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第四章 不屈の精神を養え
忍び寄る影(3)
しおりを挟む追突事故から数日後の事だ。掃除中に書斎である物を見つけた。これまでの彼の不調を決定付ける物を。
「これって、点滴の?何でこんなとこに……」
それは使用済みの栄養剤の点滴バッグだ。それもソファに無造作に置かれている。
「おかしいな。私、最近点滴されてないけど?」空の容器を拾い上げて眺める。
そして何気なく屑入れを覗くと、何とそこには同じ物がいくつも入っていた。
「……まさか、新堂さんが自分に?」
ここのところずっと食欲のなさそうな彼。その様子が思い浮かび納得する。
「本当に、大丈夫なのかしら……」
こんな発見は、私の心を酷く不安にさせた。
掃除を終えて一息ついていた時、修理に出していた車を取りに行っていた彼が帰って来た。
「ただいま。俺達の愛車がようやく戻ったよ」
玄関からの声を受けて、すぐさま書斎に呼び出す。
「新堂さん!ちょっと来て」
「おお、掃除してくれてるのか。ありがとう」
いつもと変わらぬ様子で顔を出した彼に、例の物を突き付ける。「何、これ」
「ん?……あっ」
「た~っくさん、あるみたいだけど?どういう事?」
困った顔で黙り込む彼に、無言で回答を促す。
「そうだ、ゴミに出すのを忘れていたよ。ごめん、いっぱいだったな」
「そういう事じゃないでしょ。これはあなたのお食事なのね?」
「まあ、何だ……」
「この状況でシラを切るつもり?」
手にしていたドクターズバッグを所定の位置に置き、彼がソファに座った。
「ああ、そうだよ。俺の栄養源だ」ようやく観念したか。
ここで彼の置いたカバンを見つめてしばし考える。「ん?何で仕事用のカバン持ってったの。車取りに行っただけでしょ」
「いつも持って行ってるだろ。いつ何が起こるか分からない」
それはそうだが、と思うも腑に落ちず。
「だからって、通りすがりのボランティアみたいな事はしないんじゃなかった?」
「そういうんじゃない。……もういいだろ、何でも」口論が面倒になった様子。
私だって今はそれどころじゃない!
彼の横に腰を下ろして、改めて聞く。
「新堂さん、本当に体、大丈夫なの?」心配で堪らずに顔を覗き込む。
「心配するなって。こんなの、そんなに騒ぐ事じゃない。医者は誰でもやってる。おまえだって散々使ってたぞ?まあ、大半は気づいてないか」
「知ってるわよ。でも、それとこれとは状況が別でしょ」
「そうだよな……。俺が自分に甘いだけだ。自力で栄養補給しないとな。気をつけるよ」
私の頭に手を乗せて答える彼が、どこか弱々しく見える。いつもならここでその手を振り払って拒絶するところだが……どうしても不安が消えず、そんな余裕はなかった。
「さあ、そうとなれば食事だな!」
「新堂さん……」
立ち上がって先に部屋を出て行く彼を目で追う。私の膝の上には、まだ空の点滴バッグが置かれたままだ。
不意に彼が戻ってきた。「おっと、ゴミ回収しとかないとな!」そう言うと私からそれを奪う。次いで屑入れの中身も全て回収して行った。
「ちょっと新堂さんったら!」
食卓にて。食事を進めながら会話する。
「前にも、似たような事あったよね」ふと思い出した事がある。
「ん?あったか?こんな事」新堂さんは首を傾げている。
「ほら、あなたのボロアパートで、カップ麺の空容器が大量に出てきたじゃない?」
出会った頃、自分の住居をなかなか明かさなかった彼は、傾きかけた激古アパートに住んでいた。そこのキッチン(と呼べるか不安だが!)にそれはあった。
「っ!ゴホ、ゴホ……っ」
むせてしまった彼を見て、慌てて立ち上がって背中を擦る。
「だっ、大丈夫!?ごめんなさいっ、私が変な事言い出したからよね……」
「ゴホっ……いや、こっちこそ済まん、上手く飲み込めなかっただけだ……」
少しして落ち着いたらしく、彼が答えた。「あれも失敗だったな。ゴミはまめに処分しておくべきだと、あの時学んだはずなんだが」
「今のセリフ、口に出していいワケ?」
おどけて笑うだけの彼。
「あの頃とちっとも変わってないじゃない!」別の意味でため息を付く私なのだった。
食事が済み、新堂さんが食器を洗っている。腕まくりした彼の腕を何気なく見ていたのだが……。
「あら?そこ、どうしたの!酷いアザね……」私の指した彼の右肘には、大きな青アザができていた。
「ん?どこだ」水を出したまま手を止めて、指摘された箇所を覗き込む。「おお、本当だ。どこかにぶつけたんだな」あっさりとこう判断した。
「派手にぶつけたわね。もしかして、あの事故の時じゃないの?」
「そうかもしれない。全然覚えてないよ」
「え~?そんなに大きいのできてるのに?……案外鈍いな」最後の一言は心の声のつもりだったが、声に出ていたらしい。
「何か言ったか?」と彼が睨む。
「いいえっ!何でもありませ~ん」
新堂さんはいつまでも私を見ている。今はもうその目に力は感じない。ただ見ている感じだ。
「新堂さん?ほらほらっ、水出しっぱなしよ!」
私の指摘に我に返ったように、食器洗いを再開したのだった。
片づけが終わり、しばしそれぞれの時間を過ごしてから、寝巻きとタオルを持って書斎に顔を出した。
「新~堂さんっ!たまには一緒にお風呂入ろうよ」
デスクでタブレット端末を操作していた彼が顔を上げた。
「いいのか?」
ドアに寄りかかって首を傾げる。「え?どういう意味」
「風呂に入るだけでは済まなくなるぞって意味」
「それって、どっちの意味かしら……」ちょっぴり嫌な予感がする。
「いや……今日はやめておくよ」
意味深な事を言っておきながら、何やら考え込んだ挙句に出した答えはノーだった。
「え、何で?……遠慮してたりする?」
「そんな訳ないだろ。俺はまだいい。一人でゆっくり入って来い」
期待外れの答えに、無意識に膨れっ面になる。
「そんなにヘソを曲げるなよ。また今度誘ってくれ」
「えー、そうね!そうします!」
完全にヘソを曲げた私は、わざと足音を響かせて廊下を歩いて行った。
「何よ。私には拒否権ないのに、向こうはあっさり断るんだから!もう知らないっ」
一人向かった浴室にて、脱衣所の鏡に映る自分相手にぶつくさ言う。
慌ただしく服を脱ぎ捨て、乱暴に体を洗って湯舟に浸かる。
少しして脱衣所のドアが開いた音が聞こえた。
「何しに来たのよ」浴室の扉越しに声を張り上げる。
「気が変わって、今入りたくなった」無機質な声が返ってきた。
負けずに毅然と言い返す。「そんな事言って、私が承諾すると思う?」
答えもせずに、裸になった彼が浴室の扉を開けて中に入ってくる。
そして湯舟に浸かる私を見下ろして言った。「おまえの承諾はいらない」
「何それ。何様のつもり?」さすがにムッとする。やはり私には拒否権がないようだ。
「主治医様、かな」こう言った彼のポーカーフェイスは崩れていた。
こちらはまだまだ笑う訳には行かない!「職権乱用よ?」
「問答無用だ。体、ちゃんと洗ったのか?洗ってやるから出ろ」
私のボディタオルを手に取ると、視線だけで促される。
「何よ、ちゃんと洗ったもんっ」
「どうせ適当に泡立てただけだろ。もう一回洗ってやるよ。さあおいで」
何しに来たのよ?自分を洗えばいいのに!そう思いながらも、指示通り湯から出て彼の前に座る。
彼はとても優しい手つきで、泡立てたタオルを私の体に当てた。
「こういうの、懐かしいな……色々思い出すわ。いい気持ち」
「これでもまだ俺の事、拒絶するか?」
「いいえ」ここでやっと力が抜けて笑顔になる事ができた。
「問答無用、で合ってるだろ?」
「負けたわ……。一緒に入るの、かなり久しぶりじゃない?」
「そうだな」
こうして二人で入浴タイムを満喫した。至極健全な、ただの入浴だ。
そして湯舟から上がり、ひたすら脱衣所の鏡を見つめる。今私が見ているのは自分ではない。後ろにいる新堂さんだ。
未だ素っ裸の私を差し置き、すでにバスタオルを纏っている。
「ユイ、体重測ってみろ」
「あなたの前で?」男性の前でそれをするのは気が引けるのですが?
「当然だ」女心など露知らず彼が答える。「参ったなぁ」確実に増えているはず!
「なぜだ?」不穏な空気が流れ出し、慌てて首を振る。「いえ、別に!」
体重計に乗る。デジタル表示は四十六.五と出ている。
「いや~ん、この間は四十五キロだったのよ?あなたのせいで、やっぱり太っちゃったじゃない!」
ここ最近新堂さんの残したトーストやらおかずを平らげていた私。だから言ったじゃない?
「心配ない、まだまだ許容範囲内だよ」体重計を横から覗いて彼が言った。
「あ~あ。新堂さんは?測ってみて!痩せたでしょ、あなたは」
「俺はいいよ」
「もぉ~!あなたがダイエットしてどうするの?」
憤慨する私をよそに、彼はいつの間にか着替えてしまっていた。
「早く着ろ、風邪引くぞ」
「新堂さんったら、早~い!待ってよ……」
「早く髪、乾かせよ」
「あぁ~ん、私だけ忙しい!」
いつものパターンだ。こんないつもと変わりない様子に、少しほっとした。
「良かった……」
下着姿で髪を乾かしつつ、鏡に映った自分に向かって微笑む。
「何一人で笑ってるんだ?」突然の声に焦った。「しっ、新堂さん!いたの!」
おかしい、さっき出て行ったではないか?
「早く着ろって言ったろ」そう言って私の肩に寝巻きを掛けてくれる。
そしてドライヤーを私から奪う。「貸してみろ、乾かしてやるから」
「やった!」ちょうど腕が疲れて来ていたところだ。スーパーロングはまだまだ乾く気配がないのに!
「先にちゃんと着ろ」
この言葉に従って寝巻きに腕を通して前を留めた。
隅に畳んであった椅子に私を座らせ、彼はドライヤーをかけ始めた。
「ねえ」
「ん?」
ドライヤーの音で聞こえずらいのか、彼が顔を近づけてくる。
「……ううん!何でもない。ありがとね」
「どういたしまして」
何であれ、彼との時間は常に愛おしく感じる私なのだった。
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