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第六章 まだ見ぬ世界を求めて
失われたもの(2)
しおりを挟むベッドでのひと月が過ぎ、四月。季節は春真っ盛りだ。
毎日、新堂さんが血行促進のためにと体をマッサージしてくれるのだが……。
「ねえ新堂さん?今、私の体、触ってるんだよね」
「ああ。こうしてな、血行を良くしてやると、後々、回復が早いんだ」手を止めずに答える彼。
そんな説明を聞き流し、とうとう私は核心に迫った。
「感じないの。何も、感じないんだけど……!」
新堂さんは押し黙ったまま何も言ってくれない。不安が募って行く。
「そうよ、痛み止めの麻酔とか!……かかってるんでしょ?」
「ユイ。そういう痛みを止める目的で、麻酔は使わない」
「そういう痛み?」
「あ……いや。だから、普通使うのは鎮痛剤だろって」
「だってほら、神経ブロックってあるじゃない?あれって、一種の麻酔なんでしょ!」
持てる知識を総動員して問いかけてみる。
少しだけ上体を起こして、足元にいる彼を覗き見た。もはや懇願するように……。
しばし私と目を合わせた後、彼の口から大きなため息が吐き出された。
「もう隠せないな。ユイ、これから大事な話をする」彼が立ち上がって言った。
「な、何よ……そんな言い方して。怖いじゃない!」
おどけて返すも、「落ち着いて聞いてくれるか」と彼は真剣そのものだ。
新堂さんが私の側に椅子を引き寄せて座った。
そして私の目を見て口を開く。「おまえの左腕と下半身は、もう感覚が戻る事はない。つまり……」そこで言葉を詰まらせる。
「何を言い出すのかと思えば!」真実を知るのが怖くて、思わず遮ってしまう。
「いいから聞け。もう自分の意思では、動かせない」彼が最後まで言い切った。
「冗談が下手ね、新堂さん!あなたにそんなセリフは似合わないって……」
笑い飛ばして、現実に直面するのをどうにか避けようと試みる。
そんな私に、彼はとどめを刺した。
「私の力でも、修復は不可能だった」
「ねえ、嘘なんでしょ?だって新堂和矢は、世界が認めるスーパードクターよ!不可能な事なんて……」
「残念だが、真実だ」
新堂さんが私から目を逸らして下を向いた。
「信じない、そんなの!きっと何かの間違いでしょ?そうよ、これは夢だわ、私はまだ夢を見てるのよ!そう、そうに決まって……」
「ユイ!」
私の言葉を遮って声を荒げる彼に、現実なのだと思い知らされる。
「……っ」茫然自失とはこういう事をいうのか。
そんな私を、彼はただ見守ってくれているようだった。
「どうして?どうして今頃言うの?始めから分かってたんでしょ。何で黙ってたの!」
今は彼を責め立てる言葉しか出て来ない。
「申し訳ない……言い出せなかったんだ」新堂さんはこれだけ言って黙り込む。
「目が覚めた時、腰の辺りがとても痛かったのよ?あれはどうして?あの痛みの感覚は何だったの!」
新堂さんの言っている事が真実なのは分かっていたが、どんなにささやかでも希望の光を探したい。もしかして、あの時はまだ感覚があったのかも?
耐え難いほどの痛みの記憶すらも、今となっては愛おしくさえ感じる。
「ファントム・ペインというのを知っているか?主に、手足を失った場合に起きる現象なんだが」
「ないはずの手足が痛むっていう、あれ……?」
先ほど彼が口にした〝そういう痛みに麻酔は使わない〟という言葉の意味がここで分かる。痛むはずのない箇所の痛み、だったのだ。
ないはずの、手足。ふと、キハラの右腕を思い起こす。キハラもそんな痛みを感じたりしたのだろうか……。
状況は多少違えど、師匠が辿った道ならば私も頑張れる。きっと耐えてみせる!
そう考えた事で、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「一人にしてくれる?」
「……ユイ、大丈夫か」心配そうな新堂さんの顔が迫る。
「いいから一人にして!一人で考えたいの!」下を向いたまま叫んだ。
「分かった」
そう言うと、彼は立ち上がって椅子を隅に寄せ、そのままドアに向かった。
もう一度私を振り返って言う。「隣の部屋にいるから、何かあったら呼んでくれ。声が聞こえるように、ドアは開けて行くぞ」
反応もせず相変わらず俯いたままの私を残し、彼は部屋を出て行った。
少しすると、隣りの部屋から新堂さんの話し声が聞こえてきた。どうやら電話をしているらしい。
「……それは構いませんが、別料金ですよ」
「私の名前は伏せる?……もちろんです。無資格の私が纏めた資料など、役に立ちませんからね!」
嫌味な回答。そこには、いつもの新堂和矢がいた。手柄は依頼人に。自分は単なる替え玉でしかない?何の問題もない、金さえ貰えれば!
私のせいで家を空けられない彼は、こんな雑用紛いの依頼を優先的に受けているようだ。あのプライドの塊のような男が!大した収入にもならないのに。
「(ああどうも。申し訳ない、連絡が遅くなりました)」
今度は英語で話し始めた。また別件のようだ。
「(四ヶ月経ったが、その後いかがですか?)」
「(……ああ、そうですか。回復して何よりです。後はそちらのスタッフに任せていいでしょう)」
こんなやり取りを聞きながら思う。その患者は、回復したのだと。
「どうして?みんな治せてるのに。どうして私のだけ治せないのよっ!」唇を噛み締めて、わざと声に出して言った。
左手を握り締めようとするが、どんなに力を入れても微動だにしない。
「くっ……!」
唯一動かせる右手で、体に掛けられた毛布を払い退ける。ネグリジェ姿の自分の下半身が露わになる。右手で太腿を叩くが、何も感じない。
「何てことなの……!」
彼の言葉がいつまでも頭の中にこだまする。〝もう自分の意思では、動かせない〟
一生、動かないっていうの?
信じがたい事だが、今の私にはそれを受け入れるしかなかった。
気づくと、電話を終えた新堂さんが部屋を覗いていた。
「ユイ?大丈夫か?」
落ちた毛布に気づき、戻そうと中に入って来る。
「構わないで。大丈夫だから」
そう反発するも、すでに彼は部屋に入ってそれを拾い上げたところだった。
「掛けておいた方がいい」私の体に再びそれを掛け直してくれる。
「新堂先生!どうして?」堪らずに口を開いた。
「何が?」
「四ヶ月前のその人は治せたのに、どうして私のは治せないの?」盗み聞きした電話の内容を持ち出す。
「ユイ……それは」
分かっている。こんな言い合いは、彼を困らせるだけの愚問だと。それでも何か言わずにはいられない。
「……ごめんなさい。困るの当然よね。バカだわ、私。元々あなたのせいじゃないのに」
「いや。私の方こそ申し訳ない……」
「謝らないで!元はといえば、私の不注意でこうなったんだし。むしろ新堂さんは、命を救ってくれたんだものね」この言葉は、自分に言い聞かせる意味もあった。
「何となく予感はしてた。ずっと気になってたけど、怖くて聞けなかった……。悪い予感って当たるのよね」
悪い予感はよく当たる。これまで何度そんな事があっただろう。
「あの時から、ずっと熱かった。下半身と左腕が……。痛みをすでに通り越して、ただただ異様な熱さ。どう言ったら伝わるかしら?なかなか表現が難しいわ!」
強がって明るく語る私を前に、彼はただ黙って聞いている。
「燃えちゃったんじゃないか……って思った。だから目が覚めて自分の体を見た時、安心した。まだここにあったから」
「……でも。あったところで、動かなければ何の意味もないっ!」
「そんな事はない」
彼がうわべだけの慰めの言葉をかけてきた。こんな言葉を誰が信じる?
「性能の良い防炎素材の衣類のお陰で、幸い火傷は深刻な状況ではなかった。問題は、爆発の衝撃で受けた損傷だ」新堂さんは淡々と解説を続ける。
「もし損傷したのが、もっと上の部位だったら助からなかっただろう。呼吸器に麻痺が起これば、長くは……」ここまで言って、慌てて口をつぐむ。
「いいのよ、気にしないで。事実だし」私は小さく笑って肩を震わせた。
新堂さんがベッドサイドに歩み寄り、そんな私に寄り添ってくれる。
「同乗していた彼を、助けようとしたの。自分だけ逃げるなんて……できないもの」
私の肩はさらに激しく震えて行く。
「シートベルトが仇になった。あれがなければ、あの人だって……」
あの時、私はいち早く自分のベルトを外して助手席に手を伸ばしたのだ。
けれど気づいたら……すでに車外に投げ出されていた。
「ユイ……もういい。もういいから」
耐えられないというように、彼が私の主張を止めようとする。
「だって、私はこうして助かったのに、あの人は……っ!」
「何を言う。ユイは自分の左腕を犠牲にしてまで、彼を救おうとしたんじゃないか。それで十分だ」
「でも!もっと別の手段があったかもしれない!」
「いいや。それは考えられない。おまえは、最善を尽くしたよ」
彼が言う最善とは、自分が生き延びた事か……。
「ユイは何も間違ってない」
最後に新堂さんが口にしたこの言葉。それはあの時、キハラが言ってくれたものと同じだった。
〝お前は、間違ってなどいない〟
新堂さんはベッドを少し起こすと、啜り泣きを始める私の背中を優しく擦ってくれた。
「きっとユイの想いは、同乗した彼にも伝わっているはずだ」
「うっ、うっ……、ごめんなさい、ごめんね……っ」
「ユイは何も悪くない。もう謝るな」頭をそっと撫でられる。
私は唯一動く右手で、顔を覆って泣いた。
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