この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第六章 見えないところで誰かがきっと

54.悪夢再び(1)

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 十月に入って秋晴れが続き、今日も澄んだ秋の空が広がっている。
 半年に一度の新堂さんの定期検査も異常なし。これでカウントダウンも残すところあと六か月となった。

 私は今日も元気にパート先に向かう。

「おはよう、朝霧さん!」元気に声をかけてきたのはボスだ。
「おはようございます。支社長」今日も貫禄十分ですね、とは頭の中だけで告げる。
 何だかこの人、見る度に体が大きくなっている気がする!
「あなたが今日の出勤で良かったわ~」
「今日って何かあるんですか?」

 今度会社のホームページを新しくするそうで、それに載せるスタッフや社内の写真撮影をするのだと教えてくれた。

「えっ、それと私と何の関係が?」思わず尋ねる。私はただのパート社員だ。
「何って決まってるじゃない!ウチのパートさんは続かない人が多いけど。これだけ長く勤めてくれてるあなたは、社員みたいなものよ」とカメラを構えるポーズを取りながら言う。
 認められて素直に嬉しく思う。いつの間にか私もベテランの域に達したようだ。

 そんな感動的シーンをぶち壊すように、気合十分の部長が顔を出した。早退する私に死んじゃうから早く帰れ!と豪語したあの人物だ。
「あら朝霧さん、今日のお洋服素敵っ!撮影のために選んできてくれたのね!」
 違います、今知ったんですから?間違ってもこんなコメントはしないが。

「やっぱり若いコ入れないとダメですよね~、ボス!写真には華がなくちゃ?」
「ちょっとアンタ。私じゃ役不足だって言うの?」
「いえいえいえ!ボスは十~分ゴージャスな華ですよぉ?ほら、他が冴えないのでって意味です」と後ろを振り返って言う。これは失言ではないのか?

 朝からこの二人のテンションは高すぎて、尻込みしてしまうのだった。


 そして緊張の撮影の時間が始まり、ぎこちない笑みで写真に納まる一同。

「あの、これってどういう感じで載るんですか?」あまり大っぴらにされるのは困る。
 ホームページ作成担当者にこっそり聞き込む。
「ああ。ギリ顔が認識できるくらいかな。メインは社内の様子だからね。君、パートだっけ?悪いけど写真の下にそう表記するからね」
「もちろんそうしてください」こちらから願い出たいところだ。

 ここは民間の小さな会社。全国に支店が数か所あるが、そこまで知名度もない。だからこそ写真掲載を承諾したのだ。
 今さら私の写真を見つけたところで、騒ぐ連中もいないだろうと。この時はこの程度の認識だった。

 しかし、この後からおかしな出来事が起こり始める。



 それから数日後の会社にて、受付に男性の姿が見えた。
「あの!」私を見て声をかけてくる。

「いらっしゃいませ。ご予約のお客様でしょうか?お名前を……」私はマニュアル通りのセリフを唱える。
 すると男性は、「僕、あなたとお話をしに来ました!朝霧、ユイさんですよね?」と来たではないか。
「どうして私の名前を?申し訳ございませんが、私は接客担当ではなくて……」名刺も持たない私はそもそも裏方だ。

 訳の分からない熱烈な客に戸惑っていると、ボスが現れた。
「朝霧さん、行っていいわ。ごめんなさいね~!彼女は内勤スタッフなのよ~!」
 ボスが応対し始めたので、失礼しますとお辞儀をして退席した。

 彼女の迫力に圧倒されたのか、男性は一旦要求を抑えたようだ。名残惜しそうに私を見ていたが、案内されて接客ブースに入って行った。

「何なの、あのお客さん?」首を傾げながら席に戻る。
「きっとホームページ見たのよ!災難だったわね~。たまにいるのよ、朝霧さんみたいに、若くて美人のスタッフに目をつける客が!」
 ご丁寧に会社のパソコンでホームページを表示して見せてくれる。
「私ってば、若くて美人ですかぁ?」

 こんな言葉に浮かれるものの、画面を凝視していて気づいた。「ご丁寧にフルネーム出てるじゃないですか!」
「何言ってるの?今さら。まさか気づいてなかった?」
 気づいてない!ちゃんと見ていなかった……。〝パート社員〟とだけ出るのだと思っていたから?

 そして例の客の応対に、あのボスが(!)相当手こずっているようだ。
「参ったわ、あんなに一途に主張されるとねぇ。ちょっと朝霧さん!悪いけど来てくれる?」ボスが事務室に顔を出して私を呼ぶ。
「え……、でも」正直関わりたくない。
 周囲に助けを求める目線を送るも、誰一人目も合わせてくれず。

「あなたの口から、自分にはパートナーがいるって言ってくれればいいから」
「あの方の要求は何なんですか?」
「それがね、あなたとお付き合いしたいって」そうすれば顧客を横流しすると持ち掛けられたらしい。「さすがに断るわよ!」とボスが吐き捨てる。
 身売りされなくて良かった!

 ボスと共に丁重にお断りをして、この日は何とか帰っていただいた。

「早速こんな反響があるとは!朝霧さん効果絶大ね。後はまともな客が来ればいいんだけど!」とボスが言う。
 残念ながらその期待には応えられない。私目当ての客だとすれば、もちろんウラの世界のヤバい連中だから?


 そして数日後に、またしても事件が起きた。
 午後の昼下がり。室内もポカポカでちょうど眠気が襲ってくるくらいの時間帯だ。

「キャ~!」入り口で誰かが悲鳴を上げた。
「喚くな!大人しくしろっ」

 私の席が一番入り口側にあるため、いち早く様子を窺う。

 そこにいたのは男性だ。「あの男、どっかで見たような……」
 みすぼらしい格好とボサボサの髪。ここに来る客にしては場違いだ。どこか別の場所で見かけたのだろうか?
「ちょっと、朝霧さん!行かない方がいいよ」隣りの席の同僚が私の袖を掴む。

「言う事を聞かないと、この女を刺すぞ!」
「イヤぁ~!助けて……っ」女性スタッフは男に羽交い絞めにされ、ナイフを突きつけられて泣いている。

「何々、何があった?」奥からボスが現れた。
「不審者のようです。警察をっ!」部長が慌てた様子でオロオロしている。
 ボスはこの状況を意外にも冷静に受け止めているようだ。それを見込んで問いかける。
「確認しますが、あの方はうちのお客様ではないですよね?」
 ボスは前方から視線を外す事なく答えた。「ええ。あんなのはお客じゃないわよ」

「……では、多少手荒な事をしても、構いませんね」そう断って私が一歩踏み出そうとした時、ボスが私を押し退けて言った。「そうね。私が追い払うわ」
「え?」
「警察、呼んでおいてください」
 そう言って、傘立てから長く頑丈そうな傘を一本引き抜いて男に近づく。

「ボスって、確か剣道の有段者だったっけ」部長が呟く。
「そうなの?!」思わずタメ口で部長を振り返ってしまった。
 それは知らなかった。ならば私の出る幕はないか。お手並み拝見と行こう。

「ここへ来た目的は?その人を脅す事じゃないでしょ。解放しなさい」
「そうだよ、ボクは……、朝霧ユイに会いに来た!」
「だったらその人は離して」
「だって普通に来ても、もう会わせてくれないだろ!」

 ボスは竹刀を構えるように傘を両手で持ち、素早い動きで男に攻め込む。一瞬で小手が決まり、男の手からナイフが落ちた。
 その隙に女性スタッフがこちらに駆け込んだ。
 彼女の方に気を取られていたボス。拾い上げたナイフで男が再び迫っている事に気づいていない。

「危ないっ!」

 私は手近にあった呼び鈴を手に取り、男に向かって投げつけた。それは男の手首に命中し、チリンと鳴ってナイフと共に落下する。
 それを合図にボスが動き出す。「往生際が悪い!」
 そしてボスの面が決まった。男は床に倒れ込む。

 落ちたナイフと呼び鈴を拾い上げて、ボスが私達の方を見渡す。
「これ、誰が投げてくれたの?」
 その場の全員が私を指す。
「ゴメンなさい、大事な会社の備品を!手近にそれしかなくて……っ」
「いいのよ。助かったわ、ありがとう」
 ボスは笑顔で私に呼び鈴を渡すと、ナイフを翳して男に言う。「こんなもの振り回したら、危ないわよ?坊や!」

 数分後には警察が来て、男を脅迫と傷害容疑で連行して行った。

「カッコい~!さすがボス!惚れ直しちゃった」あちこちからこんな声が上がり出す。
 あの大柄体形で、あれほどの身のこなしは想像もつかず。
 私の出番はなかった。逆に良かったけれど。

「朝霧さん、ちょっといい?」ボスが横にやって来て手招きする。
 さっき私が投げたベルの事だろうか。
 誰もいない接客用のブースに向かい合って座る。内密の話はよくここでするのだ。

「さっきは驚いたわね~」
「本当に。私のせいで、済みませんでした……」あれが先日の男だったとは!
「何言ってるの、あなたのせいじゃないわよ。朝霧さんて、コントロールいいのね!ソフトボールでもやってたの?」
「いいえ。球技は苦手で……」射撃ですって、言っても平気だろうか?

「手荒な事をしてもいいかと聞いてきたけど、あなたが対処できたって事かしら?」
「そっ!それはほらっ、私のお客、だった訳で……」
 しどろもどろの私を凝視していたボスだったが、急に笑い出した。
 面食らう私の今の顔はまさに、鳩が豆鉄砲を食らったようだったろう。
「あの身なり見た?酷いわね~!最初の日とは大違いじゃない。きっとレンタル衣裳だったのね!今日のが本当の姿だわよ」

 ボスは一目であの日の男と同一人物と分かったらしい。さすが接客のプロは侮れない。

「変な男に付き纏われないように気をつけなさいよ?」こんな言葉を吐きながらも、ボスの目は真剣そのものだ。
 何か裏の意味でもあるのかと勘ぐってしまう。「はい……」
「ま!あなたには立派なナイトがついてるから大丈夫よね!」

 新堂さんの事か。ナイトなしで全く平気だが、ここは笑顔で頷いておこう。


 ボスがやり手だと知ってから数日後の事だ。出勤してみると、今度はビルの前にパトカーが止まっていた。

 エントランスに居合わせた同僚達と会話しながら、エレベーターに乗り込む。
「朝っぱらから何の騒ぎだろうねぇ」
「昨夜、どっかで窃盗事件でも起きたんじゃない?物騒ね~」
 ここのビルには複数の会社がオフィスを構えている。

 他人事だったのはここまで。警官がいたのは自分達の会社だったのだから!お陰で社内は朝から物々しい雰囲気でいっぱいだ。
 その後ボスに招集されてミーティングルームに集まり、問題が発生した事を知らされた。

「この会社に爆弾を仕掛けるという脅迫メールが届きました」
 その場の全員が一斉に息をのんだのが、手に取るように分かる。
「ここにですか?!」
「誰がそんな事を!」
「目的は何ですか!逆恨み?誰が狙われてるのよ……」
 口々に思い思いの事を言い始める面々に、ボスが強く手を叩いた。「静粛に!」

「差出人は名乗っていません。それに時間も場所も不明です。単なる悪戯の可能性が高いですが、皆さん、十分注意して仕事してください」
 こう言い放った後、ボスは警官に呼ばれて行ってしまった。

 各々席に戻りつつも動揺は止まらない。
「怖いわね~、バクダンだって!映画の世界みたい」怯えつつもどこか楽しげだ。
 その後ろから、「耐えられない、私しばらく休むわ!」と青い顔で出社拒否宣言する人も現れた。
 一方で「迷惑千万。見つけ出してお仕置きよ!」と意気込む人も。反応は様々だ。

 しかしこんな状況では仕事にならない。この日を境に売上は大幅に落ちた。
 恐らくそれが目的だったのかもしれない。爆破予告はあったものの、その後爆弾が見つかる事もなく、この件は収束に向かったのだった。


 最近おかしな事が立て続けにあるのは偶然か?
 それから一週間は何事もなく穏やかに過ぎた。けれどこれは嵐の前の静けさだった。



「ユイ。今日仕事だろ?」
「ええ、夕方には帰れる。新堂さんは?」
「俺も依頼が入ってるが、そのくらいに帰れると思う。何なら会社に寄ろうか?」
「いいよ。時間合わせるの手間でしょ」私が、と自分を指して言う。
 彼は別に手間じゃないと絶対に言うと分かっているから!

「そういえば、この間言ってた爆弾騒ぎはどうなったんだ?」
「ああ、あれ?結局何にもなし。デマだったみたい。最近良くあるヤツよ、きっと。学校や役所が標的にされてるアレ!」自分でこう説明しながらも、あの小規模会社がターゲットにされた理由は謎だ。
「イタズラか。まあ、何事もなくて良かったじゃないか」
 彼のこの言葉で、私も深く考えるのをやめた。

 ホームページに私の写真が載っている事とこの爆弾騒ぎについては、彼にも話した。
 おかしな男の事を言わなかったのは、あまりに些細な出来事だったからだ。

 こんなやり取りの後、私達はそれぞれの仕事に出かけた。


 昼休憩も終わり、気合を入れて午後の仕事を進める。皆忙しそうにしている。これまでのマイナスを挽回すべく必死なのだ。
 そこへ受付からチリン、と呼び鈴が響いた。

「誰か!出て!」話していた電話を中断してボスが叫ぶ。
 受付の人間がいない事に瞬時に気づいたようだ。
 一番手前にいた私は、すぐに立ち上がる。ボスが微かに頷いたように見えて、受付に向かった。

 そこにいたのは怪しげな男ではなく、ごく普通の男女のカップル。
「いらっしゃいませ。ご予約の方ですか?」少しホッとしながら問いかける。
 一見、二人ともにこやかで感じの良い客だ。
 ボスと約束しているとの事で、奥のブースに案内した。「ただいま電話応対中ですので、少しお待ちください」

 まだ電話中のボスにメッセージを書いて渡すと、目を通して一瞬沈黙した。電話口からは先方の忙しない声がここまで響いている。
 すぐに顔を上げ、口の動きだけで「お茶出しといて!」と私に訴えてきた。
 何かを考えていたように見えたボスが少々気になったが、聞き出せる状況ではない。
「分かりました」それだけ答えて踵を返した。

 そして二人分の茶を盆に載せて運び、テーブルに置き終えた瞬間に事は起きた。

 男の方が立ち上がって私の背後に立ち、耳元で囁く。「お前が朝霧ユイだな?」
 そして懐から黒い塊を取り出したのが見えた。目を疑ったが間違いなく拳銃だ。
「騒がなければ、ここでは撃たない」そう言いながら背後から私に銃口を押し当てる。
「あなた達、何が目的?……私、か」
 手に持っていた盆を武器に、戦う気満々だったのだが……。

 背後の拳銃に気を取られ過ぎて、横から迫る女に気づくのが遅れた。
「ああっ!!……っ、やってくれるじゃない?」
 女が手にしていたのはスタンガン。私の首の後ろに鋭い衝撃が走り、全身が痺れた。

「朝霧さん?何してるの。お茶出し終わったら、もう戻っていい、わよ……」
 電話応対を終えてやって来たボスだが、くず折れる私を見て言葉を失う。

 逃げて!そう伝えたいのに声が出せない。
 こいつ等の目的は私だ。ボスがいくら強くても、拳銃を持った敵相手に勝ち目はない。

 薄れ行く意識の中で、ボスの声だけがこだまする。「彼女に何をしたの?警察を呼びます、待ちなさい!逃げるな!」
 どうやら敵は逃げたようだ。

 ハッと意識が戻る。まだ私は接客ブースにいて、私を抱き寄せているのはボスだ。

「朝霧さん、分かる?どこかケガは?あの女、スタンガン持ってたわ!」
 あれには気づいたか。それではもう一つのモノも見てしまった?
「……大丈夫です。あの人達、他に武器は」
「他?刃物でも持ってたかしら。気がつかなかったわ」
 この答えにホッとした。
「名前見て、覚えがない客だと思ったのよ。こういう事だったのね……」

 先ほどの沈黙の理由が判明したがもう遅い。これを知っていればもっと警戒した。
 ……などと他人のせいにしている場合じゃない!

「それより、スタンガン当てられて数分で目を覚ました人、初めて見たわよ」
「え?……うっ」起き上がって頭痛を感じ、声を上げてしまう。
「あなた、見かけによらず案外タフなのね!でも、今日はもう帰りなさい」
「でも……」まだ二時を回ったばかりだ。
「もう十分よ。大丈夫、また変なのが来ても私が対処するから」

 胸を張ってそう宣言するボスが心強く見えた。ここは素直に応じる事にしよう。

「最近ウチの会社変よねぇ」
「きっとボスが、裏であくどい営業してるのよ!」
「うんうん、あの人ならやり兼ねないっ」
 こんな噂話が飛び交っている。
 誰もがこの一連の事件は、会社を恨んでいる客の犯行と思っている。

「もしかしなくても、私が元凶か……」


 会社を出て駅まで歩く。
 何となくまだぼんやりしてはいるが、問題なさそうだ。ならば先ほどの敵捜索に乗り出そう!と考えたが、思い留まる。
「ダメだ。全然ダメ!……。こんなんじゃ誰も守れやしない」

 あまりの不甲斐なさに拳を握るのだった。


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