この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第四章 不屈の精神を養え

  似た者同士(2)

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 一月も下旬に入った。彼は順調に快復している。

 この日の夕食後、ダイニングで寛ぐ貴島さんが口走った言葉が、私の中に押し留めていた感情を刺激してしまった。

「ついに日本人も人質になったか」
「え……?」
 キッチンでまなみと後片付け中だったが、視線を手元からテレビ画面に移した。
 流れていたのは報道番組だ。

「あの例のテログループだ。見てみろよ、日本国首相と日本国民へメッセージだとさ。名指しとは恐れ入るな!」
 こんな内容を受けて、足早にテレビの前に移動し間近で映像を見る。
 助けたければ二億円払えと言っているようだ。期限はあと三日。
「……ふざけてるわ」

 あまりの怒りでエプロンを脱ぎ捨て部屋を出ようとした私に、後ろから声がかかる。
「おい朝霧、どこへ行く?」
「ちょっと」
「だからどこだよ」
 ソファから身を乗り出して、貴島さんが振り返って私を見ている。

「冗談じゃないわ!どれだけバカにすれば気が済むの?この国に人質救出の策なんてあるはずないじゃない」
「ユイ?一体何をする気?」まなみも珍しく笑顔ではない。
「二億ドルも支払われたら、取り返しがつかなくなる。でもモタモタしてたらあの人達は殺される!」身代金はそのままテロリスト達の糧になる。さらなる悲劇の始まりだ!

 ついに貴島さんは立ち上がって、私の肩を強く掴んだ。
「何をする気かは聞かないが、米軍だって失敗したんだぞ?手立てなんてあるのかよ!」
「朝霧ユイを見くびらないで?あと三日しかないの、急がなきゃ……」
「やめるんだ!」
「離して!」

 私が貴島さんの手を振り払った時、騒ぎを聞きつけたのか新堂さんが姿を見せた。

「何を騒いでるんだ?」
「新堂!」貴島さんが縋るような視線を向ける。
 私としては来てほしくなかった。
「新堂さん。ダメじゃない、部屋から出ちゃ」
「いいところに来た、お前からも言ってやってくれよ!」

「ちょっと貴島先生、主治医の発言にしてはいただけないわね」こう言い放ってから、彼に向かって再度言う。「何でもないから。あなたは寝てて」

「一体……」状況が理解できないのか、彼は呟いた後に動きを止めた。
 その視線がテレビの映像に向けられる。そこでは引き続き、テロ集団に人質にされた日本人のニュースが流れている。

「ユイ。言ってくれたよな?俺と一緒にいてくれるって」
「ええ。行くのはほんの少しの間だけよ。すぐに戻るわ」
 こう告げるも、彼が強めの口調で続ける。「言ったよな。約束、破るつもりか?自分で口にした事に、責任も持てないのか」

 唇を噛み締めて彼を見上げる。何も言い返せない。ただ拳を握り締めて、横目で画面に映し出された映像を睨む。

「ユイ!答えろよ!」彼のこんな力強い声を聞いたのはいつぶりだろうか。
「……っ、だって!」それでも私は……!涙が零れ落ちて絨毯を濡らす。
 新堂さんは私に近づくと、思いのほか強く抱きしめた。
「行かないでくれ……っ、頼む」

「っ、……!」こんな切なる願いを、どうして無下にできようか?
 どうする事もできずにただ立ち尽くした。

「とにかく座れよ」貴島さんが私達をソファに促す。
 そして自らも腰を下ろすと、さり気なくテレビを消した。
 静まり返った室内で、貴島さんが軽い調子で話し出す。「しっかし、何でまたアイツ等あんな場所に?一般人だろ」
 それに応じる新堂さん。「ああ。一人はフリージャーナリストだそうだ」

 日頃彼は欠かさず朝刊を読んでおり、世の中の動きは大抵把握している。生真面目な性格からするに、これまでの分もきっと余さずチェック済みだろう。

「愚かな連中だ!危険だと分かってて行ったんだろ?自業自得じゃないか」と貴島さんが言えば、「そうさ。そんな連中のために、ユイが動く必要なんてない」と返す。
 この見事な連係プレイは何だ?私はまだ黙り込んだままだが。

「それに朝霧。お前この間、年を感じる~って嘆いてたよなぁ。昔とは違うって事だろ、それって。分かってるよな?」容赦ない貴島節炸裂だ。
「んなっ!何の事よ」心当たりはあったがとぼける。良くも覚えていたものだ!
 こんな場で明かす事でもないだろうに?
「誤算、だったんだろ」と続ける始末だ。
 この言葉を口にした時、部屋には誰もいなかったはず。なぜ私の独り言を知っているのだろう?

「何が誤算なんだ?」何も知らない彼が、あろう事か私に聞いてくる。
「私にもさっぱり!」

 貴島さんのせいで、何に怒っていたのか分からなくなってしまった。何せ言い分は最もだ。自業自得の連中を助けに行く義理などないではないか?
「もぉ!分かってるわよ、昔の自分じゃないって事くらい。あ~!バカバカしい」
 こう言い放った時、貴島さんが彼と視線を交わして笑うのが目の端に映った。
 どうやら二人の作戦は成功したようだ。まんまと私の気を削いだのだから?

「ほらほら新堂さん、あなたはもう部屋に戻って!私が一緒に行ってあげるから」
 鼻で笑いながらも、指示には従うつもりらしい。「ああ、頼む」そう言って私に寄り添ってくる。
 こんな至近距離も懐かしい。改めて彼を見上げて小さく息を吐いた。

「おおそうだよ、新堂はまだ外部との接触はダメなんだ。朝霧、あんまり近づくな」
「って今さら?散々引き留めといて良く言うわ!」それに、今のは彼の方から近づいてきたのよ?と目で訴える。
 そんな中、貴島さんの陽気な笑いがこだましていた。


 その日の深夜。こっそり新堂さんの病室に忍び込むと、快く受け入れてくれた。

「ユイ。ありがとな」
「何の事?」
「いや、ただ言いたかった。……ありがとう」
「私はいつだって、自分のやるべき事をするだけよ」彼の手を強く握って、自分に言い聞かせるように言う。

 私にはここを離れられない理由が二つもあるのだ。
 彼を狙う正体不明の敵を始末する事。そして何よりも、愛する彼を側で支える事。

「もう行くね。貴島さんに見つかったら大変だから?」
「ああ。お休み。ゆっくり休んでくれ」
「あなたも」

 微笑み合って、名残惜しく思いながら別れた。



 こうして無事に、移植から約三週間が経過した。この日は彼の誕生日だ。
 今はもう私達を隔てる障害物は何もない。病室で上体を起こしてベッドに腰かけている新堂さんと、主治医貴島先生、そして私は室内の椅子に座って話している。

「全て順調だ。この分だと、四月には退院できそうだな」
「本当?やったぁ!ついに退院日決定ね。粋なバースデープレゼントじゃない、貴島先生?」
「おお?今日は新堂の誕生日だったか!めでたいな」
 二人が盛り上がる中、彼がボソリと呟く。「退屈でどうにかなりそうだ!」

 私が思うに、彼には本当にオペの禁断症状(!)が現われているようだ。

「ちょっと新堂さんったら!私達今、と~ってもいい話してるんだけど。聞いてた?」
「ん?ああ、……済まん」
「まあまあ!何も誕生日にケンカするなよ」
「ケンカなんてしてないもんっ。ね?」
「ああ、してない」

 何事もなかったように微笑み合う私達に呆れ顔だ。
 そして何か思い出したような素振りで口にする。「……まあ、新堂の気持ちも分からんではないがね」
「まさか、あなたまでオペ中毒なの!」私は勝手にそう思い込む。

 怪訝な顔で聞き返そうとした貴島さんより先に彼が言う。
「散々主治医の言いつけを破って、抜け出してる誰かさんには分からないかもな」
「ちょっと?誰よ、誰かさんって!」
「さあな」こうとぼけた彼は、意地悪な笑みまで浮かべている。
 たちまち私達の間には火花が散った。

「まあまあ!そのくらいにしろよ、この似た者同士のお二人さん!」貴島さんが再び仲裁に入る。そして話題を変えようとしたのか言葉を繋げるも、中途半端に終わる。
「そう言えば……」何か思い出したらしい。
「どうした?」
 新堂さんが先を促すも、貴島さんは私を見つめて固まっている。

 この人には何かと口止めをしている。さてはマズい事を口走りそうになったか。

「そうそう、新堂さんに見せたいものがあるんだから。早く元気になってよね!」
「それでだな、朝霧、」貴島さんはまだ諦めていない様子。
「貴島さん、ちょっと来て!新堂さん、ちょっとごめんねっ」
 そう言って立ち上がり、貴島さんを引っ張って部屋を出てドアを閉め、小声で話す。
「何を言うつもり?狙われてるって話だったら、他言無用だからね?」

「ヤツは知らないのか」こう返したところから、これを言うつもりだったと分かる。
 すぐさま言い放つ。「知る必要はないわ」
「何てこった……!」
「いい?絶対に彼には言わないでよ」
「また隠し事かよ……いい加減にしてくれ!」

 嘆く貴島さんに無言で圧をかけ続ける。

「分かったよ!あ~あ!疲れるぜ……全く」
「ありがとう」

 そして再び部屋に戻る。

「何の話だ?」
「気にしないで。あなたの事じゃないから」
「じゃあ何の事だ」予想通り突っ込まれた。
 とっさに誤魔化す。「ほら、車、凹んでたでしょ?私がぶつけたヤツ。貴島さんったら、それをあなたに告げ口しようとしてたの」横目で貴島さんを見ながら言う。
「その事ならもう、とっくに知ってる」
「ほら言ったでしょ、貴島さん!だから、いつまでも蒸し返さないでって話!」
「なるほどね」

 彼が納得してくれた事に、思わずため息が出る。

「ユイ?どうした、疲れたか」
「え?ああ、そうじゃなくてちょっと深呼吸しただけ!」わざと大きく息を吐き、ため息を誤魔化すも、「呼吸、苦しいのか?」と事態は悪化。
「違うってば!」

「貴島、ユイを診てやってくれないか」彼はどうあっても引かない。
「だから、そうじゃないってば!」めげずに否定を続けるも、貴島さんまでがあちら側に回った。「ああ、分かった。それじゃ朝霧、向こうで……」

 私の腕を掴んで引っ張る。さっきと真逆の状況だ。「あっ、ちょっとぉ!」
「行って来い、ユイ。ここで待ってるから」朗らかな笑みが向けられる。

 再び大きなため息が出てしまうのだった。


 そしてリビングにて。

「ちょっと!彼の話にまで乗らなくてもいいでしょ?」
「これ以上、面倒に巻き込まれるのはゴメンだからな。一時退散した方がいいだろ?」
「何だ、そういう事……?」
 ソファにドカリと座り込み、足を投げ出してリラックスしている様子から、どうやら診察する気はないらしい。

「しっかし!お前ら相変わらずだなぁ~。でもま、あいつもケンカできるくらい回復したって事だな」
「うん。私も思ってたとこ」心からそう思う。
 何しろ少し前までは、言い返す気力もなかった彼なのだから。

「良かったな、朝霧」
「本当に良かった……。貴島先生のお陰よ」感極まって涙声になってしまう。
 そんな私を気遣ったのか、「皆、頑張ったんだって」と笑う。
「私の骨髄があっても、あなたがいなかったら助けられなかったわ」

 涙が溢れそうになっている私に慌てて、貴島さんが席を立った。

「ああ、喉が乾いた!どれどれ、ティーでも入れるか?ティー!」
 こんなセリフが妙にツボに嵌り、思わず吹き出す。
「似合わないわね~、貴島さんにティーって!」
「何だと?失敬な!俺だって飲んだっていいだろ」似合うも似合わんもあるか!とブツブツ続ける。
「飲んでいいわよ、もちろん」

 さっきまで泣いていたはずなのに、あっという間に笑顔にさせられた。この人は本当に凄い医者だ。ケガや病気だけじゃなく、心まで元気にしてくれるのだから。

「ありがと、貴島先生……」
 まだブツブツ言っている貴島さんに向けて、小さく呟いた。


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