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第四章 不屈の精神を養え
二人のキズナ(2)
しおりを挟む三日連続勤務を終えた木曜の晩、家で寛いでいたところに新堂さんから電話が入った。
『今は家か?』
「ええ。ちょうどあなたの事を考えてたところ」
『本当か?一服でもしてたんだろ!』
「いいえ。まだよ」それは就寝前にするから?
『……やれやれ。そろそろ生理痛に苦しむ頃だと思ってな。鎮痛剤を出しておいてやれば良かったと……』こんな話題になりすぐに遮る。「ああ、その事なら、まだだから気にしないで」
相変わらず私の生理周期を把握しているようで、全く恐れ入る。
そして慌てて言い添える。「最近忙しいからだと思う!」
眩暈が頻発すると遅れる事があると、彼に言われていたのを思い出したから。眩暈が起こっている事を悟られては困るのだ。
『……そうか。貴島に言っておくから、薬、後で貰っておけ』
「え~!いいよ、言わなくて。恥かしいなぁ」
『何が恥かしいんだ?』
「だ~って、生理痛なんて?とにかくいいってば。市販薬で凌ぐから!」
せっかくの貴重な電話だったのに、こんな他愛もない会話で終わってしまった。
翌日の金曜、宣言通りに貴島邸へ向かうべく、朝早くに身支度を整える。
こんな事もあろうかと、私が新堂さんを空港まで送っておいて良かった。お陰で車で出かけられる!
早朝の静かな海沿いの丘陵に、クワトロポルテの小気味良いエンジン音が響き渡る。丘を登り切ると、一軒家が見えて来た。家の前には女の子の姿が見える。
「ユーイー!やっと来たわね、待ってたわよォ!」
「おはよう、まなみ。早起きじゃない?」
私の到着に気づいて、後ろから貴島さんも顔を出す。「随分と早かったな」
「渋滞すると厄介だから」
車から荷物を降ろしてドアを閉めると、それをまなみが持ってくれた。
「ありがと、気が利くのね。もう朝ご飯は食べたの?」
「まだ!」
「今日も学校でしょ。私の事はいいから支度しなさい」
「は~い!」
私の荷物を持ったまま、嬉しそうに家に入って行くまなみ。そんな後ろ姿を、庭先で貴島さんと眺める。
「何だか、まるで母親が帰って来たみたいだな……」貴島さんがポツリと言った。
しばしの間の後に聞き返す。「誰が母親よ?」
「いやなぁ。今まではお前ら、どう見ても友達同士だったよなと思ってさ」
「中学生になって、まなみもようやく年上に対する態度を学んだって事じゃない?」
これを機にそろそろ年上の威厳を見せねば!
中へと促され笑顔で頷き、開けてくれた玄関ドアから家に入る。
「で、あれから具合はどうなんだ?」ドアを閉めながら貴島さんが聞いてきた。
「ええ。お陰様で、あれほど酷いものはないわ」
「そりゃ良かった。念のため診察するから、落ち着いたら声かけるよ」
「ありがとう。まなみが行ってからでいいから」
その後はバタバタとした二人の日常を垣間見た。やれ忘れ物だ、やれ提出するプリントがないだと、登校時間間際に大騒ぎの二人。
そんな貴島さんは、しっかりと父親の顔をしていた。
まなみを送り出し、ようやく一息つく。
「あなた達、立派に親子してるじゃない」
「ん?」
「まなみも段々大人になってくわね……」会う度に思う。彼女は着実に大人への階段を上っていると。
「どこがだ?全っ然子供だよ。早く大人になってほしいもんだね!」
そんな事を言いつつも、その表情は優しげだった。まなみに対しては、この人はいつだってこんな顔をする。
「さあ、お次は診察だったな。見たところ問題なさそうだが、報告のためな」
「報告ね……あの人の事だから、きっちり検査項目まで決められてそうね」
似たような苦笑いを浮かべる私達は、きっと同じ事を考えていただろう。新堂和矢がいかに徹底的な性格なのかを!
「来てもらって何だが、今日は依頼が入ってるんだ。午後は出かけるぞ」
「そう、どちらまで?」
「隣町の市民病院だ」
「何なら私、送迎しましょうか?」
「ああ……お客さんに留守番は頼めないし。そっちの方が有り難いな」
「なら決まりね。あと、別にお客じゃないから、私!」そんな気遣いは無用だ。
こうして私も病院にお供する事になった。
それまでの時間、暇を持て余した私は、洗濯や部屋の掃除など頼まれもしない事を細々始めた。ここまですれば、お客呼ばわりはもうされないはず?
そして出かける時間となり、車に乗り込む。
「ホント悪いな~。家事やらせた挙句、運転までさせちまって!」
「別にいいのよ、暇してたんだし。いつもお世話になってるから、このくらいさせて。それに、久しぶりにこれ運転したかったの!」
懐かしさを覚える元愛車アウディ・クワトロの感覚を満喫しながら病院を目指す。
「エントランスに入るから、貴島先生は先に降りて。私は駐車して……適当に待ってる」
「ああ、ありがとよ。二時間くらいで済むと思う」
目的地に到着し、助手席から降りた貴島さんは患者の元へ向かった。
車を停めて目の前の病院を見上げる。できる事なら足を踏み入れたくはない。
「さてと。これからどうしようかなぁ」またもや暇を持て余すとは。
まずは、とバッグから煙草を取り出して一服を始める。
「携帯用の灰皿持って来てて良かった~」勝手に車の灰皿を使用する訳には行かない。
一服を終えて車から降り辺りを散歩していると、通りから見覚えのある制服姿の少女がこちらに入って来るのが見えた。
「何だかあの子、まなみに似てるわね……」
そう思ったがここは隣町。しかもまだ二時過ぎだ。学校は何時までだろう?
「ユイ!」制服姿の少女が私を見つけて叫んだ。
それはやっぱりまなみだった。
「まなみ?!何でいるのよ、学校は?どうやってここまで来……」立て続けに質問した私をまなみが遮る。「そういう尋問みたいなの、やめてくれる?」
「じっ、じんもん?!」そんなつもりはなかったのだが。
聞くところによれば、今日の学校は昼までで、昼食の後一斉下校。ここまではタクシーで来たとの事。料金はお小遣いの五千円札一枚で足りたそうだ。
今さっき受け取ったお釣りを私に見せてくる。
「……で、こんな事して、貴島先生は怒らないの?」
「まあ、時々雷落ちるけど。帰りは一緒だし、買い物もできるから都合いいのよ!」
やり手だ。彼女は本当に中学生か?しかもこの春になりたてホヤホヤの!
「それよりユイは?どうしてこんなとこで、一人でぶらついてるの」
「先生の運転手で付いて来たんだけど。暇でね」
「中行こうよ!」まなみが私の手を掴んで病院に入ろうとする。
「えっ、いいよ、私は……」
こんな構図はともすると、病院前で駄々をこねる子供と母親……。「冗談でしょ!」
「え?なんか言った?」
「ううん、こっちの話!」
葛藤の末、意を決して足を踏み入れた。
どういう訳か患者の病室まで把握しているらしく、迷いなく進んで行くまなみ。
部屋に近づくにつれ、言い合う声が大きくなる。それは少年の威勢の良い声と、ボソボソ呟くような男の声だ。
「何やら騒がしいわね」恐る恐る近づく私とは裏腹に、「今日は何が見れるっかな~!」と楽しげなまなみ。「今日はって?」もしや毎回こんな事をしているのか?
辿り着いた目的の病室では、激しい口論が繰り広げられていた。
「マコト君、寝ていないとダメだよ」医師が少年の肩に手を置いて諭すも、聞く耳持たずの少年。
「どうして僕ばっかり!言いなりになんかならないぞ?お母さんもお姉ちゃんも嫌いだ、こんな事して、一生許さないからな?」ひたすら暴れている。
横から少年を支えるナースが堪らずに言う。「先生、これ以上興奮させては……」
「仕方がない、鎮静剤を使おう……」少年に向けて注射器が掲げられた。
「離せったら!!」
「揉めてるみたいだけど……大丈夫なの?」私は思わずまなみを見下ろして尋ねた。
まなみも肩を竦めている。
「さすがに知る訳ない、よね……」引き続き二人でそっと現場を覗く。
ベッドから這い出して暴れる少年。押さえつける医者とナース。母親と姉と思われる二人は立ち尽くしている。
その様子を傍観していた貴島先生が、医師の持つ注射器を遮った。
次の瞬間、少年を勢い良く平手打ちしたではないか!
「何て乱暴な!この子は重病人ですよ?」医師が少年を庇うように立ち塞がる。
「口で言って分からなければこうするだけだ。薬で眠らせたって何の解決にもならん」
少年は勢いで床に尻餅をついている。
「誰だよ、お前は!僕にこんな事して……お前も敵だ!」
「俺は君の手術を依頼された医者だ。この病院はサジを投げたのさ。つまり、君はそれほど重病って事だなぁ」
「貴島先生!そんな事をこの子に教えては……っ」医師はあたふたするばかりだ。
「なぜいけない?死ぬんなら死ぬと、はっきり言った方がこの子のためだろう?」
貴島さんの言葉に少年が反応した。「……僕は、死ぬの?」
「ああ。何もしなければ、精々あと一週間ってとこだな」
こう言われては威勢の良かった少年も、青い顔で貴島さんを見上げるばかりだ。
こんな光景に、またもまなみに尋ねる。「……ねえ、貴島さんて、いつもこうなの?」
ここまで直球で行く人とは予想外だった!これは新堂さんレベルかもしれない。
けれどまなみの答えは違った。
「いつもじゃない。でも、ソウ先生は正しい事しか言わないわ」
「……そっか」
私の体調不良の事を新堂さんに隠してくれたのは、果たして正しい事なのか。
そんな事を考えたのも束の間、この波乱の展開で少年の態度が変わったようだ。
「そうか……そうなのか。だから皆、急によそよそしくなったんだね。僕が死ぬって分かったから」
「ごめんなさい、ごめんね!マコト……」
母親と姉はついに泣き崩れた。ずっとずっと、我慢していたのだろう。
「現実を知らなければ向き合う事もできない。知らされないってのが、一番問題だな」
貴島先生の言葉に、担当医師はただただ閉口するのだった。
こうして少年は手術を受け入れ、生き延びる道を選んだ。
帰り道の車内にて、ハンドルを握りながら、私の口から思わず笑いが零れていた。
「ふふっ……!」
本日の仕事を率なく終えた貴島大先生は、助手席のシートを倒して大いに寛いでいる。
「何一人で笑ってんだ?不気味だぞ!朝霧」
「まなみが辛口になる理由が、今日分かったな~って。お疲れ様、ソウ先生!」
後部席で眠ってしまったまなみをバックミラーを越しに見ながら答える。
「それにしても、まなみが学校からタクシーでここまで来たって……いいの?」
「学校から連れ去られるよりマシだろ」
「確かに!」
どうせならば自分の元に呼び寄せておく方が安心か。日本のタクシーは安全だし?
「ねえ。あなたのやり方にケチを付ける気はないけど……」
「何だよ」貴島さんが首だけこちらに向ける。
「あんなふうに現実を突きつけて、もしあの子がショックを受けて自殺したりしたら、どうするつもりだったの?」率直な意見だ。
「事実を伏せて騙し騙しやってても、疑惑は増す一方だろ?こっちは治してやるって言ってるんだ。選択肢を前に死を選ぶってんなら仕方ないがね!」
言い分はもっともだ。
「そもそも。自殺なんか考えるようなヤツは、治っても再発に怯えて生きて行くんだ。どっちみち明るい未来なんか掴めやしない」
その昔、二度も自殺まがいの行為を試みた自分には、耳の痛い言葉だ。
「何だ朝霧?言いたい事があるなら言えよ」
「……。手厳しいなって思って。弱いヤツは不幸になっても仕方ない、みたいな?」
「掻い摘んで言えばそうなるか。補足するなら、心が弱いヤツ、だな」
貴島さんがシートの位置を戻して起き上がった。
そして私を見て言う。「おい、俺はお前の事だなんて一言も言ってないからな?変な勘違いするなよ?」
「してないわよ。弱いなんて、誰に向かって言ってるの?私のはずないじゃない!」
嘘でもここは否定しないと。心が強いかどうかは分からないが。
「ははっ!だよなぁ~。ま、ケンカに弱くて意気地のない俺が言えた事じゃないか!」
「……そんな事ない。人はね、大切な者のために強くなるのよ」
辛口の貴島さんだが、その患者に合ったやり方を見極めてしているのだという事は分かっている。この人は義理人情に厚い、とても優しい人だから。
「あ~、腹減ったな!帰ったらメシだ、メシ!」
「今日はお疲れ様。何食べたい?作れそうなもの言ってくれたら、私が作るわよ」
「おお!嬉しいね~。それじゃ、ご飯に味噌汁!」
「純和食ね。おかずは何にする?」
「てんぷらかな」
「あ~それは残念っ!私、揚げ物はやらないの」
「お~い、マジかよ?じゃ、コロッケ!」
「だからさぁ~」
こんな調子で家路を急ぐ。途中寝ぼけ眼のまなみと食材の買い出しを済ませ、何とか夕食を振る舞った。申し訳ないがてんぷらとコロッケは却下で!
そして食後。まなみはすでに床に就いていたので、ここからは大人の時間だ。私達は静かにウイスキーを飲み交わす。個人的にはワインが良かったのだが?
「コレ、貰い物なんだ。一人で飲むのは味気なくて開けられずにいたんだ。付き合わせて悪いな!」
楽しそうな貴島さんを前に、私も嬉しくなる。「全然。むしろウェルカムよ!」
「まあ、お前に酒を飲ませるなとは、言われてないしな?」
「そうそう!」
ここで先日の私が、ワインに酔い潰れたのか否かの論議になる。これは挽回せねばと、勢いに乗って飲んでいたのだが……。
「もう一杯!」
「ダメだ」
「え~っ、何?まだ付き合い始めたばかりじゃない?」グラスを掲げて訴える。
「もうやめとけ。十分付き合ってもらったよ」
「ケ~チ。……新堂さんはもっと付き合ってくれるよ?」
「俺はあいつみたいに酒豪じゃないの!」
私がブツブツ文句を言っているのを全て無視して、さっさと瓶を片付けられた。
全っ然飲み足りな~い!
「なあ朝霧。……まなみの事、これからもよろしく頼むな」不意に貴島さんが真面目な声で言った。
「もちろんよ。どうしたの?唐突に」
「何だろな、オレも酔っぱらったのかもなぁ~」
「オレもって言うけど、私はまだ酔ってないわよ?案外弱いのね、キジマ先生は」
ほんのり赤らんでいる貴島さんの顔を眺めて、小さく笑った。
時に頼りないと感じていたこの人だが、今日の事で見る目が変わった。人が生きるという事に対する熱量は半端じゃない。どこまでも熱い男だ!
まあ、だからこんな私(!)や、あの(!)新堂さんと気が合うのだろうが?
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