大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第四章 狂い始めた歯車を修正せよ!

35.キタキツネの恩返し

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 その夜、こんな会話が私の部屋で繰り返される。

「新堂さん、夢じゃないよね?」
 目の前にいる彼に向かってこう確認するのは、これで何度目だろうか。
 ようやく新堂さんが記憶を取り戻した。私の事を思い出してくれた!
「ああ。夢なんかじゃない、私はここにいるよ」

 ベッドから腕を伸ばして触れると、新堂さんは優しく私の手を取り握ってくれた。

「国後に、行ってたんじゃなかったの?それに、自分がここへ来る必要はないって……」
 どうして新堂さんはここへ来たのか。その上、私の事を忘れているのだから住所だって分からないはずだ。貴島さんには教えてあったから、あの人から聞いたのか?

「行ったよ。ユイと別れてすぐに。貴島から電話をもらった時は、帰りの機内だった」
「それで?」
「ああは言ったが……気になってな。空港に着いて車のカーナビをいじってたら、過去の走行履歴が出てきた」
 最後に立ち寄ったと思われる場所が、どうやら私のマンションだったらしい。

「確証はなかったし、別に会えなくてもいいと思った。ただ、気のままに向かった」
 その時の様子を、彼は細かく教えてくれた。
 エントランスに着いて、オートロックの扉を前にする。自分のキーケースに付いている見慣れない鍵を、試しに翳したそうだ。当然、扉は開いた。

「驚いたよ。どう考えても、何かに引き寄せられてるとしか思えなかった」
「それで、どうして最上階って分かったの?」
「さあ……」どうやら自分でも良く分からないらしい。
 彼は続ける。「このフロアに上がり、ドアが半開きの部屋に行き着いた、という訳だ」

「どうしても、ユイの事を思い出したかった。あそこまで言われてはね」と笑う。
「おっ、覚えてるのっ?」
 勢いとはいえ、自分でも凄い事を言ったものだと思う。
〝本当のあなたに言ってほしい〟なんてクサいセリフを……!

「実は、全部ではないんだ。所々な……」彼は目を閉じながら言った。
 どの辺を覚えているのか気になるところだが、ここは流す。「そう」

「事故現場に行けば、何か思い出せると思ったんだが……全然でね。ひと月も放置していた患者の事も気になっていたし」
「あなたに連絡がつかなくなって、依頼人の人、困ってたんじゃない?」
「いいや、逆だ。あわよくば依頼料を踏み倒せると思ってたらしい」そうはさせるか、と彼が続けた。

 さすがは裏社会の依頼人。考え方も悪だ!
 そして、この人が気にかけていたのは患者の事ではなく報酬の方。

「それと、私を発見して救助を呼んでくれた人に礼をしてきた」
「やっぱり新堂さんは律義な人ね」この人の真面目さは誰よりも知っているつもりだ。

 これに対し、彼は強く首を振る。「どこがだ!主治医だというのに、大事な朝霧ユイを他人任せにしてしまったんだぞ?」
「それはいいのよ!新堂先生は私だけの先生じゃないし、色々と事情も……」自分にも言い聞かせるように言う。

「おまえが体調を崩してるのは知ってたんだ……」彼は一旦、言葉を詰まらせる。
「マキというのが医者だと聞いて、ユイを任せようなどと、思ってしまった」
 そして早口で続ける。「そいつがどういうヤツか知らなかった!……知らなかったんだよ」
 饒舌な新堂さんは前にも経験済み。気を遣ってくれている証拠だ。

「冷静に考えればそうよ。私ったら逆上してて、頭が働いてなかったみたい」
 会っているのが死神で、私が死のうとしているなんて思う訳がない。
「ユイ……本当に済まなかった」
「もういいよ。だって、新堂さんはこうしてちゃんと来てくれたもの」

 何か運命的な力によって、彼はここに辿り着いた。けれど……。

 起き上がって、彼を強く抱きしめる。「新堂さん……私、不安なの」
「何がだ?」
「あなたが何を考えているのか、イマイチ分からなくて」
「その答えになるか分からないが……あの時に私が言った言葉は、嘘じゃない」

「それは……どの言葉?」
 あの時の彼の言葉は、どれも嬉しいものばかりだった。

「おまえを忘れても、おまえに対する感情は忘れてなかったぞ?」私の目を見て言う。
「どんな感情?」
「……もういい加減、観念しようじゃないか」新堂さんが声のトーンを上げて言った。
 私は次の言葉を、固唾をのんで待つ。

「私は、朝霧ユイがどうしようもなく好きだ。好きで好きで仕方がない。あの夜の事も、もちろんちゃんと覚えてる」
 彼の言葉があまりにストレートすぎて、聞いていられなくなる。
「イヤだ……っ!ち、ちょっと待ってっ!」

「決して、軽い気持ちでユイとあの行為をした訳ではない」
 あの行為……。それを思い起こして、私の心臓が踊り出しそうになる。こんな突然の告白に、どう答えたら良いか分からない。自分の息遣いまでが震えてくる。

 無言で固まる私に彼が問いかける。
「疑ってるんだな……。どうすれば信じてもらえる?」

 新堂さんが、私の顎に指を添えて軽く持ち上げた。間近に迫ったその整った顔に釘付けだ。
「キス、してもいいか?」
 こんな言葉にさらに戸惑う。「そっ!そんな事!聞かないでよ……」
「あの時、突然したら拒絶されただろ。だから……」

 おかしい。やっぱり今の新堂和矢は、以前の彼じゃない!心臓が踊るのを通り越して、口から飛び出してしまいそうだ。
 そんな事を思いつつも、その後に結局私はキスを受け入れた。それはまるで麻薬のようなキス。だって全身が痺れるんだもの!

 しばし堪能した後に、どちらからともなく体を離す。

「ねえ。どうして?急に……私の事が好きになったなんて」
 答えがもらえるとは思えない質問を投げかけてみる。いつから私を……?

「他人には踏み込んでほしくない心の内を……おまえに探られた気がした」
 彼は、私から目を離して続けた。
「悪い意味ではない。逆に新鮮だった。私はずっと孤独だったから……嬉しかったんだ。自分さえ忘れてしまっている本当の私というのを、ユイが知ってくれてる事が」
「新堂さん……」

 彼が私に視線を戻す。
「こんな女は他にいない。この私を、ここまで夢中にする女は」
「ヤダ……っ、そんな言い方」
「あんな物を使いこなす女も、そうそういない」
「あんな物?」

 ふと私達の視線が、コルトに向けられる。

「拳銃を構えるユイの姿が、強烈に脳裏に焼きついていたようだ」
 続けて今度は囁くように言う。「あの、初恋の男から貰ったんだろ」
「え……っ?」
「全く……妬けるね!」
 何かを思い出しながら呟いた後に、言い改める。「だが……。それのお陰で思い出せたようなもんだから、そうも言ってられないな」

 とても嬉しかった。コルトが私達を繋ぎとめてくれたようで。それはつまり、キハラが再び私達を結びつけてくれたとも取れる。
 これについては、どこか複雑な気持ちになるけれど……。

 あの時、コルトから弾は発射されなかった。
「これ、いつ壊れたんだろう……」
 新堂さんの記憶と引き替えに、コルトが自ら犠牲になってくれたのだろうか。
 そんな事を思った時、新堂さんが思わぬ事を言った。

「心配しなくてもいい。壊れてなどない」
「どうして分かるの?」

 質問に答えるように、上着の内ポケットを探る。
 ジャラジャラと音が聞こえて取り出したのは……何と銃弾!コルト・コンバットパイソンの弾丸だ。
 新堂さんの退院の日、貴島邸を出る時に、試し撃ちという名目で一発使った。今ここにある分で計算は合う。だからって……。

「ねえ……?どうしてあなたが持ってるのよ!」
「分からない。だが、記憶を取り戻す手段かもしれないと持ち歩いていた」
 という事は、この人はその状態で旅客機に搭乗した……いやいや、そんな事より!
「つまり、とっくに抜き取られてたって事じゃない!」

 この数日、私は空っぽの拳銃を持ち歩いていた事になる……。何という事だ!

「恐らく、私の部屋にユイを招いた時だと思う……」記憶を探るように言う。
「覚えて、ないの?」
「全然」
 次の瞬間、笑いが込み上げてきた。
「傑作だわ!私に気づかれずに、この銃から弾を全て抜き取れる人間がいたなんて!新堂さん、あなたこそ一体何者なの?」

 単にあの時の自分が、いかに魂の抜け殻だったかという事かもしれないが……。

「きっと、こうなる事を予測していたんだ。これがここにあったから、ユイは今生きてるんだ」私の頭を両手で包み込んで、新堂さんが言う。
 頭部を撃ち抜こうとした私。自分は本当に死ぬつもりだったのか?
 衝動的な行動ほど恐ろしいものはない。

「う~ん……それにしても。弾の補填状況も確認していなかった事に問題が……」
 変なところで落ち込む。
「確認して補填されていたら、私のした事の意味がなくなるじゃないか!」透かさず言い返される。

「ねえ、単に危ないからって弾を抜いたんじゃないの?あの時のあなた、これにバカに執着してたし。どこで入手したんだ!ってね」
「私は、それが大嫌いなんだ!」唐突に声を張り上げる。
「そこは記憶がなくても変わらない訳ね……」
 私の言葉に、彼は微妙な表情をした。

 新堂さんは、拳銃のお陰で記憶が戻ったと言った。それは、コルトを受け入れてくれたという事ではなかったようだ。残念だ。

「全く。何て人なの……?プロのマジシャンになれそうね」
 こんな皮肉を言って、そしてまた落ち込む。
「どうした?」
「ごめんなさい、新堂さん。あなたの危険に、本当はもっと早く気づけたの。私にあらゆるものが警告していた。なのに、私はそれを無視した」

 無言電話から聞こえた、微かなクラクションの音を思い出す。そしてお気に入りのグラスが割れた事や、胸騒ぎ。これら全てを話した。

「ユイのせいじゃない。それに、ちゃんと助けに来てくれたじゃないか」
「でも……!もっと早く行けたはずなの!」
「私はこうして無事なんだ。それで十分さ」私の髪を撫でて彼が言う。

 上目遣いに新堂さんを見上げて、彼が今どんな顔をしているのか確認した。
 穏やかに微笑む彼を見て、ようやく笑顔になる事ができた。

「心配をかけて悪かったね。文句は、キタキツネ親子に言ってくれ」
「何?キタキツネって」
「事故の原因はキツネなのさ。ヤツら、安全確認もせずに横断して来るから……」
「えっ!それで、身を挺して助けたの……?あなたが!」
「何だよ。そんなに驚く事ないだろ」

 誰でも驚くに決まっている。だって、あの新堂和矢がキツネを助けたなんて!出会った頃には、とても考えられない事ではないか?

「確認するけど。それって、恩返しとか……期待してたりする?」
 どう頑張っても、キツネは大金を運んではくれないと思う。
「キツネの恩返し?バカな!そんな話はフィクションだろ。私は現実主義だ」
 何とも優等生な回答!これにより、彼の言葉に嘘はないと確信した。
「私、動物に優しい人って大好きよ!」再び新堂さんに抱きつく。

 私は動物をこよなく愛している。もし彼もそうなら嬉しい。
 この人は本当は、とても優しい人なんだ。ようやく本心から、新堂さんに好きだと伝える事ができた。

「おいおい、落ち着けって。さあユイ、もっと休むんだ。強制的にでも、たっぷり栄養と休息を取ってもらうからな?」しがみつく私を引き剥がして彼が言う。
「あら、それって脅し?」

「マキという医者も、おまえを心配していたよ」
「……そう。あの人にも、迷惑かけたわ」散々忌み嫌った相手なのに!皮肉なものだ。
「二人には丁重に詫びを入れておいた」
「ありがとう」

「あの男が、おまえの父親の死に関わっていたんだな」不意に新堂さんがこんな事を言う。
 沈黙する私に、申し訳なさそうに続けた。「済まない、私が口を挟む事ではなかった」
「いいのよ。もう過ぎた事だし。それより、ワインが飲みたい!」
「そうだな。それじゃ、休むのは乾杯してからにしよう」

 意外にも拒絶されなかった。
「話が分かる主治医で嬉しいわ!」

 私はキッチンからタンブラーを持ってきた。

「それで飲むのか?豪快だな!」
「さっき言ったでしょ、割れちゃったのよ、ペアグラスの片方」
「……弁償するよ」済まなそうに言う彼に、「なぜあなたが?いいわよ、気にしないで」とすぐに言い返す。

「なら今度、一緒に新しいの買いに行こうじゃないか。ついでにあの続きのために、飛び切りのワインもな」そう言って新堂さんがウインクした。
「っ!覚えててくれたのね。……うん!嬉しい」

 こんな普通のカップルがする、デートみたいな事を彼が提案してくれるなんて!まだ行ってもいないのに、誘われただけで満足してしまう。

 二つのタンブラーに並々とワインを注ぎ、取り戻した記憶と、これからの私達の幸せな未来に乾杯した。


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