この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第四章 不屈の精神を養え

  テロリストの素質(2)

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 こうして翌朝を向かえ、私達の講義が幕を開けた。

「(ユイ・アサギリです。皆さん、三日間よろしくお付き合いください)」
 最後尾の席に神崎さんと大垣さんがいる。軽く笑みを投げかけると、軽く手を上げて答えてくれた。
 二人には事前に挨拶済みだ。

「(ではまず。常日頃、私達の周りには危険が多く潜んでいます。騒乱、デモ、強盗、スリ、カージャックなどなど。そこで一番有効な対策を、これから皆さんに教えます)」
 ややザワついていた講堂内が、一瞬で静まり返った。
「(人を見たら悪人と思え。以上です)」

 あっさり座学を終えて席を立つ。

「おい、講義はあれだけか?」様子を見に来ていた新堂さんに指摘される。
「そうよ。十分でしょ。口で何を言ってもムダ!皆どうせ寝ちゃうし?百聞は一見に如かず。実地訓練あるのみよ」

 呆れた様子の彼を残して、若干不満顔の参加者達を引き連れて野外に向かう。
 我がグループは早々に次の実地演習だ!

「こういうの初めて!何だかワクワクしちゃう」
 結局ついて来た新堂さんが後ろから言ってくる。「頼むから、本当のケガ人を出さんでくれよ?」
 振り返って笑顔で答えた。「(分かってるって。は~い、それじゃ皆さん!これに乗ってくださ~い)」こんな姿はまるでバスガイドだ。

 十五名ほどの参加者を順にバスに乗せて行く。残念ながら新堂さんはここまで。
 ここからは私の独壇場だ。

「(それでは、このバスで敷地内を移動しますね)」最後に乗り込んで言う。
 こう伝えつつもこれは真っ赤なウソで、このバスは発車する事はない。
 車内には組織のメンバーが混じっていて、頃合いを見計らってバスジャックを始める予定なのだ。
 他の人の講義を受けている参加者も、様々な形で必ずテロリストに襲撃される設定。

 何も知らず発車をぼんやりと待つ面々を眺める。アクシデントは突然訪れるものだという事をすでに忘れている。この緊張感のなさに、少々がっかりだ。
 どのようにジャックされるかまでは、私も知らされていない。さあテロリストさん、そして皆さん、お手並み拝見と行きましょうか?

 そのアクシデントは意外とすぐに勃発した。

「(大人しくしろ!これを被れ)」一人の男が叫んだ。
 もう一人が立ち上がり、布の袋を乗客等に手渡して行く。
 突然の出来事にパニックになる参加者達。ここで犯人が最初に要求したのは、布の袋を頭から被る事。
「(携帯電話を出せ!貴重品もだ!)」布を配り終えた男が叫ぶ。

 かなりの緊迫感。まるで本物のバスジャック犯のようではないか?

 乗客の中に、抵抗して床に張り倒されて引き摺られる者が現れた。
 さすがにこれは見過ごせない。「(ちょっと!いくらなんでもやり過ぎでしょ、離しなさいよっ)」
 犯人役の男を掴んで訴えるも、ギロリと見下ろされて一喝される。
「(何だお前は?大人しくしてろ!)」

 教官にまでこの態度とはいただけない。思わず犯人役を床にねじ伏せてしまった。
 この時点で参加者達はすでに頭に袋を被らされているため、何が起きているかは分からない状態だ。

「(皆さん、落ち着いてください!これは訓練です)……このバカっ!」犯人役の男の頭をポカリと殴る。
「(んなっ?おい、ふざけるなよ……この女!)」男は私に従う気はないらしい。
 面倒になってバスの最後尾に目を向ける。そこには神崎さんと大垣がいる。

「大垣さん、ちょっと手伝って。コイツの事お願いできる?」この場で現状と対処法を一番把握しているのは大垣だろう。
 声をかけるとすぐさま来てくれた。「了解したよ、教官!」
 この人ならば問題なく対処できる。

 強面スキンヘッドの大男の登場に、犯人役の男が怯んだ。実際に大垣は強い。が、私だって負けていない。人を見た目で判断してはいけない。

「(皆さん、頭の袋を取ってくださって結構です。このように、テロリストはどこに潜んでいるか分かりません)」
 皆に説明しながら、引き摺られた人を起こしてやる。
「(大丈夫ですか?頭を打っていたようなので、後でドクターに診てもらいましょう」
 私の言葉に頷くと、静かに席へと戻ってくれた。
 良かった、訴えるとか言われなくて!

「(ここで言える事は、人質はコモディティであり、その商品価値がある限りは殺されないという事です)」
 しかし!との威勢の良い意見がちらほら上がる一方で、大半の人達は未だ恐怖覚めやらぬ様子で青い顔をしている。
「(犯人の指示には素直に従う事。間違っても先ほどの彼や私のように、反抗してはダメです)まあ、そんな余裕はないと思うけど……」後半は日本語で呟く。

 犯人を制圧し終え、私の横で控えめに待機していた大垣に目が行く。
「ありがとう、戻って」
「失礼」小さく一言だけ言うと、大垣は主の元へと戻った。

「(どれだけその道の訓練を積んだ猛者でも、多数の敵を相手にするのは困難です。特に大勢の人質が存在する場合は)」
 元の位置に戻った大垣が、私の言葉に大きく頷いてくれた。
「(生き延びたければ、間違ってもヒーロー面して立ち上がったりしない事!)」

 参加者をバスから降ろして行く。
 新堂さんの姿を探して建物の方をチラチラ見ていると、彼が気づいてこちらへやって来た。

「新堂さん、いてくれて良かった。この人の事ちょっと診てあげてほしいの」
「言った側からケガ人か?」
「私がやったんじゃないわよ?連中がやり過ぎなの!でもいいの。大垣さんにお仕置きしてもらったから」

 私があらぬ方角に向かってウインクしたため、彼が振り返る。その先には丁寧にお辞儀をしている大垣がいる。
 新堂さんは手を上げてそれに答えた。

「予想はしていたよ。(さあ、こちらへどうぞ)」
 そう言って彼は、足元がふらついている様子の男性を支えながら消えて行った。


 そして二日目はドクター新堂による医学講座。
 彼の講義中、最後尾の席で見学していた私は、やっぱり居眠りを始めたのだった。

「だから寝ちゃうって言ったじゃない」堂々と言う事でもないのだが。
「寝てたのはおまえだけだ」
 まるで落ちこぼれの生徒に言うような口調で指摘され、飲んでいたダージリンティが気管に入りそうになった。
「うぐっ!……それはそれは!」


 こうして楽しく最終日を迎える。
「(さ~皆さん!それでは。これまでの訓練を振り返りながら、締めと行きましょう)」

 またしても新堂さんが偵察に来ている。隅の方で腕を組んで私を見ている。

「(世界中には治安の悪い場所が数多くあり、行動一つで生死を分ける事がお分かりいただけたと思います。選択を誤れば、確実に死が待っていると思ってください。自分は関係ないなどとは決して思わない事!最後に、第三世界の常識を少しお話しします)」

 私がまともに話し始めたのを確認して安心したのか、彼は私から目を離した。
 〝自分は関係ないなどと思わない〟これが自分に向かって放たれた言葉だと新堂さんが気づいてくれたら嬉しい限りだ。そんな事はほぼ百パーセントあり得ないが!

「(第三世界とは発展途上にある国の事です。まだまだ治安の悪い場所が多く、訪れる際は特別な注意が必要です)」
 私は講義を続ける。
「(大抵どこの国にも、一つくらいは防備の整ったホテルがあるはずですから、宿泊はそういう所へ。間違っても安価な場所を選ばない事。そして移動の際は必ず車を使ってください。すぐ近くでも徒歩は厳禁!一歩でも出たら狙われると思ってください)」

 ここであえて神崎さんの方を見る。
「(車でも高級車は絶対にいけません。狙ってくれと言っているようなものですから!可能ならば車は防弾仕様に。車内には防弾の楯や手榴弾を装備しておくのが理想ね)」
 頷く大垣に対し、神崎さんは目を丸くしていた。

「(もし車で移動中に襲われたら。ホールドアップして、抵抗せずに車を明け渡しましょう。例え身ぐるみ剥がされても、命を奪われるよりはマシです。ただやられるのが嫌な方は……)」

 こうして講義は順調に進み、受講者からの盛大な拍手で締めくくられた。

 終了後、組織内部にて最終的な報告会が開かれる。
「(やあご苦労様、上手くやってくれたようだね!さすがはミズ朝霧だ、我々の読みは大当たりだな)」電話をくれた彼に声をかけられた。

「(それはそれとして。お宅の敵役達は、少々やり過ぎなんじゃない?本当にケガ人が出たわよ)」私が先生に叱られちゃったじゃない?
「(いや、それについては聞いているよ。申し訳なかった……ついリキが入ってしまったそうだよ。何しろ、一般客相手のこのような講習会は初めてだったんでね)」
「(加減って難しいものね……)」私にも思い当たる節がない訳ではない。

 こんな内々の話で盛り上がっているところに、日本語が響いた。

「ユイ!今回の講義もとても良かったよ。やっぱり思った通り、ユイを推薦して良かったよ。あの始まりの一言を聞いた時はどうなるかと思ったが?」
「人を見たら悪人と思えって?」
「俺達を人間不信にでもしようと言うのかと……」ここへ大垣が口を挟んだ。「しかし社長、事実、警戒心は常に大切です」

 さすが大垣さん、やっぱりこの人は分かっている。だからこそ……。「言っとくけど。今日のはあくまで一般人向け、だからね?」と念を押す。

「一般人、ね!あのお前の言ってた例の、ボタンを押すとガソリンが徐々に漏れ出て?犯人共が国境近くに行った頃にエンストする車って何だ?そんなの本当にあるのか!」
 講義の際に余談で語った話だ。
「あるわよ。だって明け渡したその場で燃料切れだったらどうなる?」
 答えたのは大垣だ。「用済みとして殺されて終わりです」

 無言で大垣に目をやってから、神崎さんが口を開く。「大体、一般人が、それを入手できるのかって話だ」
「お金がなければ知恵を絞る!頭を使えばそういう細工もできない事はないでしょ」

 お手上げポーズの神崎さんを横目に続ける。「あなた達に向けた講義だとしたら、今日の内容とはちょっと違うわ」
「例えば?」興味津々に神崎さんが聞いてくる。
「大垣さんなら分かるでしょ」
 ここはこの男に答えてもらおう。私の大切な兄のボディガードの大垣に。

「犯人に屈するな、ですかね」
「ふふっ!その通り。言いなりになれ、なんて言わないわ。戦え、一人残らず殺せ!って言うわね」新堂さんが周囲にいない事を確認しながら言う。
 こんなセリフを聞かれたら大変な事になるので!

「実際そうかもしれん。だが軍や警察ならばともかく、民間の我々特に日本国民に、その術はないに等しい」神崎さんが神妙な顔で言う。
 それはつまり、武器を持ち合わせていないという事だ。
「そうなのよね……」
「国が頼れないならば、自分達でどうにかするしかないだろ?優秀な我が国の企業の人間達を、これ以上犠牲にしたくない」
 私は心から頷いた。「さすが人の上に立つリーダーは違うわ。神崎さん、惚れ直しちゃった!」

 神崎龍司は朝霧義男とは違う。ただの悪人ではない。こういう考えの持ち主、それはまさに私が理想としている姿だ。

「そうは言ってもだな、実のところ、これを企画したのは俺じゃないんだ」
 驚いて神崎さんを見上げる。
「っ、社長!他言無用と言いましたよね?これはあなたの考えた事です」
「いいじゃないか。ユイには隠し事は通用しないぞ?なあユイ!」

 二人のやり取りを見ていて薄々分かった。危機管理担当は大垣だ。

「いいよ。どっちでも!そんな事なら、大垣さんが講師やれば良かったのに」
「滅相もない!」声を張り上げる大垣。
「あなたこそ適任だと思うけどなぁ。ほら、犯人役に舐められる事もなかっただろうし?」わざとこの屈辱的な出来事を引き合いに出す。
「ははっ!あれはあいつが愚かだっただけだろう」こう答えたのは神崎さんだ。
「……自分は人前で語るのは得意ではないので」今度はやけに小さな声だ。

「や~っぱ、人は見た目によらないよね。この小心者っ!」
 自分よりも三倍はありそうな大垣をド突く私なのだった。

「何だか楽しそうだな」
 席を外していた新堂さんが戻ってきて、私達に加わる。

「ああ新堂先生。講義、素晴らしかったですよ!お疲れ様でした」神崎さんが真っ先に労いの言葉をかける。
「……いやはや、お粗末な講義で申し訳なかった」
「そんな事はありません、とても分かりやすかったです。なあ大垣?」
 透かさず「はい」と大垣が頷く。

「新堂さん、こういうの初めてだったんでしょ?」
「ああ。まずやらないよ、こんな目立つ事はな!」当然だというように言い放つ。
 そんな彼に神崎さんが興味を持った様子。「ではなぜ、今回は?」
「何でしょうね。彼女に感化されたんですかね」どこか適当な答え方だ。

「良かったじゃない!いいチャンスをもらえて?」
 ここぞとばかりに彼の背中を勢い良く叩いた。
 わざと(!)よろける彼を見て、神崎さんが代わりに言ってくる。「ユイ!相変わらず乱暴だな、もっと先生を敬いなさい」これは兄らしい発言!
「あら誤解しないで。ちゃんといつも敬ってますから」
 対する兄の表情は、どこがだ?と言っていて、反論できなくなる。

 兄妹ゲンカ勃発の気配を感じたのか、気を利かせてか大垣が話題を変えた。
「そういえば、新堂先生はシカゴに行ってらしたとか?相変わらず世界を股にかけたご活躍、感服いたします」
「またそんな大袈裟な!恐縮です。そちらは確か会合で……ずっとこちらに?」
 新堂さんが視線を大垣から神崎さんに向けた。

 頷いた後に神崎さんが言う。「前々からこういった企画が持ち上がっていたんだが、なかなか踏み出せなくてね。ようやく念願叶ったよ。ユイのお陰だ」
「私?!それは違うと思うよ、私だけが講師した訳じゃないし……っ」
「いや。日本人が、というところが重要なんだ」
 神崎さんのこの言葉には、何か言い知れぬ思いが隠されているようだった。

「……言いにくいんだけど、私達今回、こっちの組織の人間として紹介されてるの。日本人なのは見て分かるだろうけど……なんかゴメン」
「問題ない。これは俺個人の思い入れだからな」
 私の頭にそっと手を乗せて答える兄の顔は、どこか感慨深い様子だ。

 だがすぐに手を離して元の顔に戻った。「さて、これからすぐに帰国せねばならん。長らく会社を空けていたからな」
「ええ~、もう?」もう少し一緒にいられると思ったのに。
「自家用ジェットでひとっ飛びだ。良かったら先生達もご一緒にいかがです?」

 こんな素敵なお誘いに、真っ先に答えたのは新堂さんだった。
「ご好意だけいただいておきます」
「え~っ、いいじゃない、一緒に帰りたい!」彼にしがみ付いて訴えるも……「まだ仕事が終わってないだろ?」とあっさり返された。
「終わったも同然よ」
 この後は報酬の振込を確認する事になっているのだが、そんなのは帰国してからでもできる。

「それは残念だ」
 私達のやり取りを見て、神崎さんまでもあっさり引き下がってしまった。

 大垣と何やら会話していた神崎さんだが、大事な事を思い出したというように急に振り返った。
「言い忘れた、不在にしていた間にユイに迷惑かけたようで。巻き込んで悪かったな」
「え?……ああ。別にどうって事なかったわ」すっかり忘れていた。
 それは例の、ライバル企業が私の誘拐を企てた件だ。

 そんな事よりも今は、一緒に帰れない事の方が大問題ですから!

「迷惑……」小さく呟いてから「それは今回の講師の件ですか?」と新堂さんが神崎さんに尋ねる。
 大した事ではなかったため、新堂さんには話していなかった。それにしても講師依頼の件は、彼にとってはやっぱり迷惑だったのか。

「いや、そうじゃなくて……ああ、もしかして聞いてないのか」神崎さんが私を見た。
 私は神崎さんに小さく頷き、彼に向かって言う。「どうって事ない話だってば。新堂さんには関係ない類の!」
 勝手に兄の魅力的な誘いを断られた事もあり、つい冷たく言い放ってしまった。

 しかしなぜ今そんな話題にする?察してくれ、兄貴!そう目だけで訴えたが、全く気づいていない様子。再び大垣と何やら打ち合わせを始めた。

「……まあいい。さて、それでは先方と約束があるので、これで失礼。行くぞ」
 新堂さんは神崎さんにそう告げると、私を見もせずに背を向けた。
 いきなり彼の態度が冷たくなった……。兄はそんな事に気づく様子もなく、笑顔で私に手を振り、そして大垣は深々と頭を下げた。

 二人に向かって慌ただしく手を振ってから、早足に彼を追った。
「あ~ん、待ってよ新堂さん!」


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