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第二章 人生は万事、塞翁がウマ!
アルジェリアの悲劇(2)
しおりを挟む耳の不調が落ち着いて、しばらくは何事もなく過ぎて行ったのだが……。
この日、会社から帰宅する途中でまたもや体調がおかしくなった。それは耳だ。そして新たな発見だが、聴覚が変になるとまともに歩けない事が判明する。
私はすぐに新堂さんに連絡を入れ、途中まで迎えに来てもらった。
助手席に乗り込むなり、両耳を押さえて俯く。
そんな私を見て彼が言う。「このまま検査に行くからな」反論する前に言葉は続いた。「おまえの返事は必要ない。答えなくていい」
「随分とまた一方的ね!」耳を塞ぎながら吐き出すように声を出す。
音の反響のせいで頭が割れそうだ。痛む訳ではないのだが、気が遠退いて行きそうになる。
そんな私を横目に、「話すのが辛いだろうと思っての、俺なりの優しさなんだが?」と彼。ああそうですか!目だけで、お構いなくと訴えた。
近所の病院に着くと、聴覚や脳の検査を様々受けさせられた。
「聴力も鼓膜も、耳の方には異常はない。やはりもっと内部か……」
横になっている私の前に椅子を持って来て座ると、状況を説明する彼。
「ねえ、眩暈がしてる割に、私のバランス感覚抜群だと思わない?」
この日平衡感覚の確認もしたのだが、どういう訳かどれも優秀な成績を修めた。
「ああ全く!日々のトレーニングの賜物だな。恐れ入ったよ」そう言ってほしいんだろ?と彼の顔に書いてあった。
おどけて返してきたものの、難しい表情をしているのを見て不安になる。
「新堂さん……」
私の呼びかけにも答えず、何かを考え込んでいる。
やがて立ち上がり言い放つ。「帰るぞ」
「もういいの?」
「ああ。少し時間をくれ」
「新堂先生がそんなに考え込むなんて、珍しいじゃない。……私、何か悪い病気?」
「まだ何とも言えんが、俺の考えが正しければ……」
「正しければ?」
診療用の簡易ベッドから起き上がって靴を履く。途端に酷い眩暈に襲われて、きつく目を閉じて固まる。
それに気づいた彼が手を差し伸べてくれる。「慌てるな、ゆっくりでいい」
「うん……。ああ、ダメっ。少し良くなったと思ったのに!」
「眩暈か」
「どうしよう、立てないよ」
「頭を動かさないで。そのまま少しじっとしてるんだ」傾いた私の体を支えながら新堂さんが言う。
しばらくすると、彼の言うように落ち着いてきて立ち上がる事ができた。
「もう平気。ありがとう、行きましょう」
彼が差し出してくれたコートを羽織る。
「またマキ教授に来てもらおう。考えていた事はその時に話すよ」
「マキさん、かぁ……」
助けてもらった事を思い出した今も、あの人は苦手だ。
無意識に身震いしていたようで、彼に指摘される。「寒いか?」
「ううん!違うの。ちょっと色々思い出しちゃって」
「……さあ、帰ろう」
彼の暖かい手を背中に感じながら病院を出る。
外はもう暗かった。冬も最終局面を迎えた。これから夜になるにつれ、どんどん冷えるだろう。
家に帰り、早々に寝室に直行する。
「明日予定が合えば、マキ教授に来てもらう。今日はもう休め」
「ねえ、どうしてもあの人に診てもらわないとダメ?新堂先生だけで十分だよ」
「気になる事があるんだ。まあ、セカンドオピニオンとでも思ってくれればいい」
自分の考えを確認したいという事か。やけに慎重だ。
二つ並んだベッドのうちの、自分の方に入る。
「新堂さん……ごめんね」
「何が?」
「せっかく寝室を一緒にできたのに、私またこんな事になっちゃって……」
「そんなの気にするなよ」
「私、向こうの個室で寝た方がよければ……」横になりかけて動きを止めた。
そんな私の体に手を添えて、静かに寝かせてくれる。
「こっちでいい、今はな。今のところ必要なのは、これくらいだから?」点滴を下げておくポールをベッドに近寄せながら言う。
「うん……」
「あ、もし音の反響が辛くて、俺のイビキがうるさいって言うなら、向こうで寝てもいいぞ?」
「ふふっ!新堂さん、イビキかくんだ?知らなかった~!」何せずっと別々の部屋に寝ていたもので?
「低音が反響する今のユイの耳で聞いたら、間違いなく卒倒だな」
「それは怖い……!」
私は耳を押さえながら笑った。彼は私が申し訳なく思っている事を知って、あえてこんな話で笑わせてくれたのだ。
「冗談はこれくらいにして。何かあったら呼べ。後で食事を持って来てやる」
「うん、ありがとう」
そして彼は出て行った。
個室にもあった呼出し用のブザーがこの寝室の枕元にもある。まるで病院にいるようで最初は堪らなかったが、今では大いに有り難い。
たまに誤って押してしまったりするけれど、どんな時でも彼は怒る事もなく、優しく対応してくれる。
こうして翌朝。それもかなり早い時間帯に、それは始まった。
「ユイ、起きてるか?」
彼のこの声で目を覚ます。その後ろにもう一人誰かがいるのが分かるけれど、とにかくまだ眠い。
「……ん、何?……もう少し寝かせてよ、新堂さん」
彼はいつも早起きだ。朝が苦手な私は絶対に起きない時間帯に起きている。
「おはようございます、ユイさん。早くにお邪魔して済みません。この時間しか空いていなくて、新堂先生が構わないとおっしゃるので来てしまいました」
「マキさん?……構わないって、勝手に決めないで。私は構うんだけど?」
まだぼんやりしている私の頭に、何かの機械が取り付けられた。
底知れない恐怖を感じ、彼に助けを求める。「ちょっと……ヤダ、新堂さん!」
「心配ない、ここにいる」
昨夜は隙間なく付けられていたはずの二つのベッドが離され、そこの間に彼が立っていた。
「そのまま動かないで。リラックスしていてくださいね」
「何するの?あっ、頭が痺れる、おかしくなりそうよ。やめて……!」
「少しだけ辛抱してください」
「うう……っ」
耳鳴りが酷くなり、それを過ぎると頭痛に変わった。そのうちに何も分からなくなり、また眠ったのだと思う。これは夢だ、そうに違いない。
気づくと部屋には誰もおらず、私は寝室でいつも通りに寝ていた。隣りの彼のベッドとの隙間はなく、ピタリと付いている。
「やっぱり夢だったんだわ」
ゆっくりと起き上がる。耳はまだ何となくおかしいけれど、大分楽になっていた。
もう少し落ち着いてからと、しばらくベッドに上体を起こした状態で留まっていると、部屋に二人の医者が入って来た。……夢じゃなかった。
「ユイ、気分は?悪くないか」彼が先に私に近づき、額に手を当てて聞いた。
「うん。別に大丈夫」
私の返答にマキが頷く。
「先ほど少々調べさせていただきました。どうやら過去に数回、脳内部へ強い刺激が加わったようです」
「刺激……?」
「その影響で耳の奥の器官に支障が出ていると考えられます」
激しい眩暈や耳の不調はそのせいだと言うのだ。
「それに少し前に高熱を出されていたとか」
これに答えたのは新堂さんだ。「感染症に罹り四十度以上の発熱が二度ありました」
「あらゆる要素が組み合わさってしまったのでしょう」
「そう思います」
私は深刻な顔で語り合う二人の医者を交互に見た。
「それで、治るの?」
「どうでしょう。傷付いた神経は元には戻りません。ただ、症状を軽減させる事はできるでしょう」
こんなセリフを前にも聞いたような……全く最近、厄介事が増える一方ではないか?
私はあからさまに大きなため息をついた。
それもこれも全部イーグルのせいだ。余計な事をしてくれたものだ!だがそれのお陰で、こんなに早く記憶を取り戻す事ができたのかもしれないのだが。
「まあ、あまり神経質にならずに、気持ちを強く持つ事です。私にできる事でしたら、喜んで協力いたします。遠慮なくご連絡ください」
私にというよりも新堂さんに向かってこう言って、マキは微笑んだ。
そして、朝早くからお邪魔しましたと言い残し、大量の飲み薬を置いて帰って行った。
私の注射嫌いを分かってくれたマキには感謝しかない。
体調もそれほど問題なさそうだ。着替えてリビングに向かうと、マキを見送って戻ってきた新堂さんから予想通りの言葉がかかる。
「ユイ、寝てなくていいのか」
「うん。むしろ起きてた方が楽なの」
そうか、と頷いて彼が背を向けた。
「仕事?」
「ああ、書斎にいる。何かあったら呼べ。朝食は適当に……」
「自分でやるから大丈夫です!」
「ちゃんと食べろよ?それで薬も飲めよ?」
「もちろん。お腹ペコペコだし!」
一人になったリビングで、ぼんやりと窓の向こうの見慣れた景色を眺める。
その静かな空間で、グウと派手に音を鳴らした自分の腹に驚く。
「まさか聞かれてないよね?地獄耳の新堂さんに!」そっと廊下の方を振り返るも、彼の姿はなかった。
口数の少ない彼。元々多い方ではないけれど、言ってくれなければ何を考えているのか分からない。私を不安にさせるのが天才的に上手いのだ。昔も、そして今も。
キッチンで遅めの朝食を用意してダイニングに運ぶ。
「これじゃ、人助けどころじゃないよなぁ……」
こんな皮肉を口にしながら一人寂しく食事を進めていると、新堂さんがこちらを覗いているのに気づいた。
「あら?仕事してたんじゃなかったの」
「やめた。俺も何か食べようかな。早くに朝食を摂りすぎて、腹が減ってしまった」
「何時に食べたのよ?」と問えば、「五時くらいかな」と返ってきたではないか。
目を丸くする私を彼が笑った。
こうして寂しかった食卓が、たちまち楽しい時間に変わった。
ああでもない、こうでもないと言い合いながら食事を終えて、リビングのソファに並んで腰を下ろす。
じっと見つめていた彼が、私の顔に手を触れてくる。今の彼は無表情ではない。ここ最近の私を不安にする顔では。
優しい彼の眼差しに、思わずぼんやりとなってしまう。
「ユイ?また眩暈か……?」
「違う。……あなたが、あんまり素敵だから」見惚れているの。
「冗談が言えるならもう心配ないな」
「あら、冗談なんかじゃないわ」
私も彼の顔にそっと触れる。
「何も心配ないからな。安心していい、ユイ」
「うん。ありがとう、新堂さん」
私はとても幸せだ。体調が悪くても何が起きても。彼の優しさと愛に包まれていられるなら。このままいつまでもこうして……。
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