大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第六章 まだ見ぬ世界を求めて

48.ゆがんだ愛の行方(1)

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 今日は気晴らしに、ちょっと遠出をする事になった。最近イラ立ち気味の私を見て、気分転換できればと考えてくれたのだろう。

「窓、閉めた方がいいんじゃないか?風がもう冷たい」
「あっという間に、秋が終わるね」

 新堂さんが運転席側でパワーウィンドウを操作する。
 窓が自動的に閉まって行く様子をぼんやりと見つめていると、彼が唐突に切り出した。
「今度は右ハンドル車に換えるか」
 意図が分からず彼の方を見て尋ねる。「どうしたの、突然」

「そうすれば助手席側から景色が楽しめるだろ」
 確かに左側通行のこの国では、左ハンドル車の助手席側から見える風景といえば、対向車線だ。
「そこまでお気遣いいただかなくても結構よ」
「それだけじゃないさ。日本で左ハンドルは不便だしな」
「今さら?散々乗って来たじゃない!それに、私には好都合だった……」言いかけて、途中で言葉を切る。

 新堂さんが前方から目を離してこちらを見た。
「何が好都合だって?」
「いいえ。何でもない」
 左利きの自分には、運転しながら狙撃する際に便利なのだ、などと言えるものか!

「慣れてるこっちの方が、運転しやすいって事。でしょ?」
「まあね」
「それに私は……もう運転できないし」動かない下半身を見下ろして呟く。
「できるさ。きっとまた、できるようになる」

 そんな慰めの言葉はいらない!またケンカになりそうになり、出かかった言葉を何とか押し留めた。


 やがて車は目的地の公園に到着し、新堂さんが先に降り立つ。
 後部座席から車椅子を外へ運び出した後、助手席のドアが開けられた。

「さあ、おいで」
 彼に向けて両手を伸ばすと、軽々と抱き上げられた。
 周囲からの視線を感じつつ車椅子に乗る。未だにどうしても慣れる事ができない。

「ユイ、コート持って行くか?」
「大丈夫」
 後部席に膝をついて乗り込んだ彼が、窓ガラス越しに頷くのが見えた。

「じゃ、行こうか」
「ねえ……新堂さん」
「何だ?」車椅子を押しながら私の顔を覗き込む。「……私、目立ってるね」
 こちらを見ては、ひそひそ話す周りの人達が気になって仕方がない。
「そんなの気にする事はない」

 車の後方に貼られた正方型のステッカーにも目が行く。車椅子のイラスト入りのマークだ。
 それに気づいて彼がコメントする。
「別に付ける気はなかったんだが。ディーラーマンが貼れとうるさくてな」
「うん……」そこまでしてアピールする必要があるのか?
 こんな事さえ嫌味に思えてしまう、性格の歪んでしまった私。

「気になるなら外そう」
「いいの!ごめんなさい、また困らせるような事言って」

 ゆっくりと場所を移動して行く。
 少しして、新堂さんがぽつりと呟いた。「ユイ、済まない……」
「どうしてあなたが謝るの?今、我がままを言って迷惑をかけたのは私よ?」
「違う、違うんだ!いや……何でもない」彼は何か言いかけて口籠もった。

 しばし何とも言えない沈黙が続いて、私は口を開いた。
「せっかく気晴らしに来たんだもの、楽しみましょうよ!」
「そうだな、そうしよう。奥に噴水があるようだから、行ってみよう」

 私達はお互いのモヤモヤを追いやり、晩秋の午後を楽しむ事にした。

「ユイ、ちょっと、ここで待っててくれるか?」
「うん。ごゆっくり」

 彼が手洗所へと向かう姿を見送った後、噴水のベンチの横で車椅子で一人佇んでいた。
 すると、入り口の方から二匹のゴールデンレトリーバーが勢い良く走って来た。真っ直ぐに私目がけて走り寄って来る。
 その姿は、シーザーとブルータスを思い出させた。

「きゃ~、可愛い~!うふふ……っ!君達も、遊びに来たのね」
 久しぶりの心地良い温もりを味わいつつ、二匹の犬達を撫でる。

「こら!リク、カイ!ダメじゃないか……。ごめんなさい、大丈夫ですか?」
 飼い主と思しき体格の良い年配男性が、慌てた様子で謝罪してくる。
「ええ、全然。犬、大好きですから」
 満面の笑みの私に、「それは良かった」と、男性も安堵の表情を浮かべた。

 そして男性もご多分に漏れず、私の車椅子に関心が行った模様。
 足元をチラリと見られてからこう聞かれる。「失礼ですが、お嬢さん、足……お悪いんですか?」
「ええ……まあ」またか、と思いつつ曖昧に答えた。
 車椅子の人間に与えられる言葉は、決まって慰めの言葉だ。
「お一人で来られた訳じゃ……」と周囲を見回す。連れを探しているのか。

「彼が。席を外しているだけです」何よ、一人だったらいけないの?心の中で抵抗する。
 私の答えに、男性は安心した様子で頷いた。

 損ねた機嫌を戻すべく、まだ私にじゃれついている犬達に意識を向けた。
「可愛いなぁ。私も以前飼ってたんです。ちょうどこの子達と同じくらいのゴールデンを二匹」
「そうですか!奇遇ですね~」
「もう、いないんですけどね」あの子達、今頃どうしているだろう……。

 そんな事を思いながら犬達から目を離して後ろを振り向くと、ちょうど新堂さんが戻って来るところだった。
 私は彼に、左腕を目いっぱい伸ばして大きく手を振った。
「お連れの方、来られたみたいですね」
 そう言うと、男性は向かって来る彼に軽く頭を下げる。

「見て、新堂さん!この子達、シーザーとブルータスにそっくりじゃない?」
「おお、本当だな。散歩ですか?」新堂さんが男性に声をかける。
「ええ。もう、やんちゃで手に負えませんよ……」

 今度は新堂さんにじゃれつく二匹。彼も犬には好かれるタイプなのだ。
「ははは!本当に元気だ……」
「やっぱりあなたは、犬達に大人気ねぇ」
 ブルータスに飛びつかれて、スーツが毛だらけになった彼を思い出して笑う。

「こら!いい加減にしないか!リク、カイ!」男性が堪らずに犬達をたしなめる。
「リク君にカイ君か。自衛隊みたいね!」
 こんな私のセリフに、男性の表情がパッと明るくなった。「お嬢さん、鋭い!実は私、元自衛官なんですよ」
「どうりで!」私は笑顔で指を鳴らした。

 私は今、犬と戯れながら笑っている。またこういう日が訪れるとは思わなかった。
 新堂さんも優しく私を見守ってくれているのが分かる。気は持ちようなのだと、改めて実感する。
 私はもうしばらく犬達と遊ばせてもらう事にした。

 新堂さん達はベンチに腰掛けた。それを確認してから、噴水に近づき手を伸ばす。
「リク、カイ!噴水よ。水遊びはお好き?」
 ところが、身を乗り出しすぎて椅子から落ちそうになる。
「きゃあっ!」

「あ!ユイ……!」遠くから新堂さんの叫び声が聞こえた。
「いけない!」男性も声を上げる。
 落ちかけた私を助けてくれたのは、そのどちらでもなく犬達だった。その大きな体で、私を押さえてくれたのだ。

「大丈夫か?」
 駆け寄った新堂さんが、私の体を元の位置に戻してくれる。
「ねえねえっ!今の見てた?この子達が助けてくれたの!」
「お前達、良くやった!危ないところでしたね」
 飼い主の男性がしゃがみ込み、二匹の功績を称えるように頭を撫でる。

「ありがとう、リク、カイ!どうして落ちそうになってる事が分かったのかしら……」
「飼い主に似て、危険察知能力があるのでしょう」新堂さんが続ける。
「素敵!ますます好きになっちゃう!」
 私は、改めて二匹を抱きしめた。

「おいユイ、おまえ毛だらけじゃないか……」彼が私を眺め回して指摘する。
「冬毛に生え変わる時期なので、良く抜けるんです。済みません……」
「いいのよ、こちらこそ、とても楽しかったです。ありがとうございました」
 私達は同時に頭を下げていた。
 そんな私達を眺めて、男性はニヤリと笑みを浮かべた。「全くもって微笑ましい限りですな!ではでは」

 こうして二匹は、飼い主に連れられて帰って行った。

「シーザーとブルータスの事、思い出しちゃった」
「そうだな。でも、シーザーはあんなにじゃれなかったぞ」
「そうだっけ?」
「いつも、おまえにべったりだったじゃないか」
「そうそう。それで新堂さん、ヤキモチ妬いてたもんね~!」

「妬いてない!」
 急に不機嫌そうな顔になった彼に透かさず畳みかけた。
「いいのよ、隠さなくても!」

「くだらん。さあ、そろそろ俺達も帰ろうか」
 私の体に付いた犬の毛を払いながら、あっさり話題を切り替える。
「新堂さんも、結構スゴいよ?」彼の袖に付いた毛を払いながら教える。
「おお……。これじゃ、車のシートが毛だらけになるな」
「こういう時、黒は目立つね……」
 私達は顔を見合わせて笑った。

 病院以外に出かけるのは、今日が初めてだった。
「新堂さん、今日はありがとね。気を遣ってくれたんでしょ?最近私、イライラしてたから……」
「俺も気晴らししたかったんでね。あの犬達のお陰で、楽しい外出になって良かった」


 家に戻り、新堂さんがベッドを整えて私を移動させてくれる。

「掴まって」
「うん」彼の背中に腕を回す。
 彼は体の向きを回転させて、器用に私をベッドに乗せた。
「ユイ?どうした」
 彼がこう言ったのは、私がいつまでもしがみ付いたまま離さなかったからだ。

「ずっと、このまま……離れたくない……」
「それは困るな、腰がもたないよ。勘弁してくれないか」
「あっ、ごめんなさい!そうよね」中腰だった彼を慌てて解放した。
 こうして移動の度に、いつも思っていた。ずっとこのままでいられたら。ずっと抱きしめていてほしいと。
 こんな事を考えてしまうなんて、どこまで甘えん坊なのか。まるで子供だ!

「ねえ、ところで。あの元自衛官のおじさんと、何話してたの?」
「別に。彼の奥さんの愚痴を聞かされてた」
「奥さんのグチ?」
「退職して毎日顔を突き合わせてると、ケンカばかりなんだそうだ」
「ふうん。それで、私達の事は何だって?」
「何って?」

「だからっ、どういうふうに、見えたのかな~と思って」
 別れ際のニヤついた笑みの意味を、彼なら知っているかもしれない。
「それは重要か?」ベッドに入った私の顔を覗きながら聞き返される。
 私は笑ってはぐらかして、何も答えなかった。
「お休みなさい!」

 きっと新堂さんは、自分達が周囲にどう見られていようと気にしない。
 でも私は違う。私達が、医者と患者の関係に見られるのだけはどうしても嫌だ。

「何を心配してるのか知らんが、俺達はどこから見ても、仲のいいカップルだよ」
「ホント?!」掛けてくれた布団を押し退けて新堂さんを見上げる。
「ああ。だから安心しろ」
「うん!」良かった。大満足で頷く私に、「お休み、ユイ」と彼が言う。

 新堂さんが部屋を出て行くと、部屋はたちまち静まり返った。

 静寂の中で、自分が死を決意した時の事を思い返す。そして、永遠の別れだと言った彼の言葉を。
 両の拳を握り締めて、あの時の言い表しようのない不安と恐怖を思う。
 もう二度とあんな気持ちになるのはご免だ!もう二度と、新堂さんと生きる事を手放さない。

「新堂さん……大好きよ」
 暗闇に包まれながら、私は一人呟いた。


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