この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第五章 扉の先で待ち受けるものは

  挽回(2)

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 旅行から帰ってすぐ、土産物を渡すため貴島邸へとやって来た。
 世間はまだ正月休み真っ只中だが、今日は新堂さんの三ヶ月検診も兼ねているため、私達としてはすでに日常が戻っている気分だ。

「きゃ~!さすがユイ。最高にカワイイっ、これカピバラさんの限定のヤツぅ~!」
 まなみが大絶賛しているのは、私がお土産に買ってきたシャープペンなのだが、大好きなキャラクターのグッズとあって大興奮。先端で揺れるリンゴに乗ったカピバラさんのチャームを見つめて、瞳を輝かせる。

「そんなのいつ買ったんだ?」新堂さんがまなみの持つシャープペンを眺めて、私に聞いてくる。
「旅館の売店で見つけたの。まなみの好きなカピバラさんだったしリンゴも付いてるし、信州土産に最適?って思っただけだったんだけど。まさか限定とは!」
「何だよ、知らなかったのか」貴島さんが呆れている。パッケージにどデカくご当地限定と書いてあるのに!と。

「気にしてなかったのっ!」
 やや気分を害しながら、まなみが部屋から連れて来ていたカピバラさんのぬいぐるみを力任せに抱きしめる。
「ユイっ!力入り過ぎ!痛がってるよ?」
「……ああゴメン。だって貴島さんが意地悪なんだもん?」

「別に意地悪したつもりはないが、悪かった!しかしこんなに貰っていいのか?いつも申し訳ないな」
 貴島さんの後方には、リンゴやら味噌やら食材ばかりが積まれている。
「メインは検査で、そのついでだ。今年もよろしく頼むよ、キジマ先生」新堂さんが言った。
「ああ、こちらこそだ。今回の検査結果も良好。順調で何より!」

 すでに検査は済んでいて、こうしてお墨付きもいただいた。今年は好スタートを切れて本当に嬉しい。


 そして仕事始めの日。今日も遅番のため帰りは夜だ。
 新堂さんがどうしてもリベンジすると言って譲らず……現在時刻は午後八時半。会社前の側道で、黒光りする左ハンドルの大型セダンが私を待ち構えている。

「お疲れさま」運転席の窓が静かに開き、彼が言った。
 後方を気にしながら助手席ドアを開ける。「有言実行、できて良かったわね、先生」
「誰も一緒じゃないのか?」彼が会社のエントランス方面をチラチラと見ている。
「ええ。二人いたけど裏から出た。家の方角が違うから」
「何だ、そうか」少々残念そうだ。

 まだオフィスには社員達が残っていたが、帰る気配はなかった。誰にも目撃されずに車に乗り込めてほっとした。

「それで、初日はどうだった?」
「どうって、普通よ。また始まったなって感じ?」
「明日も仕事だろ。明日も迎えに来るから」
 これが日課になっては困る!「いいってば!」

「それより、あなたの初仕事はいつなの?」多忙な毎日を送ってほしい訳ではないが、執着され過ぎるのも問題だ。やはり適度に仕事をしてもらいたい。
「ああ、明日だ。朝早く出る」
「遠方なの?」だったら迎えに来るとは言わないはずだが、と思いつつ尋ねる。

「朝七時半からオペでね」
「ふうん。随分と早くにやるのね。何のオペ?」
「BTだ」
「え?」専門用語に首を傾げていると、「ああ……脳腫瘍だよ」と説明してくれた。
「脳か。初っ端からあなたの苦手分野ね」前にそんな事を言っていたのを思い出す。
「苦手だなどと誰が言った?あまりやらないだけだ」
 突如機嫌を損ねた先生に、私は勢い良く答えた。「はいはい!」


 そして翌朝早く、彼は知らぬ間に家を出ていた。
「声くらい、かけてくれてもいいのに!」
 気を遣ってか、何も言わずにベッドを抜け出した彼に文句を言う。

 一人で朝食を摂り、そのまま出勤した。いつも玄関で見送ってくれる人がいないのは久しぶりで、ちょっぴり寂しい。
 昼休憩となり食事を済ませて一休みしていると、携帯がバイブした。慌てて廊下に出て電話を取る。

「新堂さん、いつもながらいいタイミング!電話くれたって事は、終わったのね?」
『ああ。俺とした事が五時間もかかってしまったよ……』
 沈黙が走り、堪らずに口を開く。「でも!成功したんでしょ?」
『当然だ。ユイは?何事もないか』
「ええ、特には」
『そうか。それじゃ約束通り迎えに……』こんな言葉は当然遮る。「何言ってるの?五時間もオペしといて。すぐに帰って休んで!いいわね!」

 こんな会話を廊下の突き当りでしている。
 会話に力が入って勢い良く振り返ると、隣りのオフィスから出て来た男性と目が合った。声を荒げる女性に興味を持ったのか、しばし私を凝視している。
 スミマセン……、と頭を下げ、慌てて後ろを向いた。

『そこに誰かいるのか?』彼がこんなやり取りを不思議に思ったようだ。
「他の会社の人がね、通りかかったの」
『おまえが大声出すからだ』その通りなので何も言えず。「ごめんなさい……。でも、ホントに今日は大丈夫だから。ゆっくり休んでほしいの」
『ああ、休むよ。ありがとう。それじゃ、後でな』
「うん」


 仕事を終えての帰り道、自宅の最寄駅で見覚えのある顔を見つける。階段を下りた先にある郵便ポストの横に立つ、ルックス抜群の男。

「新堂さん?何でいるの!」
「やっぱり来てしまった。このくらいならいいだろ?」
 そうおどけて微笑む彼は非の打ち所なく素敵だ。毎日見ているはずなのに、こんなにも見惚れてしまうのはなぜだろう。

 けれど今日は、嬉しがってばかりもいられない。
「もう……疲れてるんじゃないの?」
「帰ってから、しっかり休んだよ」
「そう?」改めて彼の顔を覗き見るも判断できず。
「ああ。さあ、帰ろう」

 時々彼は、こうして駅まで徒歩で私と歩いたりするようになった。
 それはもちろん……。「運動不足、解消しないとな」自覚しているようで結構!
「そうそう!」そういう事ならば喜んで付き合う!

「結構冷えるな。日が翳ってしまったからだな……」
「ね~。太陽の力を思い知るわ」
 辺りはすでに薄暗い。冷たい風が私達の間を通り過ぎて行く。
「新堂さん、風邪引かないでね」彼の病以来、こういう事をどうしても言いたくなる。
 そして、「それはこっちのセリフだ」とお決まりの返しがやってくるのだ。

 肩を寄せ合って歩き出すも、「うう!寒いっ!」北風は容赦ない。
「マフラー、もっとちゃんと巻け」
「そうする……」
 前に垂らしていたマフラーを手繰り寄せて、口元までグルリと巻き直した。

 やがて、最近歩車分離信号となった近所の小さな交差点に差し掛かる。
 信号が青になった事を確認後、巻いたマフラーに顔を埋めて横断歩道を渡り始めた。
「危ない……止まれ、ユイっ!」後ろから付いて来ていた彼が叫んだ。

 背後からエンジン音が鳴り響いていたので、車が迫って来ている事は分かっていた。
 それを承知で忠告を無視して進む。だってこっちの信号は青だ。私が停まる必要はない!
 こうして分離信号を無視して、時々無謀な車が突っ込んで来るのだ。前々からそれが気にくわなかった。

 横断歩道のちょうど真ん中に到達した時、新堂さんが止まろうとしない私の前に飛び出してきた。
「ああダメっ、前に来ちゃ!」
 車は勢い良く彼の前擦れ擦れをすり抜けて行った。
「バカ……っ!何してるの?危ないじゃない!」彼に向かって言い放つ。

「それはこっちのセリフだ。もう少しで轢かれるところだったじゃないか!」
 横断歩道の真ん中で口論が始まる。点滅した信号に気づいて、急いで渡り切る。
「いいえ。分かってたわ。あのクソ野郎が近づいてたのは」
「ユイ!」
「心配しなくても、私は轢かれたりしない!懲らしめてやろうとしたの。ああいうのは、一度怖い目に遭わないと分からないから」

「どういうつもりだ?何にしても、おまえが危険だろうが!」
「いいえ。私ならいくらでも飛び乗ったり飛び越えたりできる。とにかく、ギリギリまで接近する必要があったの」
「何て事だ……。危険な事はするなと、何度言ったら分かってくれるんだ?」

 後ろから来た年配夫婦が、不思議そうに私達を見て通り過ぎる。
「注目の的だよ……全く!もういい、帰るぞ」ため息交じりに彼が言い放った。

「警察に通報するわ」おもむろに携帯を取り出し、最寄りの警察署を呼び出す。
 先ほどの車のナンバーは暗記済みだ。
「ああ、もしもし?保健所前の歩車分離の交差点で信号無視一台、通報します。歩行者が横断中に目の前を暴走して行きました。ナンバーは……」

 立ち止まって電話する私を、彼が少し先で待っていた。
「済んだか」
「ええ。ごめん、待っててくれてありがとう」
「いや」

 手袋を脱いで電話していた私の手は、凍えそうに冷えてしまった。口元に持って行き息を吹きかけていると、新堂さんがその手を掴んで自分のポケットに入れた。
「あっ」
「冷え過ぎだ」
「……ありがと。ふふっ、あったかい」
 彼を見上げて微笑むと、ようやく笑顔を見せてくれた。


 家に着く頃には、すっかり暗くなっていた。

「何だか、今日の帰り道は長かったな……」自分の行いを振り返る。彼の前でする事ではなかったと反省しきりだ。
 対する彼はどういう訳か、どこか晴れ晴れして見える。
「行って良かった」
 なぜそう思うのか分からず。「寒かったし、来なくて良かったのに!」
「俺が行ってなかったら、あそこでおまえが何をしていたか……。想像しただけでも恐ろしい」

「ケガなんてしないからね。大体さ、私がケガしても新堂さんがいるけど、あなたがケガしたら私は何もできないのよ?」何度も言いますが!
「そういう問題じゃない」
「いいえ。そういう問題よ」

 一瞬の沈黙の後、おもむろに彼が私に向かい合う。

「あんなバカ野郎に、関、わ、る、な!」
 あまりの剣幕に、何も言えずに彼を見つめる。
「分かったのか?」
「はい……分かりました」
 彼が汚い言葉を使う時は、本気で怒っている時だ。私は素直に頷いた。

「分かってくれて良かった。体も冷えた事だし、これから風呂にでも入るか」
「ええ、そうして」
「他人事か?おまえも一緒にだよ」当然のように言う彼に、「え?」と首を傾げる。
「あんな事もあったし、隅々まで身体検査しないと気が済まん」
「何それ、ケガしてないのは明らかでしょ?それにいつも見てるじゃない」

「いつもは見てない。それに、全部じゃない」
「それってどこの事言ってるの?エッチ!」
 こんな言葉を返しながら、私の心は沈んで行く。それは、彼が望んでいるのが主治医として一緒に入る事だからだ。
 彼に下心など全くない。それが分かってしまうからこそ寂しかった。

 そして数分後には、発言通り我が主治医に裸体を晒していた。

「随分あちこちに青アザが出来てるな……」私の体を洗いながら、足のスネや肘の
アザを見つける彼。
「そう?最近、良くぶつけるからかな」
「それはいつだ?」
「そんなの一々覚えてないよ」
「治りが遅いとかいう事は……」難しい顔で考え始める。

「新堂先生!心配しすぎです。あなたの内出血とは違いますから!」
 一年前の自分の状況に重ね合わせている事が分かって、すぐに否定する。
「……済まん、過剰反応だった。でも、まさか外で暴れたりしてないよな?」
「何よ、暴れるって。冬眠前の熊みたいに言わないでくれる?」

 こんな会話の最中も、新堂さんは私の全身を隈なくチェックしている。その手つきはどこまでも医者そのもの。それが逆に悔しくて、わざと抱きついてみる。

「おい、離れろ、良く見えないだろ」
「イ~ヤ!ねえ……もっと違う触り方して。こうなったらエッチ、しようよ?」
「もう酔っ払ってるのか?まだ夕方だぞ」さらにはつい今しがた帰宅したばかりだ。
 だがそれが何だというのか。「そう。私はあなたに酔ってるの!」

 せっかく大好きな男に全身を触れられているというのに?彼はこんな時でも、徹底して医者としての立場を崩さないのだった。


 お風呂上がり、私は早速ワインを開ける。

「おまえさっき、すでに酔ってたよな。悪酔いされると困る。今日はやめておけ」
「何よ、そうやって自分だけ飲む気でしょ!そうはさせない……っ」
 キッチンを陣取って彼を追い出し、つまみと共に赤ワインをセッティングする。
「あなたが魅力的すぎて酔っちゃったんだから、新堂さんのせいよ?分かってる?」

 こじ付け的な言い訳をしながら、ソファの前のテーブルに赤ワインの入ったグラスを並べた。

「さあ、乾杯よ!」
「今夜は赤か」
「そ。さすがに白は飽きたでしょ?昔二人で、こういう赤良く飲んだね」
「そうだな。大好物だった」

 私は先に飲み干した。そして空になったグラスを見て言う。「だった、過去形か」
「いや。今日のはイケるじゃないか!」彼も飲み干した。
 それを見て、たちまち笑顔になる。
「今日のは、じゃなくて、今日は、だよ」
「ん?」彼が私を見て小首を傾げている。
「これね、実はあのパーティの時と同じワインなの」

 彼が目を瞬いて、改めてボトルを手に眺め始める。

「どうしても、もう一度試したくて」これが美味しく感じないなんて事は、あるはずがない!
「という事は、あの日の俺達に問題があったって事か」
 あえて答えずに、少し笑って彼を見た。
 空になった二つのグラスに新堂さんがワインを注いだ。そして同時に飲み干す。

「ああ……、美味い!」ご機嫌の彼を見て私も嬉しくなる。「同感!って、いつもよりペース早くない?」
「そうか?」
「いつもは私に味わって飲めとか、ワインはそういう飲み方をしたらダメだ、とか言ってたのに」
 それがどういう訳か今は、共に一気飲みしている!

「だって、止まらないんだから仕方ないだろ」
「でっしょ~?やっと分かってくれたのね!」

 私の嗜好が彼に伝染したのか?それはもちろん血のせいで!


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