大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第五章 隠された秘密を探れ!

38.掛け違ったボタン(1)

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 目覚めた私は、どういう訳か居心地悪そうに遠くから視線を送ってくる西沢に、最初に目が行った。その横には、心配そうな顔をした奈緒もいる。

 ここはどこなんだろう………。なぜこの人達が?

「ユイ。やっと気がついたな?気分はどうだ」
 私の手を取り声をかけてきた新堂さんに、意識を戻す。
「新堂さん……。ここ、どこ?」
「ああ。都内の病院だ」
 彼はこう答え、私をじっと観察し続ける。

「……病院かぁ。病院は、キラ~イっ」
 私が率直な意見を述べると、しばしの沈黙の後に新堂さんがほっとした様子で言った。
「ははは!その調子なら、脳は問題なさそうだな」

 そうか。私は西沢に変な薬を使われて……廃人になるところだったのだ。徐々にこれまでの事が甦ってくる。
「それで、誤解は……解けたの?」彼ではなく西沢に視線を向けて言ってみる。
「おまえの必死の説得のお陰かな」
 こう答えたのは新堂さんだった。

「仲直り、したもんね?二人とも」奈緒が無邪気な笑顔を二人に向ける。
 この質問にも、最初に答えたのは新堂さんだ。
「俺は元から、ケンカなんてしてるつもりないけどな」片目をつぶって西沢の方を確認しながら。
「本当に、申し訳なかった……。もし!死んで詫びろと言うなら……」
 西沢が深く頭を下げる。

「バカっ!」私は西沢の言葉を遮って、間髪を入れずに言い放った。
「だ、そうだ。首をくくる前に、やる事があるだろ?」
 新堂さんに加えて奈緒が続ける。「そうだよ。お兄ちゃん?」

 これにはさすがに西沢も観念したようだ。
「……ああ。これからは、まともな研究をやる!だけどこれだけは言わせてくれ。こんな人体実験紛いの事したの、誓ってこれが初めてだぞ?」
「そう願うよ」ため息混じりに新堂さんが答える。

「ねえ新堂さん。私の相棒、返してもらった?」何よりも私の一番の心配事はそれだ。
 彼が私にウインクして、声を出さずにイエスと答えてくれた。
「ムダに弾丸、使ってないでしょうね?」
 呟く私の声が西沢に届いたらしく、「ないない!だって俺、そんなモン撃った事ないし?」との答えが返ってくる。
「そうなの?!……呆れた!」

 この人はこんな騒動を起こしつつも、実際は私達ほど悪の道に入り込んではいないようだ。

「奈緒ちゃん」
 彼女の方に目をやり声をかけると、奈緒は先に私に頭を下げて謝った。
「ユイさん、こんな事になってしまって、本当にごめんなさい!」
「あなたが謝る事じゃないでしょ。ねえ、それより。目、治せなかったのね……」
「ええ……。適合する角膜が見つからなくて。でも、もういいの。ユイさんに援助してもらったお陰で、私、自立できてるし!」

 私が新堂さんに目で訴えた時には、すでに彼は奈緒を医者の目で見ていた。

「奈緒。心配するな、俺が治してやる」新堂さんは断言した。
 さすが名医、そう来なくっちゃ!
「え?和兄ちゃんが?」
 ポカンとする奈緒に、それとなくアピールするドクター新堂。
「これでも……。その筋じゃ多少名の知れた外科医なんだぞ?」

 多少訳アリな言い方ではあるが……。こんなに謙虚な新堂和矢は貴重だ。

 困惑したまま答える事ができない様子の奈緒を差し置いて口を挟む。
「あ~あ、始めからこうすれば良かったわ~!」
「そうだよ。ユイが初めに教えてくれれば良かったんだ」
 私を見て新堂さんが透かさず言った。

「だってあの時、あなた日本にいなかったでしょ?どこにいるかも知らせないで、よく言うわよ!」いつだって連絡のつかないあなたに、不満は山ほどあるんだから!
 こんな調子でいつもの言い合いが始まってしまう。

「まあまあお二人さん、その辺にしようぜ!もし、本当にお願いできるなら……。奈緒の目、治してやってほしい」西沢が改まって新堂さんに頭を下げた。
「もちろん、金は払う。一生掛かっても。いくらだ?」と続ける。

「そうだな。五千万でどうだ」と新堂さん。
 西沢の表情が固まる中、新堂さんと私は意地悪な笑みを浮かべた。
「少ないかな、ユイ?」
「そうねぇ。新堂先生の相場は、いくらだっけ」

「一億かな」シラッとした調子で答える。
「なら、大負けに負けたじゃない」同調する私。
「昔のよしみだしな。甘いか?」

 引きつる西沢をよそに会話は続く。段々、奈緒までも不安な表情になっている。

 それに気づいて慌てて言った。「……ねえ?これくらいにしとく?」
 すると新堂さんが、急に声のボリュームを上げた。
「甘い!もっとだ。ユイをこんな目に遭わせて、俺は本気で怒ってるんだ」
「新堂さんって、徹底的な性格よね……」
 過去の諸々を思い出して、一人頷いてしまった。

「あの~……。それで、結局おいくら?」
 すっかり二人の世界に入っているところに、西沢が割り込む。
 同時に振り返った私達を見て言う。「お前ら、ホント似た者同士っつーか……。本当は兄妹なんじゃねーの?」

 こんな言葉に、新堂さんが私を見下ろす。

 そして、少し考えてからきっぱり言った。
「あり得ん!」
「ちょっと?何よ、今の間!イヤな感じなんですけど?」
 一人興奮して続ける。「こっちだって願い下げだからね。言っとくけど、私にはと~っても素敵な兄がいますので!」

 こんな事を言った後、取り付けられたモニターが異変を訴え始めた。興奮して心拍でも上がったのだろうか。

 すぐさま医者の顔に戻った新堂さんが診察を始める。
「安静にしなければダメだ。まだ、例の薬剤は抜け切れていない」
「はぁい……」
 やや苦しげな私を見て、西沢が申し訳なさそうに肩を落とした。

「奈緒。ナースの資格、取ったんだろ?」
 新堂さんが話題を変えた。
「うん。でも……もう関係ないけどね」奈緒が力なく答える。
「そんな事ない、時期に見えるようになるんだから。夢を叶えたお祝いだ。金はいらん」
 新堂さんが照れたように笑って続ける。「……お前からなんて、もらえないよ」

 こんな顔は初めて見たかも!と思いながら、私は二人をそっと見守る。

「和兄ちゃん……、本当に?」
「ウソは、ついた事ないと思うけど?」奈緒の両肩に手を置いて優しく答える。
 その後ろでは、西沢が涙を流していた。
「新堂。今さらだが……。三年前に言った事、訂正するよ」
「色々言われたからな。どれの事だ?」

 苦笑いする西沢をよそに、私は興味津々で聞き入る。

「お前だけでも、立派な医者になって園長を安心させてやらなきゃ、ってヤツだ」
「ああ。それか」
 久々の再会を果たしたあの日。そんな話をしたらしい。なぜ医師免許を返上したりしたのかと。
 この二人が頑張っていたのは、園長夫人への恩返しのためだったのだ。

「形はどうあれ、お前はちゃんと医者になってたんだな」
「分かってくれて嬉しいよ。お前だって製薬会社の研究員、ちゃんとやってるんだろ?さっき言ってたもんな」
 この言葉に、再度苦笑して西沢が頷く。「まあ……会社は、倒産しちまったけどな」

「その事だが……」新堂さんが何か言いかけた。
 それを西沢が遮る。「もういいんだ。考えてみれば、お前のせいだけじゃない」

 会社の倒産が新堂さんのせい?こんな疑問が生まれたが、口を挟むのはやめよう。
 だって彼はきっと、自分の仕事を忠実にこなしただけだから。その結果がこんな不幸を招くとは、考えもせずに。

「カズ……いや、新堂先生。奈緒の事、頼みます」改まって頭を下げる西沢。
「任せろ!」
 そんな西沢の肩を力強く叩く音が響いた。

 何にせよ、これで一件落着か。数少ないであろう新堂さんの友人。仲違いしたままなんて絶対に良くない。
 自分の事そっち退けで大満足の私なのだった。



 それから二週間が経ち、現在は自宅療養中だ。新堂さんがかなりのペースで様子を見に来てくれる。

「ねえ。新堂さん」
「何だ」
「あの西沢って人、本当は凄く優しい人なんじゃない?」
 私の言葉を受けて、驚いた様子で凝視される。
「……何よ。間違ってた?」

「いや……あんな事をされて、良くそんな事が言えると思って。感心してるんだよ」
「確かにイケ好かないヤツだけど!でも……」
「ユイ?」言葉に詰まった私に、心配げな顔が向けられる。

 私は少し微笑んでから口を開いた。
「今回の事だって、結局は、ボタンの掛け違え、みたいなものでしょ?」
「それにしては、命懸けの事態だったな」彼がため息混じりに答えた。

「……あの人の、狂気を含んだ目の中に、あなたと同じ孤独が見えた気がしたの」
 素直に伝えた私の胸の内に、新堂さんが顔をしかめた。
 ああそうだ。あんな事をした西沢が自分と同類だなんて思われたくないはず。
「ごめんなさい!私、気に障る事言ったよね……」
 しかし、彼はこう答えた。「いや、違うんだ。そうかもなって、納得してたんだ」

「私とあいつが似た者同士なのは事実だ。それだけじゃない。ヤツに出会えたお陰で社会に適応できるようになったのは確かだ。貴重な存在さ」
 彼の幼少時代はどんなだったのだろう。想像するに、きっと辛い日々だったに違いない。そんな中での仲間の存在は、本当に貴重だと思う。
「なら、良かった」多くは語らず。
 
「だけどさ~!あいつ、かなりのシスコンだよね!それ言ったら、奈緒も相当のブラコンかぁ」明るい話に持って行こうと声のトーンを上げてみる。
「全くその通り。昔は良く冷かしてた。シスコンの西沢ってな」
 これには、酷いニックネーム!と本気で笑ってしまった。

「ユイは心が広いな。あいつの事、憎んでないなんて。それこそ殺されても仕方ないくらいの事を、あいつはしたのに」
「別に、そんなんじゃないよ。私、直球で来るヤツは嫌いじゃないから?」
「……ありがとう、ユイ」
 新堂さんは西沢のために、今私に礼を言ったのだ。本当に西沢巧を大切に思っているのだと確信した。

「そう言えば、車に仕掛けられた爆弾はどうやって対処したの?」ふと思い出し、聞きそびれていた質問を再開する。
 まさかこの人が、爆弾に気づいて解体したなんて事はないだろうが?

「ああ。たまたま外に出て、気分転換してた時に爆発したんだ」
「何てラッキーなの?!それで、周囲に被害は?」
「ああ。山の中だったから、木が何本か倒れたかな」

 この答えに私は言葉を失った。
 偶然、人気のない山中に行ったというのか。またもやお決まりの〝偶然〟に!
 きっと天も、二人の仲違いを解消させたいと思ってくれたのだろう。今はそう思う事にした。

 少しして、新堂さんが口を開いた。
「ユイ、赤尾という人物に、心当たりあるだろ?」
「赤尾って、赤尾先輩の事?何であなたが知ってるの!」突然の懐かしい名前に驚く。
 それに、どうして今そんな話を?

「彼の勤務する大学病院から依頼を受けてね。実は、ユイが連れ去られるところを二人で目撃してたんだ」
「ええっ!!何ですってっ!?」

 新堂さんがあの場所にいるのは知っていたが、まさかそこに赤尾先輩までいたとは!
 あの通りを歩いていた時に出たくしゃみ。あれは、噂どころか目撃(!)されていた事を示していたのか。

 拉致された現場を目撃されていたというのに、嬉しくなってテンションが上がる。
「って事は先輩、晴れてドクターになったのね!」
「やはり知らなかったんだな」

「そっか~。先輩の家、歯医者さんだったの。結局、継がずにそっちの道に進んだのね!」
「大好きな男が大嫌いな医者になっていたのに、なぜ嬉しいんだ?」
「だって、先輩の夢だったから。優しい医者を目指すぞって、良く言ってたし。優しい先輩なら絶対になれますよって、いつも応援してたの」
 当時を思い返して、顔が自然と笑い出すのを止めもせずに語る。

 そんな私を彼が静かに見つめている。今のこの人の中に、果たしてジェラシーはあるのだろうか?

「会いに行って来い。向こうも会いたがってたぞ」不意に彼がこんな事を言った。
 話によると、私が拉致される現場を目撃し慌てて警察に通報しようとした先輩を、新堂さんが無理やり引き止めたとの事。
「おまえの事を心配してるだろうから」
 新堂さんの言葉を受け、私は黙ったまま視線を落とした。

「どうした?」心配げに覗き込まれる。「質問攻めにされそうだな、と思って……」
「彼は話の分かる奴だよ」
「当然でしょ?私の……」
 途切れさせた言葉を引き継いだのは彼だった。
「大好きな男、なんだろ?さっきおまえ、否定しなかったもんな」

〝大好きな男が、大嫌いな医者になってなぜ嬉しい〟
 ああ、確かにそう言われた!言葉を失う。何という巧みな誘導ジンモン?

「すでに聞いたよ、学生の時に付き合っていたとね」
 先輩ったら、そんな話を……!
「ねえ。それを聞いて、どう思った?」探るような目で彼を見る。
「別に何も。あの頃を思い出して微笑ましかったよ」
「それだけ?」微笑ましかった?何が?「ああ、それだけだ」

 新堂さんの相変わらずの冷めた反応には、やっぱり不満が募った。全く大人ぶっちゃって!それとも、本当に冷めているだけか……。


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