大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第六章 まだ見ぬ世界を求めて

  イヌワシの制裁(3)

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 男という生き物は、自分よりも強い女がお嫌いのようで!だがそんな事を言われても、私だって好きで女に生まれた訳ではない。

 怒りが込み上げる中、何とか自分を落ち着かせる。もし仮に自分が男で、私のような女が目の前をうろちょろしていたら?
 私も今のイーグルのように制裁を加えたかもしれない。
 こういう結論に至り、私は口を開く。

「(あなたの言い分は分かったわ。私は無駄な抵抗はしない主義なの。やるなら一発で仕留めてよね)」そう言って、ヤツの正面で棒立ちになる。
「(ほお……こんなに物分りのいい女には初めて会ったよ!どこの国でも、女は皆、自分勝手の自己中ばかりだからな)」
「(少しは見直していただけたかしら)」怯えるだけの情けない女は返上したい。

「(利き腕は、どっちだったかね)」私を品定めするように眺め回して言う。
「(……そんなの、とっくに調査済みなんじゃないの?)」

 ミスター・イーグルがついに立ち上がった。その距離僅か数十センチ……。
 私のコルトではなく、愛用のデザート・イーグルを構えている。間近でこの銃を見られるとは!恐怖を感じながらも感激する自分がいる。今はそんな場合じゃないのに?
 もうダメだ……。私は観念して目を閉じた。

 次の瞬間、左頬に痛みが走った。

 風圧で後ろに倒れ、ワードロープにぶつかる。寄り掛かったまま動く事もできず、そのまま重力に従ってズルズルと座り込んだ。
 胸の中で激しく打つ心臓の拍動だけを妙に感じる。つまり私はまだ生きている。
 ……なぜ?

「(俺とした事が、手元が狂ったよ)」
 こんな見え透いた嘘をおどけながら吐き出すイーグルに、怒りさえ覚える。
 今の私に、嫌味の一つでも言い返す気力があれば……。

 イーグルは屈んで、悔しさに歪む私の顔を覗くと、顎に指を掛けグイッと持ち上げた。
「(俺がどっちを狙ったか分かるか?左腕か、心臓か)」
「くっ……!」やっぱり声が出ない。
「(可愛い顔に傷を付けて悪かったな。どうした、さっきまでの勢いは!)」
 そう言って私の顎に当てた指を乱暴に離した。

「(今日はここまでだ)」
「(っ!なぜ……殺さないの!顔はやめてって……言ったじゃない)」
「(だから今謝ったじゃないか。さてね。お前を殺っても、一セントにもならない事を思い出したんだよ」

 続けてミスター・イーグルが、こんな事を言った。
「(それともう一つ。こんなに度胸のある女を消すのが惜しくなった!……あいつが惚れ込んだ理由が分かったよ)」後の方は、とても小さな声だった。
「(あいつ?誰の事よ)」
 これに対する答えはなかった。

 ようやく落ち着き始め、私はさらに続けた。「(そんな甘いこと言って、後で後悔するんだから)」
「(命拾いしたな。これが仕事だったら、こうは行かないぜ?)」

「(さあ、少々お喋りが過ぎたようだ。勇敢な女の殺し屋さんに、追跡でもされると厄介だ!俺が消えるまで寝てな)」
「ワタシは!殺し屋なんかじゃ……な……いっ」
 こう訴えはしたが、頭に血が上っていたせいで、口から出ていたのは日本語だった。

 そして、私の記憶はここまで。ミスター・イーグルの声がいつまでも頭の中でこだましていた。



「分かるか?ユイ」
 懐かしい声が私を呼んだ。その声にいざなわれて目を覚ます。

 私の視界に、新堂さんの心配そうな顔が真っ先に飛び込んだ。
「何だか、とても……久しぶりな気がする」
 その顔を見つめてこう告げると、「意識を失っていたのは、ほんの数時間だ」と教えられた。
 辺りを眺める私に説明してくれる。「お察しの通り、ここは病院ではない」

「何で……?」
 またもこの人は、私の居場所を探り当てたという事か?
「主治医の連絡先が分かれば、救急隊員はそこに連絡するだろ」

 彼は先日会った時に、私の携帯を勝手に操作して(!)アドレス帳に登録のあった〝新堂さん〟を〝主治医・新堂さん〟に変更していたのだった。

「ダメだろ、ちゃんと主治医って入れとかないと?」
「ちょっと!また勝手に……!」
「おまえのマンションだと、いつまたあのイヌワシ野郎が現れるか分からないからな。病院で処置をした後、私の部屋に連れて来たんだ」

 イヌワシ野郎という言葉に、怒りも忘れて反応する。
 いいじゃない?そのネーミング!

「どうだ。ちゃんと掃除、してあるだろ?」室内を見渡し、やや自慢げに口にする。
「そこ、自慢するところじゃないから!……で。そのイヌワシ野郎だけど。ヤツはもう狙って来ないと思うわ」
「なぜ分かる?」
「カネにならないから見逃すって。もう国に帰ったんじゃない?」 

「何て勝手なヤツだ!」新堂さんが怒りを露わにした。
「この平和国家ニッポンに、アイツの居場所なんてないのよ」
「そうだな」
 彼は深く息をついてから、横たわる私の胸に手を当てた。
「無事で本当に良かった……。おまえのここが止まっていない事を確認するまで、気が変になりそうだったよ」珍しく心境を語る新堂さん。

 彼が駆けつけた時、ホテルから搬送された私は、仮死状態で病院のベッドに横たわっていたとの事。

「私……死ぬ覚悟は、できてた」
 人を殺した事のある人間は、遅かれ早かれそういう展開になると覚悟している。
「おいユイ!何て事を言うんだ……!」
「あんな恐怖は生まれて初めて。死ぬ事なんて、今さら怖くないと思ってたはずなのに」
 そんな死の恐怖さえも、キハラは封印していた。私もそんなふうになりたいと常に思っていた。

 新堂さんは無言で私の話を聞いている。

「ミスター・イーグルに拳銃を突きつけられて。もう終わりだと思ったら、新堂さんに無性に会いたくなって……。ちゃんと、お別れも言ってないなぁ……って」
 堪えきれずに泣き出した私の頭を、新堂さんが優しく撫でてくれる。
「ユイ、死んでも良かったなんて言わないでくれ……。そんな事を言われたら辛い」
「新堂さん……ごめんなさい」

 私達は強く抱きしめ合った。

 それからしばらくして、コルトがない事に気がついた。
「ねえ!コルト、知らない?」
「いや。ユキの買った改造拳銃なら、警察が押収して行ったが……。ないのか?」
「イーグルのヤツ!」
 興味深そうにコルトを眺めていた姿を思い出す。奪ったのはヤツしかいない。

「足を洗えって事だよ」
 新堂さんの言い分を無視して、「必ず取り返してやる……!」と唇を噛み締める。
「ユイ!危険な事はもうよせ!」
「あれは……、命の次に大事なものなの!」
 キハラの形見であり、私のお守り。あれなしで、この世界で生き抜く自信なんてない。

 本当に、この仕事を引退しろというの?教えて、キハラ!

「……私、探しに行く」
 相棒のいない人生なんて考えられない。
「探しにって、どこへ行くって言うんだ。あいつの国籍も本名も知らないんだろ?」
「そうだけど!」
「まあそう慌てるな。ゆっくり考えればいい」私の肩に手を置いて新堂さんが言う。

 すぐにでも飛び出したかった。当てもなく、ただ一直線に。以前の私なら間違いなくそうしていただろう。
 けれど私はなぜか、新堂さんの元に留まった。



 数日後。再び彼のマンションにて。

「ねえ。新堂さんて、全国の児童福祉施設に寄付してるのよね?」
「何だよ、改まって。またガラじゃないとか言ってからかう気か?」
「そうじゃないわ。それっていくらくらいかな~って思ったの。参考までに教えて?」

 相棒コルトを失って弱気になったのだろうか。私もこの際、もっともっと善行をしようと思い立った。これまでの悪事に、少しでも報いるため?

「いくらと言われても、場合による。金を渡す訳ではないからな」
「えっ、お金じゃないの?」
「事前に必要物資を調べて送る。時には建物の修繕とか、増築とかを手配する時もある」
「へえ~!凄い、そこまで徹底してたんだ……」
 真面目な彼だからこそ、いかにもやりそうだ。

「現金は、着服されたら終わるモンね」つくづく思う。お金の力は、善人の心をも容易に壊してしまうから。
「ああ、そこは考えてなかったが。言われてみればそうだな」
「はい?……じゃ、何でわざわざ」考えてなかった?ウソでしょ!?

「物を仕入れるのも、作業を手配するのも手間だろ?案外忙しいんだ、施設の職員は」
 さすがは現状を良く知る者。説得力のあるお言葉だ。
「スゴイ。やっぱり凄いわ、新堂さん!……惚れ直した!」
 彼に思わず抱きつく。

 滅多にこんな事をしないので、思い切り警戒されてしまったが。

「よし!決めた!」今度は彼を押し退けて立ち上がる。
「何をだ?」新堂さんが、私を見上げる。
「私が寄付したお金が、どう使われてるか見に行く!」
「寄付って、確かユニセフ、だったか?どうやって見に行くんだ」
「行き先は、ニューヨーク本部に行って調べるわ」
 あなたがこの国の子供達を救うなら、私は世界中の子供達を救おうじゃない!

「ちゃんとこの目で確認しないとね。ついでに私も何か、役に立てたらいいな」
「あそこが活動している地域は、治安も良くないし、生活環境は劣悪だぞ」
「分かってる」

 そして、ついでのついでにコルトも探す。これならいいよね?治安の悪い場所の方が、ヤツに会える確率は上がるはず。
 ミスター・イーグル……。例えあいつと刺し違えたって、コルトを取り返す。

「どうしても、行くんだな」
「ええ。決めたの。いい機会だわ」私は彼の方を見ずに答えた。
 ごめん、新堂さん。ずっと一緒にいるって言ったのは私なのに……。

「どうせ、止めたってムダだろ。ユイのやりたいようにすればいい。応援してるよ」
 そう言って、彼も立ち上がる。
「ありがとう」
 こんなにすんなり受け入れてもらえるとは思わなかった。

「だが。絶対に無茶はするな。おまえはいつも無謀な事をしでかすから、心配だよ」
「何よ、私は至って慎重派でしょ」すぐさま反論。
「ウソだ!どう考えても、それはウソだろ」
 勢い良く否定されて自信がなくなる。「……まあ、時々ね」

 私達は顔を見合わせて笑った。その直後、急に泣きそうになって思わず背を向ける。
 新堂さんは、そんな私を自分の正面に向け直した。彼が覗き込むようにじっと私の目を見つめる。

「……ユイ。もし疲れ果ててしんどくなったら、ここに戻って来い」
 彼には私のしようとしている事が分かってしまったのか。
「ふふっ!新堂さんったら。そんなボロボロになった私をどうするつもり?」
 泣きそうになるのを紛らすために、軽口を叩き続けるしかない。

「絶対に死ぬなよ?」そんな私に対し、彼はどこまでも真剣だ。
「もしかしてあなたったら、私と心中したいとか?」死ぬ時は一緒だ、何てね……。
「バカな事言うんじゃない!」
「そっか、分かった!主治医だから、患者の最期は看取らないとって事ね」

 真剣そのものの新堂さんを前に、さらにおどける。こちらとしては満更冗談でもないのだが。以前のこの人なら、このくらいは言い兼ねない。

「いいか?私にとってユイは、この世で一番大切な存在なんだ。おまえは私の、唯一の……」彼が言葉を切った。
 続く言葉は、〝生きる希望〟だったりするのだろうか?
 あの新堂和矢が、こんなセリフを私に言っているなんて。何て感動的なのだろう!
「新堂さん。あなただって、私に黙って死んだりしないでよ?きっとまた会いましょう」

 この人がかつて、生きる事も死ぬ事もどうでもいいと思っていた事を、私は知っている。だからこそ、この言葉を心から伝えた。

 なぜ私達は離れ離れになるのか。そんな必要があるのか。きっと今では、お互いに好き同士のはずなのに。

 けれど私達は別々の道を選ぶ。彼が本心からそれを受け入れたかは分からない。それでも、私はこの人と一緒にいるべきではない。そう思った。
 大切な形見を奪われて、進む道を見失った私。それを有耶無耶にして、今までのようにこの人に甘えて隣りで生きるなんて、したくない。

「ユイ、元気で……」
「新堂さんも!あんまり依頼人に、無理難題、吹っかけないでね!」
 泣かないために、最後までおどける。

 新堂さんの温もりを振り切って、愛着のある彼の部屋を後にした。

 こうして私は、新たな自分を求めて再出発を切ったのだった。
 これから起こる、最大の悲劇に向かって……。


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