上 下
37 / 42

37.妖精を見つけて

しおりを挟む
 穂花ほのかが逆上がりの練習をしていた。僕はその横で「がんばれっ」とただ声をかけ続けている。
 今は小学生になって、穂花と逆上がりの練習をしていた時だった。

「なかなかできないよぅ」

 穂花は何度も逆上がりをしようとキックしているのだけど、ぜんぜん体が上に上がれない。

「たかくん、ちょっとやってみせて。どうしたらいいのか、よくわかんないんだよ」
「わかった。こうだぞ」

 穂花の願いに応えて、僕は逆上がりをしてみせる。
 それからくるくると何回か回ってみせた。僕はこの手の事はだいたいすぐに出来る。あんまり苦労した事がない。逆に穂花はちょっと運動は苦手なようで、いつも最初は出来ない事が多い。

 だけど穂花はこんな時に絶対に諦めない事も知っていた。
 僕が回っているのをみて、穂花は何が違うのかをじっと眺めていたようだった。
 それからすぐに穂花はまた逆上がりを開始する。

「えいっ。えいっ」

 さっきよりも少しだけ回れていたように思う。たぶんこの調子でそのうち穂花は逆上がりができるようになるんだろう。
 僕はそれまで穂花を応援し続ける。それが僕の役割だった。

 ただ練習しているのを見ているだけだから、暇でもあった。そんな時、遠目に不意に光る何かが見えた。
 何だろうと思って、そちらの方へと目をこらす。しかし校舎の裏の方の木のそばで、キラキラと光る何かがある以上の事はわからなかった。

「あ、ちょっとトイレいってくる」

 僕はどうしても気になったから、穂花を置いてそちらの方へと向かっていた。
 木の方に向かうと、ものすごく大きな蜘蛛の巣が枝から伸びていた。そしてそのキラキラした何かは蜘蛛の巣の真ん中に大きく張り付いていたのだ。
 体長は十五センチくらいだろうか。昆虫のような羽根を背にした人形が張り付いていた。

「なんだ。人形か」

 つぶやいた僕に、しかしその人形は声を漏らす。

『君、私の姿が見えるの!?』
「わぁ。人形が喋ったぞ!?」

 人形が喋った事に、僕は驚いて目を見開く。

『人形じゃないよ。強いて言うなら妖精かな』

「妖精とか、いるわけねーし」

 目の前で蜘蛛の巣に捕まった哀れな妖精を前に、僕は手をひらひらと振るう。

『ここにいるじゃないのっ。というか、出来たら助けて欲しいんだけど』
「うーん。どうしようかな」

 俺は少し悩んでみる。得体の知れない相手だけに、本当に助けていいのか疑問もある。

『ちゃんとお礼はするからさ。ね。お願い」

 妖精が泣きそうな目で懇願してきて、さすがに可哀想に思えてきた。
 人間の言葉を喋っているとはいえ、小さな生物だ。何か出来るとは思えなかった。

「んー。わかった。別にお礼はいらないけど」

 とりあえず蜘蛛の巣に絡まっているのは可哀想なので、とってあげることにした。
 蜘蛛自体はもういなくなった後なのか、それともさすがに大きすぎる獲物に驚いて逃げたのか、この巣にはいないようだった。
 丁寧に蜘蛛の巣を外していく。

 その間にいちど妖精を手にして地面に下ろしたのだけど、大きさから見えるよりもずっと軽くて、まるでそこに存在していないかのようだった。なるほど。確かにこれだけ軽いのなら力もほとんどないだろう。蜘蛛の巣を外せないのもわかる。

 ただ代わりに自分が蜘蛛の巣まみれになってしまって、少し気持ち悪い。蜘蛛の糸が手に張り付いていた。
 それでも妖精は助けられたようで、とりあえず地面に下ろすとふらふらとしていたものの、何とか歩けているようだった。

『はぁ。助かったー。ありがと。私はフェル。君は』
「ぼくはたかし」
『たかしね。この恩は忘れないわ。必ずお礼はするからね』

 そういって空に飛び立とうとして羽根を広げた。
 だけどその羽根はほんの少ししか開かなかった。しばらく何度か羽根を広げようとしていたけれど、どうしても動かないようだった。

『ごめん。たかし。羽根にまだ蜘蛛の糸が残っているみたい。水道があるところまで連れて行ってくれないかな』

 フェルは申し訳なさそうに告げるけれど、それくらい大した事はない。
 僕はフェルを抱えると、手洗い場まで連れて行って蛇口を開く。
 フェルはその水を浴びると、蜘蛛の糸が落ちたのか、羽根がさっきよりも強くきらきらと輝きだしていく。これが本来の輝きなのだろう。

『はぁ。ほんとひどい目にあった。ありがとね。たかしは命の恩人だわ』

 フェルは深々と頭を下げる。

「別に大した事はしていないけど」

 実際ただ蜘蛛の巣から取り出して水道を使っただけだ。ほとんど何もしていないに等しい。それよりもトイレといって待たせたまんまになっている穂花の方が気にかかった。
 しかしフェルにとってはそうではなかったのだろう。大きく首を振るうと、僕の頭の上をくるくると回っていた。

『とんでもないわ。私にとっては本当に死ぬかもしれない事態だったの。あんなところに蜘蛛の巣があるなんて油断してたの。あのね。なにせ妖精の死因の五割が蜘蛛の巣にひっかかって、身動きできなくなることだもの。絶体絶命のピンチだったんだから』

 大げさな声で告げていたが、半分くらい蜘蛛の巣にひっかかって死ぬというのはずいぶんな割合である。確かにそれほどの事であれば、フェルの言いぶりもわからなくはない。言うならば僕は事故から救ってくれたヒーローのようなものなのだろう。
 ただ蜘蛛の巣にひっかかって死ぬというのは、ずいぶんな死因じゃないだろうか。

「妖精ってそんな簡単に捕まって死ぬんだ?」
『そうなの。繊細な生き物なの』

 フェルはため息とともに告げるが、繊細な生き物というか、蚊とんぼみたいなもろっちい生き物だなぁと僕は思う。でも言ったら傷つくような気がしたので、黙っておいた。

『蜘蛛の巣に絡まると魔法が使えなくなるのが厄介なのよね』

 あとで知ったところによると、どうやら妖精にとって蜘蛛の巣は天敵なようなものらしい。妖精の使える魔法を全て無効にしてしまう効果があるのだとか。
 ただこの時はそこまでは知らなかった。それよりもフェルの言う魔法の話の方が気になっていた。

「魔法が使えるの?」
『そうね。私は時の妖精だから、時間を操る魔法が使えるわ。そうだ! 命の恩人のたかしのために、私が魔法を使ってあげる。ほんの少しだけだけど時間を戻せる魔法』
「へーー。すごい」

 僕は感心していた。ただ特に何かしてもらうほどの事をした訳でもない。僕は首をふるってフェルに告げる。

「でもぜんぜん大した事してないから、お礼とか特にいいけど」
『たかしにとってはそうかもしれないけど、私にとっては本当に死ぬ瀬戸際だったの。たまたまたかしが私の姿を見る事ができたから助かったの。たかしが通りかからなかったら、私はかなりの確率で死んでいたと思う。だから私に恩返しをさせてちょうだい』

 フェルは僕の周りをぶんぶんと飛び回って、それから僕の頭の上に着地する。
 それから俺は穂花の方へと戻る。
 穂花は嬉しそうな顔をして俺の方へ向けてくる。

「たかくん、私出来たよ」
「お、すごいな。穂花」
「えへへ。ありがと。たかくんがずっと応援してくれたおかげだよ」

 そう告げる穂花に、僕はこんなに練習を続けられる穂花の方がすごいなと思う。

「僕は何もしていないよ。穂花が自分でがんばったんだ」

 照れた顔で告げる俺を、なぜかフェルが隣で見ていた。
 やっぱりフェルの姿は穂花には見えないらしい。

『なるほど。たかしはこの子が好きなのね』
「……!? ち、ちがうしっ」

 思わず声をもらすと、穂花がきょとんとした顔を向けてくる。

「たかくん、どうしたの? 急に声あげて」
「い、いやなんでもないよ」

 風が吹いていた。
 俺とフェルの関係はこうして始まった。時間を戻す力と共に。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【完結】箱根戦士にラブコメ要素はいらない ~こんな大学、入るんじゃなかったぁ!~

テツみン
青春
高校陸上長距離部門で輝かしい成績を残してきた米原ハルトは、有力大学で箱根駅伝を走ると確信していた。 なのに、志望校の推薦入試が不合格となってしまう。疑心暗鬼になるハルトのもとに届いた一通の受験票。それは超エリート校、『ルドルフ学園大学』のモノだった―― 学園理事長でもある学生会長の『思い付き』で箱根駅伝を目指すことになった寄せ集めの駅伝部員。『葛藤』、『反発』、『挫折』、『友情』、そして、ほのかな『恋心』を経験しながら、彼らが成長していく青春コメディ! *この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件・他の作品も含めて、一切、全く、これっぽっちも関係ありません。

課金ヒーロー! リッチマン!!

mk-2
キャラ文芸
 ヒーローよ、その正義の心のままに『課金』をせよ――――!!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

学生にカムバック!

おさちゃん
青春
大手開発企業社長 鎌倉吉城が開発したのは見た目が高校生に戻れる服! その服を使って実際の学園ライフに溶け込めるかの試験着用で、バカでも、カシコクもないふっつーの高校へ放り込まれる。 なんで、俺が試験体なんだと嫌々ながらも 2度目の高校生活を送っていくストーリー

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

信仰の国のアリス

初田ハツ
青春
記憶を失った女の子と、失われた記憶の期間に友達になったと名乗る女の子。 これは女の子たちの冒険の話であり、愛の話であり、とある町の話。

コミュ障な幼馴染が俺にだけ饒舌な件〜クラスでは孤立している彼女が、二人きりの時だけ俺を愛称で呼んでくる〜

青野そら
青春
友達はいるが、パッとしないモブのような主人公、幸田 多久(こうだ たく)。 彼には美少女の幼馴染がいる。 それはクラスで常にぼっちな橘 理代(たちばな りよ)だ。 学校で話しかけられるとまともに返せない理代だが、多久と二人きりの時だけは素の姿を見せてくれて── これは、コミュ障な幼馴染を救う物語。

処理中です...