12 / 131
第一章 幸せのシンボルが呼び寄せたもの
レクイエム(3)
しおりを挟む気づいた頃には夜の帳が下りかけていた。
「ん……」
「目、覚めたか」
ベッドに寝かされた自分に声をかけて来たのが、新堂さんでない事に違和感を覚えて答える。「貴島さん?あれ、私、何で……」
「料理中に倒れたんだ。全く驚いたよ……。もう少し位置がずれてたら流血沙汰だったぞ?刃物を持ってる時は極力倒れるな!」
私の倒れた目と鼻の先に、包丁が突き刺さっていたとの事。
「そう言われても、こっちだって好きで倒れた訳じゃないから?」
そりゃそうだ、と貴島さんが笑う。
「来た時から顔色が冴えなかったから、気にしてたんだ。疲れてたんだな」
「急にぼんやりしてしまって……その後の事は覚えてないの」
「ぐっすり眠ってたようだ。ずっと不眠だったって?」
「ちょっとね。不眠症は昔からよ。だけど久々に良く寝た~!お腹ペコペコよ。お料理途中で投げ出しちゃって、まなみ怒ってるよね……」
申し訳なく思いながら尋ねるも、貴島さんは笑いながら答えた。「怒ってないよ。むしろ喜んでる。新堂と料理ができるってね」
「んなっ!何ですって?そうよ、何でここにあなたがいて、新堂さんがキッチンにいる訳?逆じゃない?普通」
「俺は料理が苦手でなぁ。得意な方がやるべきだって事になったんだよ」
それにしても新堂さんと料理できる事を喜ぶって何?私と作るって喜んでたのは?
「朝霧、それよりどこか痛めてないか?倒れた時に左が下になってたから、主にそっち側だと思うが」
言われてあちこち確認する。肘には湿布が貼ってあった。
「うっ!肩、……痛いかも」動かすと痛みがあった。
「診せてみろ」
貴島さんが診察をしてくれた。「ここも湿布貼っとくか」
「うん、ありがと。ごめん、遊びに来て迷惑かけてるね……」
「全然。それどころか有り難いよ。まなみも大人になったなぁって実感してるんだ」
思わぬ感想に首を傾げる。「え?具体的にどんなとこが?」
「お前の事、かなり心配してたぞ。このベッドもあいつが用意したんだ」
「そっか……」あの子もあれで、ちゃんと成長しているという訳だ。
こんな事を語る貴島さんの目は、どこから見ても父親の目だった。
「私も思うわ。最初はかなりの衝撃だったけど?ちゃんと教育できてるじゃない」
「そりゃどうも!」
顔を見合わせてクスリと笑い合う。
「あいつの事は、俺がこの手で立派に育て上げる。そう、約束したんだ……」
貴島さんは少しだけ過去を話してくれた。
慕っていた先輩医師の娘だったまなみ。彼の奥さんはまなみを生んですぐに亡くなったため、貴島さんも父子家庭となった彼の手助けをしていたそうだ。
だがその先輩医師は、モンスターペイシェントによって命を奪われてしまった。
「俺は救えなかった。目の前で先輩が刺されるのを止められず、さらに命を救う事もできなかった。まなみは、一人取り残された」
「辛いわよね……」私がその場にいたら、何かできただろうか。
貴島さんの頬に残る傷跡はその時のものだった。モンスターに襲われたと、いつか口にしていたのを思い出す。強ち冗談ではなかったようだ。
「この傷を鏡で見る度に再確認してる。まなみは、まなみだけは俺が絶対に守ると」
あの呼び方からも分かるように、幸い貴島さんに懐いていたまなみだったから、共に暮らす事に抵抗はなかった。それどころか、貴島さんに恋していると思われる。
「こうなったら、まなみを一生面倒見てあげるのね」
「もちろんそのつもりだ。俺が生きてる限りな」ここまでは想定内。「じゃ、結婚してあげなきゃね!」
「何だって?何でそうなる!」
目を見開く貴島さんに、「だってまなみ、そのつもりみたいよ?」ニヤリと笑って付け加えた。
二人が抱くお互いへの愛情には決定的な違いがある。相思相愛なのは間違いないが?
たっぷりと睡眠を取ったせいか、体は格段に良くなっていた。
ダイニングに向かうと、カレーの良い香りが充満していた。
「ユイ、起きたか」
真っ先に新堂さんが気づいてくれた。
「新堂さん、ごめんなさい、続きやってもらっちゃって」
「いいさ。食欲は?」
「あるある!もう、さっきからお腹鳴ってて」
「ユイ!良かったぁ、元気になったんだね!」
鍋をかき混ぜていたまなみが、台からピョンと飛び降りて駆け寄って来る。
「まなみもゴメンね。心配かけたね」
「いきなり倒れたからビックリしたよ。まさか眠ってただけとか?大人もそんな事あるんだね~!」
ご指摘通り、これでは遊び疲れてバタンキューの子供。お恥ずかしい限りだ……。
私の足元に抱きつきながらこんなコメントを吐くこの子が、ただ無邪気なだけである事を祈る。
「さあ、皆揃った事だし、食べようじゃないか!」貴島さんがその場を取り仕切る。
「何とか形にはなったが、味はどうか自信がない」皿に料理を取り分けながら新堂さんが言う。
「あなたにしては珍しい感想じゃない?」耳を疑う言葉だ。
何しろこの人はいつだって自信たっぷりだから。仕事の時だけじゃない。今や料理の腕もプロ級だ。真面目な性格の彼は、基本をしっかり把握するから失敗が少ない。
いきなり応用に飛ぶ私と大違い!
「やっぱり大変だった?まなみと」新堂さんの隣りに立ち、こっそり聞いてみる。
「ああ、それはもう!俺も倒れたくなったよ……」
「ヤダぁ!それ嫌味?」
「いいや。本音だ」
こう答えた新堂さんの疲れた表情を見て、本当なのだと実感。私、倒れて正解?
こんな賑やかな食事のひと時はとても楽しかった。
特にまなみは大満足のようで、ほとんど一人でしゃべっていた。そんな愛娘の様子に貴島さんもとても喜んでいた。
食事を終えて、後片付けや諸々を済ませてまなみが寝静まると、雰囲気は一気に様変わりする。
「泊めてもらう事になるとは。悪いな」出された日本酒を手に新堂さんが言う。
ここからは大人の時間だ。
「いやいや!こっちこそ、そうしてくれて嬉しいよ。何しろ、まなみのあんなご機嫌な姿は久しぶりなんだ」同様に日本酒を片手に貴島さんが答える。
「食事はいつも二人?」私は主治医に止められたので麦茶だ。
「ああ。こういう賑やかなのは、恐らく初めてじゃないか?」
まなみが物心ついた時は、すでにここで貴島さんと二人で暮らしている。
「朝霧も、気分転換になったならいいんだが。逆に疲れさせてたら申し訳ない」
直近にあった出来事を彼が話したのだろう。片岡先生の訃報を。こちらこそ気を遣わせたとしたら申し訳ない。
「疲れてないよ、何しろ爆睡しちゃったんだから?何か貴島先生の所って安心できるのよね~」
「そりゃ良かった」
居心地がいいのは確かだ。新堂さんもきっとそう感じているに違いない。チラリと横を覗くと、満更でもない顔でひたすら酒を煽る彼がいた。
夜も更けて解散となる。
あてがわれた部屋に収まり、共にベッドに入る。
「来て良かったな」新堂さんがポツリと言った。
「ええ……そうね」
「どうした?」
歯切れの悪い私の頷き方に不審がっている様子。
ここは本音を伝えるとしよう。「私、なんだか不安になっちゃって……」
「何が?」
「ほら、片岡先生があまりに突然いなくなったじゃない?そんなふうに、大事な人が突然消える可能性は大いにあって。もし新堂さんが……って」
新堂さんはベッドから起き上がって、私の方へ腕を伸ばした。その手を握る。
「……俺も同じ事を思ったよ。確かに、別れはいずれ訪れる。でもあの、ユイが俺と生きる事を選んでくれた時に気づいたんだ。必要とされて生きるのは、ただ生かされているのとは訳が違うと。俺は突然消えたりしない。残念ながら約束はできないが」
確実でない事は口にしないと、かつて言っていた彼。でも今、ちゃんと言ってくれた。その事が嬉しかった。
そして確信した。出会った頃の新堂さんは、生に全く執着がないように見えた。実際彼は、〝ただ生かされていただけ〟だったのだと。
でも彼は変わった。そう思う。そして私も、これからはこの人のために生きて行くと決意したのだ。
「そんな事を考えても無意味だ。今はこの時間を、共に楽しもうじゃないか。な?」
「うん、そうする」
とても、新堂さんらしい答えだと思った。そして私にとっても。
そして翌朝。
「おはよう!朝食できてるわよ」キッチンに顔を出した貴島さんに声をかける。
昨夜迷惑をかけたお詫びに、朝食を用意させてもらった。
「いい匂いだな。ん?……コーヒー、豆から挽いたのか?」
「昨日ついでに買って来た。インスタントとは格段の差だぞ」新堂さんが補足する。
「ウチは、まなみが飲めないんで滅多に淹れないんだ」
そう言いながら、貴島さんは早速淹れ立てのコーヒーを堪能している。
「はい、まなみはこれね!」
ミルクを温めた中に、ほんの少しコーヒーを混ぜたものを差し出す。
「私もいいの?いい香り~!大人の気分だわぁ」
「ふふふ、喜んでもらえて良かった」
「なるほど、そうすればいいのか!いつも俺だけコーヒー飲んでるとケンカになるんだよな」
「自分は子供じゃない!ってでしょ。目に浮かぶわ」
「……大変だな」
新堂さんはあまり関心がなさそうに、新聞に視線を落としたまま相槌を打つ。
そんな彼が声を上げた。「お、アウディが新車を発売したみたいぞ」
「何なに、それってスポーツタイプ?」横から新聞を覗き込んで聞く。
「世界販売三百三十三台限定ハンドメイドモデルだそうだ」
「限定かぁ。何にこだわってるの?」
「標準モデルよりも軽量化したらしい」
「車好きだなぁ、お前ら」それも高級車!と、興味なさげに貴島さんが口を挟む。
「お前もそろそろ買い換えたらどうだ?あれ、相当年季が入ってるみたいだが」庭のセドリックを横目に新堂さんが言う。
「なぁに、まだまだ動く。国産車は優秀だよ!」
「不可抗力で壊される時だってある。俺の愛車が何度そんな目に遭った事か!」不意に新堂さんが言った。
「あら、そんなにだっけ?」
私よりはマシだろうと尋ねるも、返ってきたのは皮肉めいた言葉。
「おまえと違って、撒くの下手だからな!」
「あ~っ!その言い方って、私が言ったこと根に持ってるでしょ」
「何のことだ?」
「何のこと?」
貴島さんとまなみが同時に言った。
「何だ何だ?お前らといると本っ当、話題に事欠かないな!面白い話いっぱい持ってるだろ。聞かせろよ!」
「別に面白くもないさ」新堂さんの言葉に透かさず頷く。「ね~」
新聞を畳んだ新堂さんが、コーヒーを飲み干した。
「コーヒーのお代わり、あるわよ」
「ありがとう。頼む」
「貴島さんもいかが?」
「いただくよ、サンキュー」
食卓を仕切りながら密かに家族ごっこを楽しんでいる私。
本音を言えば、私だってこういう素敵な家庭を作りたい。でも新堂さんは子供が作れない。私達にこういう家族ができる事はない。とても気にしている彼には死んでも言えないけれど。
でも、こういうふうに楽しむ事ならできるのだと気づいた。
まなみはもちろん私達の娘役。とすると貴島さんは……「うふふっ!」思わず笑いが零れてしまった。
「楽しそうだな、朝霧」と貴島さんに突っ込まれ、頭の中の妄想を口にする。「何だか、私達家族みたいだな~って思って」
「お?俺はどういう役回りだ?」
「それをまさに考えてたの!」
「そういう事ならば、当然俺とユイは夫婦だ。そこは譲れない」
「新堂さんったら!私だってそう思ってるわよ?」
「そうだな、貴島は……俺の兄貴でどうだ?」むしろそれしかないと言い切る。
その直後、対抗してまなみが叫んだ。「ちょっと待って?私がソウ先生の奥さんに決まってるでしょっ!」
私達は顔を見合わせて吹き出した。
「だとさ!」新堂さんが言う。
「なら、夫婦が二組って事ね。お友達夫婦でいいじゃない?」と私も収める。
「お~い、それはどうかと思うぞ!」
「あらぁ総センセイ?まなみとじゃご不満?!」まなみが頬を膨らませながら訴えた。
「滅相もない、仰せの通りに!」
すでにまなみの尻に敷かれている貴島さんなのだった。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
イケメン御曹司、地味子へのストーカー始めました 〜マイナス余命1日〜
和泉杏咲
恋愛
表紙イラストは「帳カオル」様に描いていただきました……!眼福です(´ω`)
https://twitter.com/tobari_kaoru
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は間も無く死ぬ。だから、彼に別れを告げたいのだ。それなのに……
なぜ、私だけがこんな目に遭うのか。
なぜ、私だけにこんなに執着するのか。
私は間も無く死んでしまう。
どうか、私のことは忘れて……。
だから私は、あえて言うの。
バイバイって。
死を覚悟した少女と、彼女を一途(?)に追いかけた少年の追いかけっこの終わりの始まりのお話。
<登場人物>
矢部雪穂:ガリ勉してエリート中学校に入学した努力少女。小説家志望
悠木 清:雪穂のクラスメイト。金持ち&ギフテッドと呼ばれるほどの天才奇人イケメン御曹司
山田:清に仕えるスーパー執事
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
恋とキスは背伸びして
葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員
成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長
年齢差 9歳
身長差 22㎝
役職 雲泥の差
この違い、恋愛には大きな壁?
そして同期の卓の存在
異性の親友は成立する?
数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの
二人の恋の物語
Sランクの年下旦那様は如何でしょうか?
キミノ
恋愛
職場と自宅を往復するだけの枯れた生活を送っていた白石亜子(27)は、
帰宅途中に見知らぬイケメンの大谷匠に求婚される。
二日酔いで目覚めた亜子は、記憶の無いまま彼の妻になっていた。
彼は日本でもトップの大企業の御曹司で・・・。
無邪気に笑ったと思えば、大人の色気で翻弄してくる匠。戸惑いながらもお互いを知り、仲を深める日々を過ごしていた。
このまま、私は彼と生きていくんだ。
そう思っていた。
彼の心に住み付いて離れない存在を知るまでは。
「どうしようもなく好きだった人がいたんだ」
報われない想いを隠し切れない背中を見て、私はどうしたらいいの?
代わりでもいい。
それでも一緒にいられるなら。
そう思っていたけれど、そう思っていたかったけれど。
Sランクの年下旦那様に本気で愛されたいの。
―――――――――――――――
ページを捲ってみてください。
貴女の心にズンとくる重い愛を届けます。
【Sランクの男は如何でしょうか?】シリーズの匠編です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる