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第九局 過去でも矢倉さんの守りは固い
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「美濃くんもだいぶ将棋が強くなりましたね」
矢倉さんが盤を前にしながら告げる。
いまちょうど一局終わったところだ。やっぱり矢倉さんには届かないけれど、今までよりも少しは戦えていた気がする。
「まだまだ矢倉さんには敵いませんけどね。でもまぁ入部したての時に比べれば少しはマシになったかなと思います」
「そういえば入部した時は将棋のルールもまともに知らなかったですものね」
矢倉さんは何か思い出したのか、口元に手をあててくすくすっと笑っていた。
そう。あの頃はいろんな失敗をした。駒の動かし方もすっかり忘れていたくらいだから、とんでもミスも沢山やってきた。
そう思い出してみると――
「よーし、これで詰みですよね!」
自信満々に僕はとった歩を相手の陣に打ち込む。これで勝ったと思った。
「美濃くん。これ二歩です。反則負けです」
矢倉さんの声が響く。やっぱりいつきいても綺麗な声だなぁ。見た目だけでなくて声まで綺麗とか、確かに反則ですよね。反則。
って、反則? あれ?
「ほら、ここにも歩がありますよね。同じ列に二つ歩を指してしまうのは、二歩っていって反則なんです」
「え、ええー!?」
「あと、ついでに打ち歩詰めっていって、最後を歩で詰めるのも反則負けになります。もっともこの手はここでこうして角で防げるので、詰みにはなりませんけども」
なんと。よくわからないけど、詰んでなかったし詰んでても反則らしい。
ううん。将棋って難しい。
「あの美濃くん、やっぱり駒を落としましょうか。たぶん八枚落ちくらいでもいいんじゃないかなと思うんですけど」
矢倉さんが心配そうに僕の顔をのぞき込んでくる。
この時の僕はたぶん駒の動かし方もおぼついておらず、金と銀の違いもわかっていなかった。一方矢倉さんは有段者で、しかも女流棋士にもなれるかもしれないくらいの実力者だ。かなり実力に差があったと思う。
「大丈夫。大丈夫。次は勝つからね!」
だけどこの時の僕は手加減されて戦うなんてダサイと思っていた。実際には勝負にもならない対局を続ける方がよっぽどダサイし、矢倉さんの実力の程度もよくわかっていなかった。だから平手での勝負にこだわっていた。
正直あと格好よくかって、矢倉さんに美濃くんすごーいと言ってもらいたいというよこしまな野望もあった。これがいかに難しい事かというのは、次第に理解するのだけれども、この時の僕はまだもうしばらくやっていればいつかは勝てると思っていた。
「よーし、次は勝つぞ」
「美濃くん、今度は角と飛車の位置が逆です」
言われてみると角と飛車の位置が合っていなかった。
おおう。これはやっちまったぜ。
恥ずかしさで声を失う。まだまだこの辺はよく間違えてしまう。
「ごめんごめん。よーし、こんどこそ勝つぞ」
そういって僕は飛車を王の前、真ん中に動かす。
それから右の銀を左上にあげて、左の銀を右上にあげる。
「どうですか!? これ。これなら強そうじゃないですか!?」
「……無敵囲いですか。そうですね。まぁ縦からの攻めにはわりと強いです」
矢倉さんが少し困ったような声で答える。
無敵囲い。なんだかすごそうな名前だし、これなら僕も勝てるかもと期待に胸を膨らませる。
「でも――横からの攻めにめちゃくちゃ弱いです」
そう言いながら攻め込んできた矢倉さんの手に、あっというまにめちゃくちゃにされてしまっていた。無残なくらいに崩されてしまう。
「む、無敵のはずなのに」
「無敵囲いはですね。どちらかというと皮肉っていうか、子供がやっちゃいそうな手って意味というか。正直弱いです」
矢倉さんの容赦ない指摘に頭を抱える。
く、まさか無敵囲いは無敵ではなかったとは。でも矢倉さんは物知りだな。僕が試している方法をだいたい全て知っているようだ。
じゃあどうすればいいのか。これでは矢倉さんに勝てない。頭を悩ませる。
少し黙っていたのに不安を感じたのか、矢倉さんが声をかけてくる。
「……美濃くんは」
「はい。なんでしょう?」
「嫌になりませんか。私、将棋の話しかできませんし。今も間違いをいちいち指摘してうるさいとか思いませんか」
矢倉さんの言葉が一瞬わからずにきょとんとした顔を漏らす。
「え、なんでですか。僕のミスをしっかり指摘してくれて、優しいと思いますし。将棋部なんだから将棋の話をするのは当たり前ですよね」
僕の言葉に矢倉さんの顔が少しほころぶ。
あ、前から矢倉さんは綺麗だと思っていたけど、やっぱり笑顔になるとすごく可愛い。
「でも次は勝ちますからね。美濃戦法が炸裂しますから」
「美濃戦法ですか。そういえば美濃くんは飛車を振るのが好きみたいですから、やっぱりまずは基本の美濃囲いを覚えるといいと思います」
「美濃囲い? 僕の名前がついた戦法がすでにあるんですか!?」
なんと。僕の名前のついた戦い方がすでにあるらしい。これは驚きだ。
「はい。こうして飛車を動かしたあとに、玉を右手の方に動かして金と銀をこう三角に位置させるのが美濃囲いです」
矢倉さんが美濃囲いの姿を盤面に再現してくれる。
「なんかすかすかですけど、大丈夫なんでしょうか。これ」
並べてくらた形は逆三角形に金銀がならんでいて、間がだいぶん空いているように見える。
「はい。ほら、ここは銀がきいていますし、ここには金がきいています。だからどこからの攻めでも受けやすいですし、特に横からの攻めに強いです。ただ上側からの攻めには弱いので少し注意が必要ですけど、居飛車相手には戦いやすいです」
「い、居飛車っていうと?」
知らない単語がでてきて僕の頭は少し混乱する。まだ将棋の用語はなかなか覚えられていない。
「居飛車は飛車を中央より左側に振らないで戦う戦い方です。美濃囲いが振り飛車の代表的な囲いだとすると、居飛車の代表的な戦い方が矢倉囲い。矢倉にもいろいろと種類がありますが、特にこの形を金矢倉といいます」
「へーー。矢倉さんの名前がついた戦法もあるんですね。なんか、矢倉さんと同じですごく綺麗な形ですね!」
「え、えっと。そ、そうでしょうか」
急に矢倉さんの言葉に狼狽が混じる。しかし僕はそれには気がつかずにすぐに言葉を続けていた。
「そうですよ。それになんか僕の名前の戦法も、矢倉さんの名前のついた戦法もあるだなんて、なんか運命を感じちゃいますね。僕と矢倉さんはここで出会うべくして出会ったみたいな」
何気なくいった僕の言葉に、矢倉さんが急に言葉を失う。
「あ、あれ。矢倉さん、どうしました?」
「え……えっと。その……。な、なんでもないです」
矢倉さんはなぜかそっぽを向いてしまった。
何か機嫌を損ねてしまっただろうか。
でも自分の名前の囲いを覚えたことで、僕はもう少し矢倉さんに近づいたような気がしていた。
「こんな感じでしたよね。いやー、あの時は本当に運命を感じましたよ」
僕の言葉に矢倉さんが再び顔を背けてしまう。
あ、あれぇ。
「……美濃くんのばか」
どうやら再び矢倉さんの機嫌を損ねてしまったようだ。
うーん。将棋は強くなったかもしれないけれど、矢倉さんの心はまだわからない。
過去でも矢倉さんの守りは固い。
矢倉さんが盤を前にしながら告げる。
いまちょうど一局終わったところだ。やっぱり矢倉さんには届かないけれど、今までよりも少しは戦えていた気がする。
「まだまだ矢倉さんには敵いませんけどね。でもまぁ入部したての時に比べれば少しはマシになったかなと思います」
「そういえば入部した時は将棋のルールもまともに知らなかったですものね」
矢倉さんは何か思い出したのか、口元に手をあててくすくすっと笑っていた。
そう。あの頃はいろんな失敗をした。駒の動かし方もすっかり忘れていたくらいだから、とんでもミスも沢山やってきた。
そう思い出してみると――
「よーし、これで詰みですよね!」
自信満々に僕はとった歩を相手の陣に打ち込む。これで勝ったと思った。
「美濃くん。これ二歩です。反則負けです」
矢倉さんの声が響く。やっぱりいつきいても綺麗な声だなぁ。見た目だけでなくて声まで綺麗とか、確かに反則ですよね。反則。
って、反則? あれ?
「ほら、ここにも歩がありますよね。同じ列に二つ歩を指してしまうのは、二歩っていって反則なんです」
「え、ええー!?」
「あと、ついでに打ち歩詰めっていって、最後を歩で詰めるのも反則負けになります。もっともこの手はここでこうして角で防げるので、詰みにはなりませんけども」
なんと。よくわからないけど、詰んでなかったし詰んでても反則らしい。
ううん。将棋って難しい。
「あの美濃くん、やっぱり駒を落としましょうか。たぶん八枚落ちくらいでもいいんじゃないかなと思うんですけど」
矢倉さんが心配そうに僕の顔をのぞき込んでくる。
この時の僕はたぶん駒の動かし方もおぼついておらず、金と銀の違いもわかっていなかった。一方矢倉さんは有段者で、しかも女流棋士にもなれるかもしれないくらいの実力者だ。かなり実力に差があったと思う。
「大丈夫。大丈夫。次は勝つからね!」
だけどこの時の僕は手加減されて戦うなんてダサイと思っていた。実際には勝負にもならない対局を続ける方がよっぽどダサイし、矢倉さんの実力の程度もよくわかっていなかった。だから平手での勝負にこだわっていた。
正直あと格好よくかって、矢倉さんに美濃くんすごーいと言ってもらいたいというよこしまな野望もあった。これがいかに難しい事かというのは、次第に理解するのだけれども、この時の僕はまだもうしばらくやっていればいつかは勝てると思っていた。
「よーし、次は勝つぞ」
「美濃くん、今度は角と飛車の位置が逆です」
言われてみると角と飛車の位置が合っていなかった。
おおう。これはやっちまったぜ。
恥ずかしさで声を失う。まだまだこの辺はよく間違えてしまう。
「ごめんごめん。よーし、こんどこそ勝つぞ」
そういって僕は飛車を王の前、真ん中に動かす。
それから右の銀を左上にあげて、左の銀を右上にあげる。
「どうですか!? これ。これなら強そうじゃないですか!?」
「……無敵囲いですか。そうですね。まぁ縦からの攻めにはわりと強いです」
矢倉さんが少し困ったような声で答える。
無敵囲い。なんだかすごそうな名前だし、これなら僕も勝てるかもと期待に胸を膨らませる。
「でも――横からの攻めにめちゃくちゃ弱いです」
そう言いながら攻め込んできた矢倉さんの手に、あっというまにめちゃくちゃにされてしまっていた。無残なくらいに崩されてしまう。
「む、無敵のはずなのに」
「無敵囲いはですね。どちらかというと皮肉っていうか、子供がやっちゃいそうな手って意味というか。正直弱いです」
矢倉さんの容赦ない指摘に頭を抱える。
く、まさか無敵囲いは無敵ではなかったとは。でも矢倉さんは物知りだな。僕が試している方法をだいたい全て知っているようだ。
じゃあどうすればいいのか。これでは矢倉さんに勝てない。頭を悩ませる。
少し黙っていたのに不安を感じたのか、矢倉さんが声をかけてくる。
「……美濃くんは」
「はい。なんでしょう?」
「嫌になりませんか。私、将棋の話しかできませんし。今も間違いをいちいち指摘してうるさいとか思いませんか」
矢倉さんの言葉が一瞬わからずにきょとんとした顔を漏らす。
「え、なんでですか。僕のミスをしっかり指摘してくれて、優しいと思いますし。将棋部なんだから将棋の話をするのは当たり前ですよね」
僕の言葉に矢倉さんの顔が少しほころぶ。
あ、前から矢倉さんは綺麗だと思っていたけど、やっぱり笑顔になるとすごく可愛い。
「でも次は勝ちますからね。美濃戦法が炸裂しますから」
「美濃戦法ですか。そういえば美濃くんは飛車を振るのが好きみたいですから、やっぱりまずは基本の美濃囲いを覚えるといいと思います」
「美濃囲い? 僕の名前がついた戦法がすでにあるんですか!?」
なんと。僕の名前のついた戦い方がすでにあるらしい。これは驚きだ。
「はい。こうして飛車を動かしたあとに、玉を右手の方に動かして金と銀をこう三角に位置させるのが美濃囲いです」
矢倉さんが美濃囲いの姿を盤面に再現してくれる。
「なんかすかすかですけど、大丈夫なんでしょうか。これ」
並べてくらた形は逆三角形に金銀がならんでいて、間がだいぶん空いているように見える。
「はい。ほら、ここは銀がきいていますし、ここには金がきいています。だからどこからの攻めでも受けやすいですし、特に横からの攻めに強いです。ただ上側からの攻めには弱いので少し注意が必要ですけど、居飛車相手には戦いやすいです」
「い、居飛車っていうと?」
知らない単語がでてきて僕の頭は少し混乱する。まだ将棋の用語はなかなか覚えられていない。
「居飛車は飛車を中央より左側に振らないで戦う戦い方です。美濃囲いが振り飛車の代表的な囲いだとすると、居飛車の代表的な戦い方が矢倉囲い。矢倉にもいろいろと種類がありますが、特にこの形を金矢倉といいます」
「へーー。矢倉さんの名前がついた戦法もあるんですね。なんか、矢倉さんと同じですごく綺麗な形ですね!」
「え、えっと。そ、そうでしょうか」
急に矢倉さんの言葉に狼狽が混じる。しかし僕はそれには気がつかずにすぐに言葉を続けていた。
「そうですよ。それになんか僕の名前の戦法も、矢倉さんの名前のついた戦法もあるだなんて、なんか運命を感じちゃいますね。僕と矢倉さんはここで出会うべくして出会ったみたいな」
何気なくいった僕の言葉に、矢倉さんが急に言葉を失う。
「あ、あれ。矢倉さん、どうしました?」
「え……えっと。その……。な、なんでもないです」
矢倉さんはなぜかそっぽを向いてしまった。
何か機嫌を損ねてしまっただろうか。
でも自分の名前の囲いを覚えたことで、僕はもう少し矢倉さんに近づいたような気がしていた。
「こんな感じでしたよね。いやー、あの時は本当に運命を感じましたよ」
僕の言葉に矢倉さんが再び顔を背けてしまう。
あ、あれぇ。
「……美濃くんのばか」
どうやら再び矢倉さんの機嫌を損ねてしまったようだ。
うーん。将棋は強くなったかもしれないけれど、矢倉さんの心はまだわからない。
過去でも矢倉さんの守りは固い。
応援ありがとうございます!
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