この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第五章 扉の先で待ち受けるものは

46.挽回(1)

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 今年も最後の月に入った。十二月、二十五日の昼過ぎ。
 出勤に向けて支度をしていると、開けたままのドアから覗く彼から声がかかった。

「ユイ、今日迎えに行くからな」
「いいよ、来なくて。今日は年内最終日で忙しいから、定時に上がれないかも」
 明日から年末年始休暇を入れているため、私は一足先に仕事納めを迎える。
「待ってるから大丈夫だ。何時頃に終わる?」
「今日は遅番だから八時半だけど……いいってば」

「いいや。今日は断られても行く。だってクリスマスだぞ?」
 そう来るか。「何それ、あなたらしくもない!」
「だってクリスマスって言ったら、恋人達の一番盛り上がる日だろ」
「さあ……そうなの?」
 タイツを履きながらチラリと見る。こんなコメントを、一体どんな顔で言っているのか見てやろう。

 けれど、その表情は至っていつも通りのクールな新堂和矢だ。

「じゃ、会社前のいつもの所で待ってるからな。さあ、俺はこれから洗車だ!」
 今日は何やら強気だ。運動不足を気にする身としては、自分の足で帰りたいところだが……あまりの勢いに断るタイミングを失ってしまった。

 いそいそと洗車グッズを手に庭に出て行った彼を見送り、一人丘を下る。
「な~に?新堂さんったら。昔じゃ考えられないセリフ!」

 こんな彼に戸惑いつつも、街中のイルミネーションは一段と煌めき、流れる音楽もクリスマスソング一色。洋菓子店にはケーキを買い求める客が列を成しているこんな日。恋人が会社まで迎えに来てくれるというのは、内心嬉しくもある。

 無意識にニヤけてしまった顔をすれ違った年配男性に見られ、慌ててマフラーで顔を覆って小走りで通り過ぎた。


 休憩時間となり、社内の休憩スペースにて他愛のない会話をしながら、早めの夕食を摂っている。
 シフト制なのでメンバーは変則的となる。本日は、数ヶ月前に別支社から異動して来た新たなスタッフがメンバーだ。
 新堂さんにあんな素っ気ない態度を取りながらも、結構浮足立っていた私。つい迎えに来てくれる事を口にしてしまった。

「なになに、朝霧さんの旦那さん夜迎えに来るって?ちょっと~何それ、ラブラブじゃない!私も会いた~い!」
「しーっ!声が大きいですって!」
 こんな指摘も何のその。声のボリュームは一切変わらない。
「え~いいなぁ。きっとカッコいいんでしょ、だって朝霧さんの旦那さんだもの?」

 それは一体どういう理屈だ?「そんな事ないです」一応否定したが、これは大きなウソだ。なぜなら彼は間違いなくハンサムの部類に入るはずだから。
「ねえ!会ってもいいでしょ?一目でいいから!ね?朝霧さんにはいつもお世話になってるし、ここは一度ご挨拶しないと!」大いに乗り気だ。
「別に構いませんけど……」

 向かい合わせで座る彼女を見て、その好奇心の強さにうんざりする。
 見られて減るものでもないが、本当は誰にも会わせたくない。これは単なる独占欲。

「それにしても、何だか雲行きが怪しいですね」窓から空を見上げる。
 今朝の予報では雨の事など何も言っていなかった。来てほしいと思う反面、どこかで来ない事を祈る自分がいる。

 後半の勤務が開始して少しした頃、携帯がバイブした。

「メール?……珍しい、新堂さんからメールなんて」
 彼の連絡手段は大半が電話だ。メールはデータを送信する手段としか思っていないらしく、必要な事は直接話すのが基本の人。

「朝霧さん?どうかした?」共に休憩を取った彼女が聞いてくる。
「済みません、ちょっと電話かけて来ます」そう断って席を立った。

「もしもし、新堂さん?ユイだけど」
『悪いな、仕事中に。メールで伝えた通りなんだ。急な依頼が入った。別に断ってもい……』話の途中で口を挟む。そんな事は言わせない!「断っちゃダメ!行ってあげて。急病人なんでしょ?」

『そう言うと思ったよ。そのつもりで、もう向かってる。本当に申し訳ない。自分から迎えに行くって言い出したのに』
「気にしないで。むしろ安心した……」あんなに会いたがっている彼女には悪いが。
『え?』
「ううん!何でもない。じゃ、新堂先生、患者さん、絶対に助けてあげてね」
『ああ。もちろんだ』


 そして帰り道。最寄駅まで例の彼女と歩く。
 雨がパラパラと降っている。誰もが予想外の雨のようで、行き交う人々も傘を差しているのは少数だ。

「あ~あ。残念!朝霧さんのイケメン彼氏見れると思ったのに。だけど、雨だからこそ来てほしかったわよね!朝霧さん傘持ってないのに。濡れちゃ~う」
 彼女の折り畳み傘に入れてもらいながら歩いている。

「これくらいなら平気ですよ。それに、仕事が入ったなら仕方ないです。今日は少し遅くなっちゃったし、これで良かったんですよ」こうしてゆっくり帰れた方が?
「先に帰って良かったのよ?私がモタモタしてるから遅くなったんだし。ゴメンね」
「いいんですよ。後輩を置いて帰れませんから?」

 彼女とは十歳以上も離れているが、勤務年数から行くと私の方が先輩なのだ。
 苦笑いの彼女。「毎度お世話になってます、朝霧センパイ!」

 こうして私達は駅で別れた。

 いつものルートで家へと向かう。駅前では残り物のケーキを売り尽くそうと、やっきになる店員が声を張り上げている。
「クリスマス、もう終わっちゃうな……」
 その昔、新堂さんが深紅のバラの花束を持って部屋の前に現れたのを思い出して笑う。

 バスから降りても雨は降っていた。小走りで家の前に向かう。

「ただいまぁ~って、帰ってる訳ないよね……」
 彼の心遣いなのか、部屋の照明は点いたままだった。
 真っ暗な部屋に帰るのは、いくつになっても寂しいもの。今日ばかりは嬉しかった。


 結局、彼が帰宅したのは深夜だった。

 寝室に顔を出した彼に声をかける。「新堂さん、お帰りなさい」
「まだ起きてたのか?寝てて良かったのに」
「何だか眠れなくて。待ってた訳じゃないよ」
「今日は……いや、もう今日じゃないか。昨日は本当に悪かった」
 改めて頭を下げてくる彼に、慌てて抱きつく。「もうっ!いいってば。やめて」

 そのまま、真っ暗な寝室で抱き合う。

「今度、必ず埋め合わせするから」
「うん」
 至近距離で顔を見合わせて微笑んだ。

「さて。どうしたら眠れる?」
「新堂さんが横にいてくれたら」
「俺ももう寝るよ。急患を受けたのは久々だったから……」
 言うはずだったであろう言葉を代弁する。「疲れたでしょ」
 すると彼は笑って言った。「ユイの顔見たら、そんなものは吹き飛んだけどな」

 この数分後には、仲良く手を繋いでベッドに入っていた。
 彼の寝息が聞こえてくる。すぐに寝てしまった。本当に疲れていたのだろう。

「お疲れ様でした、新堂先生」
 彼の方を向いて、そっと呟いた。


 翌朝。リビングに行くと、いつもの光景が目に入ってきた。すでに朝食を済ませて新聞を読んでいる彼の姿だ。

「今日はいい天気ね。昨夜のあの雨は何だったのかしら」
「夕方からもう降ってたよ」
「そうなの。ま、いいわ。さ~、今日からしばらくお休みよ。年末、どこか行きたいな」
「行こうじゃないか、どこがいい?」

 やった!とガッツポーズをした後、開かれていた新聞の記事が目に入る。
「スキー場、雪不足で困ってるみたいね」どうやら今年は積雪が少ないらしい。
「何だ、スキーしたいのか」
「そういう訳じゃないけど、そうね、たまにはいいかも!何年ぶりかな~」
 盛り上がる私とは裏腹に、彼が浮かない顔をしている。

「どうかした?」
「いや……」
「もしかして滑れないとか!」
「やった事がない」
「そうなの?じゃ、やってみようよ!」

 なかなか首を縦に振らない。

「新堂さんならできるって。運動オンチじゃないんだし?」
 そうかぁ?と首を傾げる始末。どうやら自信がないらしい。
「ねえ、ここ行ってみようよ。これから降るかもしれないし!」引き続き長野のスキー場の記事を指して言う。
「降らなかったら?」
「スキーは諦めて、温泉入って、信州ワイン買って帰る」
「なるほど」

 こんな感じで年末のプランが完成した。彼が心の中で雪が降らない事を祈ったのは間違いないだろう。
 そしてどうやら新堂さんの願いは届いたようだ。



「や~っぱり、雪ないね。つまんない!」
「いいじゃないか。別に」
 ドライバーは私だ。助手席に乗る彼が窓枠に腕を乗せて表情を緩める。
「ねえ?新堂さん、何だか嬉しそうじゃない?」
「滅相もない!俺も残念だよ」
 あ~、残念だ!と繰り返す彼を疑わしげに見る。

「それより、そろそろ運転代わるよ。疲れたろ」
「何言ってるの、まだ半分しか来てない。これからでしょ」
 何しろ久しぶりの長距離ドライブ。高速道を飛ばせるとあっては、当然ハンドルは私のもの!
「あまり飛ばすなよな?捕まりたくないぞ、俺は」
「ご心配なく!そんなヘマはしません」

 遠くに連なる山々に、それとなく白いものが見え始める。
 そして、目的地付近は辛うじて雪があった。

「少し安心したわ。ここへ来るまでほどんど雪がなかったから」
「スタッドレスタイヤが削れる一方だからな」
「そうそう。性能が落ちるのに、わざわざ履き替えたんだからね?」
「だけど、この分じゃスキーは無理そうだな」

 どうあってもやりたくないらしい。けれど途中のスキー場はオープンしていた。
「でも、人工の雪でゲレンデ出来てたじゃない。できなくはな……」ここまで言って遮られる。「そんなのでいいのか?朝霧ユイが滑るのが人工雪で?本当に?」
 私がこだわる性格だと知ってのコメント。

「そりゃ私だって、一面銀世界の中を気持ち良く滑走したいわよ……」
「滑り心地、悪いだろうな~」ここぞとばかりに詰め寄られる。
「んもう!いいわよ、分かったわよ!スキーは無し!何だか、あなたに嵌められたような気がするんですけど」
「何だって?」
「何でもありません!」

「そう落ち込むなって。夜はきっと、満天の星空が楽しめるぞ。ここは標高が高いから」
「星かぁ……」
「ユイと見たいな。満天の星を」彼は車窓から晴天の青空を見上げた。

 そんな姿がどこか儚く見えて、「……見ようよ。いくらでも見れるじゃない?」と言い返す。
「なあユイ、……ずっとこうして、一緒にいられるよな」
「もちろんです!もう、どうしちゃったの?新堂さん」
「去年は寂しい想いをたくさんさせてしまったから、今年は挽回したいんだ」
 そういう事か。「ええ。期待してるわ」


 しかし、その後雲が広がって、雪が降り出した。

 チェックインした客室の窓から夕暮れの空を見上げる。
「この分じゃ、星は無理かもね……」
 だが救いは、雪は降っているが空は心なしか明るい事だ。上がる可能性はまだある。

「あ~、冷えた冷えた!温泉、温泉!」
「ここは酸性泉だから、傷に沁みるぞ」
「生憎今、ケガしてないから。草津旅行に続き残念でした!」思い返しながら言う。
 けれど彼から反応がない。ただじっと見下ろしてくるばかりだ。

「新堂さん?」
 不安になって問いかけると、急にキスが降ってきたではないか!

 不意を突かれて驚いたが、快く受け入れる。「いつもながら不意打ちがお上手ね」
「おまえが、キスしてもらいたそうな顔をしてたからさ」
「えぇ?私?してたかな……っ」両頬に手を当てて考え込んでいると、彼はあっさり私から目を逸らした。
「……さあ、さっさと行くぞ」顔を背けて私の背を押し、先を促した。

「一緒に入りたかったな」風呂を貸し切れなかった事を残念がっている様子。
「仕方ないよ、この時期はお客さん多いし」何といっても年末年始だ。
「だって、スキー客は軒並みキャンセルしたって聞いたぞ?」
「それでも、私達みたいな温泉目的の人だっているわ」

 けれど時間も早かったためか、入浴する他の宿泊客はまだいなかった。露天に出てみれば、ほぼ貸切状態だ。

「ねえ~!新堂さん、聞こえる~?」
 露天風呂に浸かりながら、隣りの男風呂に向かって声をかけてみた。
「ああ。そっちも誰もいないのか」
「うん。これなら、一緒に入ってても分からなそうだね!」
「誰か来たら驚かれるだろうけどな」

 私達の笑い合う声が響く中、乳白色の湯が肌に優しく染み渡って行く。

「あ~気持ちいい……。ねえ、下のとこ見て!何かの足跡みたい」
 下を覗くと、降り積もる雪の上に小さな足跡が点々と残っている。
「おい、あまり身を乗り出すと落ちるぞ?」
「ねえ、あれ、何の動物のだろう……」興味津々で目を凝らす。
「ネコじゃないのか。それとも犬か。来る途中で飼い犬を見たし」

「も~!つまんない事言わないで。もしかしてイタチとかテンとか、ウサギとか!」
 動物好きの私は妄想が止まらず声が弾む。「探しに行っちゃおっかな~」
「ユイ!風邪を引くから、やめておけ」
「バカね、このまま行く訳ないでしょ?」
「その身の乗り出し方からして、行き兼ねないんだよ」
「……え?」

 乗り出した自分を、彼が見ていた。

「って、こうすれば女風呂覗けるって事?!」
「みたいだな」彼も近くに寄ってくる。もはや触れられる距離だ。
「いやん!エッチ!」
「何を今さら」彼が手の甲で私の頬をひと撫でする。「言ってみただけっ」舌をチロリと出しておどけた。

 彼が入り口の方を振り返った。「お?……誰か来たようだ。おしゃべりは終わりだ」
「え~?残念~!」
 そうこうしていると、女風呂にも一人客が入って来て、束の間の貸切風呂は終了したのだった。

 湯上がりに夕食を済ませ、再び部屋に戻る。

「ねえ!新堂さん……外見て!」
「どうした。また動物がどうとか言い出すんじゃないだろうな?」
「違う!雪が止んでる。星、見えるかも!」
 窓を開けて空を見上げる。冷たい空気が一気に室内に流れ込んだ。

「少し休んだら行ってみよう」
 私は両手を上げて喜ぶ。これで例の小動物の正体も探りに行ける!

 そして外に出た私達を待っていたのは、満天の星空だった。まだ一部には雲が掛かってはいたが、充分満喫できた。

「俺が晴男なのか、おまえが晴女なのか……」
「すご~い!見えた見えた!」
「願いが叶ってしまった」ポツリと彼が言う。「嬉しくないの?」
「もっと重大な願いが、叶わなくなったら困る」
「何それ。意味分かんないから!ダメよ、新堂さんはマイナス思考なんだから。前向きに行こう、前向きに!」彼の背中を勢い良く叩く。

 バランスを崩してよろけた新堂さん。そのまま雪に滑ったのを見て慌てる。
「あっ!危な……」
 彼の体を支えようとしたのだが、一緒に滑って二人で雪の中に倒れてしまった。
 抱き合う格好で横たわりながら彼が言う。「足場の悪い所でも容赦ないよなぁ、おまえは……!」
「何よ、新堂さんの踏ん張り方が甘いの!」わざとかと思った、と続ける。

 開き直って二人でそのまま雪に埋もれたまま仰向けになる。視界には満天の星空が広がった。
「……見事だ」
「ホント、キレイ……」

 しばらく見惚れていたが、先に起き上がった彼が無言で私に手を差し伸べる。
 それを掴みながらも、「もう少し見てたい!」と訴える。
「体が冷える。もう中に入るぞ」
「え~!だってまだ……」
「星は堪能したろ」
 そうじゃなくて、と言いたいのだが、先を越されてしまった。「ここには犬とネコと人間以外いないよ」どこか勝ち誇った顔だ。

「あ~ん!」
 起こされた挙句、腕を絡め取られて強制的に中へ連れて行かれたのだった。

 彼にもたれ掛かりながら客室へと歩いて行くと、途中で別の宿泊客とすれ違う。
「よっ!お熱いカップル!良いお年を~!」
 良いお年を、と同じタイミングで返す私達。「息もピッタリみたいね」
「何を言う。合わせてやったんだ」
「何よぉ~、それはこっちのセリフなんだから!」

 ふざけて膝蹴りを入れる真似をしたのだが……。「浴衣が肌蹴るぞ?はしたない。ミサコさんに報告するかな」
「げっ!それは反則でしょ?」慌てて足を下ろし、浴衣の前を合わせ直して後を追う。おかしそうに笑う彼は、やはり一枚上手だ。

 そして年が明ける。

「今年も、い~っぱいよろしくね、新堂さん!」
「こちらこそ。新年おめでとう、ユイ」
「うふふっ。おめでとう、今回は心から言えるわ」
「ああ、そうだな」

 あまり新年を祝った事がなかった私達だが、困難を乗り越えた今、改めて新年を迎える喜びを実感するのだった。


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