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第三章 適材適所が成功のカギ
25.リングの真相(1)
しおりを挟む梅雨の湿った空気が、辺りにどんよりと立ち込める今日この頃。新堂邸に、一台のロールスロイスがやって来た。
私の知り合いでこんな車に乗るのは一人しかいない。
「神崎さん!」
庭に出て出迎えると、降り立った神崎さんはいつもと変わらない素敵な笑顔を見せてくれる。
「久しぶりだな、ユイ。元気そうじゃないか」腰を屈めて私の顔を覗き込み、さらに眩い笑みを投げかけられる。
「うん、元気よ!」ようやく、という言葉は飲み込む。
ここ最近、本当にようやく(!)耳の不調も眩暈も収まって元気になったのだ。
その間もパートの仕事はきちんとこなした。我が主治医にはブツブツ小言を言われたが!あの人は厳しいようでいて甘い。そんなギャップに戸惑ってしまうのは昔からだ。
「新堂先生はご在宅かな?」
「ええ。さあ中に入って!」
手を引いて玄関に向かいながら、振り返って確認する。「新堂さんに用事?」
「まあな。先生に頼まれていた件、と言っておこうか。ユイにも関係ある事だ」
「あの人が神崎さんに何か頼んだの?珍し~」
どうりでこんな天気なのか、と改めて空を見上げる。
「神崎社長、わざわざお越しいただきありがとうございます」
「いや。これから一緒に来てもらうつもりだが、まずは報告だな」
二人のこんな話を聞きながらリビングへ向かう。
「ねえ大垣さん?あなたは何の事か分かるでしょ。教えてよ」
二人の会話に割り込むのは無粋な気がしたので、最後尾から来る秘書大垣に尋ねた。
「それについては、社長から説明がありますので」
「そう言われると思ったわ!」口の固さは秘書にとっては大事な要素ではあるが?
神崎社長をソファに誘導すると、その斜め後方に大垣が待機する。新堂さんが座るように勧めるも、見た目に違わず頑固な大垣は頑なに拒否した。
キッチンでお茶の用意を始めると、神崎さんが言った。「あまり時間を取りたくない。もてなしは結構だ」
「急ぎの内容?お茶の一杯くらい……飲む時間あるでしょ」
これに返答はなく、遠慮しているふうでもない。困って新堂さんを見ると、頷いてくれたので引き続き準備を進めた。
「お忙しいのにお願い事をしてしまい、申し訳ありません」改めて新堂さんが詫びる。
「前にも言ったが、可愛い妹のためとあらば、惜しむものなど何もない」
そして神崎さんは視線も向けずに手だけ横に差し出す。
「はっ、社長。こちらに」それを受けて、大垣はタブレット端末を手渡した。
「新堂先生。この女に見覚えはありますか」画面を彼の方に向け直して、神崎さんがテーブルに置いた。
お茶を運ぶ傍ら、私も新堂さんの後ろから覗き込む。知らない女だ。
「……過去の依頼人に似ている気がしますが、もう何年も前の事なので確証は持てませんね」彼はそう言って画面から目を離した。
「それで結構。この女はあのリングの持ち主だ。先生に報酬として渡しておきながら、手段を選ばず取り返そうとしている」
「それってもしかして、この間の電話の人!」声は女だった。
私は神崎さんに、侵入者の携帯から彼がリダイヤルして掛けた事を話した。
「手段を選ばずとは、的を得た言葉ですね!」新堂さんが皮肉を込めて言う。
「先生のお怒りはごもっともです。ですので、これから報復と行きましょう」
そう言った神崎さんは、すっかりウラの人間の顔になっていた。
対する彼の顔は、怒りすら感じられない無表情だ。これは拒絶を意味しているのだろうか?
「報復って?」彼に代わって私が尋ねる。
「この女を拉致した。プエルトリコからね」
「ええっ?!」旅費は誰持ち?と妙なところに気が向く庶民派の自分。
「問題が解決したのなら、もう十分です。手荒な事はやめ……」ここまで言った新堂さんを遮ったのは神崎さんだ。
「いい加減本音で話したらどうだ?お前の怒りはそんなもんじゃないはずだ!」
それはあまり聞いた事のない荒々しい声で、口出しできる雰囲気ではない。
そんな中で場を取り成したのはこの人だった。
「社長。ここは会社ではありません。冷静に願います」大垣の静かな低音が響く。
この言い分からするに、神崎社長は日頃会社で、周囲にどんな罵声を浴びせているのやら……。少しばかり不安だ。
「失礼。つい感情が入ってしまった。とにかく預かったリングの事もある。しっかりと見届けてもらいたい」
大垣の指摘に素直に従うところは意外でもある。
ここでようやく口を挟む。「ねえ新堂さん、神崎さんにあのリング預けたの?」彼に向けて疑問を投げかける。処分すると息巻いていたのに!
「ああ。結局兄上を頼ってしまった。他に相談できる人間なんていないしな」
彼のこの言葉を受けて、神崎さんは満更でもなさそうだ。
機嫌はやや上向いたか。どこかでほっとする自分がいる。
こんな状況があまりなかったので初めて知ったが、兄も私に負けず劣らずの気性のようだ。血は争えない?
「いいんだ。もともとユイから話は聞いてたしな。調べていた途中だったからちょうど良かった」
私がはじめに狙われている事を打ち明けた相手は、彼ではなく神崎さんだった。
「ちょうど良かった?」
「交渉するのに、肝心のブツが手元にないのは困るだろう?」
一応交渉はしたのか。有無を言わさず拉致した訳ではないと知り安心する。
「では早速向かおうか」
神崎さんからリムジンに乗るよう促されるも、真っ先に断ったのは彼だ。
「私達は自分の車で行きます」な?と私を見て同意を求められる。
「あ、うん。後から付いてくから、案内お願い」頷いてこう付け足した。
こうして二台に分乗して目的地へと向かう。
二人になった車内にて、新堂さんがここぞとばかりに捲し立てた。
「全く!こんな面倒に巻き込まれるなら相談などしなかった。神崎って男はあんなにワルだったか?」
「そりゃ昔と同じではいられないわ、立場的にね。それにまだ、面倒と決まった訳じゃないでしょ?」
朝霧家を継いだ事で、神崎龍司は裏の顔も手に入れたのだ。
「面倒に決まってるさ、拉致だなんて?報復にその女を殺せとでも言うつもりか!」
憎々し気にハンドルを握りしめる彼を見て、疑問を感じる。
「新堂さんだって憎いでしょ?その女が元凶なのよ?」これがなければ、私が記憶を失くす事も襲われる事もなかったのだから。
「仕返し……は置いとくとしても、せめて一言言ってやりたいって気持ちあるでしょ」
正直私としては、彼に危害が及んだ訳でもないので殺したいほどの憎しみはない。
けれど、この騒動を巻き起こした責任くらいは感じてほしい。
「それを言うなら、報酬としてあのリングを受け取った時の自分自身にだな」
そう来るか……。自分を律するのがお得意のこの人らしいが!
私は新堂和矢への報復の誘いかけを諦めた。
「そっか!うん、あなたの考えは分かったわ」
車はやがて、山奥の古びた邸宅の前で止まった。敷地内にはダークスーツの厳つい男達の姿が複数見受けられる。見るからにカタギではない雰囲気の!
「おあつらえ向きの場所だな!」
新堂さんの皮肉が聞こえたが、それをスルーして「どんより暗いけど、雨、上がったみたい!良かったぁ~」と呑気なコメントを返した。
車から降りようとすると、引き留められる。「待てユイ。アレ、持ってるんだろ?」
「あれ?」何の事かは薄々勘づいていたが、あえて分からないふりをする。
「拳銃は、置いて行ってくれ」
どうやら殺すなと言いたいようだ。そんな気はそもそもないが、ここは彼の気持ちを汲んで受け入れよう。
少し笑って頷き、腰元からコルトを抜くとダッシュボードに忍ばせた。
神崎さんもいる事だし、相棒が必要になるような事態にはならないだろう。
先に到着していた神崎さんが、大垣と共に邸宅の玄関前で待ち構えている。
「お待たせ。随分レトロな建物ね」眼前に聳える石造りの建造物を見上げる。
「ここは会社所有の別荘だ。昔は主に保養の目的で貸し出していたんだが。もう古くなってね、今は使っていない」
「こんなに山奥では不便でしょう?」と言ったのは新堂さんだ。
「その通り!半径十キロ圏内にコンビニも民家もない」
彼が本当は、犯罪には打って付けの場所だと言いたかったのがすぐに分かった。
なのでわざとこんなコメントを口にする。「犯罪を犯すには持って来いの場所ね!」
これに真っ先に反応したのは大垣だった。「人聞きの悪い事をおっしゃらないでください」
「あら失礼?」大垣を見て肩を竦める。
こんなやり取りをやり過ごし、神崎さんが私達を邸宅の中へと促した。
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