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6話 『瑠衣と仁奈の休日』

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 キッチンに、野菜を軽快に切る音が鳴る。 今日の朝食当番は、瑠衣と優斗だ。 料理を始めて3年、レパートリーも増えた。 新鮮なレタスを豪快に手で割ると、バリバリと小気味いい音が鳴った。 サラダボールに無造作に乗せると、トマトやズッキーニを輪切りにした物を加え、後はクルトンを振れば、サラダの出来上がりだ。

 メインは、キッシュを選んだ。 カリカリべコーンが焼きあがると、機械音がオーブンから鳴り、パンが焼きあがった。 バターのいい香りが、キッチンに充満する。 隣でキッシュとカリカリベコーンを皿に盛っている優斗が慌てた声を出した。

 「瑠衣! やばい、華たち起きて来るっ」
 
 優斗の慌てぶりに、瑠衣もつられて急いで皿をテーブルへ並べる為に食堂へ向かう。
 
 「急げっ! 優斗」

 食堂で朝食を並べていると、勢いよく扉が開かれ、銀色の少年少女が摂りたての果物を両手にいっぱい抱えて飛び込んで来た。 フィルとフィンは、隠れ家を守る周囲の森の中に、2匹(?)の巣があるらしい。

 夜は森の巣で眠っているらしいが、住処は『乙女の秘密』だそうだ。 フィルとフィンが声を揃えて元気に挨拶してきた。

 「「おっはよう。 ユウト、ルイ!」」
 「おはよう。 フィル、フィン」
 「はよ、今日も朝から2人とも元気だな」
 
 瑠衣と優斗は、元気いっぱいなフィルとフィンを見て優しい笑顔を向けた。 4人と2匹分にしては多い食事の量は、フィルとフィンが大食いだからだ。 優斗たちが果物を絞ってジュースにしている間、瑠衣は自身の従魔である風神の所へ向かった。 風神は庭で草を食んでいた。 瑠衣が近づいて来た事に気づき、風神が顔を上げる。

 「おはよう、風神。 よく眠れたか?」
 
 瑠衣の挨拶に、風神の瞳がフッと細められたように見えた。
 
 『おはよう、主。 主もよく眠れたか?』
 「ああ、眠れたよ。 なんせ今日は、デートだからな」
 「お~い、瑠衣。 朝食、始めるぞ」
 
 優斗の呼ぶ声に返事を返し、瑠衣は風神に向き合った。
 
 「今、行く~! 今日は、風神もゆっくり森の中で、リフレッシュしろよな」
 『ああ、主もデートを楽しんで来い』
 
 風神との朝の挨拶をそこそこに、瑠衣は食堂に戻って行った。

 ――食堂に戻ると、朝食の準備は終わっていた。
 
 直ぐに仁奈と、眠い目をこすりながら華が食堂に入って来た。 そして、3年前からの毎朝の日課である本日の予定を決める。 皆でワイワイと話しながら食べるのはとても楽しいと、瑠衣は内心で笑顔を浮かべていた。 今日は一日、お店も冒険者の依頼も休みだ。

 (さて、仁奈と何処へ行こうかな)

 食事が終わって片付けをしていると、仁奈がテーブルの上を布きんで拭いている。 仁奈をチラリと見ると、声を掛けた。

 「仁奈は何処に行きたい? どっか考えてる?」
 
 瑠衣の声に顔を上げた仁奈は、『う~ん』と考え込んだ。
 
 「いざ、出かけるってなると、直ぐには思いつかないのよね」
 「なんか欲しい物もないのか?」
 「ないね」
 
 仁奈は真顔で即答した。 瑠衣と仁奈は2人して考え込んでしまった。

 (確かに、いざってなるとないなっ。 これ、ヤバいんじゃないか! 今更だけど、この世界のデートってどんなのだ?!)

 「じゃ、狩とか行く?」
 
 仁奈の意見に瑠衣は溜め息を吐いた。
 
 「それじゃ、いつもと変わらないだろう。 俺は仁奈と恋人同士の様な事をしたいの」
 
 瑠衣は目を細めて宣った。
 
 「そう、ね」

 仁奈が真っ赤になってしどろもどろになっている。 仁奈の様子に瑠衣の頬が自然と緩んだ。 片手で口を覆うと、つられて瑠衣も頬を染めた。

 「取り敢えず、街にでも出るか」
 「う、うん」
 
 仁奈は照れくさそうに返事を返して来た。 片付けが終り、優斗たちに見送られて取り敢えず、瑠衣と仁奈は街に出て来た。 瑠衣は、夜の街なら案内出来るのにな、と最低な事を考えていた。

 瑠衣と仁奈の2人の服装にも問題があった。 いつもの様に武器と防具を着こみ、街へ来ていたのだ。 武装していてはデートの雰囲気も出ないだろう。

 瑠衣は白いフード付きのマントを羽織り、下に着こんでいるのは、黒のアサシン風の防具だ。 背中には弓を背負っている。 仁奈も同じく白いフード付きのマントに、中は騎士風のジャケット、膝下のボタンダウンスカートだ。 仁奈は槍を手に持ち、赤いスカートの裾が風にひらりと揺れている。

 2人が羽織っているマントのフードには、羽が付いており、背中でパタパタと跳ねている。

 魔道具の街は治安が悪いわけではないが、破落戸も集まってくる街なので、油断していると変な奴に絡まれて危ない目に遭う。 護身の為に武装していた方が安全なのだ。

 「買い足さないと駄目な物あったかな?」

 仁奈が瑠衣に問いかけてきて、脳裏にいくつか買い足さないといけない日用品があったな、と思い浮かんだ。

 「あったな、帰りに買って帰ろう。 あ、ダブらない様に、優斗に連絡入れとくか」

 瑠衣が指輪で優斗と連絡を取っている間に、仁奈がフラフラッと何処かへ消えてしまっていた。 思いの外、長話してしまっていたらしい。

 「まじかっ! 何処行った? と、指輪で見つければいいか」

 指輪に魔力を流すと、市場の立体映像が現れる。 市場の中央にある噴水広場で、仁奈を示す赤い点があった。

 (広場かっ。 いつの間に移動したんだよ)

 広場に行くと、仁奈は6歳くらいと思われる少年と一緒にいた。 どうやら迷子を見つけて広場まで移動した様だ。 瑠衣は仁奈が無事に見つかってホッと安堵した。

 「仁奈!」
 
 瑠衣の声に振り返った仁奈は、明るい声を出した。
 
 「瑠衣!」
 「お前、勝手に居なくなるなよな。 心配するだろう」
 「ごめんっ。 迷子の子を追いかけてたらっ。 つい、ね」

 瑠衣は深く溜め息を吐いた。 瑠衣が少年を見ると、少年はびくりと小さい身体を震わせた。 それもそうだろう。 瑠衣の身長は180cmを超えるほどある。 6歳児から見れば巨人に見えるだろう。 少年は今にも泣き出しそうになり、仁奈の足に絡みついて瑠衣の視線から逃げた。 スカートの上からだが、仁奈の太ももに手が触れている事に、大人げなくこめかみに青筋を立てた。

 「ちょっと瑠衣。 その顔、怖いから。 この子が怖がってるでしょ。 ただでさえあんたデカくて威圧的なんだから」

 仁奈の言いように、瑠衣はムッと口を尖らせた。 じとっと少年を見た後、瑠衣はしゃがんで少年と同じ目線に合わせ、にっこりと笑いかけた。

 「おい、少年。 名前は? 何処に住んでんだ?」
 
 ごくっと喉を鳴らした少年は、恐る恐る瑠衣の質問に答えた。
 
 「えと、名前はテッドだよ。 それと迷子じゃないよ。 その、逃げ出したんだ」
 
 テッドと名乗った少年は恥ずかしいのか、もじもじと身体をくねらせている。
 
 「何だ、仁奈の早とちりか。 で、何が逃げ出したんだ?」
 
 テッドは瑠衣を上目使いで見つめると、小さく声を出した。
 
 「笑わない?」
 
 瑠衣と仁奈はテッドが何故、もじもじしているのか分からないが、仁奈が明るく答えた。
 
 「うん、笑わないよ。 お姉さんたちが一緒に探してあげるから。 何が逃げ出したのか教えて」
 
 瑠衣は『やっぱ、そうなるか』と目を細めて不満気に仁奈を見た。
 
 「瑠衣だって、探してあげようと思ったんでしょ?」
 「はいはい、仰せの通りに。 で、何が逃げ出したんだ?」
 
 もう一度瑠衣が訊くと、テッドは覚悟を決めたように顔を上げた。
 
 「僕につい来て」
 
 先程とは違い、力強い足取りに瑠衣と仁奈は視線を見合わせ、テッドについて行った。 ついて行った先で、瑠衣は一点を見つめて無表情になった。
 
 「まぁ、中々言えないわな。 ペットが逃げ出したのかと思ってたわ」
 「ペットって何?」
 
 瑠衣の言葉に、テッドは可愛らしく首を傾げた。
 
 「いや、こっちの話」
 
 仁奈も『あらら』と小さく呟いた。
 
 「ペットじゃなくて、従魔が逃げ出したのね」

 テッドはきまり悪そうに『うん』と頷いた。 瑠衣たちの視線の先に居たのは、子犬の背中に翼が生えた魔物だった。 成獣になれば、荷物運びや畑仕事、護衛などと役に立ってくれる。

 しかし、それは信頼関係があってこそだ。 テッドは自身の従魔とまだ信頼関係が築けていない。 従魔が逃げ出したと、恥ずかしくて言いだせなかったのだ。

 「あいつの名前は何て言うんだ?」
 「ロイだよ!」
 「俺と一字違いか」
 (さて、どうするかな?)

 ロイと名付けられた従魔は、市場から離れた場所にある公園へ逃げ出していた。 ロイは公園の中央に生えている大木の枝の上にいた。 なんでも、泥だらけで遊んだ後、汚れたロイをお風呂に入れようとしたら、濡れる事を嫌がったロイが逃げ出してしまったらしい。

 「声掛けて見るか?」
 「ロイ! 僕だよ、テッドだよ。 降りておいで」

 短い手を伸ばし、受け止める仕草をした。 しかし、ロイは威嚇の声を上げ、歯をむき出しに抗議の声を上げる。

 「おおおお」
 
 面白がっている瑠衣の様子に、仁奈の視線が痛い程刺さった。
 
 「これは、無理だな」
 「あ、私が登って一緒に降りてこようか?」
 「いや、止めとけ」

 話している事が分かっているのか、ロイの威嚇が激しくなった。 ロイの身体から、黒い禍々しいオーラが漂い始めた。 ロイの瞳が妖しく光り『ちりっ』とした張りつめた空気が周囲に漂う。 瑠衣ハッとして周囲を見回した。 先日のダンジョン内で感じた同じ空気感だと気づいた。 仁奈とテッドの2人は気づいていない様だ。

 (まさか、ロイが魔族に操られてる? なんでだ?)

 瑠衣は『ちっ』と舌打ちをした。 瑠衣の険しくなった雰囲気に気づいた仁奈が眉を顰めた。

 「瑠衣? どうしたの?」
 「僕が木に登って来るよ。 僕の従魔だし」
 「駄目だ!」
 
 駆け出したテッドの肩を掴んで止めた。 瑠衣の大きな声に、2人の動きが止まる。
 
 「瑠衣?」
 「仁奈、あいつは何故か分からないけど、魔族に操られてる可能性がある」
 「えええっ! 魔族に?!」
 
 テッドは意味が分からないのか、2人が慌てる様子を首を傾げて眺めていた。

 (優斗の監視スキルなら一発で分かるのにっ。 俺の能力には、そんなもんついてないからな。 華ちゃんもいないから、優斗は気づかないだろうし。 くそっ、折角の休みなのにっ。 久々のデートがっ)

 優斗も久々の休みに、華と街から離れた森の奥へ素材集めに出かけていて、優斗の監視スキルが感知できる範囲にいなかった。

 瑠衣は注意深く周囲を見回したが、魔族が近くに居るのか居ないのかは、分からなかった。 背中に背負った弓を構えると、瑠衣の左目の前に、ユリを模した魔法陣が展開される。 瞳に魔物の詳細が映し出された。

 「瑠衣!」
 
 仁奈が瑠衣の弓を掴んで止めた。
 
 「テッドの従魔を殺す気?」
 「もう、あいつは駄目だ。 魔族に操られてる魔物をやるには、黒い心臓を打ち抜かないと。 浄化方法がないんだ、仕方ないっ」
 
 仁奈の顔に絶望の色が滲み、瑠衣も悔しそうに顔を歪めている。
 
 「ねぇ、どうして僕の従魔を射ち落とそうしてるの?」
 「ロイはもう、お前の従魔じゃないからだ」

 瑠衣の瞳に魔物の弱点である黒い心臓が映し出された。 瑠衣は全身に魔力を纏わせる。 弓に魔力を流すと、瑠衣の周囲に暴風が吹き荒れる。 瑠衣の眉に皺が寄った。 矢に風が舞うと、瞳に魔力が宿る。 脳裏に浮かんだ言葉を心の中で呟き、矢を放った。

 『黒い心臓を射貫け!!』

 風を纏った矢が中り、吹き飛ばされたロイがどさりと地面に落ちて来た。 ロイとテッドの叫び声が公園に響き渡り、ロイから出ていた禍々しい黒いオーラが霧散して空中で消えた。

 瑠衣が放った矢は、大木の枝に突き刺さっていた。 死んだと思われたロイだが、ピクリと小さく跳ねて顔を上げた。 ロイを見た瑠衣と仁奈は、目を大きく開いて驚いた。

 「ロイ!!」

 テッドはロイに駆け寄り抱き上げる。 先程まで威嚇していたロイは、嘘の様にテッドに顔を摺り寄せていた。 瑠衣と仁奈は驚きすぎて固まり、声を発する事も出来なかった。

 「お兄ちゃん、ありがとう! ロイを助けてくれて!」
 「あ、ああ」
 (まじかっ! どうなってるんだ? なんで元に戻ったんだ?!)
 「今度からは仲良くね」
 「うん! お兄ちゃん、お姉ちゃん、本当にありがとう」

 テッドはロイを抱いて家に帰って行った。 瑠衣はまだ、放心状態だ。 自分が今しがたした事を信じられないでいた。 魔法陣で足場を作り、大木に登った仁奈は枝に刺さった矢を見て驚きの声を上げた。

 「瑠衣っ! これ見て?!」

 仁奈の声に側まで行った瑠衣は、枝に突き刺さった物を見た。 枝には藁人形が突き刺さっていた。 触れさせない様に仁奈を後ろに下げる。 藁人形から黒い霧が染みだしていたが、暫くすると崩れて粉々になってしまった。

 「なんだ? どういう事だ? 訳が分からないっ」

 瑠衣は公園の入り口を見つめ、テッドが走って行った方向を見た。 テッドの姿はもうなかった。


 無事にロイを取り戻したテッドは、公園を出るとニヤリと口元に笑みを浮かべた。 子供だったテッドの姿が歪み、15・6歳くらいの少年の姿に変わる。 ロイも少年の腰位の大きさに変わり、成獣の姿に変わっている。 背中の翼も健在だ。 少年とロイからは、禍々しいオーラが染みだしていた。

 「あれがベネディクトの次に勇者の力を得た男か。 様子見だったけど、視たところ、まだ力が馴染んでない様だな。 何回か力の持ち主が変わってるからな。 3年経ってるけど、中々馴染まないのかもな。 今ならまだ奪えるかも」

 ――瑠衣と仁奈は狐につままれた心地でいた。
 
 気を取り直して、いつものカフェで食事をする事にした。 今日のおすすめは、鶏肉のトマト煮らしい。 クロワッサンとサラダも一緒に頼んだ。 仁奈がデザートのショコラを美味しそうに頬張っているかたわらで、瑠衣はどうにも先程の事が腑に落ちないでいた。

 (なんか嫌な予感がするなっ)
 
 瑠衣の様子に仁奈が首を傾げている。
 
 「瑠衣、まださっきの事気にしてるの?」
 「まぁな、テッドの家は見つからなかったしな」
 「そうだね」

 一応、瑠衣と仁奈はテッドを追って家を探してみた。 しかし、それらしい家が何処にもなかったのだ。 まるでテッドという子供なんて居ないかの様だった。 瑠衣は今日の事を帰ってから優斗たちに相談するとして、休日の残りの時間を仁奈と楽しむ事にした。

 「仁奈、次は何処に行きたい?」
 「う~ん、そうね」

 少し考えて仁奈が出した答えは又もや『狩に行きたい』だった。 仁奈の要望は直ぐに却下された。 今回はデートなのだから、デートらしい事を瑠衣はしたいのだ。 瑠衣からスンっと表情が抜ける。

 「あ~、じゃあさ。 あそこ行こうよ」
 「あそこって、お前まさか。 あそこは流石にカップルで行く所じゃないぞっ! それにまだ開いてない」
 
 瑠衣が言っている『あそこ』とは、男女が出会う酒場の事だ。
 
 「そこじゃないわよっ!!」

 真っ赤になって怒った仁奈が、瑠衣の腕を引っ張って行く。 仁奈が瑠衣を連れて来た場所は、小高い丘だった。 丘からは魔道具の街が一望出来た。 中央に鐘が設置されている。 瑠衣の喉がゴクッと鳴った。

 実は露天風呂での女子会の時、華から聞いていたのだ。 何処にでもある話だ。 想い合う2人が一緒に鐘を鳴らすと幸せな結婚が出来るという。 住民たちは『誓いの鐘』と呼んでいる。 仁奈が真っ赤な顔で俯いているのを見て、全てを察した瑠衣は仁奈の手を取った。

 「一緒に鳴らすか」
 「うん、浮気しないって誓ったらね」
 「しないしない」
 「なんか軽いっ」

 2人で鐘を鳴らすと、魔道具の街に鐘の音が鳴り響いた。 住民たちは、今日も恋人たちが将来の幸せを祈り、鐘を鳴らしていると、少しだけ幸せのおすそ分けを貰った気分になり微笑むのだった。
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