大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第四章 狂い始めた歯車を修正せよ!

31.罪とバツ

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 気がつくと、私は大きな鏡の前に座っていた。目の前の鏡に映っているのは、純白のウェディングドレス姿の自分。
 室内はそれほど広くはなく、私の左右にメイドのような女達が控えている。

「ユイ様、もう時期新郎様がお見えになります。お支度を」
「新郎……?」

 状況が全く飲み込めない中、白いサテンのロンググローブが渡される。
「何をぼんやりなさっておいでですか。早くこちらを」
「あの!これは一体、どういう事?」

「何をおっしゃいます、今日は一生に一度の晴れ舞台ではありませんか!きっと緊張されているのですね」
「……ねえ、その新郎って誰なの」私は真剣に聞いたのだが……。
「イヤですわ、ユイ様!何のご冗談ですか!」
「きっと、この幸せを改めてご確認されたいって事ですわ」もう一人のメイドが続く。

「まあ、そうでしたの!それでは喜んでお教えいたしましょう。あなた様のお相手は、ヘルムート・フォルカー様ですわ」
「ヘルムート、フォルカー……」
 その名前には覚えがあった。つい先日まで、依頼でしばし生活を共にした相手だ。
 だがあの依頼はもう終わったはず。
「まだ続いてたの……?」

 考え込む私をよそにメイド達が急き立てる。
 促されて席を立ち、付き添いと共に扉へと向かう。

 扉が開き、向こうから激しい光が私の目を刺し貫いた。「眩し……」

 強く目をつぶった私の耳に入ったのは、ひと際賑やかな人々の声。ゆっくりと目を開くと、そこはすでに先ほどの場所ではなかった。
 メイド達の姿はどこにも見当たらない。教会入口から続く階段の両サイドに分かれて、大勢の客達がこちらを見上げている。

 自分の隣には白いフロックコートを着た、西洋人と思われる男が立っている。

「ユイ、どうした?さあおいで」隣の男は私の腰に手を添え、先を促そうとする。
 男に目を向けて記憶の糸を辿るも、「あなたは、ヘルムートじゃない!」その男は別人だった。
「何を言っている?さあ、行こう」
「あの……っ」

 教会を出た先の正面の門は開かれている。そこまで続く、自分達の足元から敷かれた細長い赤い絨毯を呆然と見つめる。
 取りあえず、ここはやり過ごすしかない。意を決して前に進もうと一歩踏み出した時、通りに黒のライトバンが急停車した。
 そこから武装した黒尽くめの男達が続々と降りてくる。あろう事か彼等はマシンガンを所持しているではないか!

「いけない!皆、伏せてー!」

 私の叫びも虚しく、客達は次々と撃たれて行く。辺りはたちまち大惨事となる。
 私はすぐに腰に装着した愛用コルトを抜いた。ドレス姿にも関わらず、なぜか銃はそこにあった。

「ユイ!逃げろ……君だけでも」
「あ……!」
 隣りの男が銃弾を浴びてしまう。その返り血を浴びて純白のドレスが赤く染まる。
 とっさに抱きかかえた体から溢れた血が、私の白いグローブも見る間に赤色に変えて行く。

「何て事を!」立ち上がりコルトを構える。

 男達が私に迫った。



 静まり返った秋の午後。空はどんよりと曇っている。

 気がつくと、先ほどと同じ教会の入口に倒れている自分。その左手には、しっかりとコルトを握り締めていた。
 周囲にいた人間は敵も含めて、誰一人いなくなっている。

「……一体どうなってるの?」ゆっくりと上体を起こす。
 床や階段に流れたはずのおびただしい血痕も、跡形もなく消えている。自分は無傷だ。
 ドレスやグローブに付いた血の染みだけが残っていた。

 両手を見下ろし、真っ赤に染まったグローブを凝視する。
「さっきのは、夢じゃなかったって事?」立ち上がってグローブを取り床に落とす。
 よろめきながら教会の中へと入って行った。

「何が何だか、さっぱりだわ……。頭が、痛い」
 頭を押さえながら教会内を見渡す。誰もいない。

 階段を見つけて上に向かう。昇り切るとそこは屋外だった。
 すぐそこに広がる海が一望できた。教会の前の道沿いには、椰子の木が等間隔に植えられている。先ほど黒のバンが走って来た道だ。

「どうなってるの?ここはどこ……?」

 空には、相変わらず重い雲が立ち込めている。
 生暖かい海からの湿った風を受けて、肩まで伸びた髪が揺れる。

 コルトを再び腰元の定位置に戻す。敵が消えた今、これの出番はなさそうだ。
 しかしその矢先に、先ほどのバンに似た黒の車両が五、六台ほどやって来て門の前で停車した。
「何?!」戻したばかりのコルトに無意識に手が伸びる。

 先頭車両から男が一人出て来て叫んだ。
「ミス・アサギリ!作戦は失敗だ!お前らしくもないミスを犯しやがって……。もう一度チャンスをやる。いいか、今度失敗したら次はないと思え!」
「あなた達は誰なの?!私はここで何を……」
「もう二度と、我々にこんな手間を掛けさせるな。分かったな!」

 私の質問には答えずに、彼等は去って行った。
 呆然とする私の背後に人影が迫る。

「うっ……」
 気づいた時には遅かった。何者かが私の首筋に薬物を打ち込んでいた。


 ぼんやりとした意識の中、最初に視界に入ったのは白い天井……天井だけではない。この狭い部屋は全てが真っ白だ。
 そんな中、簡素なパイプベッドに寝かされている自分。

「……イヤ!」
 真っ白な空間は私の気を乱した。
 無音のこの部屋にあるのは、このパイプベッドのみ。窓もドアも見当たらない。

 シーツを剥ぎ取り起き上がる。いつの間にか着せられた質素な白のワンピース。
 その下腹部は、まるで妊娠したように膨れ上がっているではないか!

「なっ!何?イヤぁー!!」思わず叫び声を上げる。
 音は吸収されてしまって響かない。どんなに声を発しても、この白い空間にかき消されてしまうのだ。
「イヤ、助けて!新堂さん!」私は当然のように彼の名を口にする。
 膨れた下腹部に痛みが広まり始めた。
「いっ、痛い。お腹が痛い……!ううっ」

 激しい痛みに意識が遠退きかけた時、隠されていたドアが出現し、この空間と外の世界が繋がった。
「ドア、あるんじゃない……」

 そのドアから、白装束に身を包んだ人間が二人入って来た。キャップにマスク姿のため、全く人相が分からない。
「誰なの、あなた達!この腹痛は何なの!」

 白装束が両サイドから私に迫る。手には注射器を持っている。
 拒絶する事もできず、あまりの痛みに気を失った。


 ピ、ピ、ピ……と均等に鳴り響く電子音で目が覚める。
「ここは……」

 どうやらオペ室のようだ。自分が内診台のような所に縛り付けられている事を知る。
 裸にされた上、両足は大きく開かれている。
「な!何なのよ!やめて、……何をする気?」
 両手両足を鎖で縛られており、身動きができない。

 明らかにこのシチュエーションは、出産シーンだ。
 そして私の中から、温かいものがゆっくりと出て来た。

「イヤぁぁー!!」


「……イ、ユイ」
 新堂さんの声だ。なぜか私の遥か上空から響いてくる。
「しっかりしろ、おい!」

 次の瞬間、私は現実の世界に引き戻された。多量の汗をかいて目を覚ます。
 ベッドサイドでは、彼が心配そうに私を窺っている。

「新堂さん!ああ、助けて……っ」私は思わず助けを求めた。
「一体どうしたんだ?酷くうなされていたようだが。こんなに汗をかいて……」
 タオルで額の汗を拭ってくれる彼に、抱きついて泣いた。
「私、私、妊娠して……、無理やり手術台に!」

 今回の依頼で負ったケガは深刻なものだったが、我が優秀な主治医の適切な治療のお陰で順調に回復している。
 現在は自分のマンションに戻って療養中だ。

「何だって?気は確かか。そんな兆候は一切ないぞ。それとも何か、心当たりでも?」
「そんなのない!気が付いたらお腹が……張り裂けそうに膨らんでた。それで死にそうなくらい痛くなって……変な連中に連れて行かれて!」
 泣きながら話す私の背中を優しく擦りながら、彼は静かに聞いている。

「新堂さん、私、何かされた?見て!今すぐに確認して。お願い……」
 あまりにリアルすぎる悪夢に、現実と区別がつかなくなっている。
 彼はそんな私を見ながら右手を口元に当て、何か考えている。

 しばらくして、ようやく口を開いた。
「ああ、分かった。今見てやる。だから落ち着け」

 汗でぐっしょりになった寝巻きを脱がされる。今はもう包帯は巻いていないが、ヘルムートに撃たれた痕はまだ生々しく残っている。
 新堂さんは傷口に気をつけながら、私の体をバスタオルで包み込んだ。
「こんなに冷え切って……風邪を引くぞ?」私の額に手を当てながら言う。

 そして彼が足元の方に移動する。
「横になって」
「う、うん……」

 指示通り再びベッドに横たわると、先ほど巻いたバスタオルを半分だけ捲り、私の下半身を露わにさせた。
 私の足を開こうとしている彼だが、思わず力が入ってしまう。
「力、抜いてくれるか?」

 夢のシーンが頭を過ぎり、堪らず起き上がってベッドから抜け出した。
「……イヤ、やっぱりダメっ!」
 その拍子にタオルが取れて、裸のまま立ち竦む格好になる。

「おまえが頼んできたんだろ」
 呆れた様子の彼に我に返る。「ゴメン、そうだよね……」
 恥かしさのあまり両手を使って、何とか大事な部分だけを覆い隠す。
「見せてくれないと、確認できないぞ?」そう言って、彼が裸の私を見上げる。

 ところが、困惑する私を見て新堂さんが笑い出した。
「悪い悪い!少しイジメ過ぎたな。あらゆる観点から一目瞭然。ユイは妊婦ではないと思うよ」
「……ホントに?」
 彼が頷く。「調べるならエコー検査でもしないと。見ただけで、分かる訳ないだろ」
「なっ!新堂さんのイジワルっ!」

 不意に彼がこんな事を言った。「ユイ。きっと罰が当たったんだ」
「何の?」
 裸の私に再びバスタオルを巻きながら、吐き捨てるように言う。
「偽装結婚の依頼など、……引き受けるからさ」

「彼の子供を、身籠ったって事……?どうしようっ」
「おいおい!何でそんな話になる?」
「あなたが言ったのよ?バチが当たったって!」興奮して言い返す。

「妊娠は罰、か」
「そうよ。少なくとも私には。あなたには……分からないわ」
「子を宿す事は、尊い事だろう?」まるで自分自身に確認するように問いかける。
「よして!そんなセリフ、あなたには似合わない」

 彼がため息をついた。
「確かに、私らしくなかったな。珍しく命の尊さなど考えてしまった」
「別に、そういう意味じゃ……」
 自分の言葉を後悔した。せっかくこの人がまともな発言をしたというのに!

「ユイ、洗面に行った方がいい」
 それは遠回しのメッセージだった。長らく主治医をしている彼は、私の生理周期さえ把握済みらしい。
「さっき、体温がやや低めなのを確認した。この時点ですでに妊娠の兆候はない」

 驚きを隠せないでいる私を、下腹部の鈍い痛みが襲う。ようやく私にも、それが何を意味するのか理解する。
「そういう事?もう!恥かしすぎる。汗かいたし、ついでにシャワー浴びてくる!」

 慌てて駆け込んだバスルームにて、熱めの湯を浴びながらリアルすぎる夢を再度思い返す。

「あの夢の中の腹痛って、生理痛だったのかぁ……」
 本当に妊娠したとしても不思議はなかった。もし、ヘルムートの子を身籠もっていたら……?あの人は、本気で私と本物の夫婦になろうとしていた。

 そこまで考えて、強く頭を横に振った。「ないない!」


 しばらくして、戻った私に彼が言う。「な?調べなくても分かったろ」
「もう!分かってたなら、始めからそう言ってよね?イジワルなんだから」
 言い放った直後に、急に下腹部の痛みが増した。
「うっ。イタタ……」呻いてしゃがみ込む。

「ねえ新堂先生。こんなもの必要ないんだから、いっそ切り取ってくれない?」
 憎々しげに、下腹部を掴みながら訴えてみる。
「バカな事を言うんじゃない」

「あなたには分からないのよ、この痛み!毎回毎回これからも、何年も悩まされ続けるのよ?」私の生理痛は昔から酷い方なのだ。
「簡単に必要ないなんて言うな。その器官がどういうものか知ってるだろ?」
「もちろんよ、知ってるからこそ言ってるの」

「ユイ。子宮を失うという事は女を失うって事だぞ?いいのか、それでも」
「……あなたには悪いけど、私は別に構わないわ」
 何も言わない彼を見て言い直す。「ああそっか。あなたも別に困らないよね。私が女じゃなくなっても!」

 けれど新堂さんは黙ったままだった。
 そして、感情の読み取れない目でじっと私を見つめている。

「断る」彼が結論を出した。
「え?」
 それは、私が女じゃなくなる事を拒絶している?と期待した自分が愚かだった。
「私には正常な臓器を摘出する趣味はない。どうしてもやるなら、他を当たってくれ」

 この答えがどれだけ冷酷だったか。これを聞いて、確実に新堂さんの怒りを買ったと思った。
 何も言えずに怯えていた私に気づいたのか、彼が口調を和らげた。

「そんな事より。もっと現実的に、鎮痛剤を出してやろう」
「……いい。どうせ効かないから」素直になれない私は無論拒否だ。
「市販のではな。ユイの体は特殊だから。効くのを処方するから、飲むといい」
「え~え~!どうせ私は特殊ですっ!」

 不機嫌になる私をよそに、彼が鞄の奥から薬をワンシート取り出した。

「さあ、一錠飲め」
「いいって言ってるのに……」
 ブツクサ言いつつも奪うように薬を受け取り、嫌味で返してみる。「良かった、注射器を出されなくて!」
「ああ……その手もあったな。そっちにするか」
 彼が再び鞄を探り始めるのを見て「滅相もない!これで十分だわ」と慌てて言い返した。

 サイドテーブルに置かれたコップの水で、すぐさま飲み込む。

「やれやれ」新堂さんが、呆れたように言って立ち上がった。
 そんな彼を見上げて不安になる。「……どこ行くの?」
「一人になりたいんじゃないかと思って」
「イヤ!ここにいて。行かないで……っ」
「何だ、珍しく素直じゃないか」

 やや驚いた顔をしたものの、隣りに腰を下ろしてくれた。
 彼の手が私の頭に乗り、ポンポンと軽く叩く。
「ちょっと?だからって子供扱いはなしよ!」反射的にその手を掴む。
「……これだよ!全く可愛げがない」彼が小声で嘆いた。

「こんな私で、ごめんなさい……」

 反発しろと命令する自分に逆らって何とか口にした謝罪の言葉は、白けてしまった空気の中に紛れ込んですぐにかき消えていた。

 それはまさに、自分の頑固さに嫌気が差した瞬間だった。


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