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第三章 適材適所が成功のカギ
クワトロ最後のお仕事(2)
しおりを挟むクワトロ車内にて。ドライバーは貴島さんだ。早速ウインカーを出そうとして、ワイパーを動かしている。
「ん?こっちか……」
「それ良くやるミスよ。気にしないで」いつもなら茶化すところだがここは抑える。
そして本題に入る。「で、人助けって?」
「ああ。少し前に依頼を受けた先の令嬢が亡くなった」
「あら珍しい。オペ失敗したのね」こんな指摘には透かさず「そうじゃない!」と反論される。
その後の説明によると、その令嬢の病は回復傾向にあったらしい。死因は自殺だそう。母親の過剰な期待が負担だったとか。良くある話だ。
「そうなると、母親はショックでしょうね」
「そうなんだ。生きがいを失った人間が何をするか分かるだろ」
私には痛いほど分かる。希望を失って生きるのはそう簡単ではない事が。
「父親はいないの?」
「海外赴任中だが、娘の死を知って明日帰国予定だ。自殺の理由はまだ話してないらしい」
「何とかその旦那さんが支えになってくれるといいんだけど」
自分の言動が原因と知って、夫はどう動くか……。支えになるどころか、恨まれて離婚を切り出されるかもしれない。
「その母親を気にしてるのね……優しいんだ、貴島さん」まなみを引き取った話を聞いた時から思っていたが、改めて実感する。
「そうかぁ~?」照れ隠しなのか、気の抜けた声で返された。
「新堂さんだったら、絶対気にしてないわよ」
「だろうな!金にならんしな」
私達は冷血新堂を思い返して、声を上げて笑った。きっと今頃彼はくしゃみをしているに違いない。
「もし自殺を考えてるなら、旦那が帰国する前、つまり今夜だ。何とか阻止したい」
私は大きく頷く。
「俺が説得するより、朝霧の言葉の方が説得力があると思うんだ」
そんな理由で私を連れて来たのか……。てっきりドンパチできると期待したのに?
「そんな事言われても、私ネゴシエーターの実績少ないわよ?」おどけてこんな事を言ってみる。
「いいんだよ。気の利いた言葉なんかいらない。こういう時は、素朴な言葉が心に響くもんだ」
「そう言われてもね……自信ないなぁ」これは予想外の展開だ。
「経験者は語る、だろ?それに朝霧は娘の年代に近いし。俺や新堂じゃダメだ」
「確かに!オジサン達じゃね~」自分で言ってウケる。クスクス笑いが止まらない。
「……おい。俺はいいが、それアイツの前で言ったら百叩きに遭うぞ?」
「言えてる!」
徐々に左ハンドルにも慣れて来たようで、貴島さんはスムーズに運転を続ける。
やがて林に差し掛かった。
「ここだ」
「え、ここ?」
門をくぐり中へと続く蛇行した小道を進むも、肝心の建物がまだ見えない。
「相当なお金持ちなのね。凄い敷地!」
辺りはとても暗く、点々と足元を照らす照明があるばかり。
「これじゃ、庭で何か起きてても誰も気づかなそうね」
「ここに常駐してるメイドはいない。今は母親一人きりだ」
「こんな広い所に一人ぼっち?寂し~……」
朝霧邸もそれなりの敷地面積があるが、あそこは常に誰かしらがいる。それも一筋縄では行かないようなヤクザな男達が!無人になる事はまずない。
「早く居場所を見つけたいわね」
車内の薄暗がりに見える貴島さんの横顔に、険しさが増した。
「きっと大丈夫よ。きっと……」何の根拠もないがそう願いたい。
そして車は最奥に到達。隅の方に車を停めて降り立つ。目の前の建物に明かりは灯っていない。
「もう寝ちゃったとか!」
「……外かもな」貴島さんが周囲の暗がりを見回して言う。
春が近づいているとはいえ、夜はまだまだ肌寒い。「ねえ、手分けして探す?」持ち掛けるも、「いや……」何か思い当たる事がある様子。
貴島さんは見つめていた方へと足を向けた。私もついて行く。
「朝霧、今も持ってるだろ?ピストル」
「え?……ああ、ええ。なぜ?」唐突な話題に一瞬詰まった。
「お前の射撃の腕を見込んで頼む」
何を思ったのか一点を見つめたまま、こんな事を言ってきた。緊迫感が漂い始める。
すぐさま視線の先を注意深く観察してみると、大木の前に佇む人影を見つけた。恐らくこの屋敷の住人、つまり母親だ。
「夜間射撃か……いきなり難易度高いわね」
「ヘッドライト点ければいいだろ!間違っても母親を撃つなよな?」
「分かってるわよ!」
私が狙うのは彼女が首を吊るために括り付けたロープだ。
「な?新堂は、いない方がいいだろ」
「確かに」
新堂さんが自分から拳銃使用を促す事は決してない。けれどこの人は違うようだ。裏社会の人間にしては考え方が真っ当すぎるが。
「のんびりしゃべってる時間はないぞ!」貴島さんはすぐさま彼女の元へ走る。
そして私は車に戻ってライトを照らした。
そこに映し出されたのは、踏み台に乗って今まさにロープに首を掛けようとする、青ざめた顔の哀れな母親の姿だった。
私は瞬時に相棒コルトを引き抜いた。
「朝霧ぃ~っ!!」貴島さんの叫び声が闇夜に響き渡る。
「任せて。この朝霧ユイに撃ち損じという言葉はない!」
貴島さんが駆け付けるより早く、弾丸はロープを撃ち抜いた。直後母親が地面にドサリと落下する。
「よし、良くやった!」辿り着いた貴島さんが母親の上体を起こして言った。
私も急いで現場に駆けつける。「どう?間に合った?」
「ほんの数秒絞まったようだが……おい!分かるか?しっかりしろ!」
呼びかけに、母親が身じろいだ。
「ねえ、しっかりして!死んではダメよ」私も加わる。
うすぼんやりと目を開く母親。
「あなた方は?……どうして!どうして止めるのですか!」次第に意識がはっきりしてきて、私達に向けて抗議を始める。
私は無意識に叫んでいた。「何やってるのよ!バカな真似はやめてよ!」
「……っ、マリなの?ああマリ、ママを許して……!」母親が私を見上げて言った。
どうやら娘と私を混同している様子。
これは好都合とばかりに私は罵りを続ける。
「明日パパが帰って来るのよ?ママまでいなくなったらパパが可哀相でしょ。私に申し訳ないと思うなら、苦しんででも生きてよ!」
「マ、リ……。ママはただ、あなたに夢を……託したかっただけなの。あまりに勝手だったわ、どうか許してちょうだい」
「許すかどうかは、パパに聞いてくれる?」回答に困り、父親に委ねる事にした。
母親は泣きながら謝罪の言葉を口にし続ける。
もうかける言葉が見つからない。対応に困り果てて投げかけた。「貴島さん、もう限界じゃない……?」
「ああ。一旦眠ってもらおう。一人にするのは不安だ、ウチに連れて帰る」
車へと運び、鎮静剤を打たれた母親は静かになった。
「そのまま、後ろでその人の事見てて。私が運転するわ」
「そうしてくれると助かる。頼む」
私は後部席に乗った貴島さんと母親の様子を見届けると、運転席に乗り込んだ。
こうして母親を連れて貴島邸へと帰宅する。
「遅かったな。……ん?誰だ、そちらは」
貴島さんが抱きかかえた女性をチラリと見やり、新堂さんが言った。
彼の後ろから、まなみもまたチラリと覗いている。
「人助けに行くと言ったろ?まなみ、起きてたのか。なら病室を整えてくれ」
「イエッサー!」
貴島さんの背中に向かって、新堂さんが再び声をかける。
「何か手伝うか?」
「いいや。新堂先生の手を煩わせるほどの事じゃない。朝霧、ありがとな!」立ち止まって振り返った貴島さんが言う。
「どういたしまして」私は大袈裟に頭を下げて見せた。
貴島さんはまなみの向かった方へと消えて行った。
「一体何なんだ?」一人何も知らない彼が私に聞いてくる。
「貴島さんって、あの人相で案外情に厚いのよ」笑顔でこう答えたけれど、彼にとっては疑問符の嵐だろう。
「それは知ってるがね」
私は経緯を簡単に説明した。もちろん射撃の件は抜きにして。
話を終えるや、不意に彼が接近した。私から漂う火薬の香りには間違いなく気づいたはずだが、彼は何も言わなかった。
少しして、二人が戻って来た。
「もう遅いから、二人とも今晩は泊まって行くといい」
「そうして!そうすれば、朝ご飯も一緒に食べれる!」嬉しそうに同調するまなみ。
「ありがとう。じゃ、お言葉に甘えてそうしようか」
新堂さんは一旦まなみを見て、そして貴島さんに向かって答えた。最後に私に確認を求めてくる。
「うん。異議なし!明日の動向も気になる事だしね……」
まなみを除く私達は、顔を見合わせて頷いた。
「しかし。依頼でもないのに、なぜ関わる?」やはり彼にとっては疑問なのだ。
「さあな。気紛れかな~」貴島さんがとぼけた声で答える。
「まさか貴島、お前、あの女から金をせびる気じゃないだろうな?」
こんな問いかけに、貴島さんは一笑してから答えた。「お前ならやり兼ねんな!頼まれてもいないのに請求などできるか。気紛れって言ったろ?」
「俺ならまず、始めから関わってないだろうがね」
「ほら、やっぱり!」私は貴島さんを見て言った。
「何か文句でもあるのか?ユイ」
「いいえ。異議なし!」
この人がどういう人間かは重々承知している。ムダな口論はしない。
すぐに話題を変える。「ねえ貴島さん。もし旦那さんが否定的だったらどうするの」
「なぁ……。そこが問題なんだ」
「あっ、ねえねえ皆、トランプしよっ、トランプ!」唐突にまなみが言い出す。
「え~、今から?もう遅いよ」かったるくて、つい本音が出てしまった。
幸いな事に他二名も同意見だった。
「子供はもう寝る時間!とっくに過ぎてるぞ。ほらほら、ベッドに行け」
貴島さんは慣れた手つきでまなみをあしらった。
「まなみ、待ってる間ずっと俺とトランプしてたんだ」新堂さんが私に打ち明けた。
「えっ、ずっと?それは大変だったわね~!」そして相手が悪い。この完全ポーカーフェイスを掴まえるとは!
彼も疲れていたと知って背中をポンと軽く叩いて労うと、やけに大きなため息が聞こえた。
「全く。俺だけ除け者にしやがって……」
ちょっぴりご機嫌斜めの新堂先生。その理由はやはりそれか。
「別に除け者にした訳じゃないのよ?適材適所ってヤツよ!」
「そうすると俺は子供のお守りが適任って事になるが?」
どこか膨れっ面の彼が物珍しくて、もっとイジメたくなる。
「子供の扱い、慣れてるでしょ」私としては養護施設の子供達をイメージして言ったのだが、彼は別に捉えていた。
「それはもちろん。いつも扱ってるからな!」私の頭に手を乗せて言うのだ。
子供って私の事?!慌てて彼を見上げるのだった。
ここで少し時間を戻し、私達が緊迫した空気に包まれていた時の、彼の様子を少しばかりお披露目しよう。
「なあ、まなみ。こういうのは大勢でした方が楽しいぞ?」
トランプを二等分して、二人きりでババ抜きをしている。
「だ~か~ら~、今のうちに練習してるんじゃない!」
「なるほど……。勝ちに行く気ってワケか。案外ユイに似てるかもな!」
闘志を燃やすまなみを前に、彼がこう思ったとか思わないとか……。
そして翌朝。この日は朝から雨だった。
「どう?あの人の様子」
リビングにて、病室から戻った貴島さんに尋ねる。私は昨夜娘を演じた(?)手前、顔を出さない方が無難という事になったのだ。
「ああ。相も変わらず塞ぎ込んでるよ。おまけに今日は……」
貴島さんの言葉を引き継いだのは新堂さんだ。「涙雨、ってヤツだな」
「あらぁ、良くご存知でしたわね、そんな情緒ある言葉を?センセっ!」
思わず囃し立てた私が、ギロリと睨まれたのは言うまでもない。
「……で、その旦那さんとは話した感じどうだった?」早々に話題を変える。
例の本日帰国する彼女の夫には、ここへ来るよう貴島さんから連絡してある。
「何とも言えんね!強いて言うなら、淡白な感じだったよ」
「第三者にそうそう感情を露わにしないだろ、普通の大人ならな!」
なぜか新堂さんが私に向かって言ってくる。
私には大人の言動が分からないと?そっぽを向いて素知らぬ顔をした。
こんな論争を繰り広げているうちに、早々に夫が現れた。
「本当に、うちの者が迷惑をおかけして申し訳なかった。すぐに連れて帰ります」
貴島さんの発言通り淡白な男のようで、感情はほとんど表さない。
病室で震える妻の腕を掴み、半ば無理やりに立たせる。「帰るぞ」
ハラハラしながらドア陰から見守る私と、ベッド横で同様の様子の貴島さん。
それを横目に、我関せずの新堂さん。まなみは貴島さんの足元に絡みついて固まっている。
「そんなに慌てなくてもいいんですよ。ここは一応診療所です。落ち着くまでいてもらって結構ですから!」堪り兼ねて貴島さんが言った。
「いいえ。これは病気などではありませんので。連れて帰ります。色々ありがとうございました」
再度頭を下げると、妻の手を強引に引いて玄関に向かう。
あっという間に、二人は雨の中去って行った。
玄関先で車が小さくなって行くのを見守るも、やはり行方が気にかかる。
「貴島さん!」
「朝霧!」
私と貴島さんは同時に名前を呼び合っていた。
「行くわよ!」
「おう!」
意気投合してクワトロに乗り込む。こうして雨のドライブが始まった。
「なぜ俺まで……!」
「いいじゃない、ここまで首突っ込んだんだから、一緒に行きましょ!」
当然助手席にはまなみが陣取っている。
一人外野にいた彼だが、本当は共に行動したいはず。昨夜のセリフ、俺だけ除け者!を思えば明らかではないか?後部席に並んで座る私達。
ドライバーは貴島さんに譲った。何しろこれはもうこの人の車だから。
土砂降りの中、昨夜と同じルートで屋敷に向かう。
しばらく走ると、去って行った車が前方に確認できた。どうやら追いついたようだ。
「だが行ってどうする?よその家の問題にそこまで踏み込んで!」新堂さんが吐き捨てるように言う。
「どうするって、気になるじゃない!」
「俺の依頼人が不幸になるのを、黙って見てられるか」呟くように貴島さんが言った。
幸いと言おうか激しく降りしきる雨のお陰で、私達の尾行は気づかれていない様子。そのまま後について屋敷に入って行く事ができた。
二人が車から降りた。妻は雨の中、動こうとしない。夫が駆け寄り、先ほどのように引きずって家に入れようとしている。車内でどんなやり取りがあったのか。
私は新堂さんと相合傘で外に出た。まなみはいつの間にかレインコートを着用済みだ。
エンジンを止めて貴島さんが最後に降りた。
外に出ると、雨の音に交じって声が響いている。
「何を拒絶してるんだ?今さら!ここはお前の家だ。早く入れ!」
「いいえ。私はもうここにいる資格はないんです……あなただって私の事を許せないでしょう?」夫の腕を振り切り、距離を取って訴える。
涙なのか雨粒なのか分からない雫が、妻の青白い肌に幾筋も流れ落ちている。
私達は二人の会話を静かに見守る。
「いいんです。許しを乞う権利なんて私にはない。マリにも……っ」
そう言うと、ついに泣き崩れる妻。ぬかるみに座り込んで両手で顔を覆う。
そんな中、我慢ならない様子で夫が彼女に近づいた。
「いい加減にしろ!」
夫は妻の顔を無理やり上向かせると、その頬に平手打ちをした。
雨の中にバチンッと頬を打った音が響いて、緊迫した空気が流れる。
「あっ!……そんな」
思わず声を上げてしまった私の唇に、新堂さんがそっと人差し指を当てた。
「っ?」横の彼を見上げて目を瞬く。
傘を持った新堂さんが、私をさらに引き寄せて雨粒から守ってくれる。
「いいから。静かにしてろ」
こう言った彼は二人から目を離していない。
その二人はいつの間にか抱き合っていた。夫が妻に何かを言ったのだろう、泣いてはいるが妻の表情が変化している。
「もう大丈夫だな」満足げに貴島さんが言った。
「全く!人騒がせな事だ!」新堂さんが呆れ顔で後部席のドアを開ける。「ほらお前ら、早く乗れ、これ以上濡れるのはご免だ」
「そうよね、先に乗ってて」
彼とまなみを先に車に乗せてから、私は改めて二人に目を向けた。
すでに抱き合うのをやめ、こちらを見て直立している二人に声を張り上げた。
「一人じゃなく二人で!悲しみを乗り越えて生きてください!」
口元を引き締めた二人が、深く頭を下げていた。
びしょ濡れの二人が家に入って行くのを見届けて、私達は家に戻った。
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