この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第一章 幸せのシンボルが呼び寄せたもの

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 愛する人のために作る料理はとても楽しい。今まで料理になんて全く興味がなかった私が、こんなセリフを口にする日が訪れようとは!
 朝霧ユイ、三十二歳。今私は、身も心もまるで新妻のような生活を送っている。
 重ねて言うが新妻ではない。同棲中の彼とはまだ結婚はしていないから。

 かつてイラクでの社会奉仕活動中、爆弾テロに遭遇した。腰髄に壊滅的な損傷を負い死の淵にあった私を救ったのは、その現在同棲中のスーパードクター新堂和矢。
 十歳年上で高校時代からの主治医である彼は、訳あって無免許だ。だがその腕を求めて世界中から入る依頼は後を絶たない。

 どんなに腕が良くてもこれは犯罪行為。でもそんな事は全く気にしていない。
 なぜなら、自分も負けず劣らずダークな仕事(!)をする事もあり、私達は持ちつ持たれつの関係だから。

 あのテロによって一時は下半身不随という絶望的状況に陥った私だが、このゴッドハンドにかかれば不可能という文字はない!
 全てに背を向けて、屍のような日々を送っていたのが遠い昔のようだ。体が全快してまだ一年しか経っていないのに?
 完治した訳ではないという珍しく謙虚な(!)発言をした我が主治医だが、幸いにも今のところ日常生活への支障は感じない。
 
 愛する人のために一切の家事をこなす傍ら、私の一番の特技である射撃の訓練も怠らない。相棒コルトがまだ見つかっていないため、使うのはモデルガンだ。

 コルトとは、誰よりも敬愛する我が師匠、キハラ・アツシから譲り受けた回転式拳銃コルト・コンバットパイソン。師匠亡き今、形見としてとても大事にしていたのだが、宿敵ミスター・イーグルとの接触以来、忽然と消えたままだ。

 とまあ色々あったが、愛する人のお陰で、私はこうして第二の人生を歩み始めた。

 こんなに穏やかな日々はいつ以来だろう。いつでも忙しなかったこれまでを振り返る。
 このままずっと、新堂さんと楽しく過ごして行けますように……。


「ただいま」
「お帰りなさい!今日のお仕事はどうだった?」
「当然完璧だ。今夜は特に冷える。お、今晩はビーフシチューか?旨そうな香りだな」
「すぐ用意するわね。今回は自信あるんだから!」

 今回はと言ったのは、前回がイマイチだったからに他ならない。こんな事なら料理上手の母に色々と教えてもらうんだったと後悔の毎日が続く。
 私の母ミサコは、再婚してイタリアのシチリア島に住んでいる。料理好きだった母は若い頃、本格的イタリアンを学ぶべく留学。今のお相手はその時に知り合った人だそう。私はまだ会った事がないが、面食いの母の事だからきっとイイ男に違いない。

 新堂さんが意味深な笑みを投げかけている。私の自信を疑っているのか?

 私達は高校時代に知り合ったが、昔から付き合っていた訳ではない。むしろ逆で相性は最悪だったと胸を張って言える!
 思えば長い付き合いだが、こんなふうに普通の生活を送った事はない。交際が始まってさえも半年間音信不通(!)だった事もあったくらいだ。

 ダイニングに並んだ料理を前に、無意識に顔がほころぶ。
「こうしていると、私達、夫婦みたいよね」
 彼と向かい合って食事を進めている。
「……ああ。詮索好きの隣人がいなくて救いだよ」

 この家は小高い丘の中腹に建っており、裏は鬱蒼とした山。ここ一帯が私有地のため、丘を下りないとご近所はいない。
 ここで暮らし始めてまだそんなに長くない。同棲を始めたのは私がテロで不自由な体になったから。全て新堂さんが一人で手配してくれたのだ。

「私は別に、あなたと夫婦に見られてもいいけど?新堂さんは……イヤなの?」
 何気ないコメントに不安が募る。
「そうじゃないよ。ユイが困るんじゃないかと思っただけだ」
「どうして私が困るの?私今、とても幸せよ?」
「そうか。それなら良かった」

 新堂さんが何を言いたいのか分からなくても、私は一人盛り上がる。
「ねえ、本当に結婚しちゃう?」
 けれど彼の答えは冷めたもの。「やめた方がいい、俺とは」
「え?どうして?」こう問いかけるも「……いや、何でもないよ」と口をつぐむ。
「何よぉ、言いかけてやめないでくれる?」

 どうにも温度差を感じる。こんな生活をしておいて今さら拒絶する事もないだろうに?心臓が勝手にドキドキと高鳴っている。

「そういう形式に縛られたくないだけだよ」
「ふう~ん……」
 その答えはまさにこの人らしいものだったので、これ以上の訴えを取り下げた。
 彼は両親を知らない。育ったのは児童福祉施設だそうだ。だから家族というものに多少なりとも憧れを抱いているのではと思ったのだが、そういう思い込みはよくないか。

 先ほどまでの気持ちの高まりは急降下し、黙ってシチューを啜る。

 妙に視線を感じて顔を上げると、新堂さんが私を凝視していた。
「どうかした?」
「おまえの顔色がな、少し気になった」
 相変わらず我が主治医は目聡い。だったら私を不安にさせるような事を言わないで!
 またも心臓がドクドク高鳴って、思わず皿から手を離し左胸に触れる。

「苦しいのか?」
「ううん。さっきからやけにドキドキしてて」
「そんなに興奮したのか、結婚話に!」
「違うってば!あなたが拒絶ばっかりするからでしょ。ユイさんは繊細なの!」
「ああ、ああ、それは悪かったな」

 軽く流されてまたもイラ立つ。
 でも、この素っ気なさこそが新堂和矢ではないか。大いに満喫させてもらおう。



 翌朝は激しい動悸で目が覚めた。こんな事は前にもあったので、この時はそれほど気には留めなかった。

 自室から出てリビングに向かって廊下を進んでいると、後ろから声がした。
「おはようユイ」

 この家には寝室があるが、私はまだそこに寝た事がない。
 寝室は手狭で医療機器を入れると窮屈なため、私の体調に不安がある間は個室のリクライニングベッドを使っているのだ。
 実質ここが私の部屋になっている。南向きで明るく、案外気に入っている。

「新堂さん。おはよう、朝から書斎でお仕事?」
「ちょっと書類の整理をね。何だか眠そうだな。夜中見に行った時はちゃんと寝てたと思うが……」
「悪い夢見てたみたいで、起きてぐったりよ。まあ、今始まった事じゃないから気にしないで!」
 悪夢はしょっちゅう見る。ヘリが墜落してプロペラに追い回されたり、爆発でビルがぽっきり折れたり!どれもこれも、過去の出来事が原因のような気もする。

「体調が悪くないなら、食事を終えたらどこか行かないか?」
「あら、デートのお誘い?喜んで!」


 こうして私達は朝食後にドライブに出かけた。
 彼は昔からメルセデス・ベンツ一筋なのだが、ベンツ嫌いの私に気を遣って現在愛車はアウディ・クワトロだ。何にせよこの人は黒の大型セダンしか乗らない。

「なあ。左胸、気にしてるみたいだが」
「うん。何だか、ドキドキが止まらなくて。久々の新堂さんとのデートだから、興奮してるのかな」

 この後彼は何も言わなかった。
 海岸沿いをしばらく走って、すぐに帰宅する事になる。まだ昼前なのに!

「もう帰るの?!早くない?つまんな~い!」
「やっぱり気になるから、帰って診察する。文句言うな」
「診察?まさかこのドキドキ?何でもないってば。気にし過ぎじゃない?」

 もちろん何を言ってもムダだ。ため息をついてシートに勢い良く身を沈めた。


 帰宅するや早々に診察が始まる。

 新堂さんが私の心臓に聴診器を当てて聞いてくる。「その症状はいつから?」
「さあ……。でもさ、興奮したら誰だってドキドキするでしょ?それじゃない?」
「そうすると、さっきも今も興奮してる事になるが」
「っ!大抵いつも興奮してるんじゃない?」面倒になってこう言い放つ。

 そっぽを向いた私の手首を掴むと、今度は脈を取り始める。
「……少し早いな。他に症状は?」
「ないです!食欲もあるし、元気いっぱいよ。そう見えない?」
「そういえばおまえ、少し痩せたか。いつもちゃんと食べてるよな」
「ええ!この間だって、新堂さんの唐揚げ一個奪ったじゃない。最近お腹が妙に空くのよね。現に今だって、すでにお腹減ってるし~?」

 彼の発言には驚いた。痩せるどころか、食べるだけ食べて運動量が足りていないせいで、むしろ前より太ったのだ。
 昔のようなトレーニングができなくなったので?私、朝霧ユイは小柄で色白で見た目虚弱体質っぽいけれど、強靭な肉体が売りなのです!

「大した事はないと思うが、念のため採血する」
「え~?もう……心配性なんだから」
「わめいてないで。さあ、腕を出せ」

 大の注射嫌いの私は突然の展開にあたふたする。そんな逃げ腰の私とは裏腹に、いつから準備してあったのか、手際良く血液を採取し終えて立ち上がる主治医新堂。

「しばらく部屋に籠る。結果が分かるまで、取りあえず安静にしていろ」
「でも!私は元気な……」最後まで言い終える前に畳みかけられる。「元気でも何でもだ!」
「……はぁ~い」

 部屋を出て行った彼の後ろ姿を目で追う。
 そのままドサリとリクライニングベッドに横になった。
「やっと元気になったっていうのに!何よ、そんなに私を病気にしたいの?」
 こんな事を言いつつも、自分が大切にされている実感がひしひしと伝わってくる。
 大嫌いな病院に行かずして検査ができるなんて、何よりではないか?

 そして結局、この時の検査では何の異常も見られなかった。


 けれど日が経つにつれ、じっとしている時も心臓の音が気になり出した。

「思った通りだ。ようやく数値に表れたな」
 何度目かの採血を経て、それは明らかとなった。
「何?何なの」やっぱり私も母と同じ心臓病なのか……。
 母ミサコは先天性の心臓病を患っていた。それがきっかけで新堂さんと知り合えたようなもので、不謹慎だが母には感謝だ。もちろん彼のお陰で病は完治している。

「予想できた時点で治療を始めておくべきだった」
「ねえったら!何なのか教えてよ!」一人語りを続ける彼に訴える。
「そうやって最近、やけに怒りっぽい。それも症状のうちだ」
「は?それ嫌味?」ムッとして言い返す。
「違う。症状のうちだと言ってるだろ」

 その後の説明によると、私の動悸の原因は甲状腺機能が活発化し過ぎて起こったものとの事。免疫疾患の一つで原因は不明だそうだ。心臓病ではなかったらしい。
 現在は有効な薬が複数あるけれど、その昔は致死率五十パーセントだったのだとか。思ったよりも怖い病気のようだ。

「点滴の方が確実なんだが……」
 そう言って私を見つめる主治医新堂に、私はある事を目だけで強く訴える。
「……致し方ない。内服で手を打とう」
「やった!それでこそ私の主治医!」
「こういう時ばっかり、良く言うよ!」

 彼のこんな言い草にさえも大いに愛を感じる。だってそれは、私を良く知っているという事だから。


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