら大変な事になるって聞いて、どんなに後悔したか分かる? 私が無知なのが悪いって分かっているけど、教えてくれてもいいじゃないっ!」
 「うん、ごめんね。 シアの言う通りだよ」

 先程からユージーンは、リィシャの抗議に、ニコニコと笑いながら返答して話を聞いている。

 現在、リィシャはユージーンの膝の上へ座らされている。

 リィシャが戻ってきて数日が経ったが、ユージーンにはトラウマになったのか、執務中でもリィシャから離れなくなった。

 暖簾に腕押しな問答に、リィシャは大きく息を吐き出した。

 「サイモ~ン、ジーンがちゃんと話を聞いてくれないっ!」
 「暫くは仕方ないですよ。 シア様が側にいる事が嬉しいのでしょう」
 「サイモン、父上へ報告して、この決済を通して来い」
 
 リィシャと話しているサイモンが気に入らないのか、サインしたばかりの書類を渡して、リィシャと二人っきりになる様に仕向けてくる。

 「絶対に反省してないと思うっ!」
 「まぁ、ジーン様と一緒にいる為には、シア様自身でも色々な事を学んで下さい」
 「早く行け」
 「はいはい、全く。 日に日に横暴になってくるんですからっ」

 ブツブツと一人言を言いながら、執務室を出ていくサイモン。

 「ジーンっ」
 「ごめんね、シア。 僕はシアを傷つける事から遠ざけたかったんだ。 悲しむシアを見たくなかったから」
 「うん」
 「過保護なのは分かっている。 でも、シアに近づく人間は欲深い奴ばかりなんだ」
 「……」
 「でも、近づく人間を排除した結果、シアが無知になっていたら本末転倒だね」
 「……本当にそうよ。 だから、これからはジーンが教えて」

 ふいっと顔を背けるリィシャ。 耳まで真っ赤になっていた。 内心はとても怒っているが、リィシャは許す事にした。

 「私もごめんなさい。 ジーンにいっぱい心配させたし、不安にもさせたから……でも、今回はお仕置きはないよね」

 数日経ってもお仕置きがないので、リィシャは内心、不安で一杯だった。

 にっこり微笑んだユージーンから優しい声が落ちる。

 「今回は僕の所為もある。 お仕置きはしないよ」

 リィシャはホッと胸を撫で下ろした。

 しかし、クロウ家に帰ったリィシャに待っていたのは、休んでた間に出された大量の課題だった。 ユージーンも手伝ってくれたが、終わらせるのに大変な労力を要した。

 白薔薇のブーケは、元の輝きを取り戻し、リィシャの部屋の窓際で綺麗に咲いている。

 二人で話し合い、二人で管理する事になった。

 月日は流れ、リィシャは目標を達成した。 ギリギリの十位で学園を卒業できた。 卒業した後は、色々な手続きで忙殺され、あまり記憶にない。

 本日はリィシャとユージーンの結婚式。

 「シア」

 ユージーンが腕を差し出す。 そっと手を回して、新郎のエスコートで赤い絨毯の上を歩く。

 リィシャの手には白薔薇のブーケが輝き、ユージーンの胸には白薔薇のコサージュが輝いていた。

 「シア、一緒に幸せになろうね」
 「うん、二人で幸せになろうね」

 司祭から婚姻の儀式を始める祝詞が紡がれる。 教会に二人の結婚を祝うように暖かい光が降り注いだ。
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