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第一章 幸せのシンボルが呼び寄せたもの
4.ナイミツ事項(1)
しおりを挟む被災地の訪問から数日が経った。
「ねえ、私今日、外出してもいい?」
「買い物か?一緒に行くよ」
「そうじゃないの。気分転換に、ここの街の景色でも見たいなと思って」
「気分転換って?この間二人で出かけたばかりだろ」
「それはそれ!一人で行きたいの。平気よ、体調問題ないし。ねえ、いいでしょ?」
震災の影響はこの街もゼロではない。ブロック塀や屋根や看板がそこかしこで破損している。
私達の損害といえば室内の食器や花瓶が割れたくらいで、家は古い作りのため土台がしっかりしているお陰か、幸い無傷。ならばこの空いた手を何かに役立てたい。長年人助けを生業としてきた身としては、じっとしていられない。
「一応、おまえは病人なんだぞ?」
「甲状腺疾患の事?さすがにもう治ったでしょ!」
「甘く見てるようだが、本当は危険な病なんだ」
「薬を飲んでいれば大丈夫って言ったじゃない。治ってるけど!」しつこく言ってやる。
「おまえの場合、興奮すると急激にホルモン値が上昇する。こういう患者に現われる厄介なだな……」
面倒な話になりそうなので、慌てて口を挟む。「大人しく散歩しますから!」
中断された彼は、口を開いたまま私を見つめる。
「ただ散歩するだけ、走らない、歩行!……ダメ?」
必死の懇願に押し負けたのか、彼がため息をついた。どうやら説明しても意味なしと判断した模様。「仕方ないな……。夕方までには必ず帰れよ?」
「了解です!」
こうして外出許可を取り付け、晴れて自由行動となった。
ゆっくりと丘を下り、大通りに出る。車通りはこれまでの三分の一ほどか。そのまま周囲を眺めながら歩いて回る。
人の疎らな駅を抜けて、シャッターの閉じた店が連なる商店街の終わりに差し掛かった時、背後にただならぬ気配を感じた。
「殺気……?どこ!」世の中が混乱を極めているこの時に、こんな所で?
神経を研ぎ澄まして辺りを窺うと、狭い路地に潜んでいた人影がいきなり目の前に現れた。
その男は中南米を思わせる顔立ちの外国人だが、ただの観光客には見えない。小柄ながらガタイが良く、腰にはナイフを携えている。
【以下カッコ内英語】
「私に何か用?」お構いなしに日本語で問いかける。
下品な笑いを交え、男はスペイン語訛りの英語で言った。「(アンタにゃ用はねえ。その指に嵌まってるリングを渡せ!女が持ってて好都合だった)」
「(女が何ですって?なぜあなたに渡さなきゃならないのよ)」左手を引き寄せて英語で言い返し、相手の出方を探る。
早速お出ましか。これの価値はゼロではなかったという事だ。だがなぜこのタイミングなのだろう?彼が報酬として受け取ったのはかなり昔のはずだ。
「(こっちも仕事なんでね!持っていたのがお前みたいな女で良かったって言ったんだ。さあ、さっさと渡せ。そうすりゃ何もしねぇ)」
ムッとして言い返す。「(私みたいな女ってどういう意味よ)」
「(どうって見たまんまだろ?ムダ口叩いてないで早く渡せ!)」
男は私の左手を掴もうと手を伸ばした。
逆にその手を取って引っ張り、捻り上げる。男はたちまちバランスを崩して前のめりになり、地面に膝を付いた。
「(なっ!何だ、てめえ!痛えじゃねえか、離しやがれ……このっ)」
「(口の利き方がなってないわね。それにあなたの英語聞きずらい!)」
さらに腕を捻り、男をうつ伏せに倒した。捻り上げた腕を背に回し体重を乗せると、男が呻いた。
「(やめろ!やめてくれぇ~っ)」
「(うるさい!静かにして?誰かに見られたらどうするのよ。で、私みたいなのがどうだって?)」
「(なっ、何モンだ、アンタ!日本人て誰でも強いのかっ?)」
「(んな訳ないでしょ!ああ、もしかして、まだこの国にサムライとか忍者がいると思ってる?)」
良くある話だ。遠く離れた異国の現状など、把握していなくても不思議はない。
黙り込む男にイラ立ち、再び関節技を強めた。
「(これからは、そうやって見た目で判断しない方がいいわよ?)」
「(ぎゃああっ!オレを倒しても、またすぐに次が来るぞ!)」
「(今度はもっと骨のある奴を寄こすのね。とにかく、そんな強盗紛いの行為は命取りよ!遥々日本にお越しいただいたのに、こんなおもてなししかできず残念だわ)」
「(クソっ、何でこんな目に遭わなきゃならねえんだ、ツイてねぇや!)」
「(アンラッキーなあなたに、一つだけ教えてあげる。私は朝霧ユイよ)」
これでもその昔は、世界中に(裏の世界限定で!)多少は知れ渡っていた名。まだそれが健在かは不明だが。
「(Y、アサギリだと……?バカ言っちゃいけねえ。あの女はイラクの爆弾テロで死んだはずだ!)」
「(どうやらご存じだったようね。ご丁寧にテロの事まで!残念だけど生きてるのよ)」
「(ウソだ。Y・アサギリは浅黒くて、もっと厳つい女だと聞いた)」
世の中が知っている私とは、一体どんな風貌をしているのか不安になる……。
私の名が広まった理由は、亡き父朝霧義男の残した功績と言えなくもない。私が同等の射撃の腕を持っていた事や、あくどい交渉(!)のセンス、イニシャルが同様にYだった事などが要因と思われる。
別に願った訳でもない。そんな黒い名声など欲しくはなかった。義男は、死してなお私がこの世で最も忌み嫌う相手なのだ。私がこんな悪の道に進んだのだって、こいつのせい。親は選べないのだから仕方がないが。
「(……まあ、信じなくてもいいや。ご心配なく!誰が来ようと私の敵じゃないから。分かった?あんたみたいなのの出る幕じゃないの、消えて!)」
路地裏で最後にこう脅し付けてから解放した。
男はまるで幽霊でも見るように私を見つめると、捻られた腕を庇いながら走り去った。
「あの程度でユイさんに挑んで来るなんて!バカじゃない?」
それにしても。またこのリングが狙われるのは確実という事か。
「とにかく今の私は丸腰。神崎さんにでも相談しよっと」
大手神崎グループの神崎コーポレーション取締役社長神崎龍司は、私の腹違いの兄だ。
私達の父はかつて二重戸籍で二役を演じていた。その表向きの顔が神崎龍造、そしてウラの顔が朝霧義男という訳だ。朝霧の方がが正規のものだから、神崎の戸籍は何がしかの方法で入手たものと思われる。
父の亡き後、神崎龍司は朝霧家をも相続し、表裏共に父の築いた莫大な資産と権力を手中に収めている。
すぐに兄の携帯に連絡を入れる。その昔はよく会社に電話して不審に思われたものだ。
「あ、もしもし?ユイだけど」
『おおユイ!随分久しぶりだな。新堂先生と元気でやってるのか?』
「本当に久しぶり。ずっと連絡できなくてごめんなさい。海外に長く行ってたりして忙しくて……。元気でやってるよ、今平気?」
最後に会ったのは驚くほど昔のように思う。これまでの私の諸々を知ったら、この人は卒倒してしまうだろう。
神崎さんは父のウラの顔を知らずに表の世界で育った。だから、妹の私が悪の道に足を踏み入れる事を、出会った当初から酷く気にかけていた。
今やその自分も立派に悪の道に入ってしまっている訳だが。
『ああ。ちょうど会議が終わったところだ。今日はもう何も入ってない』
「良かった!今から行ってもいい?ちょっとお願いがあって」電話では頼めない。
『何だ、金か?必要な額を教えてくれれば用意しておくぞ』
「違う違う!今はお金には困ってないから」
神崎さんは闇医者新堂の仕事ぶりを知っているため、すぐに納得した。
「神崎さんの情報網を拝借したくて。それと、貸してほしい物については、行ってから話すね」
誰が聞き耳を立てているか分からない街中で、拳銃の話を持ち出す訳には行かない。
それに新堂さんが盗聴しているかもしれないし?というのは冗談だが。
新堂さんは拳銃を大の付くほどに嫌っている。医者なのだから当然ではある。しかし彼だって裏社会の人間。そんな常識は覆してほしいところだ。
早速向かった神崎コーポレーション。到着した私を秘書の大垣が案内してくれた。その逞しい巨体とスキンヘッドは、あの頃と何も変わっていないように見える。
社長室に通されて足を踏み入れると、目の前には懐かしい絶景が広がっていた。
「ユイ!待ってたよ」
温かい抱擁で迎えられた。その様子を見守る大垣だが、神崎さんが目で促すと一礼して速やかに退室した。
「別にあの人も同席して良かったのに」あの人は、神崎さんの表の顔もウラの顔も知る唯一の人物で、私も信頼している。
「俺が嫌なんだよ。せっかくの兄妹水入らずだろ」どこか拗ねた子供のような言いっぷりだ。
「ふふっ、それもそうだね」
再会をこんなに喜んでくれて、とても嬉しく思う。
「ユイ、何だか痩せたか」私を見下ろして言う。
「そう?神崎さんは渋さが増して、前よりイイ男になったね」
「だろ?」ポーズを決めて神崎さんが答えた。
その視線が不意に下に向く。「お、珍しいな、お前がリングなんて!さては先生からの贈り物か?」
「目敏い……。そうはそうだけど、彼も貰い物みたい。似合わないでしょ」言われる前に言っておく。
「良かった。先生にセンスがないのかと心配したよ」
これにはかなりウケた!「あはは!」実際のところ、あの人のセンスは不明だ。
「それで?結婚したのか、お前達」
これは昔から私達を見て来たからこその意見だろう。以前も会う度になぜか、先生とはどうなっているんだと探りを入れられたものだ。
「今ね、一緒に住んでる。もう結婚したみたいなものだって、私は思ってるけど……」
少し前の会話からして新堂さんは違うようだった。
言葉が続かない。
「リングが登場したから、思わず聞いたが……違うみたいだな」
申し訳なさそうに言われ、私はすぐにこう言い切った。「でも、私は今とっても幸せ。だからいいの!」
「きっと上手く行くよ」
深くは追及してこない神崎さんは、今も変わらずやっぱりイイ男だ。
「それで、貸してほしい物って何だ」
「ここ、盗聴器とか付いてないでしょうね?」室内を見回して聞く。
「当たり前だ。俺の会社の俺の部屋だぞ?」
笑って頷き本題に入った。「あのね、拳銃、貸してほしいの」
神崎さんが不思議そうに首を傾げる。「ユイ、立派なヤツ持ってたじゃないか。あれはどうしたんだ?」
「あれは、失くした。っていうか……奪われたの方が正しいかな」
「誰に?まさか先生にか!」
「違~う!」でも今ならばやり兼ねなかったか。
仲が深まった見返りとでも言おうか、彼からの制約は格段に増えたのだから!
コルトの件には触れずに、リングを貰った時からの事をざっと説明した。この謎解きに協力してほしいと。
問題のブツを指から抜き取り、神崎さんに見せる。
「狙ってきた奴は、恐らく頼まれただけだと思う。かなり雑魚だったし!」
「お前がこれを身に着けて外に出た途端に、事が起きたと?」
私は頷いてから自分の考えを述べた。「これが新堂さんの手に渡ってた事は知ってたと思う。女が持ってて好都合とか言ってたし。彼が持ってると思ってたのかも」
「だがこのタイミングで奪い返しに来るのは変だろ。もっと前に新堂先生が襲われていてもおかしくなかった。先生はこれを譲り受けた時、何も聞いてないのか」
再び頷いて、遠慮なく本音を口にする。「価値は不明だって。よくそんな物、報酬の代わりに貰ってくるよね~あの人が?相当具合でも悪かったのよ、その時!」
「そんな危険な代物ならば、お前に渡す訳がないからな」
「ま、武器なんて必要ないと思うけど念のためね。こんなお願いできるの、神崎さんだけだからさ」
「念のためなんて言わず、必要な時はちゃんと使えよ?」
神崎さんがデスクの引き出しから、一丁の自動式拳銃を取り出した。
「また~!そんなとこに仕舞ってる!」
前回来た時もこんなやり取りをした事を思い出す。
「護身用は身近に置かないと意味ないだろ?」
「まあ、そうだけどね」それを受け取り動作の確認をしながら答える。
「弾は込めてある。もっと必要なら後で届けさせるよ」
「ありがとう。足りなくなったらお願いするね」
そんなにドンパチやるつもりはない。内心は大いにやりたいけれど!
「こっちでも調べてみる。何か分かったら連絡する。ユイ、一人であまり無茶な事はするなよ?」
「分かってるって。先生には内緒にしてね」拳銃を掲げて告げる。
「……ああ。なあ、そのリング、俺が預かろうか?」
「ダメ!似合ってないからって、取り上げないでよ?」ここはおどけておこう。
本当は、そんな事をしたらあなたが狙われるからと言いたかった。例え敵がどんな雑魚であれ、神崎さんを危険な目に遭わせる訳には行かない。
そもそも、巻き込んではいけなかったかもしれない。
兄と別れ、重さの増したバッグを抱えながら後悔するのだった。
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