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第二章 中宮殿

一ノ巻-気がかり②

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 そうなのだ。兄上は最近、私に直で晴孝様と顔を合わせることを禁じられた。今までは何も考えずお目にかかれたというのに、なぜか最近は姫扱いで御簾越しにしか会えない。

 まあ、本来の姫であれば直にお話をすることもできないが、それは許されているのでふたりでお話をする。私にとっては幸せな時間。私は彼の姿を見ることができるが、彼は私を見ることができなくなった。

 私の姿を見るには、夜においでくださるしかない。そうすれば、燭台の灯りで私の姿がぼんやりとでも御簾越しに見える。あとは……男女の仲になり、御簾をくぐるしかない。

 兄上は私をきちんと姫として扱い、晴孝様に簡単に渡さないと示したのだ。そうすることで周囲に、私を娶りたくばきちんと習わし通りに通って、兄である自分にも誠意を見せて交際の許しを乞えと言っているのだ。

 またそうしてこそ、周囲の者も親なし娘として私を軽々しく見ない。いずれ私の父親代わりとして、恥ずかしくないようにしてから私を嫁がせたいと思ってくれているのだ。

「あなたが私の義妹となってくれたら、どれほどうれしいか……」

「姫様。私こそ、姫様と兄上様とのことのほうが……」

 そう言うと、姫様は顔を扇子で隠してしまわれた。恥ずかしそうにしておられる。可愛らしい。

「兄上様は静姫様が次の縁談が来る前に、御殿でのお仕事をお引き受けになり、正式に姫様とのことを左大臣様にお認め頂きたいと思われているようです」

 兄は最近精力的に姿を現している。今まではわざと神社にこもっていたのだ。だが、静姫をほかの男君に渡せないと思ってからは、姫様に歌を定期的に送り、求婚するために段階をきちんと追っている。

「わたくしは、何を言われようと今はあの方以外の殿方へは心が動きません。歌を頂くようになり、幸せです。昔を思い出しています」

「それは嬉しいお言葉です、姫様これを兄から預かってまいりました」

 私は胸元から梅の枝のついた文を姫様の前に出した。今日は兄の文使いでも来たのだ。私はなんて良い妹なのか……。

「まあ、ありがとう夕月。実はわたくしも準備してあったの」

 そう言うと、後ろの見事な文様の入った文箱から、透かしの入った紙を結んだ文を私の前に置いた。手に取ると、とても良い香りがする。紙に姫様の香を焚き染めたのであろう。

「……ふふふ。おふたりは考えていることが一緒ですね。うらやましい」

「もう、夕月ったら……でもお願いね」

「はい。もちろんです。兄上様にお渡しいたします」

 恥ずかしそうな姫を見ながら私は聞きたかったことを口にした。

「先ほど、こちらに入る際、清涼殿の上臈女房様とすれ違いました。女の童も連れていましたが、何かあったのですか?」

 静姫は驚いた顔をして私を見ると、うなずいた。

「伯母上様は最近急になぜかお加減がすぐれず、寝たり起きたりなの。朱雀皇子の東宮廃位により、お子の京極皇子が東宮に立たれることがほぼ決まっているけれど、その準備が何もできず止まっているの。それで清涼殿の御上もご了承とのことで中宮殿へ私にきてくれないかとのご依頼の文だったのよ。父の手前、正式な御上経由のご依頼として清涼殿の上臈女房が来たのよ」

 あの問題で御上は朱雀皇子の東宮廃位を先ほど決心された。次男である京極皇子は左大臣の姉である中宮の皇子。静姫にとっては従弟にあたる。京極皇子は姫の妹である奏姫とは恋仲だ。

「そうでしたか。中宮様としては宮中のしきたりに明るく、そのうえ、上臈女房を束ねられる姫といえば、静姫様しか思い浮かばなかったのでしょう」

「そうね。お気持ちはわかるので、京極皇子のためにも近いうち中宮殿に参上することとなりそうなのよ」

 御上には男子のお子が三人おられる。朱雀皇子、京極皇子、先月生まれたばかりのまだ幼い藤壺皇子だ。皇子は一年半ほど前に入内した蔵人の頭の娘である藤壺尚侍の皇子だ。今はその若い尚侍が御上の寵愛を独占していると聞いている。

「……尚侍のお父上は武門のお家柄でしたよね」

「そうね。でもお母上はあなたと同じように神社の巫女だったと聞いているわ。吉野にある神社で戦祈願をしてもらったときに偶然蔵人の頭が見染めたとか。あの辺りでは有名な恋の話になっているそうよ。娘が入内し今や寵姫となっているからかしら……」

 私はその話を聞いて、嫌な予感がした。もしや……。私は静姫のお顔を見て言った。

「姫様。あの上臈女房についていた女の童ですけれど……気になることがありました。戻りまして兄上と相談いたしますが、中宮殿に入るのは少しだけお待ちください」

「……え?」

「どうしても中宮殿へ上がるのであれば、一緒におつきの女房としてこの夕月をお連れください」

「夕月、うれしいわ。そうしてくれたらどんなにか助かるかしら。志津はここの管理のために残すかもしれないの。父上のことも私が母上のかわりに見ていましたので、志津が必要なのよ」

「兄上に戻り次第お許しを頂戴しますので、今しばらくお待ちくださいませ」

 すると、御簾越しに衣擦れの音がした。そしてぱちりと扇子を閉じる音がした。

「夕月。また、君は何かする気だな?私は心配で夜も眠れないぞ」

 御簾の外には直衣姿もまぶしい、晴孝様が立っておられた。

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