大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第四章 狂い始めた歯車を修正せよ!

28.オトナと子供の境界線(1)

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 私の元に、珍しく病院からの依頼が飛び込んだ。もちろんオペの依頼ではない。
「あんまり、お近づきにはなりたくないんだけどなぁ」

 こんな不平を零しながらも、せっかくの依頼を無下にはできない。内容くらいは聞いてみようと自分に言い聞かせ、そこへ向かった。


「こんにちは~。依頼を受けた朝霧ですが」
「これはこれは!あなたが朝霧さんですか。お入りください」
 院長室にて。依頼人はこの院長先生だ。一見、何とも人の良さそうな感じではある。

「こんなにお若い方とは……思いませんでしたなぁ」
「何かご不都合でも?」二十五ですけど何か?ややムッとしながら聞き返す。
「いやいや!むしろ好都合ですよ。若い方が怪しまれない。実は、院内に不審人物が出入りしているようで……」ここで言葉を濁す院長。

「不審人物ですか。具体的にどういう?」
「医師を装って、ウチの患者から大金を巻き上げているらしいんです」
「大金……」
 私の脳裏に新堂さんが浮かんだ。

 だが彼は依頼を受けた先の責任者には必ず許可を取っているはず。この考えはすぐに否定した。

「そこであなたに、潜入して調査していただきたい。研修医として手配済みです」
「承知しました。お任せください、必ず犯人を突き止めて見せます。ここへお連れすればよろしいですか?」
「あっ……いや!私の所じゃなく警察へ!すぐに引き渡してくれたまえ」
 慌てた様子で答える院長に、どこか違和感を覚えた。

「ですが……よろしいんですか?」犯人に何か言う事はないのか。
 不思議に思って尋ねるも、「私は!そういうゴタゴタに巻き込まれたくないんだ!」と勢い良く返された。

 院長の目をじっと見つめれば、すぐさま目を逸らされる始末だ。
「まあ、いいでしょ。分かりました、引き受けます」
 何があるのかは、犯人を捕まえてみれば分かる事だ。

 こうして私は、この病院にしばらく〝勤務〟する事となった。それも大嫌いな白衣姿の研修医という設定で!


 潜入開始から数日後。ある病室の前で座り込んでいる一人の少女と遭遇した。

「ねえ。あなた、どうかした?大丈夫?」
「あ!いいえ。何でもありません……っ」
 そう答えながらも、少女の目には涙が浮かんでいる。放っては置けない。

 彼女を連れて中庭に出る。
 並んでベンチに座った後、背伸びしながら天を仰いだ。五月の澄んだ青空が目に映る。木々に生い茂る青々とした葉が爽やかな空に映えて、とても美しい。

「あ~、気持ちいい!ほら、あなたもやってみて!」
 口元をきつく結んではいたものの、少女は促されて空を見上げた。
「ねえ。私で良かったら相談に乗るわよ?話してみて」
 話を切り出すと、まるで上を見上げたのは涙を堪えるためだったかのように、こちらを向いた少女の目には溢れんばかりの涙が溜っていた。

「先生ぇ……っ!」
 自分が先生と呼ばれた事に居心地の悪さを感じつつも、話してくれるのを辛抱強く待つ。

 しばしの沈黙の後、彼女相馬ユキはポツリポツリと事情を話してくれた。医者を名乗る男に、五千万払えば病気の母親を治してやると言われた事を。

 嫌な予感がして、恐る恐る尋ねる。「それでユキちゃん、その男の人の名前は……?」
「分かりません。でもその人、院長先生とは仲、悪かったみたい」
 そう言った後、ユキは再び泣き出した。
「私には、そんなお金なんて作れない!」
「全く。何考えてるのかしら?そいつ!」子供相手に五千万だなんてふざけているではないか。

 しばらく後、改めて私の顔を見てからユキが言う。
「……先生って、初めて見るけど、新しい先生?」

 怒りのせいで今の自分の立場を忘れていた。この際、この子には正直に伝える事にしよう。

「あのね。私、こんなカッコしてるけど……実は医者じゃないの」自分の服装を見下ろしてから、ユキの耳元で小声で告げた。
「え……?どういう事?」
「ちょっと訳あってね、変装してるの。シ~ッ、内緒よ?」周囲を見回しつつ、人差し指を口元に当てる。
「変装、ですか……」あまり理解できていない様子のユキ。
「どうやら、私のターゲットはそいつみたいね」

 きょとんとする彼女に、自信を持って伝える。
「私は朝霧ユイ。安心して。あなたのお母さん、絶対に助けてあげる」
「それじゃ、やっぱりユイ、先生だね!」
「私じゃなくて、いい先生に心当たりがあるのよ」
「ホント?!」

 無邪気にはしゃぐユキが「ありがと!ユイ先生!」と私を見上げる。
「ねえ?先生っていうのは、やめてくれる?」私なんかがそう呼ばれていい訳がない。
「じゃあ……」ユキが考え込む。「ユイお姉ちゃんで!」


 そして数日が経過する。

「お金、お金って全くイヤになる!こんな紙切れにどうしてそんな力があるのか……ホント不思議だわ」
 トランクに詰め込んだ札束を前にし、そのうちの一束を取り出してパラパラと捲る。これはユキのために用意した五千万円だ。今の私にはもはや、そう苦もなく用意できる額となった。

 かつての自分とまさに同じ状況に置かれたこの子を、どうして見過ごせようか。その上、ユキはまだ九歳というではないか。

「ここで張り込んでいれば、いずれ現れるはず……」

 夕方になってようやく動きがあった。病院のミーティングルームで何やら話し声がし始めたのだ。
 そっと中を覗くと、どうやら金の受け渡し現場に遭遇できたようだ。
「とうとう見つけたわ!」ドアの影から小さくガッツポーズをして呟く。

 白衣の下からコルトを抜いて待機する。幸い廊下に今のところ人影はない。
 念のためだが、相棒にご登場いただいたのは撃つためではない。こういう場合はこれで脅すのが効果的なのだ。
 
 事が済んだらしく、依頼人らしき男が先に部屋から出て来た。その男をやり過ごし、室内に残ったターゲットの元へと近づく。
「そこまでよ。動かないで」
 後ろ姿の男に銃口を押し付けるも、その姿がどうしても新堂さんと被る。

「振り返っても、いいかな?」
 男はそう言うと、両手を上げたまま私の方を振り向いた。
「新堂さん……!やっぱりあなただったの」
「やはりユイか。一体どういう事だ、これは。それにその格好……転職したのか?」
「だったら、拳銃は構えてないと思うけど!」

 私は脱力して、銃を持った手を下ろした。
 ウソだ……これは何かの間違いだ。そうであってくれないと困る!
「なぜあなたなの?お願い、ここへ来たのは今日が初めてだと言って!」
「残念ながら、三回目だ」

 騒ぎを聞きつけて、人が集まり出した。

「ユイ、それはこの場には相応しくない。こっちによこせ」彼がコルトに手を伸ばす。
「動かないでと言ったでしょう!」私は相棒を構え直して叫んだ。
「落ち着いてくれよ」
「私は冷静よ。場所を変えましょう」

 周囲に見えないように、彼に銃口を突きつけたまま屋上へと上がる。

「あなた、相馬ユキという名前に心当たりは?」
「ソウマ?ああ、そういえば先日、私にオペを依頼してきたのが確か……それが?」
「見損なったわ!新堂さん、私に言ってくれたよね?困った時はお互い様、ユイが教えてくれたって。どうして困ってる子供にあんな事が言えるの!」

 銃を向けたまま叫ぶ。
 こんなに動揺するのは久しぶりだと自分でも思う。

「私はいつものように仕事をしに来ただけだ。あの娘に会ったのは偶然だよ」
「私も仕事よ」
「こうして私に銃を向けるのがか?今さら私のやり方に反発するのか!」
 質問には答えずに、努めて冷静に返す。
「ここの院長からの依頼よ。無断で大金を巻き上げてる、無法者がいるってね」

「無断だって?」
「ええ」
「そんなはずはない。院長に許可を取りに行ったから、その娘に会ったんだ」
 私はため息をついた。「やっぱりね。あの院長、始めから胡散臭かった」

「それなら。これはどういう事だ?」新堂さんが両手をさらに高く上げて言う。
「もう一度聞くわ。ユキちゃんに言った事……本気じゃ、ないんでしょ?」
 お願いだから、本気じゃなかったと言って!

「ならおまえは、冗談であんな事が言えるのか?」
 薄っすらと笑みさえ浮かべて語る彼に、私は再び激高した。
「今すぐに、トリガーを引いてもいいのよ?」
「できるのか、おまえに!」

「彼女はまだ九歳よ?何とも思わないの!」
 私の質問に、あろう事か彼が肩を竦めた。さあな、とでも言いたげに!
「あの子はまだ小さいし、頼れる人だっていないのよ?私に大金を吹っ掛けた時とは違うでしょ!」
 彼は反論もせず、ただ私の言い分を聞いている。

「大体、金額の設定がおかしいの……!もしあの子が、私がしたような無茶な事に手を出したらどうするの?あなたはそれにも責任を取るつもり?」
 恥ずかしいくらいに息遣いが乱れ、自分の鼓動が激しく鳴る音が聞こえる。

「ユイ、ちゃんと話を聞いてくれ」
「言い訳なんて聞きたくない!」

 そう言って彼から目を反らした時、小さな人影が目の端に入った。
 けれど、今の私にそれを気にする余裕はなかった。

「あなたの事、信用しすぎたみたい。あなたは何も変わってない、八年前と!」
「頼むから、少し落ち着けよ」
「黙りなさい!」
 少しずつ彼に近づく。両手でしっかりと銃を握り締めて。こうしないと、手が震えて照準が定まらないのだ。こんな事は初めてだった。

「もう何を言ってもムダだな……」
 彼はそう呟くと、私の握り締めていたコルトを片手で払い落とした。

「っ!な、んで……?」
 こんなに強く握り締めていたのに。容易に私の手から我が相棒が落下した!
 そして壁際に追い込まれ、ついに体が冷たいコンクリート壁に当たる。
「……何よ、私を脅す気?!」

 彼は両手を素早く私の首に巻きつけた。そこに少しずつ力が加わって行く。
「医者が、……殺人?くっ!何て男なの……っ」
 怒りに我を忘れていた私は、いつもの冷静な対応ができなかった。情けなくもされるがままとなる。

 次第に目の前に白い幕が降り始める。

「ユイお姉ちゃんを放して!」

 そんな中で、ユキのこんな叫び声が聞こえたような気がした。
 私の意識は、ここで途切れた。



 どのくらい経っただろう。再びユキの声が聞こえて、私は目を覚ました。

「ユイお姉ちゃん!気がついた?」
「ユキ?あれ……私。……そうよ、あいつは?新堂和矢は?!」
 寝かされていた病室のベッドから起き上がり、ドアの方に目をやる。ユキもドアの外に意識を向けた。

「あの人なら、今、私のお母さんの手術をしてくれてる」
「え、どういう事……?」全く事情が飲み込めない。
「新堂先生ね、良く分かんないけど……気が変わったんだって!」
 こんな酷い事をされたのに、目の前の子はなぜか笑っている。
「気が変わった?ふざけてるわ!ユキ、あなたそれでいいの?!」

 私の説得で考えを改めたのだろうか?そんな感覚は全くなかったが。

「ユイお姉ちゃん。あの人、悪い人じゃないよ。本当は分かってるんでしょ?私、人を見る目はあるんだから!」
 こんな事を言うこの子が、まだ九歳だなんて誰が信じるだろう。
「いい?ユキ。そんなに簡単に、人の事を信用してはダメ!」
 悪い人じゃない、私にはそう言いきれる自信などなくなっていた。

 彼は私を殺そうとしたのだ。あの的確な絞め方ならば、確実に数分で死に至るはず。
 ……それなのに私は、まだ生きている。

「新堂先生の、ユイお姉ちゃんを見てる時の目。あれは、愛してる人を見てる目だったよ。覚えてないだろうけど」
「愛してるって、そんな言葉……!意味分かって言ってる?」
「子供扱いしないで?私だって女なんだからね!」
 これには、口をあんぐり開けたまま何も言えなかった。

「私、新堂先生の事、怒ってないよ。だから、ユイお姉ちゃんも許してあげて……?」
 何て寛大な心の持ち主なのだろう……。それとも単にバカなだけか?
「何だろうと、お母さんが助かるなら、私は満足だもん!」
 ユキの前向きな言葉のせいか、強烈に抱いていた彼への怒りは薄らいだ。

 それに代わり恐怖心が募って行く。
 そもそもあの人に首を絞められたのは、本当に現実なのか?信じたくない!どこまでも疑ってやる。これは自分が作り上げた、ただの夢なのだと。
 けれど首筋に手をやれば、まだ圧迫感が残っている。
 あっさり先ほどの記憶が蘇った。

「……残念ながら、夢ではないらしいわ」
 大きく深呼吸をして息を吸い込み、ベッドから起き上がる。いつまでもこうしてはいられない。

「ユイお姉ちゃん、大丈夫?起きても……」心配そうに尋ねてくるユキ。
「平気よ。お母さんの所へ行くよ、ユキ」
「うん!」


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