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第四章 不屈の精神を養え
訪れた試練(2)
しおりを挟む貴島邸に滞在してから三日目。
まなみが新堂さんの病室から、朝食を載せたトレイを運んでいた。その皿の上を覗いて見ると、随分残している。食欲は相変わらずないようだ。
「まなみ、ちょっといいか?」
「はいは~い、ちょっと待って!」
私を通り越してバタバタと廊下を走り、病室に舞い戻るまなみ。
何か手伝いたいが、彼には私がここにいる事は内緒だ。申し訳なく思いながらも傍観者を貫く。
離れて様子を伺っていると、どうやらだし巻き卵が食べたいと言われている様子。
「え~、あの巻くやつ?ムリ!作れないよ。あっ、ならユイにやってもらおっ……」
ここまで言ったが、途中である事に気づき言葉を途切れさせたまなみ。
だが、時すでに遅しのようだ。
「ん?ユイがいるのか」新堂さんが透かさず反応する。
「えっ、違うよ?ユイがいたら作ってもらえたかな~って思っただけ!私、これから友達と約束あるの!じゃあね、新堂センセ、お大事に!」
慌ただしく部屋を飛び出し、私に向かってゴメン!と手を合わせて逃げた。
一部始終を見ていた貴島さんが真っ先に嘆く。
「まなみっ!お前~!あれだけ黙ってろって言ったのに……やっぱりあいつに隠し事は無理かぁ」
「まあ、いいわ。どうせいずれバレる事だし。気にしないで」
私は貴島さんにそう告げると、彼の前に顔を出した。
「おはよう、新堂さん。またたくさん残してたみたいね、食事」
ベッドに上体を起こした彼が、無表情で私を見て言う。「ユイ。今来た、なんて嘘はつかないよな?」
「言わないわ。三日も持ったのが意外なくらい!」白状しようじゃない?
「三日だって?そんな前からいたのか!どこか具合が悪いのか?……見たところ、貧血気味のようだが」心配そうな顔で言ってくる。
さすが鋭い主治医サマ!三日前にした自己血採取がまだ尾を引いているのだ。少々無理をしすぎたか。
けれどここは首を横に振る。
「違う違う!私も何かお手伝いしようと思って。だってほら、ただであなたを入院させてもらうのは悪いもの。私なりに気を遣ってるのよ?」おどけて言ってみる。
反抗する元気もないのか、心配そうな素振りを見せつつも何も返してくれない。
「ねえ新堂さん、それで、だし巻き卵なら食べれそうなの?作ってあげ……」先ほどの会話を思い出して口にするも遮られる。
「あれはまなみに口を割らせる口実だ。ユイがここにいるような気がして。単なる願望だったんだが……まさか本当にいるとは」
誘導尋問にまなみがまんまと引っかかったという訳だ。例え病床にあっても、この人には誰も敵わない。
けれどその声は弱々しくて、心の底から不安になる。
そんな不安を押し殺して笑顔をつくる。
「私に会いたかったのね、新堂さんったら!口実なんて言わないで、食べてみようよ、だし巻き卵!私作ってあげる」
「食欲はない。済まない。毎回食事も用意しなくていいと言ってるんだがね……」
申し訳なさそうにこう呟く姿は、見ていられないくらいに痛々しい。
すっかり打ちのめされて俯いてしまった私に、とどめのセリフが投げかけられた。
「……良かった」
もう何も答えられない。
「おまえがここに留まってくれるなら、安心だ」
「でも、私は何もしてあげられない!」
「側にいてくれるだけでいいんだよ。ずっと一緒にいてくれるって、言ったろ?」
反応を示さない私に、彼は何を思ってか一人頷いている。私をここにとどめたい理由は、本当にただ側にいてほしいだけなのか?
「なあユイ、本当に、大丈夫だよな?」
やはり何かに気づいている様子。どれにだ!「何がよ。それはこっちのセリフなんだけど?」とだけ返す。
「……そうだよな。済まん」
「何も心配しないで。ずっと側にいるわ。そうすれば、もう門前払いされる事もないし?」
枕元にしゃがんで悪戯っぽく笑うと、彼は嬉しそうに微笑んでくれた。
それにしても非常に顔色が悪い。それに気分が悪いのか、時折表情が険しくなる。
「ねえ、気分悪いの?貴島さん呼んで来ようか」
「ああ……っ、うっ!」彼が突然吐血した。
それを目撃して、またも激しい動悸が始まる。私の心臓の方が止まりそうだ。
「新堂さんっ!大丈夫!?貴島さんっ、早く来てっ!!」
私の叫び声を聞きつけて、すぐに貴島さんが来てくれる。
「どうした?……マズい、どこから出血してるんだ?食道か胃か……」
「イヤっ!新堂さん……ああどうしようっ!」ただオロオロするばかりの私。
「すぐに処置する、そう騒ぐな」
それに引き替え淡々と必要な処置をして行く貴島さんは、やはり腕のいい医者だ。
騒ぎすぎた私は、すぐに部屋から追い出されてしまった。
しばらくして、容態は落ち着いたようだ。
「もういいぞ。朝霧、新堂が呼んでる。行ってやれ」病室から顔を出した貴島さん。
「……うん」
未だ鳴り止まない動悸にイラ立ちながらも、呼吸を整えて部屋に入った。
「……ユイ、こっちへ……」彼が腕を伸ばして私を求めている。
おずおずとそこへ手を差し伸べる。
「そんな顔するな」
「だって……っ」涙が溢れるのを止める事は、もはや不可能だ。
「ユイ。もう、貴島から聞いたんだろ?」
「何で、新堂さんがっ……」言葉が思うように出てくれない。
「散々おまえを疑ってたのにな。本当に自分だったとは、俺も意表を突かれたよ」
そんなに軽い調子で言わないで!「何で私じゃなくあなたなの……っ」
新堂さんが私の頭を撫でて言う。「いいんだ。これで。そんな事で悩むな」
「無理よ!だって本当に……新堂さんが身代わりになってくれたみたいでっ」嗚咽が漏れて上手く話せない。
「そうじゃない。もともと俺に病の要因があったんだ。だが俺は、死ぬ訳には行かない……おまえを、残しては行けない……っ」彼も涙声になる。
「だったら!移植しようよ!」
「おまえには無理だ。二度とユイを苦しめたくない、分かってくれ」
「ふざけないで!どうして無理だと決め付けるの?そういうの気に食わない。あなたがいなくなる事の方が、よっぽど苦しいんだけど!」
涙はもう粒の段階ではなく、滝のように流れ落ちる。
そんな私の肩に後ろから手が乗った。貴島さんが無言で私に、説得役の交代を伝えてくる。
「新堂。臓器からの出血が始まった。次にこんな出血が起きたら危険だ。もうこれ以上は待てない。化学療法の効果も全く得られていない以上、俺からも再度移植を勧める」
「何度も言わせるな……」
「リスクは全て説明済みだ。その上で彼女が判断した。朝霧を信じろ、新堂。大丈夫、お前達は必ず病に打ち勝つさ!」
ここまで言っても彼は首を縦には振らない。
私は大きく深呼吸をして、泣き顔を封印する。そして沈黙を破った。
「新堂和矢。まだ私の事、見くびってるのね。もうあなたの承諾はいらない。ここからは私のボディガードとしての判断で、あなたを守らせてもらうから」
「ユイ、何を言っている……?」
「忘れた?あなたの命は、私が守るって言ったでしょ」
彼の目に、キラリと光るものが一瞬だけ見えた。
「朝霧ユイ。おまえは、やっぱり強いんだな……。負けたよ」
そう言ってようやく穏かな表情を見せた彼に、私は優しく微笑みかけた。
「よし!承諾はもらったな。後は任せろ!」貴島さんが意気揚々と叫んだ。
こうして新堂さんにとっても私にとっても、辛い過酷な日々が幕を開けた。
「おい朝霧、頼むから興奮しないでくれ?」
こんな事を指摘されたのは、ここ最近感じる激しい動悸の事を打ち明けたためだ。
「そんな事言ってもね?私だって、したくてしてるんじゃないし!」
「こんな調子じゃ、いつ再発してもおかしくないぞ?」そうなればドナーの話はなしだ、と続ける。
困った顔で見つめられ、またも不安に襲われて動悸が始まる。私は無意識に左手で心臓の辺りを押さえていた。
そんな私を見て貴島さんが呟く。「問題山積だな!」
「移植予定は五日後だ。それまでにお前のコンディションを最適な状態にしなければならない」
「この貧血もさすがに治るでしょ。昔なんてケロッとしてたのよ?年を感じるわ!」
「何にせよ、何とかするしかないだろ」
「何とか……」自信のなさそうな声に自分でも驚く。もっと心を強く持たねば。
「心配するな、俺が何とかする。絶対に何とかするから……」そう言いつつも、貴島さんもどこか自信なさげだ。
それでも今は、この人を信じるしかない。
何が起きても誰も恨まない。新堂さんさえ救えれば、私の命など……そう思いかけて首を振る。ボディガードは自分の命を張ってはいけない。
それをするのは敵が完全に消える時だ。
「新堂さん……」私は強く願った。彼が生き延びてくれる事を。
ただそれだけを、強く強く願い続けた。
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