大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第四章 狂い始めた歯車を修正せよ!

  飲みかけのワイン(2)

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 マキのバイクと事故を起こしたのは、必然だったのかもしれない。私が前へ進むために天が与えてくれた転機だったのだ。
 新堂さんとの思い出のワインを捨ててから、すぐに大量のボトルワインを購入して、再び我が家の冷蔵庫をワインセラーに仕立て上げた。

「こうなってるだけで、何だか吹っ切れた気分になるから不思議ね」

 できるところから少しずつ、日常を取り戻して行こう。あの人が変わってしまっても、私は私のままでいよう!
 彼が、いつ戻って来てもいいように……。


 そして二日後の約束の時間に、マキがやって来た。

「まず、あなたからある人に連絡してほしいんだけど……」
 マキに新堂さんの番号を入力した固定電話の子機を渡す。

 無言で応じて電話越しの相手を待つマキだが、先方は出なかったようだ。
 首を左右に振りながら電話を戻される。

「最近、この携帯は繋がった試しがない!」今度は別の番号を入れて再び渡す。
「これはどなたの番号です?」今度は相手を確認してきた。
「彼の主治医よ。居場所くらい知ってるはずだわ」
「それは?」

 貴島総一郎だと明かすと、マキが目を見開いた。
「何と!それは驚いた」
「……やっぱり面識あるのね」前に貴島さんもマキを知っているような口ぶりだった。
「それなら話は早いわ。うまく話してね」

「あ、もしもし?」
 今度は出たようだ。
「私、マキと申しますが」
 名乗った後、マキが電話器を軽く耳から遠ざけた。

 電話越しの相手の声がここまで聞こえる。
『マキだって?!俺に何の用だ?』
 貴島さんの興奮した声だ。
「あなたの患者、新堂和矢さんと連絡を取りたいのですが……」
『なぜ新堂に?お前と関わるとろくな事にならん。構うな!』

 それは凄まじい剣幕のようで、怒鳴る姿まで目に浮かぶ。

「その方にお伝えしたい事があったんですがね」電話器を耳から遠ざけたまま話すマキ。
『何をする気だ!マキ、貴様……今どこにいる?』
 マキが私の方を見て許可を求める。

 私は頷いて、答えるよう促した。

「朝霧ユイさんの所に、お邪魔していましてね」
『何だって?まさか、朝霧を殺す気じゃないだろうな……』
「人聞きの悪い!私は依頼を受けただけですよ。いいかい、新堂さんにここへ来るよう伝えてくださいよ?聞いてますか?」

 マキがそう言うと、バカヤロウ、と叫ぶ声が響いた。
『……その娘に手を出したら許さんぞ!』そう言い放ち、電話は一方的に切られた。

「これで良かったんですかね……」眉をひそめて呟きながら電話を返してくる。
「ちゃんと伝わったんでしょ?」
「言う事は言ったが……。肝心な部分を理解したかは不明です。相も変わらず、血気盛んな男だ!」何かを思い出した様子でマキが語る。

「十分よ。ありがとう、あなたってマルチタレントね!」
「お目当ての人物が来なかった場合は、どうするんです?」
「彼は来るわ、きっと……」そう祈るしかなかった。

 新堂さんは、私の主治医だと事あるごとに言っていた。自分の患者の命が危険に晒されていると知れば、必ず反応を示すはず。
 どんな手を使ってでも、彼に思い出してもらわねば!

 どうにも落ち着かず、冷蔵庫から未開封のワインを取り出すと、栓を抜いてグラスに並々と注いだ。
 視線を感じたので一応勧めてみる。「あなたもいかが?」
「仕事中ですので」
 それもそうだ!と呟いた後、キッチンにて注いだワインをいつものように一気に飲み干した。

 それを見たマキが目を丸くして嘆いた。
 そんなマキを尻目に、空のグラスをシンクに置いてピアノの前に移動する。

「ねえ。マキさん。これで何か弾いてよ」
「これはまた、ご立派な品ですね!」白く輝くグランドピアノに向かって言う。
「そうだ、この間の曲、聞きたいな」
「……そうですね。あなた、何だか緊張しているようだ。心を静めた方が良いでしょう」

 そう言うと、マキがピアノの椅子に腰を下ろして演奏を始めた。部屋はたちまち心地の良いメロディで満ちて行く。

「音楽というのは不思議なものです。どんな状況にあっても、我々に安らぎを与えてくれるのですから……」ピアノを弾きつつ、こんな事をしみじみと語るマキ。
「ん……そうね」

 私も気持ち良くなって、そのままソファでいつの間にか眠り込んでしまったらしい。
 ソファにもたれて眠っていた私は、マキに起こされた。

「さあ、そろそろ始めましょう。当人が来てしまいますよ」
「あっ、ええ……ごめんなさい」

 あっという間に、時計は三時を回っている。
 少しぼんやりとしたまま、リビングと続き部屋の隣の寝室に移動すると、そこにはすでに怪しげな機器類が用意されていた。
 それを見て不安になる。

「どうしました?」マキが機械の一つを手に取り言う。
「ねえ、本当に、フリだけだからね?」本当に死ぬつもりは、まだないので!
「そういう契約ですからね」
 彼のこの言葉に頷き、ベッドに横になる。
「どうなる事やら……!」

 マキが吐き捨てるように呟いた時、最初の来客があった。

 ああ!新堂さんが来てくれた……!私の胸はそんな期待で大いに膨らんだ。
 しかしその期待はあっさり裏切られた。現れたのは貴島さんだったからだ。鍵を掛けずにおいたドアが勢い良く開く。

「おいマキ!殺すなー!」
「これは貴島先生。近所の方が聞いたら、誤解するじゃありませんか?」マキが静かにたしなめる。
「こら朝霧、早まるな!」

 貴島さんがマキを押し退けて、横たわる私の元に真っ先に駆け寄った。

 覗き込まれて、片目を開ける。「ちょっと?私は新堂さんを呼んだんだけど。それより何で入って来れたの?」
「ちょうど下に住人がいてな。付いて来た」
「何てラッキーな人!で。彼はどうしたのよ」

「それより!一体これはどういう事だ!」私から目を離し、今度はマキを見て言う。
「先に私の質問に答えて!」私は声を荒げた。
「新堂なら、退院したその日に国後の依頼人の所に行くと連絡があった。まだ安静にしとけって言ったんだけどなぁ」
「それで?まだ向こうって事……?私の事、話してくれてないの!」

「すぐに電話かけて、言われた通りに伝えたさ。マキに依頼をしたらしいとね」
 貴島さんが私を見て言った。
「それで、彼は何て?」
「別に何も。マキがどういうヤツか聞かれたから、一応医者だと答えた」
 この言い分にマキが反論する。「一応ではなく、私はれっきとした医師です」

 そんなマキの主張を受け流し、貴島が続ける。
「そしたら言ったんだ、それは好都合だと。それならば自分が行く必要はない、そのマキという医者によろしく伝えてくれって……」
「好都合って、どういう事?自分が行く必要はない?」死んでも構わないって事?
「朝霧。残念だが、あいつはまだお前の事を思い出してないんだ。だから……」

「私の事なんて、どうなってもいいって事か……」
 私がどうなろうが、確かにあの人には何の関係もない。もともと赤の他人なのだから?記憶がない今となっては、昔以上に。

「私ったら、全くバカバカしい……もうやってらんない!」
 こんな事までしている自分が、とても恥かしく思えてきた。そもそも新堂和矢に思い出してもらえなくても、それが何だというのか?

 けれどそれと同時に、こんなに彼を想っている自分にも気づかされた。ある意味、その男に裏切られたという事も。

「もう金輪際、主治医だなんて名乗らせないんだから!」
「おい、朝霧?」貴島さんに呼びかけられる。

「お開きよ!お二人とも忙しいのに悪かったわね、こんな事に巻き込んでしまって」
 呆気に取られる二人を前に続ける。
「マキさん、報酬はこちらに現金で用意してあります。お持ち帰りください」
 用意しておいたトランクを差し出す。
「それから貴島先生、色々とご迷惑をおかけしました」私は深々と頭を下げた。

 そして二人を寝室から押し出すようにして玄関まで連れて行き、ドアを開ける。
「第三者に手間を取らせず、始めからこうするべきだったのよ」コルトを取り出し、手にして呟く。
 今となっては、新堂さんへの恨みよりも自分自身が許せない。

「おっ、おいっ!何をする気だ?」貴島さんが玄関先で叫ぶ。

 構わず私は銃口を自分のこめかみに当てた。

「よすんだ!」貴島さんが再び叫ぶ。
「朝霧さん!バカな真似はおよしなさい……!」マキが続く。
 私は小さく笑った。「マキさんにまで止められるとは思わなかったな」

「ねえ!私の事、絶対に助けないでね。二人とも?」

 そう言って引き金に手を掛けた時、もう一人の来客があった。
 開いたままのドアから、その人だけが迷わず私に近づいて来る。

「ユイ!!」
 逆光でその人物の顔が良く見えない。けれど……その声は間違いなく私が一番聞きたかった声だ。
 貴島さんとマキは、ただ呆然とその場に立ち尽くしている。

 私の目に、愛しいそのシルエットが映る。
「し、ん、どう、さん……?」国後にいるはずなのに……どうして。
 彼の姿を認識したものの、引き金に当てた指を止める事はできなかった。

 カチンと乾いた音が部屋に響き渡る。どういう訳か弾は発射されなかった。

「……どういう、事?」何が起きたか分からずに固まる。
「ユイ!」
 彼はもう一度名を呼ぶと、駆け寄って私を抱きしめた。

「新堂さん……もしかして、私の事、思い出したの?」
「ああ。今、全部思い出した……。済まなかった、ユイ。本当に済まなかった……」
 懐かしい声が耳元で鳴り響く。

 懐かしいぬくもりを肌で感じる。そして新堂さんの匂いを。
 だがこれは夢だ。なぜならコルトから弾が出なかった。そんな事は現実にはあり得ないのだ!
 そんな一大事にも関わらず、私はこの瞬間この上なく幸せな気持ちで満たされる。

 それを見守る、正体不明の黒い医者が二人。いや三人か。

「間に合って良かった……。ユイ、俺のいない所でこんな死に方、絶対に許さないぞ?おまえが死ぬなら、その時は俺も一緒だ!」

 私は力尽きて、彼の腕の中へ倒れ込んだ。
 肝心の新堂さんの感動的な最後の言葉は、残念ながら良く聞こえなかった。


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