103 / 117
第六章 まだ見ぬ世界を求めて
イヌワシの制裁(3)
しおりを挟む男という生き物は、自分よりも強い女がお嫌いのようで!だがそんな事を言われても、私だって好きで女に生まれた訳ではない。
怒りが込み上げる中、何とか自分を落ち着かせる。もし仮に自分が男で、私のような女が目の前をうろちょろしていたら?
私も今のイーグルのように制裁を加えたかもしれない。
こういう結論に至り、私は口を開く。
「(あなたの言い分は分かったわ。私は無駄な抵抗はしない主義なの。やるなら一発で仕留めてよね)」そう言って、ヤツの正面で棒立ちになる。
「(ほお……こんなに物分りのいい女には初めて会ったよ!どこの国でも、女は皆、自分勝手の自己中ばかりだからな)」
「(少しは見直していただけたかしら)」怯えるだけの情けない女は返上したい。
「(利き腕は、どっちだったかね)」私を品定めするように眺め回して言う。
「(……そんなの、とっくに調査済みなんじゃないの?)」
ミスター・イーグルがついに立ち上がった。その距離僅か数十センチ……。
私のコルトではなく、愛用のデザート・イーグルを構えている。間近でこの銃を見られるとは!恐怖を感じながらも感激する自分がいる。今はそんな場合じゃないのに?
もうダメだ……。私は観念して目を閉じた。
次の瞬間、左頬に痛みが走った。
風圧で後ろに倒れ、ワードロープにぶつかる。寄り掛かったまま動く事もできず、そのまま重力に従ってズルズルと座り込んだ。
胸の中で激しく打つ心臓の拍動だけを妙に感じる。つまり私はまだ生きている。
……なぜ?
「(俺とした事が、手元が狂ったよ)」
こんな見え透いた嘘をおどけながら吐き出すイーグルに、怒りさえ覚える。
今の私に、嫌味の一つでも言い返す気力があれば……。
イーグルは屈んで、悔しさに歪む私の顔を覗くと、顎に指を掛けグイッと持ち上げた。
「(俺がどっちを狙ったか分かるか?左腕か、心臓か)」
「くっ……!」やっぱり声が出ない。
「(可愛い顔に傷を付けて悪かったな。どうした、さっきまでの勢いは!)」
そう言って私の顎に当てた指を乱暴に離した。
「(今日はここまでだ)」
「(っ!なぜ……殺さないの!顔はやめてって……言ったじゃない)」
「(だから今謝ったじゃないか。さてね。お前を殺っても、一セントにもならない事を思い出したんだよ」
続けてミスター・イーグルが、こんな事を言った。
「(それともう一つ。こんなに度胸のある女を消すのが惜しくなった!……あいつが惚れ込んだ理由が分かったよ)」後の方は、とても小さな声だった。
「(あいつ?誰の事よ)」
これに対する答えはなかった。
ようやく落ち着き始め、私はさらに続けた。「(そんな甘いこと言って、後で後悔するんだから)」
「(命拾いしたな。これが仕事だったら、こうは行かないぜ?)」
「(さあ、少々お喋りが過ぎたようだ。勇敢な女の殺し屋さんに、追跡でもされると厄介だ!俺が消えるまで寝てな)」
「ワタシは!殺し屋なんかじゃ……な……いっ」
こう訴えはしたが、頭に血が上っていたせいで、口から出ていたのは日本語だった。
そして、私の記憶はここまで。ミスター・イーグルの声がいつまでも頭の中でこだましていた。
「分かるか?ユイ」
懐かしい声が私を呼んだ。その声にいざなわれて目を覚ます。
私の視界に、新堂さんの心配そうな顔が真っ先に飛び込んだ。
「何だか、とても……久しぶりな気がする」
その顔を見つめてこう告げると、「意識を失っていたのは、ほんの数時間だ」と教えられた。
辺りを眺める私に説明してくれる。「お察しの通り、ここは病院ではない」
「何で……?」
またもこの人は、私の居場所を探り当てたという事か?
「主治医の連絡先が分かれば、救急隊員はそこに連絡するだろ」
彼は先日会った時に、私の携帯を勝手に操作して(!)アドレス帳に登録のあった〝新堂さん〟を〝主治医・新堂さん〟に変更していたのだった。
「ダメだろ、ちゃんと主治医って入れとかないと?」
「ちょっと!また勝手に……!」
「おまえのマンションだと、いつまたあのイヌワシ野郎が現れるか分からないからな。病院で処置をした後、私の部屋に連れて来たんだ」
イヌワシ野郎という言葉に、怒りも忘れて反応する。
いいじゃない?そのネーミング!
「どうだ。ちゃんと掃除、してあるだろ?」室内を見渡し、やや自慢げに口にする。
「そこ、自慢するところじゃないから!……で。そのイヌワシ野郎だけど。ヤツはもう狙って来ないと思うわ」
「なぜ分かる?」
「カネにならないから見逃すって。もう国に帰ったんじゃない?」
「何て勝手なヤツだ!」新堂さんが怒りを露わにした。
「この平和国家ニッポンに、アイツの居場所なんてないのよ」
「そうだな」
彼は深く息をついてから、横たわる私の胸に手を当てた。
「無事で本当に良かった……。おまえのここが止まっていない事を確認するまで、気が変になりそうだったよ」珍しく心境を語る新堂さん。
彼が駆けつけた時、ホテルから搬送された私は、仮死状態で病院のベッドに横たわっていたとの事。
「私……死ぬ覚悟は、できてた」
人を殺した事のある人間は、遅かれ早かれそういう展開になると覚悟している。
「おいユイ!何て事を言うんだ……!」
「あんな恐怖は生まれて初めて。死ぬ事なんて、今さら怖くないと思ってたはずなのに」
そんな死の恐怖さえも、キハラは封印していた。私もそんなふうになりたいと常に思っていた。
新堂さんは無言で私の話を聞いている。
「ミスター・イーグルに拳銃を突きつけられて。もう終わりだと思ったら、新堂さんに無性に会いたくなって……。ちゃんと、お別れも言ってないなぁ……って」
堪えきれずに泣き出した私の頭を、新堂さんが優しく撫でてくれる。
「ユイ、死んでも良かったなんて言わないでくれ……。そんな事を言われたら辛い」
「新堂さん……ごめんなさい」
私達は強く抱きしめ合った。
それからしばらくして、コルトがない事に気がついた。
「ねえ!コルト、知らない?」
「いや。ユキの買った改造拳銃なら、警察が押収して行ったが……。ないのか?」
「イーグルのヤツ!」
興味深そうにコルトを眺めていた姿を思い出す。奪ったのはヤツしかいない。
「足を洗えって事だよ」
新堂さんの言い分を無視して、「必ず取り返してやる……!」と唇を噛み締める。
「ユイ!危険な事はもうよせ!」
「あれは……、命の次に大事なものなの!」
キハラの形見であり、私のお守り。あれなしで、この世界で生き抜く自信なんてない。
本当に、この仕事を引退しろというの?教えて、キハラ!
「……私、探しに行く」
相棒のいない人生なんて考えられない。
「探しにって、どこへ行くって言うんだ。あいつの国籍も本名も知らないんだろ?」
「そうだけど!」
「まあそう慌てるな。ゆっくり考えればいい」私の肩に手を置いて新堂さんが言う。
すぐにでも飛び出したかった。当てもなく、ただ一直線に。以前の私なら間違いなくそうしていただろう。
けれど私はなぜか、新堂さんの元に留まった。
数日後。再び彼のマンションにて。
「ねえ。新堂さんて、全国の児童福祉施設に寄付してるのよね?」
「何だよ、改まって。またガラじゃないとか言ってからかう気か?」
「そうじゃないわ。それっていくらくらいかな~って思ったの。参考までに教えて?」
相棒コルトを失って弱気になったのだろうか。私もこの際、もっともっと善行をしようと思い立った。これまでの悪事に、少しでも報いるため?
「いくらと言われても、場合による。金を渡す訳ではないからな」
「えっ、お金じゃないの?」
「事前に必要物資を調べて送る。時には建物の修繕とか、増築とかを手配する時もある」
「へえ~!凄い、そこまで徹底してたんだ……」
真面目な彼だからこそ、いかにもやりそうだ。
「現金は、着服されたら終わるモンね」つくづく思う。お金の力は、善人の心をも容易に壊してしまうから。
「ああ、そこは考えてなかったが。言われてみればそうだな」
「はい?……じゃ、何でわざわざ」考えてなかった?ウソでしょ!?
「物を仕入れるのも、作業を手配するのも手間だろ?案外忙しいんだ、施設の職員は」
さすがは現状を良く知る者。説得力のあるお言葉だ。
「スゴイ。やっぱり凄いわ、新堂さん!……惚れ直した!」
彼に思わず抱きつく。
滅多にこんな事をしないので、思い切り警戒されてしまったが。
「よし!決めた!」今度は彼を押し退けて立ち上がる。
「何をだ?」新堂さんが、私を見上げる。
「私が寄付したお金が、どう使われてるか見に行く!」
「寄付って、確かユニセフ、だったか?どうやって見に行くんだ」
「行き先は、ニューヨーク本部に行って調べるわ」
あなたがこの国の子供達を救うなら、私は世界中の子供達を救おうじゃない!
「ちゃんとこの目で確認しないとね。ついでに私も何か、役に立てたらいいな」
「あそこが活動している地域は、治安も良くないし、生活環境は劣悪だぞ」
「分かってる」
そして、ついでのついでにコルトも探す。これならいいよね?治安の悪い場所の方が、ヤツに会える確率は上がるはず。
ミスター・イーグル……。例えあいつと刺し違えたって、コルトを取り返す。
「どうしても、行くんだな」
「ええ。決めたの。いい機会だわ」私は彼の方を見ずに答えた。
ごめん、新堂さん。ずっと一緒にいるって言ったのは私なのに……。
「どうせ、止めたってムダだろ。ユイのやりたいようにすればいい。応援してるよ」
そう言って、彼も立ち上がる。
「ありがとう」
こんなにすんなり受け入れてもらえるとは思わなかった。
「だが。絶対に無茶はするな。おまえはいつも無謀な事をしでかすから、心配だよ」
「何よ、私は至って慎重派でしょ」すぐさま反論。
「ウソだ!どう考えても、それはウソだろ」
勢い良く否定されて自信がなくなる。「……まあ、時々ね」
私達は顔を見合わせて笑った。その直後、急に泣きそうになって思わず背を向ける。
新堂さんは、そんな私を自分の正面に向け直した。彼が覗き込むようにじっと私の目を見つめる。
「……ユイ。もし疲れ果ててしんどくなったら、ここに戻って来い」
彼には私のしようとしている事が分かってしまったのか。
「ふふっ!新堂さんったら。そんなボロボロになった私をどうするつもり?」
泣きそうになるのを紛らすために、軽口を叩き続けるしかない。
「絶対に死ぬなよ?」そんな私に対し、彼はどこまでも真剣だ。
「もしかしてあなたったら、私と心中したいとか?」死ぬ時は一緒だ、何てね……。
「バカな事言うんじゃない!」
「そっか、分かった!主治医だから、患者の最期は看取らないとって事ね」
真剣そのものの新堂さんを前に、さらにおどける。こちらとしては満更冗談でもないのだが。以前のこの人なら、このくらいは言い兼ねない。
「いいか?私にとってユイは、この世で一番大切な存在なんだ。おまえは私の、唯一の……」彼が言葉を切った。
続く言葉は、〝生きる希望〟だったりするのだろうか?
あの新堂和矢が、こんなセリフを私に言っているなんて。何て感動的なのだろう!
「新堂さん。あなただって、私に黙って死んだりしないでよ?きっとまた会いましょう」
この人がかつて、生きる事も死ぬ事もどうでもいいと思っていた事を、私は知っている。だからこそ、この言葉を心から伝えた。
なぜ私達は離れ離れになるのか。そんな必要があるのか。きっと今では、お互いに好き同士のはずなのに。
けれど私達は別々の道を選ぶ。彼が本心からそれを受け入れたかは分からない。それでも、私はこの人と一緒にいるべきではない。そう思った。
大切な形見を奪われて、進む道を見失った私。それを有耶無耶にして、今までのようにこの人に甘えて隣りで生きるなんて、したくない。
「ユイ、元気で……」
「新堂さんも!あんまり依頼人に、無理難題、吹っかけないでね!」
泣かないために、最後までおどける。
新堂さんの温もりを振り切って、愛着のある彼の部屋を後にした。
こうして私は、新たな自分を求めて再出発を切ったのだった。
これから起こる、最大の悲劇に向かって……。
0
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。



下っ端妃は逃げ出したい
都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー
庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。
そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。
しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
公主の嫁入り
マチバリ
キャラ文芸
宗国の公主である雪花は、後宮の最奥にある月花宮で息をひそめて生きていた。母の身分が低かったことを理由に他の妃たちから冷遇されていたからだ。
17歳になったある日、皇帝となった兄の命により龍の血を継ぐという道士の元へ降嫁する事が決まる。政略結婚の道具として役に立ちたいと願いつつも怯えていた雪花だったが、顔を合わせた道士の焔蓮は優しい人で……ぎこちなくも心を通わせ、夫婦となっていく二人の物語。
中華習作かつ色々ふんわりなファンタジー設定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる