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第五章 扉の先で待ち受けるものは
40.守るべきもの(1)
しおりを挟む新堂さんの誕生日から数日後。リビングにて、貴島さんと雑談している。
「結局例の人質事件は、最悪の展開になっちまったな」
「ええ……」
交渉が滞り、待ち兼ねたテロリスト達は人質を呆気なく殺害したのだった。
無言でいる私を心配そうに見つめる貴島さんに気づいて、無理に笑顔をつくる。
「向こうは、本当に交渉する気があったのかすら怪しいわ。私が行ったところで展開は同じだったかもね」
「悪は許されない。世界中が報復に乗り出すさ」
これは満更希望的観測という訳でもない。実際世界中から、殺害された日本人宛に弔意が送られて来るそうだ。連携して敵を討とうとの声も上がっている。
コメントはせずに、ただ頷いて返す。
「それで話は変わるが、あれからどうなんだ?そっちの件は」
こんな曖昧な表現でも、何の事かはすぐに分かる。遠く離れた他人の事より自分達の身の安全確保が優先だ。
「ご存知の通り進展なしよ。何しろ私、ずっとここに缶詰だったんだから?」
「……まあ、それもそうだ。で、どうするんだ?敵ももう諦めたとか!」
こちらは残念ながら希望的観測のようだ。
なぜなら……何というタイミングの良さか!この話題に切り替わるや、私の危機察知センサーが不穏な気配を感じ取ったのだ。
質問に答える事なく目を閉じて精神を集中する。敵は何者か、人数は?武器は?可能な限りの情報を入手すべく神経を研ぎ澄ます。
「おい、朝霧?」反応しなくなった私に問いかけてくる。
「しっ。……静かにっ!敷地内に侵入者よ」
人差し指を口元に当て、ソファから腰を浮かせる。
「あ?なん……」貴島さんの言葉を遮って、小声で早口に続ける。「新堂さんをお願い。まなみはまだ当分帰って来ないわよね?」
気配は二つだ。侵入口を探しているのか、この家の周りを回っている。
とうとう敵がここまで来てしまった。
突然の事にただ呆然とするばかりの貴島さんに、さらに伝える。
「絶対に彼の部屋には行かせない。だからそっちにいて。お願い、あの人を……」先の言葉が続かない。何の関係もないこの人に、危険を冒して彼を守ってくれなどと頼めるものか!
「おいおい、冗談だろ?まさかテロリストじゃないよな!噂をすればってか?」
事態の深刻さが分からないらしく、こんなジョークを飛ばしてくる。
開き直って、軽く笑ってから答えた。「さすがにあの連中ではないと思うわ」
身に付けていたコルトを抜いて、素早く窓際に移動する。お客は先ほどここを通り過ぎて裏に回ったようだ。
私の緊迫した様子に、ようやく貴島さんも状況を理解してくれた模様。
「バカ野郎が……っ!」小さく罵りの言葉を上げて、リビングを出ようとしている。
その背に向かって再度告げる。「絶対に外には出ないでね!」
「ああ分かった……お前も気をつけろよ」
そう言い残し、足早に新堂さんの部屋へと向かった。
私もその後に続きリビングを出る。敵共は裏から再び正面玄関へ戻るはず。先回りして玄関先で待ち構えるとしよう。
そうして姿を見せたのは、黒尽くめの東洋人男性が二名。車は離れた位置に停めてあるのだろう、周囲には見当たらない。
「ここに何かご用かしら?」コルトを背に隠して、穏やかに尋ねる。
「人を探している。……お尋ねするが、こちらのお宅にマセラティがあったかと」
流暢な日本語だが日本人ではない。中国人だとすぐに分かる。
「ごめんなさい、私、車の事は疎くて!あそこの二台はお探しのものじゃないの?」
とぼけてクワトロとベンツを指で示してみる。
話しかけてきた男は疑り深く私を凝視したまま、質問を無視して話を続ける。
「ここはドクターの家か?」
「そうですけど、それが?」
「ああそうか!」叫ぶなり男が突然、拳銃を突きつけて来た。
「何なの?」
平然とする目の前の女に、ようやく男は何かを感じ取ったようだ。
「動じないところからすると、お前がドクターのボディガードとやらか」合点がいった様子で言う。
「あなたも礼儀がなってないわ。こういう場合、まず自分から名乗るのが筋でしょ?」
私は男の持っていた拳銃を封じ、手首を固めて動きを抑え込むと、後ろに控えていたもう一人を射殺した。
「うっ!お前は一体……!」
「残念だけど、生きては帰さないから。恨み言はクライアントへ!悪く思わないで」
サイレンサーを取り付けていたため、音は周囲には響かない。新堂さんに知られる訳には行かない。
「でも、あなたはまだ殺さない。誰に雇われたの?さあ、言いなさい」
「死んでも口は割らない!」男が自分の舌を自ら噛み切ろうとした。
「そうはさせない!」すぐさま男の口にハンカチを突っ込む。
「うぐっ!」
「……ねえ、いくら貰ったの?何なら倍出すわ。あなただって、こんな所で死にたくはないでしょ?」今度は色仕掛けで迫ってみる。ユイさんのこんな甘ったるい声は貴重なのよ?
「ん……っ、んっ!」男が何か言いたそうだ。
「話す気になった?」私の色気も捨てたものじゃない?
ハンカチを抜き取る。
「そんな事喋ったら俺は殺される……っ、あの男に!」
「ターゲットをやり損ねても殺されるでしょ。何が違うワケ?」
「俺が生き延びるには、ドクターもお前も殺すしかない。……だがっ」
現れた時とは別人のように自信なさげだ。
「ちょっと待ってよ。ご覧の通り、ここのドクターはマセラティに乗ってないけど?」
「いいや!ここにあの車があったのは分かってる」
それは驚きだ。ここへ来たのは二度目という事か。
「へえ……なら、なぜその時に来なかったの?」焦りを感じさせないよう強気で行く。
男が再び口をつぐんだ。
「クライアントは誰なの!」もどかしさのあまり、男の首を締め付ける。
声にならない声を上げるこの男を、この場で殺すのは容易い。けれどそれでは何の進展もない。ならば……。
一か八かでこんな提案をしてみる。
「もし教えてくれたら、私がそのクライアントを始末する。あなたは生き延びる事ができる。これならどう?」むしろこれしか、あなたの生き延びる道はないけれど!
「……っあ、あり得ん……っ!」
「私、そうやって一方的に決め付けられるの、好きじゃないのよ」
緩めた手に力を戻し、再び締め上げる。男はさらに苦しみ始める。
「さあ、どうする?私は別に構わないわ。あなたがここでムダ死にしようと!他を当たるだけの事よ」どうせ敵は次々現れるでしょうから?と続ける。
「ほっ、本当に、殺れるのか?……ミスター・イーグルを!」
「……っ!何ですって?」思わず力を緩めてしまう。「ヤツは死んだはずよ?」
「あんたも、死んだはずじゃなかったか、朝霧ユイ」
「何よ、知ってたの?私の事!」
「俺が聞いてるんだ!本当に殺れるのか、あのイーグルを!」同じセリフを口にする。
「黙りなさい!立場、弁えてくれる?」男の頬を打ちつけて黙らせる。
なぜイーグルは自ら動かないのだろう?組織を雇うなど、あの男らしくない。一匹狼のミスター・イーグルが!これは何かある。
私は宣言通り男を解放した。
去り際に、男がポケットから携帯電話を落とした。明らかに故意だ。これがイーグルとの連絡手段という事か。
「ウラの連中に伝えなさい。この件からは手を引けと。関わればイーグルどころかこの朝霧ユイが、見つけ出して残らず殺すってね」
背を向けて立ち止まった男は、そのまま足早に丘を下って行った。
男の置いて行った携帯を拾い上げていると、後ろから貴島さんが声をかけて来た。
「おい、逃がしちまっていいのか?」
「いいのよ。あんなに堂々と背中見せてるヤツをどうしろって?新堂さんは……?」
「眠ってる。何も気づいてないはずだ」
この言葉に心から安堵した。「ごめんなさい、やっぱり巻き込んじゃったわね」
もしこの場に自分がいなかったら、この家の住人は皆殺しだっただろう。
「何なんだ、イーグルって?」
「あえて言うなら、私の宿敵ってところかしら」
そして私達の視線は庭の射殺体へと向けられた。
「……さ、まなみが帰って来る前に後片付けしなきゃね。それと、しばらく出かけて来る。今夜は帰れないかも。新堂さんには適当に言っといて」
「またかよっ、おい朝霧!お前、ヤバい事しようとしてるだろ。体が戻ったからって、まだやめとけ!それの始末だけして帰って来い」
「そういう訳には行かないわ。元を正さないと意味がない」
「だからって、新堂にはどう説明すりゃいい?もう誤魔化すのはうんざりだぞ!」
「何度もこんなお願いして、あなたには本当に申し訳ないと思ってる。でも今やらないと、また危険な目に遭わせてしまうのよ!」どうか……分かってほしい。
「今俺は、お前の主治医でもあるんだ。病み上がり同然の体に、無茶はさせられない」
「体調は悪くない。すぐに戻れる。これが済んだらいくらでも言う事聞くから」
こんな事を言いながら、ベンツのトランクに死体を引き上げようと悪戦苦闘中だ。それに手を貸しながらも、貴島さんはまだ私を引き止めようとしている。
「なあ……、考え直せって」
そしてようやく死体をトランクに収め終える。
「ありがと、こんな事手伝わせてゴメンね。じゃ、後はよろしくね、貴島先生。もう誰も来ないと思うけど、もし何かあったらすぐに連絡して」
「あっ、おい!」
「のんびりしてると、新堂さんに嗅ぎ付けられるから行くわ」
呆然とする貴島さんを残し急いで車に乗り込むと、勢い良く丘を下った。
少し行くと、下校途中のまなみと遭遇する。
「あれ、ユイー!こんな時間からお出かけ?」いち早く私に気づいて走り寄る。
「まなみ。お帰り!そう。しばらく戻れないけど、用事済んだら帰るから。新堂先生の事よろしくね」しばし車を徐行させて、忙しなくそう伝えた。
手を振るまなみを、バックミラー越しに見守りながら先を急ぐ。
途中から山道に入り、奥へ奥へと進める。
「この辺で捨てちゃえ!」
必死の思いでトランクから引き摺り出し、際立った崖から投げ落とす。
そしてそのまま都内へと走らせた。
「ふう~疲れた。後は、これに連絡が入るのを待つ。相変わらず同じ手を使ってるのね!自分の居場所、連絡先は一切教えないって?」
だが会うまではまだ、相手が本物のイーグルかどうか判断できない。
「さあ!早く連絡して来なさい!」
その夜。目の前に広がる東京湾を眺めながら一服していると、例の電話が鳴った。
「お待ち兼ねのラブコールね、案外早かったじゃない?……ハロー?」
『(お前は誰だ?)』くぐもった声が質問してくる。
「(お久しぶり。朝霧ユイよ)」
名乗ったものの先方は無反応だ。
「(イヤだ!まさか今度は、あなたが私の事忘れちゃった?)」あなたがミスター・イーグルだと想定しての話だが。
『(なぜお前が?……その電話を持っていたヤツはどうした)』
「(そんなの、聞くまでもないでしょ)」
『(お前が一体何の用だ?)』
演技しているようには思えない、純粋な驚きが伝わってくる。
「(それはこちらのセリフよ?あなたはてっきり死んだと思ったわ。今さら私達に何の用?なぜ新堂さんを狙うの!)」私はまくし立てた。
『(何の話だ。俺はドクター新堂など狙っていない)』
「……え?」
『(それとも、ヤツは武器を持ち始めたのか?)』
「(武器?そんなもの持ってやしないわ。今はそれどころじゃないし。何の事よ!)」
私の知らないところで二人は対面していた。
その時新堂さんは、自分は武器を持たない主義だとイーグルに訴えたとか。
しばしの間の後に、イーグルが口を開く。『(どうやら、行き違いがあったらしい)』
「(何なのよ、一体!)」
『(……時に、ドクター新堂はマセラティに乗っていたのか?)』
「(それが何か?)」
答えた途端にイーグルは笑い出した。訳が分からない。
そしてこんな事を言う。『(何やら、お前達に迷惑をかけたようだな。詫びをしたい。今から言う場所に来れるか?)』
「(ええ。今すぐにでも。頼まれなくても行くつもりよ)」
こうして私は都内のあるホテルへと向かった。
思わぬ形で再びミスター・イーグルと相まみえる事となった。
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