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深い森の奥に草原が拡がっていた。 草原の中心部に、何千年も前から大木が根を下ろしている。 大木の根元には、見た事のない草花が生い茂っていた。
太い幹が隆起している根元で、小鳥遊優斗は目を覚ました。 視界には大木の太い枝葉と、何処までも青い空が続ていた。 まだ半分、寝ぼけた状態で、自分が今どこにいるのか分かっていない。
身体を起こして、周囲を見回してから目を見開いた。 そして、優斗は小さく息を呑んだ。
草原が何処までも続いていて、遠くに森が霞んで見える。 緑の濃い匂いと土の香りに、地面についた手元へ視線を落とす。
優斗の周辺には、見慣れない蝶が花の間を飛び回っていて、不思議な感覚に包まれた。 白に黒の縁取りが入ったジャケットの裾が視界に入って気がついた。 いつの間にか、制服に着替えていたようだ。
(ここは何処だ? こんなでかい木、見た事ない。 学校に森、あったけ?)
突然、大木が大きな葉擦れを鳴らし、葉を散らした直後、目の前の視界が何かに遮られた。 条件反射で見上げた優斗は、目を見開いて絶句した。 腹に何か白い物が落ちてきて、もろに直撃したのだ。
『ぐはっ!』
優斗の腹の上に、何か重くて柔らかい物が乗っている。 瞬間的に瞼を閉じてしまい、人だと思わなくて手で振り払おうとした。 瞼を閉じたままなので、振り払おうとした手は、空を掻いた。
優斗の耳に、おずおずっとした少女の声が届いてハッとした。
『小鳥遊くん、だよね?』
少女の声には聞き覚えがあり、優斗の心臓が大きく跳ねた。 高校のクラスメートで、優斗の想い人と同じ声だ。 鼓動が速くなって、胸が高鳴る。 そろりと瞼を開けると、目の前には目を見開いて驚いている少女、花咲華の姿があった。
小柄でタヌキ顔。 前下がりのショートボブが似合っていて、プクッとした唇が可愛いと思っている。 黒の縁取りがある白のジャケット、膝上丈の切り替え巻スカート。 スカートの裾にも、黒の縁取りがしてある。
間違いなく、優斗の記憶通り、いつも見ている制服姿の花咲華だ。 真っ直ぐに優斗を見つめてくる瞳、華の重みと体温に、胸の高鳴りが止まらない。 頬が熱を持ち、赤く染まっていく。
しかし、少しだけ違和感が残った。
「えっ! なっ!」
(何これ! どんな状況?! 花咲が俺の上に乗ってる! 上から落ちてきたよな)
大木を見上げ、優斗は華に説明を求めようとした瞬間、視界が歪んだ。 同時に華の姿も歪んでいく。 華の重みや体温も感じなくなり、寂しさを覚える間もなく、周囲の音が突然、遮断された。
何かを言ってるような気がして、耳を澄ましても、目の前に居る華の声は、優斗の耳に届く事はなかった。
『花咲、何て言った? 聞こえない!』
優斗の声も華には届いていないようだ。 視界が暗くなった直後、明るい陽射しに眩しくて目を細める。 少し垂れた眉に皺が寄る。 窓の外から、スズメが餌を求めるさえずりがうるさいくらいに聞こえてきた。 暫く状況判断が出来ず、ぼうっと天井を見つめた後、身体を起こして着ている服を確認した。 自宅の自室のベッドの上で、昨夜寝る時に着たパジャマのままだった。
(やっぱり夢か。 あんな状況、絶対ありえないもんな)
優斗は顔を両手で覆い、大きな溜め息を吐き出した。 布団の中で埋もれてしまった携帯が、目覚ましを鳴らして振動する鈍い音が耳に届く。 掛け布団が小刻みに震え、中で籠った振動音を出している。 携帯を発掘してから時間を確認したら、遅刻ギリギリだった。
「やばい! 今日、遊園地だった。 遅刻したら瑠衣に何言われるかっ」
慌てて身支度を整え、学生鞄を手に部屋を飛び出した。 リビングへ降りて行くと、珍しく両親が二人揃っている。 優斗に気づいた二人は、柔らかい笑顔で迎えてくれた。 二人の笑顔は、どことなく優斗に似ている。
「おはよう、優斗」
「おはよう、父さん、母さん」
久しぶりに母親の朝食を食べ、父親とは他愛ない話をする。 まさか久しぶりの朝食が、家族との最後の団欒になるなど、優斗は思いもしていなかった。 それが両親の姿を見た、最後だった。
「行ってきます」
玄関のドアを開けて外へ出る。 優斗の新しい扉の開く音が、何処か遠くで鳴り響いた。
――遊園地入り口前。
今日は高校のレクリエーションで、優斗たち2年生は遊園地へ来ていた。 遊園地の入り口前では、生徒たちが所々で白い集団を作り出している。 入り口前には噴水広場があり、葉緑樹が等間隔に植樹されている。 木陰に身を隠し、優斗は白い集団がいる入り口付近を恐々と伺っていた。
(白い集団、あそこには近づきたくないなっ)
柔らかい黒髪、少し垂れた目元が柔らかな印象を持つ優斗は、とても優しそうに見える。 実際に名前の通り、女子供には優しく、身長もそこそこ高くて剣道も強い。 背筋が綺麗な白い制服姿は、王子様のようだ。 ハーフ顔も相まって、女子からは『王子』などとイタイあだ名で呼ばれている。
故に、優斗は全学年の女子たちから人気が高い。 入り口前の白い集団の中に『結城真由』の姿を見つけると、端正な顔に皺が寄った。 とても王子には見えない表情だ。 結城たちの集団の少し離れた場所で、担任が出席の有無を確認していた。 優斗が来たら、直ぐに捕まえられるよう近くで見張っているのだろう。
(うわぁ、めっちゃ待ち伏せしてるっ。 あいつ、しつこいんだよな。 どうするかな)
担任からフリーパスを貰わないと入場できないのだから、担任の所までパスを受け取りに行かなければならない。 しかし、結城たちのそばには行きたくない。 行けば結城たちに捕まり、ずっと側を離れないだろう事は目に見えている。 優斗は眉を顰めて、白い集団を横目に見るとげんなりした。
どうするか考えあぐねていると、携帯のお知らせ音が制服のポケットから鳴った。 優斗は慌てて携帯を取り出した。 そして、気づかれなかったか、辺りを伺う。 携帯画面を確認すると、幼馴染の瑠衣からだった。
『篠原瑠衣から入電です』
『入場門横のカフェに居る。 見つからないよう入って来い』
『了解』
入場門横には縦長の建物がある。 中にカフェやグッズ売り場が併設されていて、カフェからも遊園地へ入場出来る様になっていた。 カフェの入り口が、何か所かあるのが見えた。 これなら、結城たちに見つからないように入れると確信した優斗は、そろりとその場を後にし、カフェへ向かった。
――カフェ内に『いらっしゃいませ~』の元気な店員の声が響き渡る。
優斗は店員の挨拶を聞き流し、店内を見回して瑠衣を探す。 幼馴染の瑠衣は身長も高く、黒髪がサラサラで少し長い。 涼し気な目元が冷たい印象のイケメンは、何処にいても目立つ。
瑠衣は奥の丸テーブルに肘をつき、ハイチェアーに腰を掛けていた。 視線は右手に持っている携帯電話に向いていて、優斗が近づいて来ている事に、瑠衣は全く気が付いていなかった。
白い制服姿が貴公子の様に見え、とても品のいい青年だと、周囲に与えていた。 瑠衣の中身を知っているだけに、優斗の顔に苦笑いが浮かぶ。 コーヒーを飲んでいる瑠衣は、周囲の女子から秋波を送られていても、全く意に介していなかった。
「瑠衣、おはよう」
優斗が声を掛けると、携帯をいじっていた瑠衣が顔を上げて笑顔を返してきた。 イケメン2人が揃うと、周囲の女子が色めきだってざわついた。 ざわつく周囲を他所に、2人は話を続ける。
「優斗、おはよう。 あっちに副担がいたから、フリーパス貰って来いよ」
「ああ、そうか。 副担でもいいのか。 行ってくる」
「ここで待ってる」
副担任は直ぐに見つかった。 優雅に窓際でコーヒーを愉しんでいる。 カフェの窓際は、全面ガラス張りになっていて、窓際からは先ほど優斗が隠れていた葉緑樹が良く見えた。
(窓際に居るなよ! 結城たちに見つかったら、どうしてくれるんだよっ)
優斗は内心で自分勝手な悪態をつき、副担任からフリーパスを受け取った。 意味ありげな笑みを浮かべる副担任を無視して、瑠衣の元へ戻る。 優斗は早速パンフレットを眺め、最初のアトラクションをどれにしようか、と瑠衣に相談を始めた。
「最初、何に乗る? 今からだと、1番人気のアトラクションは混んでるよな」
瑠衣が優斗の後ろを見て合図を送って来た。
「優斗」
優斗は後ろをチラリと振り向いた。 振り向いた先にいたのは、花咲華だ。 友人の鈴木仁奈と楽しそうに話をしている。 華が笑みを浮かべ、顎のラインで髪を揺らしている仕草に、自然と目を細める。 優斗の表情は優し気で、好意以上の気持ちが細めた瞳に滲んでいる。
華も制服姿で、何故か持っている学生鞄がパンパンだった。 何が入ってるのか気になっていたが、優斗は違う事で頭がいっぱいになっていた。
(制服じゃなくて、私服姿が見たかったな。 折角の遊園地なんだし、花咲の私服姿、可愛いだろうな)
「一緒に回ろって誘えば?」
瑠衣の言葉に心がざわつく。 優斗は、出来れば華と付き合いたいと思っている。
「簡単に言うなよ。 俺は花咲に避けられてるんだぞ」
(誘いたいけど、誘えない。 避けられ過ぎて、心もボキボキに折れてるしなっ)
「……」
瑠衣がチラリと優斗を見て『しょうがない奴』的な笑みを零した。
優斗が避けられている理由は結城たちにある。 結城たちは、優斗が親しくした女子に嫌がらせをしている。 気づいた優斗が何度か注意をしていたが、結城たちは全く聞く耳を持っていなかった。
そんな態度で、好きになってもらえると思っている所が、優斗には理解ができなかった。 華も優斗と話しただけで嫌がらせを受けたと、後から知った。
華は、全学年の女子の中で唯一、優斗の事を『王子』と呼ばず、『小鳥遊くん』と呼ぶ。 華にとっては普通の事なのだが、幼い頃から『王子』というあだ名で呼ばれてきた優斗には新鮮だった。
何て事を、優斗が物思いに耽っている間に、瑠衣が華たちの所へ移動していたことに全く気づかなかった。 目の前に居たはずの瑠衣の姿が視えなくて、何処へ行ったのかと、周囲を見回している優斗の耳に、背後から瑠衣の声が聞こえてくる。 まさかと思い、軋む首を後ろへ向けた優斗は、目を見開いて驚愕した。
「鈴木、花咲。 俺たちと一緒に回らない?」
(うわぁ! 瑠衣、いつの間にそっちに!)
振り向いた先には、瑠衣が爽やかな笑みで華たちに話しかけていた。 瑠衣の性格を知っている優斗には、似非貴公子に見えて頬を引き攣らせた。
瑠衣は用事がない限り、自分からは絶対に女子には話しかけない。 女子から、頻繁に話しかけられている所は見る。 そんな時の瑠衣は、とても胡散臭い奴に見えた。 優斗は急いで瑠衣のそばまで駆け寄った。 友人想いの瑠衣は、優斗の為に声を掛けてくれたのだろう。
華と仁奈は優斗に気づくと、正反対の態度を取った。 仁奈はサバサバした性格のようで、活発な笑みを向けてきた。 背筋を伸ばし、髪を後ろで1つに結んでいる姿が、凛々しい女騎士の様でかっこいい。 華は眉を下げ、困ったような表情をしている。 優斗たちを遠巻きに見ている周囲の女子たちを、チラチラと見て気にしていた。
「私はいいよ。 華が良いならね」
仁奈が屈託のない笑顔で言うと、華の顔が青ざめていく。 優斗の胸に小さく刺すような痛みが走った。
(分かってた事だけど、目の当たりにすると流石に傷つくな。 無理に付き合わせても悪いよな)
「あの、無理には、」
瑠衣と、何故か仁奈が優斗を『残念な子』を見る目で見つめてくる。 仁奈に至っては『ヘタレ』が混じっている感がある。 勿論、優斗の主観ではあるが。
(いや、花咲、明らかに嫌がってるだろ。 俺的には、ショックだけどっ)
優斗の胸の痛みが更に強くなり、少し垂れ目気味な目元が更に下がる。 俯いた優斗の耳に、乾いた華の声が届いた。 顔を上げた優斗は目を見開いて華を見た。
「わ、私もいいよ」
華を見ると、顔が引き攣っていて、笑顔のつもりだろうが、明らかに笑顔が失敗している。 ついでに、額に汗も光っていた。
(うわぁ、めっちゃ動揺してる。 絶対に無理してるよな、花咲)
優斗と華を他所に、瑠衣と仁奈が話を進めていく横で、華の様子を伺っていると、瑠衣が振り返って優斗たちに思いもよらない事を宣った。 いつの間にか周囲に居た人たちは、次々と遊園地へ入場して行き、カフェのお客もまばらになっていた。
「優斗、今から1番人気のアトラクションは無理だから、2番人気の絶叫マシーンにしようぜ。 俺は鈴木と乗るから、お前ら2人で乗れよ」
瑠衣の涼し気な瞳には、意地悪な笑みが滲んでいて、面白がっているのが丸わかりだった。 優斗はムスッとした表情を瑠衣に返す。 隣では華が、更に顔を青ざめさせて項垂れていた。 華が落ち込んでいる様子に、更に気持ちが暗い底に落ちていくのを感じて、何も言えなくなる。
しかし、瑠衣の言葉を反芻して気づいた。
(待てよ。 2番人気の絶叫マシーンって、カップルシートじゃないか! 瑠衣!)
瑠衣と視線が合うと、優斗の意図を察し、親指を立ててウィンクを返して来た。 瑠衣の瞳がキラリと光っている。 瑠衣の様子に、優斗は完璧に遊ばれている事を感じ、ガクッと肩を落とした。
――華の心情はというと。
(どうしよう。 話がとんとん拍子に進んで、絶叫マシーンが怖くて乗れないって言うチャンスを逃してしまった。 でも1人だけ乗らないなんて、空気悪くなるから言えないよねぇ。 ああ、私、今日で死ぬな)
華は迫る絶叫マシーンの恐怖に青ざめていた。 華の心情を知らない優斗は、青ざめる程、自分とアトラクションに乗る事を嫌がっていると思い、ショックを隠し切れなかった。
優斗と華は、違う意味で項垂れながら遊園地のゲートをくぐった。
太い幹が隆起している根元で、小鳥遊優斗は目を覚ました。 視界には大木の太い枝葉と、何処までも青い空が続ていた。 まだ半分、寝ぼけた状態で、自分が今どこにいるのか分かっていない。
身体を起こして、周囲を見回してから目を見開いた。 そして、優斗は小さく息を呑んだ。
草原が何処までも続いていて、遠くに森が霞んで見える。 緑の濃い匂いと土の香りに、地面についた手元へ視線を落とす。
優斗の周辺には、見慣れない蝶が花の間を飛び回っていて、不思議な感覚に包まれた。 白に黒の縁取りが入ったジャケットの裾が視界に入って気がついた。 いつの間にか、制服に着替えていたようだ。
(ここは何処だ? こんなでかい木、見た事ない。 学校に森、あったけ?)
突然、大木が大きな葉擦れを鳴らし、葉を散らした直後、目の前の視界が何かに遮られた。 条件反射で見上げた優斗は、目を見開いて絶句した。 腹に何か白い物が落ちてきて、もろに直撃したのだ。
『ぐはっ!』
優斗の腹の上に、何か重くて柔らかい物が乗っている。 瞬間的に瞼を閉じてしまい、人だと思わなくて手で振り払おうとした。 瞼を閉じたままなので、振り払おうとした手は、空を掻いた。
優斗の耳に、おずおずっとした少女の声が届いてハッとした。
『小鳥遊くん、だよね?』
少女の声には聞き覚えがあり、優斗の心臓が大きく跳ねた。 高校のクラスメートで、優斗の想い人と同じ声だ。 鼓動が速くなって、胸が高鳴る。 そろりと瞼を開けると、目の前には目を見開いて驚いている少女、花咲華の姿があった。
小柄でタヌキ顔。 前下がりのショートボブが似合っていて、プクッとした唇が可愛いと思っている。 黒の縁取りがある白のジャケット、膝上丈の切り替え巻スカート。 スカートの裾にも、黒の縁取りがしてある。
間違いなく、優斗の記憶通り、いつも見ている制服姿の花咲華だ。 真っ直ぐに優斗を見つめてくる瞳、華の重みと体温に、胸の高鳴りが止まらない。 頬が熱を持ち、赤く染まっていく。
しかし、少しだけ違和感が残った。
「えっ! なっ!」
(何これ! どんな状況?! 花咲が俺の上に乗ってる! 上から落ちてきたよな)
大木を見上げ、優斗は華に説明を求めようとした瞬間、視界が歪んだ。 同時に華の姿も歪んでいく。 華の重みや体温も感じなくなり、寂しさを覚える間もなく、周囲の音が突然、遮断された。
何かを言ってるような気がして、耳を澄ましても、目の前に居る華の声は、優斗の耳に届く事はなかった。
『花咲、何て言った? 聞こえない!』
優斗の声も華には届いていないようだ。 視界が暗くなった直後、明るい陽射しに眩しくて目を細める。 少し垂れた眉に皺が寄る。 窓の外から、スズメが餌を求めるさえずりがうるさいくらいに聞こえてきた。 暫く状況判断が出来ず、ぼうっと天井を見つめた後、身体を起こして着ている服を確認した。 自宅の自室のベッドの上で、昨夜寝る時に着たパジャマのままだった。
(やっぱり夢か。 あんな状況、絶対ありえないもんな)
優斗は顔を両手で覆い、大きな溜め息を吐き出した。 布団の中で埋もれてしまった携帯が、目覚ましを鳴らして振動する鈍い音が耳に届く。 掛け布団が小刻みに震え、中で籠った振動音を出している。 携帯を発掘してから時間を確認したら、遅刻ギリギリだった。
「やばい! 今日、遊園地だった。 遅刻したら瑠衣に何言われるかっ」
慌てて身支度を整え、学生鞄を手に部屋を飛び出した。 リビングへ降りて行くと、珍しく両親が二人揃っている。 優斗に気づいた二人は、柔らかい笑顔で迎えてくれた。 二人の笑顔は、どことなく優斗に似ている。
「おはよう、優斗」
「おはよう、父さん、母さん」
久しぶりに母親の朝食を食べ、父親とは他愛ない話をする。 まさか久しぶりの朝食が、家族との最後の団欒になるなど、優斗は思いもしていなかった。 それが両親の姿を見た、最後だった。
「行ってきます」
玄関のドアを開けて外へ出る。 優斗の新しい扉の開く音が、何処か遠くで鳴り響いた。
――遊園地入り口前。
今日は高校のレクリエーションで、優斗たち2年生は遊園地へ来ていた。 遊園地の入り口前では、生徒たちが所々で白い集団を作り出している。 入り口前には噴水広場があり、葉緑樹が等間隔に植樹されている。 木陰に身を隠し、優斗は白い集団がいる入り口付近を恐々と伺っていた。
(白い集団、あそこには近づきたくないなっ)
柔らかい黒髪、少し垂れた目元が柔らかな印象を持つ優斗は、とても優しそうに見える。 実際に名前の通り、女子供には優しく、身長もそこそこ高くて剣道も強い。 背筋が綺麗な白い制服姿は、王子様のようだ。 ハーフ顔も相まって、女子からは『王子』などとイタイあだ名で呼ばれている。
故に、優斗は全学年の女子たちから人気が高い。 入り口前の白い集団の中に『結城真由』の姿を見つけると、端正な顔に皺が寄った。 とても王子には見えない表情だ。 結城たちの集団の少し離れた場所で、担任が出席の有無を確認していた。 優斗が来たら、直ぐに捕まえられるよう近くで見張っているのだろう。
(うわぁ、めっちゃ待ち伏せしてるっ。 あいつ、しつこいんだよな。 どうするかな)
担任からフリーパスを貰わないと入場できないのだから、担任の所までパスを受け取りに行かなければならない。 しかし、結城たちのそばには行きたくない。 行けば結城たちに捕まり、ずっと側を離れないだろう事は目に見えている。 優斗は眉を顰めて、白い集団を横目に見るとげんなりした。
どうするか考えあぐねていると、携帯のお知らせ音が制服のポケットから鳴った。 優斗は慌てて携帯を取り出した。 そして、気づかれなかったか、辺りを伺う。 携帯画面を確認すると、幼馴染の瑠衣からだった。
『篠原瑠衣から入電です』
『入場門横のカフェに居る。 見つからないよう入って来い』
『了解』
入場門横には縦長の建物がある。 中にカフェやグッズ売り場が併設されていて、カフェからも遊園地へ入場出来る様になっていた。 カフェの入り口が、何か所かあるのが見えた。 これなら、結城たちに見つからないように入れると確信した優斗は、そろりとその場を後にし、カフェへ向かった。
――カフェ内に『いらっしゃいませ~』の元気な店員の声が響き渡る。
優斗は店員の挨拶を聞き流し、店内を見回して瑠衣を探す。 幼馴染の瑠衣は身長も高く、黒髪がサラサラで少し長い。 涼し気な目元が冷たい印象のイケメンは、何処にいても目立つ。
瑠衣は奥の丸テーブルに肘をつき、ハイチェアーに腰を掛けていた。 視線は右手に持っている携帯電話に向いていて、優斗が近づいて来ている事に、瑠衣は全く気が付いていなかった。
白い制服姿が貴公子の様に見え、とても品のいい青年だと、周囲に与えていた。 瑠衣の中身を知っているだけに、優斗の顔に苦笑いが浮かぶ。 コーヒーを飲んでいる瑠衣は、周囲の女子から秋波を送られていても、全く意に介していなかった。
「瑠衣、おはよう」
優斗が声を掛けると、携帯をいじっていた瑠衣が顔を上げて笑顔を返してきた。 イケメン2人が揃うと、周囲の女子が色めきだってざわついた。 ざわつく周囲を他所に、2人は話を続ける。
「優斗、おはよう。 あっちに副担がいたから、フリーパス貰って来いよ」
「ああ、そうか。 副担でもいいのか。 行ってくる」
「ここで待ってる」
副担任は直ぐに見つかった。 優雅に窓際でコーヒーを愉しんでいる。 カフェの窓際は、全面ガラス張りになっていて、窓際からは先ほど優斗が隠れていた葉緑樹が良く見えた。
(窓際に居るなよ! 結城たちに見つかったら、どうしてくれるんだよっ)
優斗は内心で自分勝手な悪態をつき、副担任からフリーパスを受け取った。 意味ありげな笑みを浮かべる副担任を無視して、瑠衣の元へ戻る。 優斗は早速パンフレットを眺め、最初のアトラクションをどれにしようか、と瑠衣に相談を始めた。
「最初、何に乗る? 今からだと、1番人気のアトラクションは混んでるよな」
瑠衣が優斗の後ろを見て合図を送って来た。
「優斗」
優斗は後ろをチラリと振り向いた。 振り向いた先にいたのは、花咲華だ。 友人の鈴木仁奈と楽しそうに話をしている。 華が笑みを浮かべ、顎のラインで髪を揺らしている仕草に、自然と目を細める。 優斗の表情は優し気で、好意以上の気持ちが細めた瞳に滲んでいる。
華も制服姿で、何故か持っている学生鞄がパンパンだった。 何が入ってるのか気になっていたが、優斗は違う事で頭がいっぱいになっていた。
(制服じゃなくて、私服姿が見たかったな。 折角の遊園地なんだし、花咲の私服姿、可愛いだろうな)
「一緒に回ろって誘えば?」
瑠衣の言葉に心がざわつく。 優斗は、出来れば華と付き合いたいと思っている。
「簡単に言うなよ。 俺は花咲に避けられてるんだぞ」
(誘いたいけど、誘えない。 避けられ過ぎて、心もボキボキに折れてるしなっ)
「……」
瑠衣がチラリと優斗を見て『しょうがない奴』的な笑みを零した。
優斗が避けられている理由は結城たちにある。 結城たちは、優斗が親しくした女子に嫌がらせをしている。 気づいた優斗が何度か注意をしていたが、結城たちは全く聞く耳を持っていなかった。
そんな態度で、好きになってもらえると思っている所が、優斗には理解ができなかった。 華も優斗と話しただけで嫌がらせを受けたと、後から知った。
華は、全学年の女子の中で唯一、優斗の事を『王子』と呼ばず、『小鳥遊くん』と呼ぶ。 華にとっては普通の事なのだが、幼い頃から『王子』というあだ名で呼ばれてきた優斗には新鮮だった。
何て事を、優斗が物思いに耽っている間に、瑠衣が華たちの所へ移動していたことに全く気づかなかった。 目の前に居たはずの瑠衣の姿が視えなくて、何処へ行ったのかと、周囲を見回している優斗の耳に、背後から瑠衣の声が聞こえてくる。 まさかと思い、軋む首を後ろへ向けた優斗は、目を見開いて驚愕した。
「鈴木、花咲。 俺たちと一緒に回らない?」
(うわぁ! 瑠衣、いつの間にそっちに!)
振り向いた先には、瑠衣が爽やかな笑みで華たちに話しかけていた。 瑠衣の性格を知っている優斗には、似非貴公子に見えて頬を引き攣らせた。
瑠衣は用事がない限り、自分からは絶対に女子には話しかけない。 女子から、頻繁に話しかけられている所は見る。 そんな時の瑠衣は、とても胡散臭い奴に見えた。 優斗は急いで瑠衣のそばまで駆け寄った。 友人想いの瑠衣は、優斗の為に声を掛けてくれたのだろう。
華と仁奈は優斗に気づくと、正反対の態度を取った。 仁奈はサバサバした性格のようで、活発な笑みを向けてきた。 背筋を伸ばし、髪を後ろで1つに結んでいる姿が、凛々しい女騎士の様でかっこいい。 華は眉を下げ、困ったような表情をしている。 優斗たちを遠巻きに見ている周囲の女子たちを、チラチラと見て気にしていた。
「私はいいよ。 華が良いならね」
仁奈が屈託のない笑顔で言うと、華の顔が青ざめていく。 優斗の胸に小さく刺すような痛みが走った。
(分かってた事だけど、目の当たりにすると流石に傷つくな。 無理に付き合わせても悪いよな)
「あの、無理には、」
瑠衣と、何故か仁奈が優斗を『残念な子』を見る目で見つめてくる。 仁奈に至っては『ヘタレ』が混じっている感がある。 勿論、優斗の主観ではあるが。
(いや、花咲、明らかに嫌がってるだろ。 俺的には、ショックだけどっ)
優斗の胸の痛みが更に強くなり、少し垂れ目気味な目元が更に下がる。 俯いた優斗の耳に、乾いた華の声が届いた。 顔を上げた優斗は目を見開いて華を見た。
「わ、私もいいよ」
華を見ると、顔が引き攣っていて、笑顔のつもりだろうが、明らかに笑顔が失敗している。 ついでに、額に汗も光っていた。
(うわぁ、めっちゃ動揺してる。 絶対に無理してるよな、花咲)
優斗と華を他所に、瑠衣と仁奈が話を進めていく横で、華の様子を伺っていると、瑠衣が振り返って優斗たちに思いもよらない事を宣った。 いつの間にか周囲に居た人たちは、次々と遊園地へ入場して行き、カフェのお客もまばらになっていた。
「優斗、今から1番人気のアトラクションは無理だから、2番人気の絶叫マシーンにしようぜ。 俺は鈴木と乗るから、お前ら2人で乗れよ」
瑠衣の涼し気な瞳には、意地悪な笑みが滲んでいて、面白がっているのが丸わかりだった。 優斗はムスッとした表情を瑠衣に返す。 隣では華が、更に顔を青ざめさせて項垂れていた。 華が落ち込んでいる様子に、更に気持ちが暗い底に落ちていくのを感じて、何も言えなくなる。
しかし、瑠衣の言葉を反芻して気づいた。
(待てよ。 2番人気の絶叫マシーンって、カップルシートじゃないか! 瑠衣!)
瑠衣と視線が合うと、優斗の意図を察し、親指を立ててウィンクを返して来た。 瑠衣の瞳がキラリと光っている。 瑠衣の様子に、優斗は完璧に遊ばれている事を感じ、ガクッと肩を落とした。
――華の心情はというと。
(どうしよう。 話がとんとん拍子に進んで、絶叫マシーンが怖くて乗れないって言うチャンスを逃してしまった。 でも1人だけ乗らないなんて、空気悪くなるから言えないよねぇ。 ああ、私、今日で死ぬな)
華は迫る絶叫マシーンの恐怖に青ざめていた。 華の心情を知らない優斗は、青ざめる程、自分とアトラクションに乗る事を嫌がっていると思い、ショックを隠し切れなかった。
優斗と華は、違う意味で項垂れながら遊園地のゲートをくぐった。
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異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

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