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第六章 まだ見ぬ世界を求めて
離れていても(4)
しおりを挟む懐かしい気配を感じて目を開ける。そこには、いるはずのないあの人がいた。
「キハラ?」
「ようやく起きたか。全く……。いつまで寝てるんだ、お前は!」
こんな言葉をかけられ、頭を小突かれる。何の違和感もなく、私は最愛の師匠を見上げた。
「ユイ。なぜ来た」不意にキハラが真剣な表情で語りかける。
なぜって?……ここは、どこだろう。
ぼんやりとした頭で何とか記憶を整理して、ようやく行き着いた。
「私……し、ん、じゃった、のか」
目の前のキハラには、失ったはずの右腕がある。人は死んだ後、一番輝いていた時の自分に戻れると聞いた事がある。
「まだだ。お前はまだ、死んではいない」キハラはきっぱりと否定した。
「何で?だって、あなたは……」あの時私が……。
「地獄に、いるはずだって言うんだろ?確かに。ここは地獄じゃないからなぁ」
私達は、真っ白な空間に浮かぶフワフワした羊の毛のようなものの上にいて、気づくとそれはゆっくりと移動している。
「ここはどこなの?」
身を乗り出して、危うく落ちそうになる。キハラが私をしっかりと掴んで、体勢を戻してくれた。
「少しは大人しくしとけ。このおてんば娘め!全く成長してないと来やがった……」
「ねえキハラ!教えて……ここ、どこ?私はどうなったの!」
キハラにしがみ付いて問いただすも、答えはもらえなかった。
私達はただ黙り込んで、流れるに身を任せた。
どれだけの時間が経ったのか分からない。どうやら移動を終えたらしい。
「見てみろ、ユイ」
キハラが私の意識を下に向けた。落ちないように、今度は後ろからしっかりと抱き留められて。
真っ白な空間に切れ目が入り、そこから下の様子が見て取れた。
「あっ、新堂さん!」
真っ先に目に飛び込んだのは、私が一番会いたかった人だ。
私は何度も彼の名を呼んだ。今までずっとそうしてきたように。そして、これから先も呼び続けるはずだった、この名前を……。
次第に下の世界の様子が、まるで映画のワンシーンのように流れ始める。
「あれって……私?」
次に現れたのは、病院の一室に寝かされている自分の姿。その傍らには、私と同年代のナースがいる。栗色のショートヘアが良く似合う、健康的な女性だ。
そこへ新堂さんが白衣姿で入って来た。
〝何か変わった事は?〟彼がナースに尋ねる。
〝いいえ。……先生、もしこのまま彼女が目覚めなかったら、どうするのですか?〟
彼に身を寄せて、囁くように問いかけている。
彼女と距離を取る事もなく、なぜか無言になる彼。
新堂さん!何とか言ってよ。目覚めるのを信じてるって、私を信じてるって……!
動揺する私をよそに、眼下では二人の意味深なシーンが続く。
〝そう言えば、君はいくつだ?〟
〝三十です。ユイさんも、もうすぐ三十歳ですよね?私達、同い年だったみたい〟
〝そのようだな。そうは言っても、君の方が断然落ち着いた大人の女性だよ〟
「何言ってるの?新堂さん!こういう時にそんな嫌味言わないでよ……」
「それなら間違ってないだろ」キハラまでがこんな事を言う始末。
私は後ろにいるキハラを、勢い良く振り返った。
「キハラ!何なの?これは!私、あっちに戻りたいよ……っ」
けれどキハラは何も言ってくれない。
続きが気になって再び下を覗き込むと、すでに場面は切り替わっていた。
新堂さんは、相変わらず忙しそうにしている。
「何をしてるんだろう……。何かを、探し回っているみたい」
目を凝らしてその様子を観察する。
〝平屋建てがいいんだが。できればバリアフリーで。段差は困る〟
新堂さんが店舗でスタッフと会話している。どうやらそこは不動産屋のようだ。
〝難しいですねえ。今や主流は三階建ての時代ですよ?お客さん!〟
難色を示すスタッフに、彼は手にしていたトランクを開けて見せる。そこには何と、札束が敷き詰められていた……。
そしてサングラス越しに、やや脅し気味に急き立てた。
〝そんな事は分かっている。私はとても急いでるんだ!〟
「新堂さんったら……。相変わらず、無茶苦茶な交渉だわ!」思わず笑ってしまう。
「お前といい勝負だな」横でキハラも笑い出す。
新堂さんは、私と暮らす家を探してくれていたのだ。
「ユイ。分かったか。お前はまだ、こっちに来る時ではないと……」
「もちろんだわ、すぐに戻る。でもキハラ、待って。一つだけ聞かせて!」
私はどうしても聞きたかった。「私の生き方は、間違ってないよね……?」
時間がない。そう思ったら、こんなおかしな質問になってしまった。
これじゃ、キハラも答えようがないじゃない!……そう思った時。
「お前は、間違ってなどいない」私を見下ろして、力強く断言してくれた。
あまりの嬉しさに、もう言葉にならない。
「何て顔してんだ?これからも、ちゃんとお前の事見てるからな。下らん事でしくじりやがったら、ただじゃ置かんぞ!」
キハラらしい愛の鞭をしっかりとこの胸に受け止め、私は大きく頷いた。
それを見届けるように、大きな手が私の背中を力強く前へと押した。
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